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Estonia 生まれの作曲家 Arvo Part の 1976 年作 "Fur Alina" と 1978 年作 "Spiegel im Spiegel" を、Vladimir Spivakov (violin)、Sergej Bezrodny (piano)、Dietmar Schwalke (violincello)、Alexander Malter (piano) が演奏した album。1995 年録音、1999 年発表。ECM からの release。
小生が Arvo Part の曲に接したのは他でもない某月某日、無性に CCR の "Born on the Bayou" が聴きたくなったものの CD 持っとらんので某動画さいとで検索して見つけ出してアヘアヘ楽しんだ後、その同じさいとでたまたま見掛けたのが最初でありました。んで思わずぽちっと選択、アヘアヘして今に至る……。
Arvo Part という人は昔はもっとちゃんとした現代音楽作曲家だったようですが、行き詰まりを感じてからは古楽研究に没頭、やがて簡素な展開による minimal な音に向かっていった模様。この album に納められている "Fur Alina" と "Spiegel im Spiegel" も minimal 期の作品であります。とはいえ、Part の音楽は Steve Reich の曲のような位相変化の process に執着する類のものではなく、また Morton Feldman の曲のような緻密な計算の元に繰り広げられる反復音楽とも異なっていて、短い美しい旋律が情感の流れるままに漂っていく感じです。現代音楽とはいえ、映画の soundtrack 的な安定感のある曲であります。というかこの album の曲は映画 "Heaven" (2002) とか "Gerry" (2002) で使われておるそうな。個人的には Tarkovsky 映画に似合いそう……と思ってたらば Part 自身も Tarkovsky に捧げる曲を書いてたりしてるのでその辺の自覚もあるんでしょうな。
それにしても ECM の音と Part の曲は良く合いますなぁ。piano の減衰を聴いてるだけで感涙ものです。ところで "Spiegel im Spiegel" って、Michael Ende の本から取っとるのかな。
「なんということだろうーーなんだか、私は……できることなら、ここから、この場から一目散に逃げ出してここからこの世でもっとも遠い場所へ逃げていってしまいたいような気がするよ。ーー恐い。なんということだろう。クリスタル大公アルド・ナリス、神聖パロ国王アルド・ナリスはーーおそれているのだ。ばかな……ばかなことを……」
「ナリスさま……」
「こんなに、私は……心弱かったのかな。これほど、もろく、そして……いや、もう……何もいうまい。お通ししてください、ゴーラのお小姓のかた。そして、ケイロニア王グインどのを、このお部屋に」(page 182)
正気に戻ったイシュトヴァーンは面白くないながらもグインの言い分を通して休戦に応じる。ゴーラの虜囚となっていたナリスとグインはようやく顔を合わせるが、衰弱激しいナリスはグインに古代機械の秘事を伝えて身罷る。ナリスの意を受けたグインはケイロニア軍とゴーラ軍とでレムス軍に当たろうとイシュトヴァーンに申し出る……の巻。
死に損っていたナリスもようやく御臨終です。体弱ってる割には喋る喋る、口だけ取ってみれば死にそうにゃ見えないんですがお亡くなりということで、これでまた笑える人物が一人居なくなってしまうかと思うと寂しいものであります。つか妻子放っぽり出してナリスの元に駆けつけた筈の弟はどこで油売ってんだよ。まったく肝心な時に居ないんだから困り者ですな。
それにしても、死んだとなってすぐに花を山ほど調達できるとは、なかなかどうして準備がよろしいではないですか。こうなることを見越して戦時中にも係わらず常時携えておったのか、その辺の山からすぐに調達できるのか……。まぁ、お話なので都合良く舞台が整えられるのでしょう。ナリスが死んだのに花の一本も無いでは作者的にも寂しいんでしょうなぁ。イシュトやグインが死んだときに花てんこもりだと却って引いてしまいそうな気もするし。
