6月26日入船漁港ソイ40

  • 2019年思い出の釣行記No.13タカノハがクロゾイに化けた
  • まあ、いいか
  • 6月25日~26日
    静内入船漁港
    ソイ39㎝ キュウリ2
  • 【交響詩岩見沢】よ永遠に
     6月23日、市民会館で第42回合唱の集いが開催された。今年は「交響詩岩見沢の会ファイナルステージ」として、市内の各合唱団の演奏に引き続いて、「交響詩岩見沢」が演奏された。序章「コタン」、第1章「村の誕生」、第2章「故郷の栄光」、第3章「北国の象徴」からなる組曲である。
    「交響詩岩見沢」は昭和48年に開拓以前からの歴史をたどり、未来への夢と希望を織り込んで作られた岩見沢の故郷賛歌だ。私も、この取り組みに向けての「ハマナスアート連載コラム」に原稿の依頼が来たので快く引き受けた。当日は約250名の市民の大合唱で堪能する感動のステージだった。
  • 交響詩岩見沢と私(ハマナスアート連載コラムより)  
     退職してから3年目、ウダウダと日がな一日を無意味に過ごしていたある日、女房が「交響詩岩見沢」大合唱団「結」参加者大募集のチラシを私に差し出した。女房は市内のママさんコーラスで歌っていたこともあり参加するようだ。今更女房と一緒に歌うのもという思いもあって参加を躊躇しながらもチラシを見ていると、バスの指導者が私の先輩に当たる高橋司氏だった。いざ説明会に行ってみると退職後も酒を酌み交わしながら親交を深めていた先輩や退職後に再就職した職場の前任者もいた。どちらも本格的な合唱は初めてのようだった。そうと分かると自分の様なずぶの素人でも歌っていいのかなという気持ちの余裕が出てきた。
     女房と共にズルズルと練習に通うようになった。元来、歌うのは好きだが、職場の懇親会の二次会のカラオケで演歌を歌うのが関の山で、合唱は中学校の学校祭で練習した程度だった。年齢と共に高音域が出なくなっていたので、バスパートを自己申告した。「交響詩岩見沢」は本格的な楽曲で音取りが難しかったが高橋氏の丁寧な指導でなんとか曲想を覚えていった。
     パート練習が一通り終わると、全体での音合わせになる。指揮者は相澤清氏だ。フンフンと何気なく歌っていると、その相澤氏から「バスの音で変なのが紛れ込んでいる」というような指摘があった。辺りを見回しても自分ではないという素振りで横を向いたり下を向いたりしているので、自分なのだろうとおずおずと手をあげることになった。何となく目を付けられてしまった気分だった。なにせ、相澤氏は異音を紛れ込ませた人物を特定するという特殊技能の持ち主だった。「その音はレの半音上がりだよ」と言われても私には分からない。そもそも楽譜を見ても「ドレミ」の「ド」の音が分からないのだ。耳で聞いて覚えていくしかないのだ。それでもめげずに練習を積み重ねていった。
     さて、3ヶ月間ほど練習をした2011年3月11日、「チャリティコンサート 大空と大地の中で」が岩見沢駅センターホールで催された。「交響詩岩見沢」「大空と大地の中で」「歌の力」が大合唱団「結」の発表曲だった。自分もその中で歌わせてもらったのだが、ホールに響く四部合唱がなかなか感動的で「おまえ、みんなと歌えてよかったな」と切々と訴えて来るようで嬉しかった。その後、4月の「郷土愛岩見沢」、8月の「札響野外演奏会」、12月の「結ワンマンコンサート」等での発表を終えて益々自信を深めていったように思う。
     さてさて、年が明けた2013年3月24日「まなみーるDEクラシック2013」での本番となった。札幌交響楽団のオーケストラ演奏で「序章コタン」前奏が舞台いっぱいに響き渡った。それと共に私の高揚感が押し寄せてきた。そして、図らずも「♪かわは~なが~~れ~る~~~~♪」の出だしでやってしまった。涙が次から次へとでてきて止まらないのだ。鼻水もグシュグジュと出てくる有様で、ハアハアと呼吸を整えるばかりだった。アルトソロの「♪ま~んげつ こうこうと なみ~にうか~び~♪」と温かくも力のある美しい声が響くようになってようやく我を取り戻すことが出来た。涙で曇って指揮者が見えなくなった訳は未だに解らない。札響のオーケストラ演奏によるものなのか、みんなで作り上げた合唱の力によるものなのか、自分がその中で歌っていることによるものなのか・・・。確かに前奏から背中にゾクゾクとした悪寒のようなものがあったのは確かだった。曲は進んで「北国の象徴」での最後は、だみ声ながら声高らかに歌った。「幸ある未来に向かって大合唱し、行進を続けよう」と。
     今は岩見沢混声合唱団で歌っている。相変わらず楽譜は読めないのだが、楽しく歌っている。練習後には今日練習した曲が鼻歌になって出てくる始末である。家に帰ってからもフンフンと呟いているのだから、女房に「貴方の歌っているのを聞くと私まで音痴になってしまう」という有様だ。ぎゃふん!
