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Rage の 2001 年作。性懲りもなく metal。つか演歌。
めたるはやだやだと常日頃放言しつつ中古 CD 屋に行くたびに Rage の棚を check してしまう小生ですが、まぁあれです、遺伝子(爆)。Rage は power metal と言われるけれど、徹頭徹尾 metal と言うよりは dramatic な melody を爆走 riff と共に歌い上げる band なわけで、その匙加減の美味さが解らない人にはただの metal に聞こえてしまうことでしょう。実際、狙って dramatic に仕上げようとして orchestra とか絡め出すと途端にボロが出てきて聴いてるこっちが怒り心頭になってしまうわけですが、3 piece で爆走 riff してたりすると好印象になります。
で、この 2001 年版 Rage はと言うと、member 一新で過去の柵からさっぱりすっきり、心持ち若返った印象で pop で heavy で speedy な Rage 節を叩き付けてます。この album はなかなか良好。"Black in Mind" よか良いです。何より全体的に勢いがあって、小細工も最小限に留めて素のままで美味しい部分を掘り下げてるような作りになってるところに好感が持てる。そうそう、無理に新機軸なんて狙う必要はないんですよ。演歌と言われて開き直るくらいじゃないと。そういう訳で進歩は無いが良い album ってことで。
でも何度も聴いてると、だんだんメリケン産 80's metal みたいに聞こえてきたぞ。Rage ってこんなに爽やか好青年だったっけ。聴けば聴くほど微妙な心持ちになるなぁ……。
Graham Haynes (cor) の leader 作、1995 年発表。
tr.1 "Transition" は言わずと知れた John Coltrane の曲ですが、派手に guitar が暴れてたり scratch がきゅいきゅい言ってたりで、原曲からはかけ離れた arrange に。guitarist としては Vernon Reid、Jean-Paul Bourelly、Brandon Ross の三人が credit されてます。この面子じゃ五月蠅いのも解りますわ。DJ Logic も参加。ここにも居たのか DJ Logic。
一応 jazz として括られる album だとは思いますが、重い funk あり、中近東風の minimal あり、spiritual な ambient ありと、様々な style の track が収められてます。その割に全体のまとまりが良いように感じられるのは、どれもこれも取っ付きにくい曲だからかのぅ。M-BASE ってこういう感じなんですかね。
rhythm がはっきりしているのに、上物は free jazz 的な我が道野郎が好き勝手にやらかしている。意図してやってるのかどうかは知りませんが、互いに干渉しすぎないという姿勢が感じられます。それを cool と取るかテキトーと取るか。小生の耳には、どうにも中途半端な音に聞こえます。lounge に片足突っ込んだ現代風 jazz。
こういう album を聴くと、Courtney Pine は真面目だよなぁと思ったりします。とはいえ、ambient 風の tr.5 "Harmonic Convergence" や、意表を突く vocaliez の tr.8 "Com Que Voz" の美しい響きは印象に残ります。
Chet Baker (tp, vo)、晩年の album。1986 年録音。
jazz vocal ものからはひたすら逃げ回っている小生ですが、この album は何故か愛聴盤。Chet の声は楽器、trumpet は歌。消え入る余韻を残しながら、ぽつぽつと声を押し出す、その淡い佇まいが無性に寂しい。
jazz standard ばかりを揃えた全 7 曲。tr.1 "I'm A Fool To Want You" の第一声からして既に Chet の世界です。tr.2 "You and The Night and The Music" の力みのない声にも枯淡の味わいが。他の曲も静謐な雰囲気に包まれた好 track ばかりです。
忘れた頃に聴くと涙が出るような album。歳取ってから聴いたら、もっと泣けてくるんだろうなぁ。
Jeff Mills の 1992 年作。
