9月28日 子づくり体験工房 阿寒湖畔

  • 2022年思い出の釣行記No.15
  • 子づくり体験工房!?
  • 釣 行 日    9月28日(水)
    入釣場所    阿寒湖畔    

    ウグイ 450㎜ 以下 6
  •  道新に「阿寒の森鶴雅リゾート3日間」の広告が出たのを目ざとく見つけた女房が誘った。「どうみん割」一人1泊5千円の支援金、「ほっかいどう応援クーポン」一人1泊2千円の支給、二人合わせて2万8千円の割安になるのでお得ではないかというのだ。元々は私たちの税金が活用されているのだが、旅行業界の窮状を思うとその誘いに乗ってみるのも悪くないかと申し込んだ。

     バス運行の休憩はトイレタイムを兼ねて3回あった。音更道の駅では昼食時だったこともあり、ベンチでおにぎりをパクつきながら休憩した。すると、衝立の隙間から「子づくり体験工房」という看板が見えた。エッ、こんなところでと不思議に思って、女房に耳打ちした。すると、女房が衝立の陰に回ってみて確認した。「あなた、何を見ているの【子づくり】ではなく【御菓子づくり】なのよ。衝立で【御菓】の部分が隠れていたのよ。あなた変なことを想像していたでしょう?」「変なことを想像するも何も、この歳で体験するというのもなあ・・・。それに、子づくりとは神聖な行為だ。変なことではない」などと違う方向に話がずれていった。
     阿寒湖では、一通り温泉と観光を満喫した。しかし何か物足りない。湖畔の「マリモの里桟橋」から阿寒観光汽船に乗って湖を周遊した。すると、まもなく右手に見える湖畔のワンドで魚が捕食していると思われるいくつかの波紋が見られた。また、その先には【ボッケ】を観察するために設けられたと思われる桟橋もあった。実は、仕舞寸法30㎝ほどの延べ竿と仕掛けを旅行鞄に忍ばせてきていたのだ。遊覧船桟橋は無理としてもどこかで釣りをすることは出来ないかと思っていたのだ。
  • 散策路では何頭もの鹿と遭遇した。ここでは3頭が草を食んでいるのが分かるだろうか
  •  遊覧船から下り、早速ホテルから【ボッケ】までの散策路を下見した。【ボッケ】とはアイヌ語で「煮え立つ」という意味で、ここでは地下から熱い泥が火山ガスとともに噴き出していたのだ。途中、湯気を出した小川も湖に流れ込んでいたし、湖畔には魚が近寄ることは出来ないだろうなぁと思いながらも、とにかく、明日の朝、1時間ほど竿を出してみようと考えた。
  • 桟橋の近くでは【ボッケ】が沸々と吹き出ていた
  •  翌朝、5:30にはホテルを出た。往復30分、7:00の朝食に間に合わせるとして、正味1時間の釣りだ。まずは魚の波紋が出ていた湾洞で竿を出した。しかし、遠浅のため、5.3mの竿にテグスを含めても10mでは、その波紋までは到底届かない。
     すぐに、ボッケの桟橋に向かった。ブドウ虫を付けて振り込むと1.5m程の深さがあり、釣りにはなりそうだ。桟橋の杭周辺では70㎝程の鯉が湖底に口を突き出してエサをあさっていた。間もなく、ウキが沈み25㎝ほどのウグイが釣れた。ギラッ、ギラッと反転したのでニジマスかと思わせたが、抜きあげるのは何の問題もなかった。
  • 最初に釣れたのはウグイだった。
  •  散歩している観光客が次々と桟橋に立ち寄っていく。「何が釣れますか」「マスが釣れればいいのだけれど、釣れるのはウグイばかりです」「イトウは釣れないのですか」「宝くじを当てるより難しいでしょう」
     そんな時、45㎝程の光り輝く魚がかかった。これは私の持ち込んだ竿では抜き上げることが出来なかった。少し遊ばせてから2号ナイロンの道糸をたぐり寄せて桟橋にあげた。「これは何という魚ですか。まさか、宝くじのようなイトウではないでしょうね」「残念ながらウグイです」「食べることは出ないのですか」「食べられないこともないでしょうが、私は食べません」
     中には千葉や和歌山からやってきたという年配者が、船釣りや渓流釣りの話を聞かせてくれたのだが、時間が限られているのであまり対応することが出来なかった。
  • 湖畔と小島の中間点まで出てフライ竿を振っていた釣り人。真ん中の黒い点のように見えるのがそうだ。魚を釣り上げた姿は見えなかった。

  • 【つれづれ】

    後輩に出会って一瞬の旧交を温める
     帰りのバス休憩で夕張の道の駅に立ち寄った。そこで、見覚えのある顔に出会った。最後の職場である奈井江町で共にタッグを組んだ後輩だった。観光バスは違ったが彼は十勝川温泉等の周遊の旅を終えての復路だった。
     奈井江勤務以前にも彼は夕張滝上で、私も夕張鹿島で勤務していた時代があり、当時を懐古しながら煙草をくゆらしていたのだ。彼が幹事役となって、地域のお偉いさん方を案内して夕張巡りをしたのもいい思い出だ。現在は私と同じように、金はないが悠々自適の暮らしをしており、砂川の合唱団に所属しているという。声を掛けた時は、きょとんとした顔で咄嗟には気付かないようであったが、マスクを外すと思い出してくれた。短い時間だったが懐かしい思いでその場を去ることになった。

    オスプレイ
     札幌に到着して、岩見沢行きのバス停に向かう途中、重低音を響かせた3機の大きなヘリコプターがビルの谷間から見える上空を横切った。次の日の朝刊では、その時間帯に米軍のオスプレイ(米海兵隊普天間飛行場所属のMV22)が、丘珠駐屯地に飛来したとの記事が載った。日米共同訓練が矢臼別演習場などであり、米軍が山岳地帯で低空飛行訓練を行う予定だという。阿寒湖への道中は、乳牛が傾斜地の広大な草地でのんびりと草を食んでいたが、牛の搾乳や生育にも影響が出るのではないだろうか。
     オスプレイは開発段階から墜落などの重大事故が後を絶たない。沖縄でも部品や水筒の落下事故が相次いだ。地元自治体との調整無しに市街地や酪農地帯周辺を飛行する見通しだという。問題なのは飛行ルートが非公表であることだ。道民の不安を置き去りにして訓練を強行することに納得することは出来ないのだが・・・。

    カムイルミナ 阿寒湖の森ナイトウオーク冒険ツアー
     プロジェクト・マッピングやシノグラフィー(光と音の舞台装置)などの最新のデジタル技術で再生された「自然との共生を大切にするアイヌの世界観」。ムラの守り神フクロウと森一番の歌声の持ち主カケスが、阿寒湖の畔であなたを待っている。
     戦車に掛けるような迷彩色のネットが機材を隠すようにあちこちに置かれていた。初めは、動物の観察のためのカメラが仕込まれており、それを隠すためのカモフラージュかなと思ったが、ナイトウオーク用のものだった。

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