10月23日 母川回帰に想う 軽臼平盤

  • 2022年思い出の釣行記No.17
  • 竿道会第6回大会
    サケの母川回帰に想う
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  • 釣 行 日    10月23(日)
    入釣場所    軽臼平盤 他  

    釣果無し
  • 札幌竿道会第6回大会
     竿道会事務局から釣り場変更の連絡が来た。太平洋側はまだまだ赤潮の影響が続いており、魚が薄いということで日本海側(寿都漁港~須築漁港)になった。この区間は、春には何度も訪れているが秋には釣りをしたことがない。基本は春と同じだと考えて、釣り場を選定する。ホッケが岸寄りするのは11月末頃からになると思われるので、アブラコやソイ狙いになるのだろうか?カジカは岸寄りしているのだろうか?
     天気予報はあまり芳しくない。雨模様に加えて風が強く吹き、磯波も高いようだ。いろいろ考えたあげく釣り場を軽臼平盤として準備を整えた。

     軽臼平盤でバスから降りた。平盤の先端では大きな波が岩盤に当たって高く舞い上がっている。釣りどころではなく、そもそもそこに辿り着くことさえ出来ないのだ。春に一時避難した付け根の岩盤にも波飛沫が上がっている。更に付け根に近いところで竿を出すことにした。しかし、春に比べて潮位が高い。平盤は海水に水没しているのだ。

     その平盤への入口でやってしまった。石ころに躓いて前のめりになって転んでしまったのだ。幸い竿袋が顔面を覆ってくれて、大事には至らなかったが、手を一部擦りむいたようだ。

     潮の溜まった平盤を慎重にストックを突きながら竿袋だけを持って先端に出た。入口に置いたリュックには念のため竿先ライトを付けておいた。荷物を見失ってしまったのではたまらない。竿袋から竿を出し、その先にもライトを付けた。近年、方向感覚も鈍くなっているので竿を見失ってはならないのだ。
     平盤の先端は荷物を置くところがないので、後方の比較的高い岩に置くことになる。竿に仕掛けを結び、エサを付けてから1本ずつ先端に置いた三脚に運んだ。3本揃ったところで、正面とすぐ横の溝に打ち込んだ。
     すぐにアタリが出てハチガラが上がった。しかし、規定の20㎝にはわずかに届いていない。正面に中投した竿に大きなアタリが出た。グングンと竿を締め込むが根掛かりしてしまった。一旦放置して様子を見るが、竿先をくい込ませるだけで岩から剥がれてくれない。仕方なく道糸を切ることになった。今度はその失った仕掛けを交換しようと思うのだが、なかなかそれが出来ない。エサは三脚にぶら下げているので、その場で付け替えることが出来るのだが、仕掛けが入った荷物まで戻る足下には潮が溜まっているのだ。今度はオモリを付けた4組の仕掛けをポケットにねじ込んだ。
     またまたハチガラが上がったが、どれもこれも20㎝には届いていない。タナゴも来たがこれも規定には満たない。3時の満潮を迎えて、いよいよ波が高くなってきた。時折やってくるウネリも連続して入ってくるようになってきた。岩盤を乗り越えた波が足下にも押し寄せてくるので、その場にいることさえ不安になってきたのだ。これ以上、ここにいるのは危険だと判断して引き上げることになった。足下は海水なので竿を片付けるのにも時間がかかった。

     ようやく片付け終わって、軽臼漁港へと向かった。漁港には釣り人がひしめき合っていた。サケ釣りである。40名ほどだろうか。釣り上げたサケも岸壁に上げられている。3年魚だろうか、型が小さい。
     投げ竿を出すような隙間はない。釣り人が入っていない場所には漁船の係留ロープが張り巡らされている。外防波堤の根元にある舟揚場には、進入禁止のトラロープが張られていたが、それでも幾人かはそれを乗り越えて防波堤先端へと向かっていく。今日の釣りを諦めざるを得ず、竿を出すことさえ出来なかった。サケ釣りでも見学することにしよう。
     ぼ~っとサケ釣りを見学していると、海上保安庁のロゴが入ったTシャツを着た中学生がやってきた。なんでも、釣り人のマナーが悪く注意して歩いているそうだ。暇を持て余した私にとっては、恰好の話し相手になってくれた。しばらく話し込んで地球の行く末にまで話が及んでしまった。

    漁港回帰に想う
     軽臼漁港では令和2年度、百万匹ものサケの稚魚が海中飼育されてから放流されたそうだ。それ以前からも続いているのだから、それらが回帰してきているのだろう。港内のあちこちにハネやもじりが見える。舟揚場を覗くと、斜路で縦横無尽にサケが泳いでいた。
  • 写りが悪くサケが見えるだろうか。舟揚場の斜路にも沢山のサケが泳いでいた。
  •  疑問に思う。この漁港に回帰してくるサケは産卵できるのだろうか。おそらく無理であろう。産卵場所までたどり着けないまま息絶えてしまうのだ。港の底で一生を終えて腐敗していくのであろう。今回もブナが強くかかったサケが息絶え絶えに泳いでいる様を見た。サケの優れた母川回帰能力が仇となっているのだ。
     産卵する場所が見当たらず、港内をグルグルと回り続け、目的を果たせぬまま一生を終えるのだ。3、4年間、北洋の広い海で、厳しい生存競争に勝ち残ったにも拘わらず、目的を達成できると信じて故郷へ帰ってきたのにも拘わらず、生き物本来の目的である「子孫」を残すことが出来ないままに・・・。このまま港内放流を続ければ、子孫を残すという能力そのものにも悪影響が出てきてしまいそうだ。

    「むかわシシャモ漁1.4トン→64キロ」
     母川回帰といえばシシャモも同じだ。今朝(10月26日)の道新に、鵡川のシシャモが、過去最低だった昨季の1.4トンを大幅に下回る64.6キロだったと報道された。06年の126トンをピークに年々減少傾向が続いているというのだ。なんでも、シシャモは暑さに弱く、海水温の上昇が記録的不漁に影響しているらしいのだ。そういえば、今日の海水も随分と生温かった。この先、地球はどうなっていくのだろう。

     寿都漁港で審査が始まった。優勝は林 忍氏だった。彼は始発の寿都漁港から朱太川河口まで歩いたそうだ。グーグル地図で調べると片道4.3㎞とある。いやはや、重い荷物を背負ってその距離の往復を踏破してしまう彼の体力と気力には感心せざるを得ない。
     準優勝の島川昌幸氏は、慣れ親しんだはずの山中への下り口が見つからず、バスに戻ってもらったりしながらなんとか、佐藤忠幸氏、本間健二氏を伴って山中に下りていった。波が高く躊躇する佐藤氏や本間氏を湾洞に残して、波が上がってくる盤の先端に出て、アブラコ、カジカの大物を引き抜いた。さすがの若さと体力だ。
     菅原信幸氏が寿都港内でアカハラを釣っていると、かなり強い雨が降り出した。それで仕方なく屋根付きまで移動した。そこでアブラコを釣り上げたのだから、雨降り様々である。「雨降って地固まる」というところか。いや、彼の感の冴えと釣りの技量が雨に勝ったのだろう。
  • 今回は、島川昌幸氏が魚を落とした。島川氏の2本の方が重たかったのであろう。
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