10 年以上前の album ですが、今の耳で聞いても強烈な hard minimal です。tr.1 "Phase 4" は、均整の取れた beat の配列に noisy な上物を荒々しく乗っける展開。Jeff Mills が UR から離れるのも頷けるってもんです。とにかく先鋭的で激しい。
未踏の地平を目指してひた走る全 8 曲、39 分。後の Jeff Mills は底無しの内面探求へと赴くわけですが、この 1st album では直線的な刺激を立て続けに浴びせかけることで listener の意識改革を促しているかの如き様相を呈してます。壊すときは徹底的に、再構成は緩やかに。Jeff Mills の物語って、何だか自己啓発 seminar みたいだな。
この album のお陰で、世に minimal techno が蔓延ることになり、techno 嫌いもまた増大したことでしょう。techno 踏み絵に欠かせぬ一枚。tr.3 "Changes of Life" を pop と感じる今日この頃、何処で人生変わっちまったのか。
ImageMagick の montage を使って、以下のようにするだけ。
$ montage -mode Concatenate -tile 1x2 target1.jpg target2.jpg result.jpg
横に結合する場合は、tile 指定はいらないです。……っと、6 列以上だと 2 行目にいくのか。まぁ、応用で何とかなりますが。
他にもいろいろできそうですなぁ。
「どこへ行く?」ママ・ガールがいった。
「コニー・アイランド」あたしはいった。
「あら、いやよ」
「あら、いいわ」
「でも、なぜよ、蛙ちゃん?」
「だって、ママは小さいとき、そこへ行ったから。そしてあたしは小さいとき、行ってないから。それに六回か七回、映画で見たから。だから今度こそ本当に行ってみたい。いいでしょ?」(page 204)
新潮文庫で読了。訳者は岸田今日子・内藤誠。
俳優志望のママ・ガールと、その娘のキラキラヒメが、田舎から New York に出てきて紆余曲折を経た後、晴れやかな舞台に立つというお話。
Saroyan らしい軽やかな語り口が心地よい。浮かれたり落ち込んだりと忙しいママ・ガール、そんな母親を励ますキラキラヒメ、この二人のやりとりが楽しい。その楽しさは、二人が母娘でありながら友達でもあるという、お互いに必要な存在として描かれている点から生まれてくるんだろうな。二人の信頼関係の中から生まれてくる魅力は、周囲の人間も虜にしていく。
全く、Saroyan は悪人を書けない作家である。まぁ、そこがこの作家のいいところでもあるんですけどね。
Lars von Trier 監督作品、2000 年。
Czech から America へ移民してきた Selma (Bjork) は、工場で働きながら給料を貯金に充てていた。Selma は遺伝性の病気で失明しつつあったが、息子の Gene (Vladica Kostic) は失明させたくないと思い、手術代を稼ぐため身を粉にして働いていたのだ。そんな Selma の楽しみは、amateur の劇団で musical の稽古をすること。しかし日増しに Selma の視力は落ち、仕事にも dance にも差し障りが出始めていた。やがて Selma は仕事の miss が元で解雇される。さらに懇意にしていた Bill (David Morse) に貯金を奪われてしまう。Selma は Bill に金を返すよう迫り、彼と揉み合っているうちに Selma は Bill を殺してしまう。Gene の手術の手配を終えた Selma は警察に捕らえられ裁判にかけられる。息子に失明のことを知られたくない Selma は、嘘の証言によって自分の立場を悪くしてしまう。Selma を救おうと、彼女の友人 Kathy (Catherine Deneuve) や、Selma に思いを寄せる青年 Jeff (Peter Stormare) らが尽力するが……。
Lars von Trier と言えば、"Europa" の監督さんですか。現実と幻想を巧みに織り交ぜる手法は、この "Dancer in the Dark" でも使われてますが、今回はそれがより意図的に使われている様子。現実世界では劇伴なし、handycam での撮影にくすんだ色彩効果。対して Selma の妄想世界は musical で極彩色で誰もが歌の一部と化す。現実世界での劇伴なしってのは思い切った趣向ですな。勿論 Selma の妄想世界との差を生み出す効果もあるのですが、それ以前の問題として、この映画が映画らしからぬ違和感を孕む要因にもなってます。音のない映画ってのはそれだけで怖い。ある意味 TV documentary より怖い。
