10月1日箸別川河口サケ1

  • 2019年思い出の釣行記No.22ブナ掛かっているのが赦せない
  • 残ね~ん3連発
  • 10月1日
    箸別川河口
    雄サケ1
  •  前回の屈辱を晴らそうとする息子から再度のサケ釣りを所望された。長靴だったためにサケ釣り師達の放列から一段下がった位置からの振り込みだった為に、取り込みに失敗した苦い思いで胴長靴を購入しての再挑戦だ。ネットで5千円ほどのものだったが使用には問題が無いようだった。
     いつものように立ち込みで並んでいる釣り人達の最後に並んで、打ち込みを始めた。前回使用したハリは昨年使用したものを再利用したものだった。それが、ハリの食い込みを悪くして2人とも最後の取り込みで失敗した原因のように考えた。それで、ハリは新品のものに替えてある。
     今回は前回のようなアタリも感じられないまま時が過ぎていった。周りでは、夜明けから1本、また1本とサケが上がったが、連続してのものではなかった。私にも1本来たが、前回の失敗に懲りてグイッ、グイッと竿を煽ってハリをくい込ませた。1年ぶりの手応えで無事に釣り上げることが出来た。息子は私より遥かに遠投していたのだが、サケからの便りはなかった。河口には波が打ち上げられてくる度にサケの大群が泳いでいるのが見えるのだが、誰も釣り上げることは出来なかった。全く渋くて口を使ってエサを咥えることをしていないようだった。潮が悪いのだろうか。いつもより澄んでいるようにも思える。
     9時になっても釣れそうにもないので、前回、士別からの帰りに苫前温泉「フワット」で女房と一泊してから見学した別苅漁港に向かうことにした。その時は日が高く昇っていたのだが、そこに入っていた女性がサケを釣り上げているのを目の当たりにしていたのだ。今回も同じような条件なので、もしかしたらサケの1本ぐらい釣れるのではないかと思ったのだ。息子はすぐにその提案に乗った。
     漁港に着いてみると釣り人が閑散としている。朝方は沢山の釣り人がいたが、誰も釣り上げる人はいなくてほとんどが帰ってしまったらしい。港の中にはサケの背びれが見えて、盛んにバシャン、バシャンと撥ねている。しかし、全く口を使ってくれないのだそうだ。潮も澄んで、底の玉石がくっきりと見える。これは箸別川河口と同じだ。
     それでも、息子はウキルアーで、私はウキフカセで1時間ほど竿を振った。しかし、それも徒労に終わってしまった。
     増毛のラーメン店「酒造」は駐車場が満杯で、留萌の有名店に向かったが、ラーメン専門店ではないため2人ともエビ天丼をたのんだ。そこそこ旨かった気がするが、釣りの後はやっぱりラーメンに限ると思った。
  • 朝の喧噪をよそに漁港内は閑散としていた。別狩漁港でも残ねーんで4連発
  • 別苅漁港横の断崖絶壁
  • いよいよ新パソコンでこの作業を開始している。

    ド派手な衣装
     10月5日(日)に岩見沢混声合唱団の第57回定期演奏会が終わった。第1部「Ave Maria~鎮魂・復興・平和への祈り」、第2部「緑の風に~平和・夢・未来」第3部「歌謡デラックス」というプログラムだ。第3部は、私が司会・進行を務めることになった。指揮者が私を狙い撃ちにして指名してきたのを、なんとか固辞しようとしたが敵わなかった。すると、あれよあれよという間にド派手なステージ衣装を手渡されてそれを着ることになった。赤のスパンコールに覆われたキンキラキンのものだ。おまけに同じような蝶ネクタイまでついている。
     第3部になり、緞帳が上がりだした。会場が失笑とともにざわついている。おそらく、私が見慣れないヘンテコな格好をしているのを見つけたのだろう。それでも淡々と司会を務めていった。「北酒場」「津軽海峡冬景色」「喝采」「サソリ座の女」「時の流れに身をまかせ」「また逢う日まで」である。少し硬い表現になったので途中、最近ものまねタレントとして売り出し中のリンゴちゃんのモノマネでハウンドドック大友康平の「♪愛が統べてさ、強く、強く」とガニ股開きでやった。馬子にも衣装で吹っ切れたような気分になったのだ。美川憲一の「お黙り!」「ちょっとおやめなさいよ~」ともやった。なんだか少し会場が盛り上がったような気がした。

  •  打ち上げも、さらに2次会の司会も幹事である私が務めることになった。皆さんがとってもよかったと褒めてくださるのにまかせて、最高にいい気分で酔い潰れてしまった。
     この務めがあるので、孫娘の「運動会」にも孫息子の「学習発表会」にも駆けつけることができなかった。残ね~ん!5連発目
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