Spectra 版の paperback で読了。"A Storm of Swords" の続篇。とはいえ主要人物は限定されてます。
Joffrey を失った Cersei は残った息子 Tommen を王位に付けて国内外の難事に忙しい。Jaime は戦場でどたばた。Samwell は Jon に送り出されて旅に出る。Arya は顔無き者として別名生活。Sansa は Petyr の庇護の元でやはり別名生活。その Sansa の消息を追う Brienne は旅の途中で様々な苦難に出くわす。そして Iron Islands では Balon Greyjoy 亡き後の権力闘争が繰り広げられる、の巻。
細かい事件はいろいろありますが全体的には場繋ぎの巻。次第に壊れていく Cercei や、仲間が出来るたびに酷い目に遭う Brienne の遍歴は流石の GRRM 節で楽しめますけどね。
Gus Van Sant 監督作品、1995 年。邦題「誘う女」。
地方 TV のお天気お姉さんである Suzanne Stone Maretto (Nicole Kidman) には、夫の Larry Maretto (Matt Dillon) を殺した容疑が掛けられていた。彼女の独白や事件に係わる人物の証言で事の次第が語られる。Larry の父親が経営する restaurant を訪れた Suzanne に Larry がべた惚れして二人は結婚するが、Larry の姉 Janice (Illeana Douglas) は Suzanne の唯我独尊振りが気に入らなかった。元々 TV に出ることが夢だった Suzanne は地元の TV 局に就職し、お天気お姉さんをやりつつ自分の企画で高校生の実態を調査する documentary film を撮り始め、Jimmy Emmett (Joaquin Phoenix)、Russel Hines (Casey Affleck)、Lydia Mertz (Alison Folland) という三人の高校生と知合いになる。仕事命の Suzanne は子作りに興味が無く、それを不満に思った Larry は Suzanne に TV 局の仕事を止めて restaurant の仕事を手伝うよう申し出る。段々と Larry が邪魔になり出した Suzanne は、その頃既に肉体関係を持っていた Jimmy を唆して、Larry を殺すよう促す……。
普通の悪女もので捻りもなし。black humor を狙ったぽいが笑い所もなし。Nicole Kidman の芸達者振りで持っているような映画でありました。
最後の方で David Cronenberg がちょい役貰ってます。恐いおっさんですなぁ。
Gus Van Sant 監督作品、2003 年。
米国のとある高校。John (John Robinson) は酔った父に代わって車で学校に来るが結局遅刻して校長に絞られる。Elias (Elias McConnell) は couple を写真に録って暗室に向かう。Nathan (Nathan Tyson) は girlfriend の Carrie (Carrie Finklea) と待ち合わせて一緒に外出申請。Alex (Alex Frost) は学校では大人しい存在だが、家では piano を弾いたり親友の Eric (Eric Deulen) と共に violence game に興じたりする。そしてその日、注文していた rifle が家に届く。試し撃ちに満足した Alex と Eric は、shower を浴びた後、拳銃や rifle を車に入れて高校へ向かい、校内の人間を殺していく……。
1999 年の Columbine 高校銃乱射事件を素材にして、事件の起こった一日を複数の高校生の視線越しに描いた映画……なんですが、物語の起承転結には拘らず、日常を淡々と描いただけの映画になってます。この淡々てのが曲者で、Alex と Eric が銃乱射する映画後半部もあくまで淡々と進んで行くのですな。派手な音楽とか Alex 達の心情を表す flag もなし。なので、一見異常な Alex 達の行為も日常の中に溶けこんで、映画として作られながらも映画らしくない生々しさが伝わる作品になっております。ある意味 hard-boiled な硬派映画。