Selma は失明を恐れていない。見るべきものは既に見た、と言い放ち、歌と踊りの世界に逃げ込む。彼女が恐れるのは、むしろ聴くことや歌うことを剥奪されること。独房で Selma は、音のない恐怖に震えながら一人で歌う。訥々と歌われる "My Favorite Things"。妄想に逃げ込めず、現実を受け入れるのも難しい。Selma は一人で歌い、世界と折り合いをつけようと苦しむ。その苦しみを越えて、Selma は遂に現実世界でも朗々と歌を披露することになる。歌は彼女を救っただろうか。それとも無音の現実に対する空しい抗いに過ぎなかったのだろうか。
後味の悪い映画ですが、musical 嫌いの小生にしては良質な映画という印象を持ちました。妄想を妄想として描くだけ、Lars von Trier は誠実だと言えるでしょう。Bjork の performance も見事。この人の過剰な歌い方には知らず拒否反応を示してしまう小生ですが、妄想と割り切った上での performance と思えば、これほど強烈に印象付けられる歌もないわけで。そんなこんなでちっとも musical らしくない、って点が高評価の要因かも知れませぬ。
James Foley 監督作品、1999 年。邦題「NYPD 15 分署」。
NYPD 15 分署の刑事 Chen (Chow Yun-Fat) は、犯罪の多発する Chinatown の治安を維持するべく日々戦っていた。そんな彼の元に新人刑事の Danny Wallace (Mark Wahlberg) が配属される。白人と組まされることが Chen には気に入らなかったが、彼に命を救われたことから Chen は Wallace を信頼するようになる。しかし Wallace は、Chen には言えない秘密任務に従事していた……。
見るだけ時間の無駄。
二人の刑事が信頼関係を築く過程が掴めないし、犯罪組織との癒着が Wallace を変えたのか変えなかったのかも解らない。なので、終盤の展開は訳も解らず銃撃戦しているとしか見えませんでした。これで男の友情とか言われてもねぇ。
さらに物語とは全く関係ない rap が劇伴で延々流れるのに辟易。Chinatown で銃撃で爆発で男の友情ですよ、そこにこんな音当てられては観る気を削がれること甚だしい。テキトーに流行りモノ付けとけば売れるとでも思ったのだろうか。客を嘗めているとしか思えません。
Chow Yun-Fat は香港時代より太ってますが貫禄は付いてません(爆)。でも流石に銃撃たせると映える人です。ぴょーんに比べれば数段マシ。Mark Wahlberg は "Three Kings" にも出てましたが、今作ではあまり印象に残らない役回り。むしろ親父さんの Sean Wallace 役、Brian Cox の方がええ感じでした。息子に金を無心する駄目親父ながら、言うべきことはピシリと言う。美味しい役ですなぁ。
少年は、片方の肩をちょっとすくめてみせた。
「ここにはルター派はほとんどいませんが、それでもユグノーたちもそんなにひどい迫害を受けてはいません。みんな寝呆けているのですよ」
彼の言いかたには、どこにでもいるませた子供の背のびとはちょっと違う不思議な清澄さがあった。わたしは、いつのまにかそれを楽しんで聞いていた。
「わたしは信心深い一キリスト教徒ですが、"神" そのものをではなく、"宗教" というものをもし一個人が創ったのであれば、なんと罪深いことをしたのだろうと思いますね」
わたしは、足の先で落ち葉をかきあつめていた。
「きみは、キリストのことを言っているのですか?」(page 104)
読了。早川文庫版。
中世の europa が主な舞台。星々の真理を追い求めるヨハネス・ケプラーは、権力者のチコ・ブラーエや新進の学者ガリレオに近付いて自らの仮説を立証しようとするが、チコ・ブラーエは謎の怪死を遂げ、ガリレオはケプラーを目の敵にする。だがこの事象の裏には、時間を操る者達の熾烈な戦いがあった……。
歴史改変、超越者、天文学に宗教……と、SF らしい仕掛けを存分に取り込んだはいいけれど、素材に淫してお話は詰まらなくなってしまった、て感じ。SF を読み慣れない人には面白さが解らないかも。
とはいえ、終盤に風呂敷をどばっと広げる展開には古の哲学 SF らしさが漲っていて楽しかったりも。こういうぶん投げ系の SF は久しく読んでなかったので、懐かしくも新鮮な心地になりました。ケプラーが主役とはいえ、実は pure な SF だったのだなぁ。