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  • 【タカノハがソイに】
  •  7月14日の竿道会大会までにはまだ間がある。それまで私の釣りへの気持ちが待てるはずもない。タカノハにはまだ早いと思われるが、静内入船漁港に様子を探りに行った。3日前に大雨があって静内川の濁りが心配だったが、海は凪で濁りもなかった。
     午後4時半、現地到着。午後5時には赤灯台の右で竿を出すことが出来た。しかし、アタリは皆目出ない。暗闇が迫ってきた頃、小さなアタリに合わせるとキュウリが釣れてきた。少し魚の活性が上がってきたのだろうか。竿先ライトを付けようかと思っていると思わせぶりなアタリでドンコが釣れてきた。そして、そのドンコばかりが掛かってくる。こりゃ駄目だと竿先ライトを付ける前に荷物を片付けた。
     対岸の砂防堤工事の進捗具合が気になっていたので見学に向かった。ダンプや重機が通れるようにと鉄の厚板が敷かれ工事は順調に進んでいるようだ。これが完成するとまたよい釣り場が出現しそうだ。
     翌朝は、2時40分に目が覚めて釣り場へと向かった。すると、灯台の左に竿が出されていた。仕掛を見るとやはりタカノハ狙いのようだ。3本目の竿先ライトを付けている内に稜線が薄明るくなってきた。そして、最終的には6本の竿を出し終えた。そうしている内に釣り人が向かってきた。昨晩、私が釣りを終えてからここに入って釣り場を確保したということだ。札幌から来たという彼は3本の竿を出した。6年前頃から何度もここにタカノハを狙って釣りをしているという。60㎝上を筆頭にかなりのタカノハをあげているらしい。しかしアタリは全く出ない。
  • 隣で竿を出した札幌氏
  •  5時頃、私の竿にガクンガクンと大きなアタリが出た。ソレッとばかりに竿に飛びつきアタリに合わせて竿を煽った。グングンと突き刺さるがタカノハのそれとは違うようだ。残念ながらクロゾイだった。まあ、それでもなんとか型モノをあげることが出来た。
     また新たに釣り人がやって来た。「つりしん」記者の横山氏だった。彼は私の右横に2本、外海に向かってテトラ越しに2本の竿を出した。全てネット仕掛であった。しかし、誰にもアタリが出ない。
     私の竿にチョコチョコとアタリが続いた。何かが悪戯しているのだろうと、鋭く合わせるとその主はキュウリだった。チヌ8号のハリが腹に突き刺さって腸が出ていた。昨日釣り上げたキュウリと一緒に頭をとり内蔵を取り除いた。
  • 岩壁の際を通る漁船、そして砂防堤工事の轟音
     大きな漁船が沖から帰ってきた。その漁船が灯台に向かって突っ込んでくるように岩壁の際を通った。スピンパワー1本がやられてしまった。いやいや、竿ではなく仕掛が・・・。足裏で竿尻を押さえていたのだが、横山氏の「危ない!」の声に素早く反応することが出来たのだ。竿を手に持ち漁船の方に竿先を向けてやり過ごした。他の竿は無事だった。道糸沈めを使っていたのだが、その竿の道糸だけが沈みきれなかったようだ。
     こんどは港から船が出てきた。やはり同じように岸壁の際を通ったが、道糸沈めを施した近投の竿は無事にやり過ごした。しかし、正面に遠投していたサーフリーダー竿2本がやられてしまった。これも2本の竿を同時に持ちやり過ごすことが出来た。今日の釣りでは仕掛けを3つ失った。根掛かりで失った仕掛が1つあったのだが、仕掛を引き上げている内にそれが絡みついて戻ってきていたのだ。
     札幌氏の竿に大きなアタリが出た。タカノハだろう。しかし、防波堤から頭を出して覗いていると斑模様の入った細長い魚だった。60㎝近くあると思われるスケソウダラだ。彼の用意していたタモですくって上げた。スケソウダラを釣ったのを見るのは初めてだ。経験豊富な横山氏も初めてだったらしい。タラが釣れたとなると、同じようにタカノハも深い海から海岸に向かってきていることも考えられる。少し望みが湧いてきた。
