2月8日サロマ湖志撫子チカ93匹

  • 2017年思い出の釣行記PART.2
  • サロマ湖志撫子のチカ釣り
  • 【2月8日(水)】
    釣果 チカ93匹
  • 釣り新聞では、サロマ湖テイネイが今一のようで、志撫子が好調だと伝えている。地元の人が2日で800匹釣ったと、その釣果がバケツに満杯となって写っていた。中川氏はテイネイを推薦しているので、一旦、テイネイの様子を見てから志撫子に向かうことにした。
    1:30 起床
    2:00 岡田宅
    2:15 出発
    3:30 旭川中川宅到着
    6:30 サロマ湖テイネイ着  以前駐車した湖の入り口に車が1台停めてあり、湖にはテントが一張りあった。これだけテントがないということは釣れていないということだろう。様子を伺おうとテントに声を掛けるが返事がない。その御仁は車で休んでいた。声を掛けると起きだして対応してくれた。彼は昨日やったが全く釣れなかった。回遊魚なので、今日はやってくるかと待っているところだといった。志撫子に向かった。
  • 7:00 サロマ湖志撫子着 2年前に釣りをした漁港とは反対方向に車が並び、湖には点々とテントが並んでいた。地元の人に様子を聞いてみた。ここ志撫子は好調が続いていたが、日によって不調の時もあって、分からない。昨日の朝は駄目だったが、14時頃から爆釣したという。ここでテントを張って釣ることにした。周辺ではポツポツと釣果があるようだ。
    8:00 釣り開始  欲張って目標を高く設定しても後悔が残ると一応目標を10匹とした。中川氏がエサを付ける前に深さを確認するために、仕掛を氷の穴に入れた。すぐに竿が反応し、チカが釣れてきた。更に全くの素バリに4匹が釣れた。岡田氏の準備が整い竿を入れると、すぐに釣れだした。
    私は、仕掛を湖の深さに対応できる様にと少しのんびりしてしまったようだ。3本バリに下バリを付けて4本として、エサを付けて仕掛を送り込んだ。すぐに反応があり、2匹が連なった。また、2匹、1匹、また2匹とすぐに目標の10匹を超えてしまった。こうなると次の目標はやはり40名の合唱団に10匹ずつとして、400匹とした。この釣れ方だと3時の終了までに軽く達成できそうだ。30分ほどはまさに入れ食いの状態だった。下から2番目のハリが好調だ。途中、針が折れているのに気が付いたがチカは頭をとって調理するのでそのまま続けた。それを過ぎると、少しアタリが小さくなったが、1匹1匹と釣れてきた。
    9:30 全くアタリがなくなった。散らばったチカを雪の塊と一緒にビニル袋に入れた。その後、ほんのかすかに揺れる水中ウキを見極めて3匹釣った。風が出てきてテントに杭を打ち、風上をロープで固定した。
    10:00に周囲を放浪したが、皆さん全く釣っていない。それでも私達の先へと穴を開けてポツポツと釣っている人がいた。そこで釣れると、皆さんが先へ先へと争うように穴を開けていった。先へ進むほど某かの釣果はあるようだ。私もたまらず、外に出て開いていた穴に仕掛を落としてみた。ごく僅かに揺れるアタリをとって1匹だけ釣れた。
    周辺の釣り人は少しずつ帰り支度を始めたようだ。14時頃からまた、爆釣劇がやってくるから粘りなさいといわれて私達は14時迄頑張ることにした。しかし、結局10:00以降は私の1匹以外は、どう工夫しても釣ることは出来なかった。
    14:00終了
     雪が降ってきた。しかし、本降りにはならなかった。来るときは白滝から丸瀬布まで高速が工事中で通ることは出来なかったが、帰りには全面開通していた。旭川で中川氏がブリのカマと柵を持たしてくれた。コーヒーを何倍も飲んだ。お陰で眠気は起きなかった。1台抜かしてしまうと、知らぬうちにスピードが出て次の車も追い越してしまう。80㎞/hのトラックの後についた。少し遅く感じたが、このぐらいが安全運転になろう。次から次へと追い抜かされていった。
  • 岡田氏の釣果 84匹
  • 中川氏の釣果?テントの中はストーブの上でシュンシュンと湯気を出すヤカンの蒸気で曇っていた
  • 死者が出たという川の流れ出しに沿ってテントが並んでいた
  • 駐車場方向にずらりと並んでいた釣り人たちも少しずつ引き上げたようだ
  • 手前が私達のテント 先頭のはずだったのがいつの間にかドンベになっていた
  • 先頭集団は先へ先へと移動していく。まさに帆掛け舟が移動していくようだった。手前の椅子の前が唯一、私が1匹あげた穴
  • 帆掛け舟を引いて、釣り人が帰ってきた。
  • 最後になった釣り人も引き上げてきた
  • 本日の釣果
  • 「北海道のつり」廃刊
  •  水交社から郵便が届いていた。「北海道のつり」を廃刊しますというものだった。女房が「寂しくなりますね」と慰めてくれたが、丁度引き上げの時期だったのかとも思う。昨年度の3月~12月の原稿は出来上がっていて後は送るだけになっていた。まあ、仕方のないところか。
     原稿を書くことで釣行の記録と共に自分の励みにもなっていたが、今後はどのようにして行けばよいのだろう。課題となっていたホームページでも開くことにするか・・・。
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