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german metal band、Rage の 1992 年作。
tr.1 "Shame on You" では中近東ぽい melody で少し新鮮だけど、tr.2 "Solitary Man"、tr.3 "Enough is Enough" で本来の power metal 路線が炸裂。tr.3 は何だか pop な作りで昔の Helloween みたいだな。でも Rage らしい重低音 riff と melodious な展開の両立はここでも発揮されている。
おお、tr.6 "Take Me to the Water" の medium tempo 調から speedy な展開への移行ってばやたらと格好良いぞ。こういう曲を聴くと metal 聴いてて良かったと思います。とはいえ小生、もうめたらーじゃないんですが(爆)。あ、metal と括るからいけないのか。Rage は良い。別格。Metallica と Rage は聴く価値があるということでよろしいか諸君。
ええと、白状すると shoutcast の metal channel は今でもたまに聴いてます。しかし良さげな曲にはなかなか巡り会えませんね。metal channel よりは alternative channel の方が性に合うというか。じゃあ何で Rage は許容できるのかと問われると……うぅ、良く解らないな。たぶん、強引な曲展開と重低音 riff、それに Peavy の作るメロとダミ声がええんでしょう。
この album、dramatic な展開はこの次作 "The Missing Link" の方が上だと思いますが、直線的で痛快な曲が揃っているので、通して聴いたときの感触は悪くない。最近の Rage はどうだか知らないけれど、この頃の彼らは良かったなぁと思う次第です。
「それと、ミューラーの奴が、城塔の階段がおかしいとか何とか言っていた」
「塔の階段?」
「ああ、塔が高いとか低いとかな」
「塔は、高いものに決まっていますよ」
「ああ。俺もそう思う。だから、奴にどういう意味かと訊いてみたよ。しかし、答えはうまくはぐらかされた」
「城の構造が、《人狼》と何か関連があると言うのですか」
「あるかもしれん。ないかもしれん。だが、あらゆる点に疑いの目を向けるのは無駄ではない」(page 476)
第二部は青の狼城を舞台に殺戮が繰り広げられる。ナチの生み出した生体兵器「人狼」が、一連の殺人事件に絡んでいる疑いもあり。おお。何だか SF ちっくで面白いぞ。
内容忘れないうちに、すかさず第三部に突入します。
新居昭乃の album にもいくつか参加している細海魚が中心となって結成された unit、繭。これはその 1st で、1999 年発表。
微音の noise が永続する中、melancholic な旋律が耳を打つ。世間的には ambient な音と形容できるのだろうけど、beat が僅かに刻まれる曲も幾つか。心音に耳を澄ませているような、深く自分の意識に埋没していくような、瞑想音楽。
緩やかに立ち現れては消えてゆく synthesizer の音は、それこそ繭の中から薄明かりを透かして見るような複雑な文様を描いている。まだ見ぬ外界への恐れと好奇心、変容する自分への不安と期待、それらが綯い交ぜになった地点で、自我が危うい均衡を保っている。
ひたすら内へ内へと引きこもった先に何が見えるのか。毛細血管を走る血流の noise にも心癒されたりするのか。集団で作っている音のはずなのに匿名性は高い。それでいてこの汚し方は紛れもなく細海魚の好きそうな音なわけで。心の襞にじわりと滲む、浸透圧音楽である。傑作。
John Patitucci (b)、Dave Weckl (dr)、それに Chick Corea (el p) の trio 編成で C.C.E.B してます。1985 年の録音だが CD 化は 1996 年。
出来不出来に波がある Chick Corea ですが、この album は個人的に名盤扱いなのです。何より楽曲が良い。latin 調だが、大編成 C.C.E.B に比べると個々の音が clear に聞こえるし緊張感も強い。三者三様、でも音色をいろいろ取り替えては弾きまくる Chick の音がやっぱり楽しいな。
どの曲も人懐っこい melody で、でも fusion と言うよりは jazz してます。tr.6 "What is it?" は小品ですが大好きな曲。いや他の曲も良いんですが。tr.8 "Fusion Blues" も、Chick と John Patitucci の unizon が格好良い。Chick Corea、いつもこういう演奏なら文句ないんですよぉ。大編成になると途端にフツーの fusion になってしまうのがアレな人ですが、こういう少人数での演奏だと良い感じなんだよな。おっ、John Patitucci の必殺技、高音 electric bass の solo が始まった。うへ、上手い。しかも良いところで意表を突いた音を飛ばしてくる。Chick が solo 奪って、Dave Weckl の drum solo へ雪崩れ込む。Chick は electric piano で pitch をころころ変えてて、面白い音響効果を生みだしてるし。かと思えば solo での弾きまくりは豪快で想像力豊かな側面も見せる。嗚呼、やっぱいい album だわ。この調子で頼むぜ大将!
