オッツ惜しい、あと一歩 軽臼平盤 準優勝

  • 2025年思い出の釣行記No.11
  • オッツ、惜しい!あと一歩 この惚け茄子が!
     軽臼平盤 準優勝
  • 札幌竿道会第3回大会
    釣 行 日:5月18日(日)
    入釣場所:軽臼平盤
    天  気:晴れ 波風穏やか 暖かい
    釣  果:アブラコ   520 ㎜ 4/4
         クロゾイ   365 ㎜ 1/1
         ホッケ ガヤ 小ゾイ 
         重量     495 0g
    成  績:合計点数  1380 点(準優勝 2点)
         年間累計点   16 点(⑦ ⑦ ②)
  • アブラコ52.0㎝ オッツ、おっしい。身長優勝ならず。
  • 再び彷徨い歩く
     今回の入釣場所に迷いはない。他に余り釣り場を知らないこともあるが、近年は軽臼平盤で比較的よい釣りをしてきたのだ。昨年は大荒れの中、波が死ぬところを発見しており、それなりの釣果があったのだ。天気も雨が降るかもしれないがまずまずの予報だ。
     仲間に私の入釣場所を聞かれたので、軽臼平盤と応えると、宮野一成氏も向かうということで心強い。そして何人かの仲間に、4月末の道釣連の大会で優勝者を出したことも伝わってきた。大会当日は波が荒れ狂う中、竿1本を手に持っての執念の釣りだったらしい。
     宮野氏と一緒に軽臼漁港入り口でバスを降りた。宮野氏は平盤先端に向かうという。私は、年々体力が衰えてきて、荷物を同時に運べないこともあり、まずは竿袋を担いで釣り場に向かった。この盤では過去に何回か方向音痴になって彷徨ったこともあり、念のためリュックには竿先ライトを付けておいた。
     
     平盤の前方で竿を出している釣り人がいたので、まずはそこに向かってみた。北海磯釣会の澤田隆郎氏と澤田友梨恵さんだった。澤田氏には20年以上も前に、近浦で釣り場を丁寧に教えて頂いたことがある。(👇2003年思い出の釣行記PART.6「痺れるような」👇)長年北の釣会で活躍してきたお父さんとその親にくっついて幼い頃から釣りに親しんできた娘さんである。親子で釣り大会に参加するなんてなんと羨ましいことだろう。明るくなってみると、私が昨年竿を出したところだったが、その時はまだ気付いていなかった。(👇2024年思い出の釣行記No.6「ゆとりある行動に徹すべし!」👇) 
     その左方向にも釣り人が見えたのでそこに向かってみた。やはり同じ会の金山泰三さんだった。彼の活躍も新聞紙上の写真付き画像で何度も紹介されていたこともあったのですぐに分かった。この時点で私の釣り場が分からなくなっていたこともあり、彼に確認すると腕を伸ばして指し示してくれた。私が向かおうとしている釣り場には何度も訪れているにもかかわらず、見失っていたのだ。
     いざ、釣り場に向かうと宮野氏の荷物が並べられていた。宮野氏も先端に釣り人がいたのでここを釣り場とすることに決めたらしい。しかし、彼は居ない。最近腰を痛めたので無理は出来ないと2度の往復になったらしい。
     私は、念のため竿を伸ばしてその先に竿先ライトを付けておいてから、リュックを取りに戻った。しかし、私が置いたと思った岩にはリュックが見当たらない。干潮時ではあるが海水の残る平盤を歩き回った。しかし、同じ所を行ったり来たりしているようで、なかなか見つからない。思い出した!入釣時にリュックを見失わないようにと、何度も後を振り帰って確認していると、リュックに付けた竿先ライトと、背景にある街灯が一直線になっていたことを思い出したのだ。その街灯を頼りにしての方向を確認しながら歩くと、ようやくリュックに付けた竿先ライトを見つけることができた。その岩は自分の思い描いていたところとは全く違った方向にあった。
     リュックを担いで、今度は竿先に付けた竿先ライトを頼りに釣り場へと向かった。宮野氏が盛んに竿を振っていた。アブラコやソイを釣り上げたようだった。私がいつも竿を出すところに宮野氏が入っていたのでその左横に並んで竿を出すことにした。その時は2時を回っていた。バスから下りたときは日付が変わったときだったから、2時間も平盤を彷徨っていたことになる。私が準備している間にも宮野氏がホッケを釣り上げた。「ようやくホッケが寄りだしたところだから早く竿を出した方がいいよ」と急かされ、3本の竿を出し終えた。竿2本は溝の出口と思われる方向にロケットカゴ仕掛けで思いっきり竿を振り切った。竿1本はゴロ2本を付けたネット仕掛けでチョイ投げした。
  • 同行した宮野氏は引っ切りなしにコマセを詰めて打ち込んでいた。その甲斐あってかホッケが釣れ続いた。なまくらな私はホッケ1本だけ。

