4月27日兜千畳敷 人生への期待

  • 2020年思い出の釣行記No.6
  • 私という人間への期待
  • 2日目:美国導流堤の大物マガレイ
  • 2日間の釣果
     マガレイ43㎝以下17枚、タカノハ35㎝1枚、クロガシラ33㎝1枚    
    ミズクサガレイ29㎝1枚、スナガレイ30㎝以下4枚、ホッケ38㎝以下13本
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  • 4月27日(月)午後 兜千畳敷先端
    クロガシラ33㎝1、マガレイ32㎝以下9(内リリース5)ホッケ33㎝1
  •  私には期待がある。私という人間への期待である。その期待があるうちは生きられると思っている。期待とは自分自身にするもので、他人に期待すると愚痴や不満にしかならない。自分への期待は自分に戻ってくる。責任は自分にあるのだ。大物を釣りたいと夢見ることが出来るうちは大丈夫だ。私流にいうと釣りは最も純粋で哲学に近いものだ。それは私にとって、“幸せ”を運んでくるものともいえるだろう。
     不要不急の外出自粛が要請されているこの時期でも、密閉空間ではない海浜での釣りは許されるだろうとウズウズしてきてしまう。週末は釣り人が混みそうなのでなんとか平日にと思うのだが、天気予報がなかなかよくならない。そんな折、4月27日から28日にかけて波も穏やかになり、晴れ間も覗くと予報された。
     27日午前中は虫歯の治療を予約していたこともあり、午後から釣り場に向かうことにした。行き先は昨年マガレイの大物が上がった兜千畳敷に期待を込めた。この時期なら美国導流堤もあるぞと思うが、兜千畳敷が駄目な場合、神威岬経由で向かうことも考えられる。
     余市まで延びた高速を使い、稲穂峠越えで眼前に広がる日本海を見ながら229号線沿いを進んだ。なだらかなカーブを描く山並みとその麓に広がる春の息吹に心が癒やされる。一見のどかな風景だが、はるか太古に起きた壮大な大地のドラマがあったことだろう。近年では南西沖地震による大津波で国道に掛かる橋桁が壊され、この付近の人々は孤立を余儀なくされた。
     昼食後に出発したのだが兜千畳敷の駐車帯に着いたのは、まだまだ釣りの出来る3時半頃だった。午前中にいた釣り人は思った釣果が上げられなくて帰ってしまったらしく、千畳敷の一等席と言われる先端部が空いていたので、そこに釣り場を設定した。
  • 千畳敷の特等席で竿を出した
  •  右隣は夫婦連れで投げ釣りとウキ釣りを併用していた。左隣の小ワンドではウキ釣り師たちが並んでいた。ローソクボッケの合間に型モノがポツポツ釣れているようだ。竿を出して間もなく、小さなアタリが出て手の平に満たないマガレイが掛かった。手の平大のカレイの合間に30㎝級も混ざり退屈しない。クロガシラも30㎝強で、今までだと満足出来る型なのだが、浜厚真の大物釣りを経験してしまった私の期待には添っていない。昨年、ここで仕留めた44㎝のマガレイを思えば、まだまだこんなもんではないだろう。夜の帳が下り、ヘッドランプが必要になった頃に、明日への期待を込めて竿をたたむことにした。
     岩場から駐車帯に引き揚げてくると、テントを張って焼き肉をしている釣り仲間たちがいた。明日に向けてビールで気勢を上げているのである。私は一人コンロで湯を沸かし、カップ麺で冷えた体を温めて、酒をグビッとやってから座席シートを倒した。
  • 27日午後の釣果

  • 4月28日(火)午前 兜千畳敷大謀網ロープ左
    釣果:ホッケ38㎝以下11本、ミズクサガレイ29㎝1枚、マガレイ3枚
  • ウキ釣りでのホッケの釣果