1973 年発表の album。じいさまが空を見上げている変な jacket で有名?なアレです。
声、若いなぁ。しかしこの頃から既に内省的な音への志向が強くて、結局この人が求める世界は昔から変わらないってことが解ります。arrange も派手すぎず押さえすぎず。R&B 色が強いので、誰もが思い浮かべる Van Morrison 像に fit する album と言えるでしょう。その割には目立たないんですけどね。まぁ、こういう伸びやかな album もいいもんです。
Luc Besson 監督作品、1994 年。
寡黙な殺し屋 Leon (Jean Reno) と、家族を麻薬捜査官に殺された 12 歳の少女 Mathilda (Natalie Portman) との奇妙な共同生活。少女は殺し屋になることを誓って Leon に師事するが、それはいつしか恋心へ。しかしある日、Mathilda は家族を殺した Stansfield (Gary Oldman) を見つけ、復讐すべく彼の後を追う。一方の Stansfield もまた、証拠抹消のため Mathilda を殺そうとしていて、さらには部下を殺した Leon も亡き者にしようと企てていた……。
既に何回か見ているのだけれど、この映画での Gary Oldman はハマリ役ですな。over action で芝居がかってるように見せているのが天然バカさを感じさせる彼ですが、密かに確信犯だと思います。小狡い役をやらせると上手い Jean Reno が、無骨な職人を演じているのも配役の妙と言うべきか。Jean Reno 嫌いなお袋も「この Reno はイイ!」とか言ってたし。これが De Niro だとアクが強くなっちゃうだろうなぁ。
Mathilda 演じる Natalie Portman は、とにかく衣装がダサい。背伸びした女を演じるにはちと色気が足りないか。Jean Reno が相方だから救われているって感じ。それでも前半は、Leon に追い出されそうになった時に「一度は私を助けたんだから責任取りなさい!」と凄んでみせたり、他人と話しているところを Leon に咎められたときに上目遣いでオーケー連発したりする場面とかで、かなり良い線見せてました。でも後半はただの恋する乙女。銃も構えずに Stansfield を追い詰めようなんて、何考えてるんだか。
お話は嫌いじゃないです。ちと甘過ぎですが、直球で解りやすい映画なので。
Stansfield の最後の場面は大好きです。Leon から贈り物を渡されて、表情変えずにあの台詞。笑う場面でしょう。
仕事場で貰った mail に「〜づつ」とあったので、ちと気になって。
「一部ずつ」は正しい表記で、「一部づつ」は間違い……というのが、教科書的な解答だとは思いつつ、それでも「づつ」で書かれた文章を目にする機会は多いので妙に不安になる。
「づつ」な方々に「小学校から出直してこいやコラ」と喧嘩を売るのは優雅さに欠けるのでやめておきますが、曲がりなりにも義務教育を受けてきたオトナな方々が平然と「づつ」してるのは何か理由があるんではなかろーかと思って、いろいろ考えてみたあるよ。
さらにはローマ字入力が原因と考えてる人もいるようで。成る程。一理あるかも。
でも個人的に気になるのは、上記 3 番目のやつなんですよ。「ず」と「づ」は同じ発音なので、会話中に「ずつ」を使うのと「づつ」を使うのとでは差が出ない。で、実際に文章で書いてみると、サ行 + タ行の「ずつ」よりも、タ行 + タ行の「づつ」の方が、音の表記としては親和性が高いように見える、だから「づつ」で正解だ……という判断がここにはあるように思えます。
現代人は昔の人より文章書く機会が多くなっているそうだけど、その文章の多くは直筆ではなくて keyboard 叩いて電子世界に文字出力させたものです。鉛筆持って文章書くときは、頭の中のモヤモヤを頭の中で体裁整えてから紙に出力させるので、頭の中で文章の体裁を整える際に過去の文章体験(教科書的な正しい日本語)を参照できます。しかし keyboard 叩いて文字出力させる場合、頭の中のモヤモヤはとりあえず音(平仮名)のまま keyboard に出力して、文章の体裁は寧ろ機械にやってもらっている。従って、文章を見直さない限りは、過去の文章体験(教科書的な正しい日本語)を参照する過程が抜け落ちてしまう。だから、小学校をちゃんと卒業したオトナでも、音からの feeling で「づつ」と書き散らしてしまう……とまぁ、そんな感じ。
もちろんオトナだって学習する。「づつ」で書きまくっていれば、やがては教科書的な正しい日本語も「づつ」で脳裏に登録されることでしょう。あとは手書きだろうがワープロだろうが、「づつ」と書いて正解、と。
