4月3日 中貝取澗 大物ハチガラ2体

  • 2022年思い出の釣行記No.4
  • 竿道会第1回大会
    年間大物候補2体
  • 開 催 日   4月 3日      
    入釣場所   中貝取澗      
    アブラコ  384㎜ 以下 2
    ホッケ   364㎜ 以下 5
    ハチガラ  302㎜ 以下 4
    重  量  450  0g  
    成  績 1198点 第7位  
  • 大物ハチガラ2体。おなかからハラハラと黄金の卵が溢れた
  •  ロシア軍のウクライナへの侵攻の激しさが増してきた。チェルノブイリばかりでなく原子力発電所への攻撃、病院や学校などへの無差別的な砲撃を重ねている。空爆や砲撃で瓦礫化した集合住宅街、民間人への虐殺や遺体に残る拷問や暴力の痕、女性や子どもらへの性的虐待など、おぞましい報道に触れる毎日である。
     穏やかな家族の暮らしが、ある日突然奈落の底へと落とされる苦しみや悲しみに想像力を働かせたい。各国が手を携えるべき平和への願いだが、現地から伝えられる映像は、それとは真逆の破壊と殺戮に狂奔する指導者の姿だ。私たち人類はいかにしてこの不幸を乗り越えていけるのか?

     竿道会の湯浅氏から大会参加確認の連絡がきた。コロナウイルス蔓延のために、大会開催を2年間控えてきていたのだが、役員で検討した結果、再開する方向でまとまったということを聞いてはいたが,それが実現したのだ。

     大会実施がいつになるのだろうと心待ちにしていたが、急な連絡のため戸惑ってしまった。案内された大会日は4月3日。旭川近郊に住む娘や婿の年度末や年度初めの忙しい勤務に併せて、ハロタン(孫息子)の春休みやヒメッチ(孫娘)の休園等が重なり、孫守の要請が来ていたので引き受けていたのだ。それで、私だけが2日(土)に岩見沢に戻ることにして大会の準備を進めた。出発当日は慌ただしくエサ等の仕込みをしてから集合場所に向かった。

     大会範囲は、平田内~上浦漁港である。この区間には、3回目の入釣となる。1回目は、小樽釣和会の山田雅志氏に誘われて11月に貝取澗に入った。カジカやソイが釣れて4位の成績だった(👆2016年PART.10参照👆)。2回目は、札幌医釣会の4月の大会で、岩本満氏に紹介された中貝取澗に入って、ホッケ49.3㎝、アブラコ48.9㎝の大釣りだった(👆2019年NO.7参照👆)。改めてグーグルマップや書物で釣り場範囲を調べてみると、出入りの激しい魅力的な釣り場が私を誘うのだが、下り口や行程に不安がある。今回は中貝取澗に向かうとしよう。
     
     岩見沢からは5人(林,宮野,矢根,湯浅,釣狂)がマイクロバスに乗り込み,札幌市場へと向かった。竿道会は岩見沢から釣りバスが出てくれるので大変有難い。札幌市場で全員がそろってあらためて開会式を行った。本間会長からは、今回の大会開催に至った経緯が話され、安全に対する配慮を欠かさぬように促された。また、新会員として私が紹介され、会の帽子を受け取った。

     バスはコロナ対策を兼ねてか、いつもより頻繁に小便タイムがとられた。バスの扉が開け放たれ,必然的に換気が行き届くのだ。マスク着用は当然ながら全員がしている。始発の鮎川平盤では,矢根氏と林氏が降り立った。林氏はそこから戻って見市川に向かうようだ。さすがに若い。あの大荷物を背負って1㎞程を戻るのだ。順次会員を下ろしながら私が下りる予定の中貝取澗が近づいてきた。
     暗がりのため下り口を不安に思っていると,会長がバスの速度を落とす対応をしてくれて,無事に道路脇についた階段を見つけることができた。岩場までは思っていたよりも近く,難なく釣り場にたどり着いた。私に4年前の体力はあるはずもなく,大荷物を背負って歩くのが心配だったのだ。
  • ささくれ立った出岬のため歩みを慎重にした
  •  医釣会で乗った平盤は波を被っていた。しばらく眺めていたが,時折やってくるウネリが平盤を乗り越えてきていたのだ。無理をすることはできずに,足場は悪いが隣の小高い盤で竿を出すことにした。
     まずは,海にお神酒をささげて安全と大漁を祈願してから,2本の竿でゴロネット仕掛けを近投。1本をロケットカゴ仕掛けで中投した。前回は近投が根掛かりばかりでアタリも出なかったのだが,盤が違うので試してみようと思ったのだ。中投のロケット仕掛けにパタパタとしたアタリが出て30㎝ほどのホッケが上がった。またしてもアタリが出て今度は35㎝くらいありそうだ。
     近投にガクガクとしたアタリが出た。アタリのわりには型が小さいハチガラだった。そして40㎝弱のアブラコも上がった。その仕掛けのエサを付け替えていると隣の竿の竿尻がガクンと持ち上がった。今日初めて目にする大アタリだった。竿は目の前だったのですぐに掴み大合わせをした。幸いにも根に潜られることはなくガクン,ガクンと竿を伸されながら上げたのは立派なハチガラだった。30㎝ほどはあるだろうか。前回は,ここではハチガラが上がらなかったが4本も釣ることができた。