  •  まんじりともしないで夜が明けた。眠りについたのは1時間ほどだろうか。車を揺する強い風や、訪れる車のドアが開閉する音でなかなか寝付けなかった。夜が白々と明けてきたところで昨日の釣り場に向かった。昨日よりは波が高くなっており、岸壁に打ち付けた波が頭上に舞い上がり、それが砕けて波飛沫を降り注いできている。やむなく昨年大釣りした大謀網が繋がれているロープの左に2本の竿を設置した。右隣の小ワンドでは7名がウキ釣りをしている。昨晩、焼き肉をしていた仲間たちの様だ。小物に混じって大物も上がっている。
     私が投げ入れた竿の道糸が大きくロープの方に向かっている。魚が掛かって横走りしたのだろうか。引き揚げてみると魚はついていない。もう1本の竿も同じ状況である。対馬海流の潮が速くて25号鉛では右へと流されてしまうのだ。30号に替えて打ってみたが結果は同じだった。道糸がロープに繋がれたブイや海藻に捕まり、仕掛けを失ってしまった。仕掛けが流されている合間に釣れてくる魚も小魚ばかりだ。
     そうなるとホッケのウキ釣りが気になる。右も左も時たまホッケの大物を取り込んでいる。しかし、その釣り人たちに、岸壁にぶち当たったウネリが水飛沫を吹き上げ天から降り注いで来ている。小ワンドにいた釣り人たちはズブ濡れである。それでも我慢して釣り続けているのだ。私の所には水飛沫の洗礼がない。投げ釣りしていた2本の竿は片付けて、ウキ釣りをすることにした。
     5.4mの延べ竿に仕掛けを結び脈釣りで始めた。コツコツのアタリを我慢していると竿先がクイーンと入った。35㎝ほどのホッケである。同じようにしてホッケを11本釣ったところで波飛沫が私の所にまで降り注ぐようになってきた。これでは危険と判断してその場を退散することにした。
     昨晩は、ほとんど眠っていないこともあり、安全運転に徹しながら美国導流堤に向けて進んだ。途中、昨年息子夫婦と立ち寄った神崎漁港を覗いてみた。2名の釣り人が帰り支度をしているところだった。朝から岸壁に並んだのだが、不調で皆帰ってしまったのだそうだ。バッカンを覗かせてもらうと30㎝を超えるホッケが4本納まっていた。もう一名は獲物がないという。そして、「午前中は悪かったが午後からは釣れるかもしれないよ」と言われたが、一人では無理だろう。天気は上々である。
     昨年息子夫婦と立ち寄った「ウニ丼」の中村屋は閉まっていた。他の「ウニ丼」の幟がはためいている店も軒並み休店状態だ。こんな片田舎にも新型コロナウイルスの魔の手が忍び寄っているのだ。
  • 途中、神崎漁港に立ち寄る。2名の釣り人が帰り支度をしていた

  • 28日(火)午後 美国導流堤
  • 釣果:マガレイ43㎝以下5枚、タカノハ35㎝1枚、ホッケ35㎝1本、スナガレイ30㎝以下4枚
  • 誰もいない導流堤先端部に竿を構えた。天気は上々だ。
  •  美国導流堤は、地元の中学3年生2名が竿を出しているのみで閑散としていた。この時期にこれだけ釣り人がいないのは、釣れた情報が出ていないのだろう。その中学生に声をかけると「大きなカレイが釣れましたと」バケツを指さした。なるほど40㎝ほどもあるマガレイが小さなバケツに折り曲がるようにして入っていた。私は、期待を膨らませて、とっておきのスポットである黄色灯台の両側に竿を設置した。
     間もなく、竿先をグイグイと引き込むアタリがあり竿を煽ると、力強い抵抗でなかなか上がってこない。海面まで高さがあるので、テーパー力糸をスプールに巻き込んだところで竿を再び煽った。ドサリと防波堤に姿を現したのはまぎれもない40㎝強のマガレイだった。さらなる期待が膨らんだ。
  • 最初の獲物はこれだ。40㎝を超えていた
  •  小さな子ども2人を連れた年配の方が見えられた。2年生と5歳になる兄弟だった。まずは、その子どもたちの竿を準備して2人に持たせた。2m程のルアー竿に、蛍光色の目玉のついたジグヘッドを結び、イソメを付けたものだ。兄の方は難なくこなして防波堤のヘチで次々とガヤを釣り上げている。よく見るとガヤがハリに食いついたのを見て、間髪を入れずに釣り上げているのだ。熟練者を思わせるなかなか見事なものだ。