「づつ」が広く浸透すると、「ずつ」使いの人は少数派になって糾弾されたりするんだろうな。一般に広く意味が通る言葉を「正しい日本語」と定義するなら、それはそれで正しい日本語だと思いますよ。
The Jam も The Style Council も素通りしてる小生なので、その中心人物 Paul Weller についてとやかく言える立場ではないのですが、中古屋で 700 円くらいで購入したこの album は最近の heavy rotation なのです。1995 年発表作ってことで、ちと古いんですが。
何が良いのかを言い表すのは難しいけれど、black music への憧れを自分の originality と融和させて、90 年代らしいざっくりした guitar sound で展開させてる点が良い、のかな。で、そこに力みや気負いがほとんど感じられなくて、自然体のまま伸びやかに歌っている。注意深く聴けば blues や R&B の影響が強いことは窺い知れるけれど、Weller のざらついた声が響き渡ると、前のめりの衝動が音の端々に共鳴していく。爺さんの言葉を借りれば、rock してるってこと。
いやはや、若年寄。渋すぎ。スルメイカな album と認定します。
Stephen Hopkins 監督作品、1996 年。
19 世紀末、西欧の africa 開拓時代が舞台。主人公の John Patterson (Val Kilmer) は鉄道用の橋を架けるため africa に赴く。現地に到着した後、作業員を襲う lion を John はただ一発の銃で仕留め、作業員たちの信頼を得る。そして橋の基礎工事は無事に完了。しかし、再び作業員たちが lion に襲われる事件が続発する。人喰いを楽しむかのように日夜問わず襲ってくる二頭の lion には John も太刀打ちできない。作業員たちは lion たちを Ghost と Darkness と呼び恐れる。彼らが人を襲うのは、鉄道を敷衍しようとする西洋人の行いに怒り狂っているからだ、と考えた作業員たちは John と衝突するが、そこに名うての hunter、Charles Remington (Michael Douglas) が現れる。John と Charles は様々な手段で Ghost と Darkness を迎え撃とうとするが、二頭は lion とは思えない知略で人間を翻弄する……。
また出た Val Kilmer。こいつのニヤケ面は見飽きたぜ。でもこの頃に比べれば上手い具合にオッサン化している。Val Kilmer がにわかオッサンとすれば、Michael Douglas は真性オッサンと言えるでしょうが、頼りない役が多いんだよな。この映画でも鳴り物入りで登場しながら、終盤で無念の retire です。南無ぅ。
お話としては直球路線。相手が動物なので話し合いの余地は無し。でも、あまり怖くないんだよな。Ghost と Darkness って呼ばれている割には劇中でお姿を拝む機会が多いので、「只の lion じゃねぇ!」って言われても只の lion にしか見えないわけで。見た目だけなら可愛いし。落ち武者みたいな Michael Douglas の顔の方がよっぽど怖いぜよ。
いろいろ怖さを演出してるのは解るんですよ。姿を見せないようにしつつ人間を引きずっていく場面とか、lion の視点で camera 撮りしてるところとか、病院跡に立ち籠もる John と Charles を音で威嚇する場面とか。でも決定的な怖さがないってのは、この手の映画としては致命的かも。お、そういえば John の嫁さんが lion に襲われる場面は良かったです。John は嫁さんに危険を知らせようと足掻くけれど、駅の人だかりに押されて辿り着けない。嫁さんは何も知らずに笑顔で手ぇ振ってる。で、横から lion がどわっ。ぱく。ぷしー。ごりごりごり。John にとっては悪夢の一瞬だったことでしょう。この場面のお陰で、last scene が少し良くなってます。
音楽担当は大御所 Jerry Goldsmith。tribal な beat で african さを強調しつつも、王道の勇壮 strings できっちり仕事した様子。
仮藻録より。
ふむん。
2003年 6月 8日 (日) 03時 31分 19秒 現在
あなたは 61.1%
アニメに汚染されています。
Spike Jonze 監督作品、1999 年。邦題は「マルコヴィッチの穴」。