    大物が竿を伸す
     竿を出してから30分ほど経ったとき、ロケットカゴ仕掛けの方にゴツン、ゴツンとしたよいアタリが出た。大きく竿を煽ると魚が付いたようだった。最初に顔を見せたのは40㎝弱のクロゾイだった。その後、チョンチョンのアタリで20㎝に満たないガヤや小ゾイを2,3匹釣った後にグングンと竿を締め込むアタリが出た。左右に頭を振りながら上がってきたのは、カツオを咥えた45㎝ほどのアブラコだった。唇の硬いところにハリが突き刺さっていた。これで、嫁婿が揃った。後はホッケを3本釣れば規定の5本が揃うことになる。
     またもやロケットカゴ仕掛けにアタリが出た。グッ、グッと竿先を押さえ込むようなアタリだ。竿を手に持ち、道糸を少し緩めて次のアタリを待った。そして道糸がスーと張り詰めた時を見計らって竿を大きく煽った。大物だ! グングンと海底目指して突き刺さる。途中にある隠れ根にゴツゴツと当たる感触が伝わってくる。それに構わず懸命にリールを巻いた。魚が姿を見せた。一気に抜き上げようとしたが、魚の掛かりどころや道糸が根に擦れたことで引き上げるには一抹の不安があったので、岸壁の縁に大きなタモを横たえていた宮野氏に応援を頼んだ。無事にネットに収まって引き上げられた50㎝ほどのアブラコは、これも唇の硬いところにハリが突き刺さっていた。
     その後、2本のアブラコを確保し審査規定の2魚種5匹は揃った。ゴロを付けたチョイ投げや近投には全くアタリが出ないので、その竿にタップリのイソメと大ぶりに切ったカツオの2本バリ仕掛けで遠投した。深い!打ち込んでからそのままリールのベールを返したままにすると、道糸がスルスルといつまでも出て行く。しばらくするとその竿にグッ、グッと竿を押さえ込むようなアタリが出た。竿を手に持ち、次のアタリに備えていると宮野氏から声が掛かった。「慌てるなよ。お前の殺気が道糸を伝って魚を怯えさせている。」と言われるが如く竿先を押さえ込むようなアタリは消えてしまった。竿を置いて煙草を蒸かしながらしばらく待ってみた。再度、その竿にググッと竿先を押さえ込むようなアタリが出た。やはり、アタリが出ると竿を持つのが癖のようになっている。今度は殺気が伝わらないように道糸を送ってやった。道糸が1直線になり竿先が大きく食い込んだのを合図に竿を煽った。さきほどのよりも重くグングンと底を目指して刺さり込む。その重さに負けまいとリールを懸命に巻く。すると、ゴツッとした感触の後にリールが巻けなくなった。途中の隠れ根に潜り込んだようだ。このまま引き上げるには一寸無理なようだ。しばらく放置してみる。ビクン、ビクンと道糸を伝って魚が付いていることは分かる。そして、大きく竿先を引き込んだところでもう一度竿を煽った。フッと軽くなった。スルスルと上がってきたのは、1本のハリスが切れた仕掛けだった。上バリはカツオが付いたままだったので、下バリの房掛けしたイソメに食いついていたのだ。
     カツオとイソメの2本バリ仕掛けに今度はホッケが掛かった。これは根に潜られることもなくスルスルと上がった。餌はイソメだった。