     弟の方はというと、すぐにリールのバックラッシュを起こした。リールを逆向きに巻いたのが災いしたようだ。おじいちゃんがそれを丁寧にほどいてやっている。なんとか絡みを解いても、竿先に絡ませたり、落ちていた釣り糸に絡ませたりで釣りにならない。おじいちゃんはそれでも根気よく対応している。エサを取られたと言っては付けてもらったり、魚が掛かったといっては外してもらったりもしていた。私にも釣れたガヤを見せに来て、何という魚か聞いてくる。
     私に大物が掛かった。フェンスがあるので落ちてしまう心配はないが、兄弟が身を乗り出すようにして「すごい、すごい」と眺めている。口に入れていたペロペロキャンディの軸で、釣り上げたマガレイを小突いたりして、その反応を楽しんでいる。
  • 先ほどより少し大きくなったか。子どもたちに見られて恥ずかしそうに顔を赤らめた
  •  すると、今度は「カレイがいい。どうやったら釣れるの?」と言ってくる。おじいちゃんが「遠くに投げないと駄目なのだ」と言って聞かせている。それでも、見よう見まねで、竿を力強く振ると、遠くにジグヘッドが飛んだ。「すごく遠くに飛んだよ」と自慢げだ。彼がリールを巻くと私の竿先がピクピクと動きだした。どうも私の道糸を跨いでしまったらしい。そのまま引き揚げてしまうとジグヘッドが道糸に絡まり収拾がつかなくなりそうだと、その子に竿を貸してもらって引き揚げた。おじいちゃんが、「迷惑をかけるんじゃない!」と注意をしている。それでも、もう一度道糸を跨いでしまった。先ほどの繰り返しである。おじいちゃんがカツを入れた。それでも天真爛漫さは治まらない。無邪気そのものというもので、懲りてはいないのだ。
     私は、自分の孫にするように接した。何せあどけなさが可愛いのだ。退職前の仕事柄、小さな子どもの対応には慣れているのだ。大袈裟に驚いてみせたり、感心してみせたりしながらウンウンと話を聞いてやる。おじいちゃんは、そんな私にしきりに感謝の言葉をかけてくれる。1本の竿を出していたおじいちゃんは、結局、釣りモノがないまま引き揚げることとなった。
     その後も暇を持て余した見学者が訪れた。アベックあり、子連れ夫婦あり、犬の散歩がてらぶらつきながらの人ありで、釣りには関心のない者が通り過ぎていった。とにかく若者が多かった。若い女性2人が、岩壁に吊した私のフラシを覗いたが何やらコソコソと話し合ってから去って行った。
     先ほどから危なっかしい手つきでルアーを飛ばしている2人の若いルアーマンがいた。そのうちに何か釣り上げたらしく魚を持ってきた。「何という魚ですか」「食べられますか」という。遠くに投げても掛からなかった魚がヘチまで来てから咥え込んだようだ。やはりジグヘッドにワームを付けていた。子どもたちが釣り上げたものより若干大きめのガヤだったが、子どもたちが釣り上げた数多くのガヤに比べて、若者の獲物はその1匹だけだった。
     夕暮れが近づいてきたので明日に備えて竿を片付けた。昨日からの疲れでぐっすりと眠り込んだ。明けてみると天気予報通りの雨模様だ。暖かく風も弱いので釣りには支障がない。しかし、雨の中で釣り続ける気力はもう生まれてこなかった。大物に期待を抱くのはもういいだろう。周辺の砂浜ではサクラマス狙いの釣り人が立ち並んでいた。昨日から駐車帯には15台程の車が停めてあった。全てマス狙いの車だったのだ。導流堤の上でもルアー竿を振っている姿が見える。私は、その姿を追いながら、一路自宅に向かって車をスタートさせた。
  • 導流堤での釣果
  • 期待に応えてくれた大物どや顔は私という人間に対してである