     明るくなってきたので竿2本をロケットカゴ仕掛けにした。前回は暗いうちは全く釣れず,明るくなってからの中投で50㎝弱のホッケやアブラコ,40㎝ほどのクロガシラも出たのだ。しかし,それにはアタリが出なかった。近投の竿にもアタリが出なくなったので,少し早めに後片付けをして道路に上がった。
     バスが来るまでに1時間ほどもあったが,暖かい陽射しの中で夢遊病者のように階段脇についた股下ぐらいの高さのコンクリート壁の上に腰かけた。サクラマスを狙ったルアーマン二人が階段を下りてすぐ前の盤に乗ったが,サクラマスを上げた姿を見かけることはなかった。

     審査は帰路途中の路側帯で行った。審査結果は竿道会のページで確認していただきたい。私は,アブラコ384㎜,ホッケ364㎜,重量4500gの計1198点で7位にランクされた。そして、審査提出魚の中からハチガラを取り分けられて,身長を測っていただいた。それが30.2㎝と計測されて,年間魚種別大物賞候補だと伝えられた。強者ぞろいの竿道会のメンバーのことだから,5月や11月の日本海の大会でそれを上回るハチガラが提出されるのだろう。あまり期待しないで待つことにしよう。

     札幌に間もなく着こうとするときになって,会長が「ようやく無事に札幌に帰ることができた」と呟いた。その呟きから大会前からの会長の気の使い方を推し量ることができた。私の後ろの座席だったのだが,新米の私にも気さくに話しかけてくれて,数々の武勇伝まで拝聴していたのだ。

     大会の翌日,7位の賞品と釣魚をお土産にして旭川に凱旋した。魚を捌いているとヒメッチ(孫娘)が覗き込んだ。なんにでも興味を示す年頃なのだ。ハチガラの腹から黄金の卵が出てきたのを見て,食べられないのかと聞いてきた。バアバに煮物にしてもらおうと提案するとその味にも興味を示したようだ。他の内臓にも気持ち悪がらない。魚は何を食べているのと聞いてきたから,胃を切って中を出してみるとカニが出てきた。カニを食べているのだから美味しいはずだよねと納得したようだった。

     バアバがホッケをフライに,アブラコは煮つけに,ハチガラは刺身に,そのアラは潮汁にした。ヒメッチは,私が骨を取り除いたアブラコの煮物をペロッと食べてしまった。ハチガラの卵もまだ食べたいという。外はふんわり,中はねっとりして味わい深いものだったのだ。何よりヒメッチやハロタンに食べてもらって美味しいと言われたことが嬉しかった。
     仕事で遅く帰った娘や婿もきれいに食べてくれた。婿などは,朝食にも残っていたアブラコに箸をつけたのだ。舅の私に気を遣ってくれているのでなければいいのだが・・・。

     今までは,大会が終わったときには足の痙攣や筋肉痛に悩まされていた。今回の大会前に,苫小牧東港につながるゴロタ場でクロガレイ釣りをした。その時は運動不足の体に鞭打って全身を使い果たしたために,酷い筋肉痛や痙攣を起こしてしまった。そのお陰だろう。今回は大荷物の行軍にも関わらず,全くの無傷だった。腰痛は相変わらずだったけれど・・・。
  • 婿アブラコ38.4㎝、嫁ホッケ36.4㎝
  • 30㎝ほどのハチガラ2体
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