TV で取り上げられる事件は映画じみているように見えて、本当は地続きの日常の延長線上にある……との至極当り前な認識を、映画という非日常の舞台を逆手に取って知らしめる試みだったんですかね。まぁ、それにしても前半かったるすぎじゃろ等と思わなくもないですが、生徒の後ろ姿を長回しで執拗に trace したり、日常内の些細な燐きを slow motion で撮ったり、同じ場面を複数の視点から撮ったりして、演出には拘りがありましたなぁ。
日本の trance rock band、Rovo の 2006 年発表 album。全 3 tracks ですが組曲構成なので通すと 1 曲のみ、55 分。
かの大作 "Pyramid" も 1 track で絶頂を究める趣の album でありましたが、その頃の Rovo が青春真っ盛りの直情少年だったとするなら、"Condor" はつぼを心得た大人の entertainment という感じか。序盤中盤では ambient 風の音響と若干の高揚・減速が折り重なります。微妙に tortoise ぽい coolness も滲ませて、近年の Rovo の studio recording に見られる抽象的な音像になっております。しかし中盤から終盤での refrain で徐々に speed up して何時の間にやら世界は熱狂温泉と化しえらいことになっておるという Rovo らしい展開に雪崩込みます。この爆裂な熱量は昔も今も変わってませんなぁ。ということで例によって楽しめる album であります。
孤高の jazz pianist、Thelonious Monk (p) の solo piano 曲集、ただし 1 曲だけ John Coltrane (ts) と Wilbur Ware (b) の trio。1957 年録音。
とにかく独特の雰囲気を持つ pianist なのですよ。slow ballads 集ですが、どの曲も弾筋の見えない超絶変化球ばかりです。theme に寄り添うように見えてここぞで外したり、refrain をきっちり終わらせずに余計に弾いたり弾かなかったり、しんみりした雰囲気でいきなり遊び心満載な装飾音をまぶしたり不協和音で調子狂わせたり……。かくも abstract だと思いっきり free jazz に向かいそうなもんですがそこはそれ、根底にどろどろと流れる黒い情念がこの不安定でうにょうにょした音の連なりを jazz 足らしめておるのです。
定型からはみだしてこそ jazz、と言っていいなら、これほど jazz らしい jazz は無いのです。一歩間違えば下手だの美しくないだのと言われかねない play ですが、classic じゃないんだから定型の中で堅苦しく演奏する必要はなくて、開かれた空間を如何に自分の音で埋めていくか、ってぇところに Monk の jazz 魂があるんでしょうな。これはこれで一個の作品として完結してますが、聴けば聴くほどに Monk の発想の豊かさと可能性の広がりを感じさせる一枚であります。
「副都督、御辺の知能を高く買って居るわしだが、その予想は、信じがたい」
「信じて頂けないとしても、わが軍は、二手に分れて、谷の出入口を、絶対に守る必要があることを約束して頂きとう存じます。孔明は、まちがいなく、箕谷と斜谷から攻め出て参りましょう。……左様、十日間を期限として、もし万が一、孔明が、その策をとらなかったならば、この仲達、顔に化粧し、身に女の衣装をまとい、売春婦の踊りをごらんに入れ申す」
「御辺がそう申すなら、わしの方は、ご下賜の玉帯と名馬を進呈しよう」(page 158)
これじゃあ結果がどう転んでも司馬懿仲達の一人勝ちではないですか。司馬懿というおっさんは五丈原でも孔明から姉ちゃん服を贈られたりしておるので、その方面では名の通った女装士だったに違いないのは火を見るより明らかであります。流石は希代の策士、常に自分に有利な方向に持ってくのですな。
ということで全六巻の第五巻。趙雲がぽっくり死するものの、諸葛亮孔明は魏を討つべく北征を敢行。魏の司馬懿仲達と権謀術数の限りを尽くして戦う。しかし蜀軍の足並みが揃わなかったり孔明の体調が優れなかったりで進んでは退き進んでは退きの繰り返し。そうこうするうちに張苞や関興といった前途ある若者を失う。いよいよ自らの死期を悟った孔明は、姜維に己の業を伝授し、司馬懿と雌雄を決するべく五丈原に陣を張る……の巻。
五丈原での司馬懿の戦略はアドニオン諸本並ですな。しばいてあげてくださいよ理事長。
魏延がとことん悪者に描かれていて気の毒な程であります。