4月14日浜厚真クロ35㎝以下16枚

  • 2017年思い出の釣行記PART.7
  • 体力の衰えは隠せない
  • 【4月14日(金)】 
    浜厚真港 
    クロガシラ35㎝以下16枚
  •  叔父である富雄が逝去した。幼き頃より随分可愛がってもらった。建具屋を経営しており、頑張り屋で弱音を吐かずいつも朗らかで楽しい話題で心を和ませてくれた。叔父の葬儀に当たって、更に老いていく自分のこの先のことを考えてしまった。どの様に生きていけばよいのだろう。背伸びせずに有りの儘の自分でいよう。そして、身辺整理にも心がけるのだ。
     女房は、士別の孫のところへと出掛けてしまった。前日は急に冷え込んで、強風の北風で雪も降った。この先も不安定な天気が続き、釣りに出掛けることができるのは、今日しかない。少し風が気になるところだが、出掛けることにしていた。そんな時、前野氏から電話が掛かってきた。一緒に飲まないかというものである。釣りに出掛ける前に前野宅に伺い、飲み会は丁重にお断りし、大会で使うレンタカーの経緯や会計の話になった。前野氏は大会前日に札幌で会議があるということで、今回の大会の会計や保険加入の手続の依頼を受けてしまった。
     前回の浜厚真釣行では、午後2時の満潮に掛かる少し前からアタリが続いた。今回の満潮は17:30なので16:00には釣り場に立ちたいと考え、14:00に出発する事にした。課題となっていた竿先ライトを幾つかとイソメ300g、アミアミアミーゴ1袋、カレイ集魚材を購入して浜厚真漁港に向かった。仕掛入れには前回、前野氏が使っていたコマセネット仕掛も2組忍ばせてある。
     浜厚真漁港に着いてみるとへの字岸壁には投げ釣りをしている釣り人は見あたらず、どこでも竿を出せるがら空き状態だった。そうなると、釣り場所に戸惑ったが、前回と同じ場所に6本の竿を設置した。すぐにアタリがきて、手の平級のクロガシラが釣れた。大物は釣れないがダブルもあり今日は順調だ。そして、アタリもチョンチョンではなくグングンと鮮明に出て、竿を曲げた。すっぽ抜けることは稀で幾分早合わせかなと思うぐらいでも魚は確実に釣れた。
     前野氏から電話が掛かってきた。状況を知りたかったらしい。6枚釣り上げたが型が小さいと報告しているときに、竿先を引き絞るようなアタリが出た。思わず電話口で「来た-」と叫んでしまった。大きなアタリだったにも関わらず手の平級のものだった。
     暗闇が迫ってきたので竿先ライトを付けようとしたが、なかなか思うようにはいかなかった。今日購入したばかりのロッドチップは竿先の適合サイズがL=2.4~2.9㎜にもかかわらず、スピンパワーCXには入らないのだ。仕方がないのでサーフリーダーEXに付けようとしても入らない。それで「ぎょぎょライトLED」のMを使おうとすると今度は接触不良で発光しないのだ。結局、前回使った「ハピソン竿先ライト」と「ぎょぎょライトLEDマルチカラー」Lサイズ、そしてこれまで使ってきた使い捨ての竿先ライトを使うことになった。
     追分から来たという釣り人が「への字」に入った。通い慣れているようで、素早い動きで次々と4本の竿を振り込んだ。竿を出し終わった時点で私に話し掛けてきた。饒舌ともいえる大変話し好きの方で、釣りの話しから始まって、彼の生い立ちや建具屋を経営している苦労話や、結婚生活にまで話しがおよんだ。「苫小牧西港の魚は美味くないのでクロガシラ釣りはここに通うようになった。今年は釣れだしたのが2月下旬で、大物もあまり上がっておらず不調が続いている。昨年のアナゴ釣りでは75㎝の大物を釣り上げた。友人が釣ったのは82㎝の大物だった。イソメは他の魚も掛かってしまうので、イカをエサにしている。浜厚真漁港の防波堤から港内を狙っての釣りが中心で、トータルで50本ぐらい釣っただろうか。45歳の時に結婚したが、22歳下の嫁や4年生の息子、3歳になる娘もアナゴは大好きで蒲焼きにしようと炭火を熾してタレを付けて焼いているうちにも次々と食べてしまう。クロガシラが終わればタカノハ釣りをする。勇払周辺で釣っているが昨年は65㎝の大物を上げることが出来た。鮭釣りにもいく。樽前付近で12本の竿を出している。昨年は友人が10本のサケを、自分はその半分の5本ということもあった。」と話は尽きることがなく、ホッケ釣りやニシン釣りの事まで話しは次々と続いた。自由に釣り場を独占できることはいいのだが、一人となると寂しいものがあるが、今日は彼のお陰で楽しく釣りをさせてもらった。
     私が10枚ほどを釣り上げた頃、追分の彼が私の右に移動して遠投で狙いだした。すると、40㎝ほどのものが掛かった。22時前に帰ったが6枚ほどを手にしただろうか。帰り際に「今日は大物も釣れたので無理して出てきて良かった」との言葉を残した。
     私は彼がいなくなって寂しくなり、22:00に竿を片付け始めた。フラシを上げて数えてみると16枚になっていた。クロガシラ釣りとしては最高の枚数となった。
     次の日、岡田氏の所へクロガシラをもって陣中見舞いに行った。先日、奥様を亡くされて寂しい思いをしていることだろうと釣りの話しでもして、気を紛らしてやろうと思ったのだ。言葉は強気だったが、さすがに萎れている感じだった。クロガシラを6枚渡したが、帰り際に、大根、辛味大根、タケノコの瓶詰めのお土産をもらってしまった。
  • 16枚のうち6枚を岡田氏に。頭を落としたところで気が付き写真を撮った。
  • 年々衰える体力
  •  孫のところへ行っていた女房は、22:30頃岩見沢到着の予定が、列車に不都合が出来て帰れなくなった。次の日は赤平の友人に誘われてランフェスタに行く予定だった。もう一晩士別に泊まって早朝に列車に乗り、砂川から赤平へと向かったようだ。
     畑と砂利の境界ブロックを組み替えた。新築した40歳の頃は、簡単に持ち上げて移動したコンクリートブロックが持ち上がらない。仕方がないので、鉄棒をコンクリートと砂利の間に挟み込んでテコにして少しずつ持ち上げながら上に移動させた。そして、砂利も埋まってしまっていたので、そこに白い玉砂利を敷き詰めることにした。ホーマックで10㎏を20袋購入して敷き詰めていくと、思いの外量が少なくて、下の黒砂利が見えてしまうようなサラッとしか敷けなかった。

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