    北海磯釣会の精鋭達
     5時を回ると全くアタリが出なくなった。いわゆる朝マズメの潮込みの時間帯だ。仕掛けを変え、大きなコマセ入れ、ゴロも2本付けて、打ち所も変えながら粘ってみたが竿先は微動だにしない。
     曲げたり伸ばしたりしてきた腰が痛い。ゴツゴツした小岩を踏み抜いてきた足裏が痛い。釣り場から少し離れたところにあった椅子代わりとなる丸くなった手頃な岩に腰掛けた。そうなると打ち込んだ竿もそのままの状態になった。
     8時を回った。ゆるりと後片付けし始める。周辺に散らばっている様々な使い終えた仕掛けを回収する。たった6匹しか釣れなかった魚を洗って審査に出せるようにする。ホッケを除外して婿のアブラコと嫁のソイに審査用の針金を括り付ける。次の釣りに使おうと残ったコマセに余ったイカゴロを絞り出す。全てを片付け終わって、竿袋を背負い、魚の入ったバッカンを持って防潮堤に付いた階段を目指した。

     階段を上ったところで、竹園正勝氏が休憩していた。なんでも、フラシに入れておいた魚を引き上げようと近づいていくと、磯に息絶えたソイが漂っていた。フラシを引き上げてみると、網の底に穴が開いておりアブラコ等の釣り溜めていた魚が逃げ出してしまっていたということだ。私達の近くの出岬で盛んに竿を曲げていたのが竹園氏だったのだ。正勝氏の大物キラーぶりはもちろん存じ上げていたが、その息子の智昭氏の活躍も新聞やネットを通して知られている。昨年も100名以上が揃う道釣連の海釣り大会で個人総合優勝していたのが記憶に生々しい。団体の部優勝は札幌南支部Cの5人の精鋭達である。そのメンバーは先に紹介した澤田親子に金山氏、そして竿道会の小林茂之氏、樫山寿治氏である。息子の竹園智宏氏は道釣連の淡水の部でも個人総合優勝を果たしていたはずだ。(インターネット検索:道釣連

     もう一度、残しておいたリュックを取りに戻って、ストックを突きながら潮位の増えた海水をジャブジャブと渉って階段に上がった。間もなく、宮野氏、澤田親子、金山氏も上がってきた。しばしの歓談の後、私達は少し早めに来たバスに乗り込んだ。
     私は、1380点(アブラコ52.0㎝+ソイ365㎝+重量495 0g)の準優勝だった。優勝したのは、やはり越智靖基氏だった。弁慶岬の険しい崖を下って、大ゾイを狙いに行ったのだが、アブラコの大物を仕留めてきた。私にとっては、今までに見たことも無い56.5㎝のデップリとしたアブラコだった。弁慶岬の崖下りは私も何度か経験しているが、この歳ではもう向かうことはないと諦めている。
  • クロゾイ365㎝ オッツ、おっしい。年間最身長賞候補ならず。
  • 1380点 オッツ、おっしい。準優勝に終わってしまった。

    【つれづれ】
    この惚け茄子が!!!
     ソイが釣れたので、煙草で一服しようと胸元に手を伸ばした。箱には後3本しか残っていない。確か、バスから下りるときに新しい箱と入れ替えたはずだ。しかし、それはない。吸うのを我慢しながら節約してきたが、最後の1本を吸ってしまった。まだ時間はたっぷりとある。宮野氏が吸うピースの甘い香りが流れてきて鼻先をくすぐる。とうとう我慢しきれなくなって、宮野氏にお強請りすることになった。
     帰りのバスに乗り込んでから、予備の煙草を入れたはずのブーツ袋をまさぐるが無い。一番上に着ていたカッパを脱いだ。カッパのチャックの付いた左ポケットには濡れてしまわないようにとスマホを入れている。右ポケットに何か入っている。あった!これも濡れてしまわないようにと大事に仕舞った煙草だった。あ~~ぁ。何をやっているんだろう。この物忘れの激しい惚け茄子が!!!

     立ち寄ったコンビニでカップラーメンを買い、お湯を注いでいると、昨年の竿道会第7回大会で出会った土本衛氏に出会った。様似港の外防波堤ではクロガシラの大物はあまり釣れなかったとのこと。(👇2024年思い出の釣行記PART.14「バランス感覚は鈍ってしまったが・・・。」👇