  • 対岸で進んでいた砂防堤工事が延びてきていた
  •  しかし、対岸の砂防堤の工事が始まった。パワーショベルが作りかけの防砂堤から今にも落ちようとしている。だが、海と思ったその下に岩が敷き詰められているのか、その上を進んでいった。そして、その周辺の岩をガリガリガリとすごい音を立てて平(なら)している。さらに、アームの先に付いたバケットをガッツン、ガッツンと大きな岩に打ち付けている。相当な音量だ。ケーブル式ローディングショベルも動きだし海面に飛沫を上げてバケットを落としている。この轟音では海岸に向かって近づいてきているはずのタカノハも恐れをなして近づくことを躊躇するだろう。タカノハ釣りを諦めることになった。

    ツラツラ岬
     1本ずつ竿を片付け始めながら横山氏や札幌氏と話し込んだ。これはこれで楽しいものだ。札幌氏は数年前まで釣り会に入っていた経験があり、釣り歴も長いらしい。横山氏が「つりしん」の「釣り場ナビ」で記事にしたツラツラ岬に話しが及んだ。札幌氏は、今年になって足を運んでホッケや真ガレイの大釣りだったらしい。あの険しい行程を2回に分けて荷物を運んだということだ。医釣会大会で天崎氏や氏家氏が釣りをしてきて大汗をかきながら「もう二度とツラツラには入らない」と云わせたところだ。彼は何度も入っているらしく、その度にいい思いをしているらしい。
     しかし、悲しい思い出もあったということだ。一緒に入って大釣りをした仲間が、帰りの行程が心配だからと早めに切り上げて引き上げて行った。後から引き上げた札幌氏がその険しい崖の道程を進もうとしていると、彼が見あたらない。随分早く進んだものだなと感心していると、その彼が海の上に浮かんでいたと云うのだ。警察や海上保安庁も出動して大騒ぎになったらしい。しかし、彼の弔いが済んだ後もツラツラ岬の魅力に負けて通っているということだ。
     私も今年の好釣を話すことになった。浜厚真48㎝のクロガシラ、軽臼平盤50㎝のアブラコと40㎝のマゾイ、中貝取澗49㎝のホッケ、兜千畳敷44㎝の真ガレイ。横山氏からは記事にしていた積丹舟渡の場所でのソイ釣りの話しを聞くことが出来た。彼の話は奥が深くて大変参考になった。
     荷物をキャスターに積んで防波堤を進んでいると、漁港に溜まったヘドロの浚渫工事が始まり大型ダンプが走り出した。その横を通り抜けるのは作業の邪魔になると気が引けて、私は防波堤に付いた鉄梯子で胸壁の上に上り、2回に分けて荷物を運んだ。横山氏は荷物をそのままにして、工事の合間を縫って進んできた。私の負けであった。
  • 「はい!」という返事
     帰りは居眠り運転になっては困るので、昼食を抜きにして、岩見沢市内に着いてから「つり具センター」の隣にある「麺人しょう太郎丸」に入った。すると、今までには聞いたことのなかった「はい!」という返事が元気よくはきはきとしてとてもよい響きだった。年配の女性だった。ラーメン店主は元々「はい!」という返事がよかったのだが、スタッフにもそれが浸透してきたらしい。ラーメンも旨くなったような気がした。今まではモツラーメンがお気に入りだったのだが、お腹が空いていたこともあってAランチ味噌ラーメン+チャーハンをたのんだ。出てくるのは今まで通り遅かったが、熱々のスープに汗を流してラーメンを啜った。持ち込んだ手ぬぐいで額の汗を拭いた。パリッとしたチャーハンも香ばしくて美味しかった。精算するときにその年配の女性に「ハイという返事か聞きたくて、またもう一度来ます」と云ってしまった。
  • 薄造りにしたクロゾイの刺身は旨かった
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