OVA "Macross Plus" の音楽集、第 2 弾。1995 年発売。
オケとのコラボがない分、sensitive な電子音との戯れが楽しい一枚。ele-pop から ambient、そして無国籍風夢幻世界へ。前作が真面目に過ぎたのか、こちらは結構とっちらかってますが、それはそれで自由な遊びが感じられて聴きやすい。
"The Fifth Element" を管野よう子が手掛けたらこんな感じか。小生は "Macross" て anime には思い入れが無いので、この album が Macross らしいのか否かはさっぱり解らなかったりもしますが、近未来的な雰囲気は出てると思いますよ。基本は pop な曲なのに、ちょっと背伸びして定型を外してくるところが面白いし。また聴こうっと。
TV animation 「天空のエスカフローネ」の OST、第一弾。1996 年。
composer に溝口肇と管野よう子、そして Warsaw Phil との録音てことで、予想に違わず勇壮重厚激オケ大会となってます。となれば "Macross Plus" の同工異曲との先読みもできそうですが感触は大きく異なります。それは別に真綾嬢の不思議声に幻惑されるからではなくて、chorus、chorus、chorus の嵐だからでしょうか。天国と地獄を往還する分厚い声がこの album の色を決めている。Sibelius 先生がこれ聴いたら雲の上で吃驚するでしょう。そしてこんな曲がおめめぱっちりな健脚少女恋愛メロドラマアニメに使われたと知ればさめざめと涙することでしょう。まぁそう泣きなさんな、音に罪はないんだから。
そういや「エスカフローネ」って、小生はまだ途中までしか観てないような……。
あたしは、ほんとに生きているんだろうか?
それは事実なんだろうか?
そして――どうやれば、それが事実だって、確かめることができるんだろうか?
だって。
何回も、何回も、繰り返し繰り返し、夢があたしに教えてくれた。夢があたしに訴えた。あたしは――もう――死んだって。(page 170)
読了。早川文庫版。
海上都市に出現した無垢な少女と、彼女を発見した三人の学生が、生命の進化に纏わる project に巻き込まれる「ネプチューン」。交通事故で死んだはずなのに、五体満足で目覚めた享子が、次第に自分の正体に気付き愕然とする「今はもういないあたしへ…」の 2 篇を収めた中篇集。
電車の中で読んでると恥ずかしくなる文体ですな。とはいえ、あけすけに自分の心中を吐露しまくる語り口は悪くない。
どちらの作品にも SF 的な仕掛けが施されてはいますが、その素材の種明かしが主眼ではなく、SF 的な状況に置かれた人物の心情にとことん感情移入して彼らの言い分を代弁する、てのが素子流。SF に仮託して私小説やってるようなものである。最初は馴染みにくいけれど、読み進めていくと別世界が……あうあう。
内容は horror なんですが読後感は爽やかだったり。ちょっと変な味わいの本でした。
鼻水ずるずるですが「サムライチャンプルー」の 1 話は観ました。ハッタリばかりで中身がない、即ち小生向きということか。サントラは 6/23 発売だそうな。
流れに任せて今日も管野よう子作品で。TV animation "Cowboy Bebop" の soundtrack 第一弾、1998 年発表。
title が示すとおりの jazz 色強めな音が揃ってます。つか、CD 裏の design も modern jazz manner に則ったインチキ紹介文込みだし、tr.6 "Cosmos" と tr.16 "Digging My Potato" は御大 Rudy Van Gelder 直々の mix だし、渡辺等 (b) やら今堀恒雄 (eg) やら菊地成孔 (ts) やらのはみ出し jazz 屋というか半分管野組な人達が参加しとるしで、大人が真面目に遊んでる感じです。
tr.1 "Tank!" や tr.2 "Rush" では直球 hard bop ですっ飛んでいき、tr.7 "Space Lion" では Jan Garbarek ばりの spacy な chill out を展開し、tr.16 "Digging My Potato" では乾いた blues を聴かせてくれる。雑多な要素を感じさせながらも筋の通った世界観を描いているような風情で、何度でも聴けてしまう album なのでありました。
個人的には piano の riff が美しい tr.9 "Piano Black" と、泣き笑い系 fusion の tr.12 "Car 24" が気に入ってます。