9月12日箸別川サケ3本

  • 2018年思い出の釣行記PART.20
  • 故郷の岸を離れて 汝はその波に幾月
  • 9月12日
    箸別川河口
    サケ3本(内息子1本)
  •  非常に強い勢力で上陸し列島を通過した台風21号は5日、北海道の北で温帯低気圧に変わったが、岩見沢での最大瞬間風速が37.6㍍を記録した。関西空港では滑走路が冠水し、台風の強風で流されたタンカーが空港と対岸を結ぶ連絡橋に衝突し、橋はひしゃげる様にして壊れてしまった。わが家でも、風に煽られた家屋がミシミシと悲鳴を上げて今にも屋根が飛ばされてしまうのではないかという恐怖に襲われた。
     そして次の日の6日未明、ドン、ドンドン、ドドンという大きな縦揺れで目が覚めた。女房に「地下に逃げるぞ」声を掛け、揺れる階段を恐る恐る伝いながら居間に下りていくと揺れは収まった。テレビをつけると、地震情報が流れていたが、20分後には電気も消えてしまった。私はすぐに釣りで使っているヘッドランプを女房にも付けさせてやり過ごした。北海道胆振東部地震と定められたこの地震は震度7を記録した。厚真町では土砂崩れでむき出しになった山肌が痛々しく地震の大きさを物語っていた。
     女房は、滞るだろう食料や水に拘っていたが、私は釣り情報が気になってしかたがない。毎週木曜日に発行される「つりしん」を買い求めると、9月2日、箸別川河口では全体で30~40匹ヒットという記事が載っていた。例年だと10月の初旬がピークで、9月の初旬でこのような情報は出ないのだが、今年のサケの岸寄りが早いらしい。そういえば今夏は本州の猛暑に比べて北海道は冷夏に見舞われた。海水温もいつもより低く推移しているのだろう。昨年は暖夏でサケの情報が芳しくなく、サケを狙っての釣行はなかったので無性に気持ちがそそられた。
     そんな時、息子から「サケ釣りに行かないのか?」と電話が掛かってきた。もちろん行く気構えは満々だ。息子の休暇に合わせて12日の釣行を約束した。その日の天気予報は上々だ。
     00:00に設定した目覚ましが鳴ると素早く準備を整えて息子を待った。0:30には息子が迎えに来て高速を使い一路増毛町箸別へと向かった。私と荷物を河口入口において、息子は500m程先にある駐車場へと向かった。胴付をはいている私を尻目に5人の釣り人がその横を通り抜けていった。そして車をおいてきた息子は、車が15台ほどあったといい、釣り場が混んで入れないのではないかという不安に襲われた。
     河口に着くと、いつもの様に投げ竿が並べられて、河口側にはルアーマンたちが明け方を待って待機していた。河口のすぐ脇には今まで無かったゴロタ場が突き出ていて、そこに男女2名が竿を振っていたが二人分の場所は空いていた。準備していた私達が入る時には、女性アングラーがサケを掛けて引き上げるところだった。魚体が小さかったが銀ピカのものだった。
     早速、二人ともウキフカセで遠投を繰り返した。左隣のウキが赤常灯だったので、ウキの位置が分かるようにと私は緑点滅、息子が赤点滅とした。私達がウキを遠投し出すと、更に右側では若者たちが海に立ち込んで並び、光の放物線を描き出した。
     コツコツというアタリが頻繁に出て息子がガヤを釣り上げた。息子にそれらしき前アタリが出て、竿をグックと押さえ込まれた。その引きに耐えながらリールを巻いていると、フッと軽くなった。掛かりが浅かったらしい。また、息子の竿にアタリが出て竿先を引き込んだ。今度はサケが確実に咥えた様でズルズルとゴロタ浜に抜きあげてしまった。息子は魚を外すことが出来なくて私に依頼してきた。エサを飲み込み喉奥にハリが刺さっていたのでペンチで引き抜いた。
     私にも掛かった。意外に早く取り込んだのは小さめのサケだったが銀ピカだった。次にも私に来た。今度は引きもよく70㎝を超えるものだった。約束していた8時になったので荷物を片付けて釣り場を後にした。
     帰ってから風呂に入り息子がグウスカ眠りについた。私は、サケを捌いて1本分を息子に持たせてあげた。
  • 息子にも1本きた
  • 海岸にはコリア文字が書かれたペットボトルが打ち上げられていた。おそらく韓国からの漂流物だろう
  • 唱歌「椰子の実」
    名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
     故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月
    旧(もと)の木は生(お)いや茂れる 枝はなお影をやなせる
     我もまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ
    実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
     海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙
    思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国(くに)に帰らん

     民俗学者の柳田国男が東京帝国大学2年生の時に、愛知県渥美半島伊良湖岬に滞在した折に海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた。柳田の親友だった島崎藤村はその話を聞いて詩を書き、作曲家の大中寅二が作曲したということだ。
     太平洋を漂った末に、砂浜に打ち上げられた椰子の実ならロマンも広がる。だが、日本海を渡ってきたプラスチックごみなら・・・。プラごみは、細かく砕かれて微細なマイクロプラスチックとなり、貝や魚、海鳥の体内に取り込まれる。それがやがては人の体内にまで・・・。考えたくはないが今日釣り上げたサケの内蔵にまで入り込んでいたりして。そう思っても結局、美味しくいただいたのだけれど・・・。
  • サケ用フカセバリを作成した。
    ハリはフカセ17号(金、黒)、ハリスは銀輪6号砂色
    ハリスにサケの歯が当たっても簡単に切られないようにと、夜光パイプ1号を通した。
    パイプの上にガン玉を付け、更にそのガン玉の上にゴムパイプを被せて、それからキンチャンスカート虹M、その上にニューレインボーティンセル60㎜を貼り付けた。
    ハリスのチモトにはケミホタル37㎜とケミホタルミニを取り付けられる様にした。
    同じようにルアーの替えバリを作成した
    ルアーにすぐ取り替えられる様にガン玉の代わりにタル型サルカン6号を使用した。
  • サケバリを作っていると、他にも応用できないかとタカノハ仕掛に転用してみたついでにアナゴ仕掛も作ってみた。
  • そして、カジカやアブラコにもと替えバリを作った。
    各種タコオーロラを使用するとバラエティに富んだものが出来上がった。
    そして新たに金チャンスカート虹S、アピールセッターレッド75㎜を購入した
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