Craig Schwartz (John Cusack) は人形使いとしての腕は一流だが職に恵まれず、鬱屈した日々を送っていた。妻 Lotte (Cameron Diaz) の勧めもあり、Craig はとある会社の filing 職に付く。ある時、Craig は会社の書類棚の奥に変な穴を見つける。その穴は俳優 John Malkovich (John Malkovich) の頭の中に通じていて、15 分ほど彼の視点で物事を見ることができ、その後は町外れの川辺にほっぽりだされるのである。Craig が知り合いの Maxine (Catherine Keener) にこの秘密を打ち明けると、彼女は JM 企画という会社を立ち上げて金儲けの算段を始める。同じく Craig から秘密を知らされた Lotte は、Malkovich の穴を体験することで自分の中に秘められた男性志向に目覚める。Craig 自身は、Malkovich の身体を利用して Maxine とおいしい関係になろうとする。John Malkovich 本人は、自分の身体が何物かに操られていると思い、にわか愛人の Maxine の行動を探り始める。秘密の穴を通じて、各々の思惑が入り乱れる。だがしかし、この穴が存在することにはちゃんとした理由があったのである。
おバカな思いつきから、よくもまぁここまで妄想を広げられたものです。その発想力にはひたすら驚嘆。John Malkovich を媒介として、Craig と Maxine と Lotte のどろどろした三角関係に雪崩れ込む展開は、怪しい situation ながらも説得力があるので妙に迫真的。Craig が Malkovich の身体を乗っ取って、映画初頭の人形劇を Malkovich の身体で表現してしまう場面は感動的ですらある。
変な仕掛けがいろいろ施されていて、良い具合に予想を裏切ってくれます。Craig の淫猥な人形劇。会社の office は建物の 7 と 1/2 階で妙に天井が低い。社長の家には扉がいっぱい。Malkovich だらけの世界。Charlie Sheen のハゲ頭。Malkovich の深層心理の中で逃げる Maxine と追う Lotte。うひょえ。よくやるなぁ。MTV 出身の Spike Jonze、変な見せ方には長けている様子。
この映画を「哲学的」と言うのは真面目に見過ぎている証拠です。Malkovich の頭の中を覗くことができるという状況を手に入れた人々のドタバタを楽しむのがスジってもんです。John Malkovich が自我と他我(変な言葉だ)の間で葛藤した挙げ句、より高い意識へと止揚されるのであれば話は別だが、結局は自我が勝つか他我が勝つかの二者択一なわけで。人形の扱いに長けた Craig が Malkovich の自我に向かって「ヘボ役者はすっこんでろ!」と言う場面は笑えますけどね。
終盤はキレイに収めすぎた感が無くも無いですが、面白かったです。妄想好きな方はどうぞ。
Josh Wink の 1998 年発表盤。これがね、とっちらかってるんですわ(笑)。
hard minimalist として有名な人らしいんですが、今作では Ursula Rucker や Trent Reznor も参加して、minimal techno から D'n'B、house に industrial と多彩な音世界を披露。
tr.3 "Hard Hit" は detroit ちっくな synthe がぽわぽわ漂っているうちに trancy な展開に雪崩れ込む、なかなかの好 track。tr.4 "Sixth Sense" での、Ursula Rucker の幽玄 voice を feature した acid track も、地味ながら面白い試みだ。
で、tr.5 "Black Bomb [jerry in the bag]"。こりゃ Trent の世界ですな。noise & groove。でも NIN の "The Fragile" を聴いてしまった後では薄味です。tr.6 "Young Again" は初期 Adam F 風の D'n'B。こういう雰囲気は嫌いじゃないんですが、これまた薄味なので、ずぶずぶはまるなら Adam F の "Colours" 聴いてた方が良いです。
なんだか良いのか悪いのかはっきりしない評になりつつあるなぁ。曲単位で聴いたらそれなりに美味しいんですけど、通して聴いてると random tape を聴いてるような感覚に襲われる。そういうもの、と思って聴かないと辛いです。小生は album 単位で聴くことが多いので、あんまり散らかりすぎてると player に入れるのが辛くなってくる。Josh Wink、才人だってのは認めるけれど、スジ通して 1 枚作って欲しいっす。
ん? tr.10 "Are You There..." の檄 acid な音を聴いてると、これが Josh Wink のホンキかも知れんと思えてきた。acid house な人なんですかね。小生はその方面疎いんですが、堂に入ってる感じ。この調子でガンガン行け行け。
今日の式神II、5-1 道中まで。てゆか初っ端の丸弾緑弾食らっちまったい。これじゃ道中修行にならんでわないか。くうっ、悔しいっす。
かみりん、"Matrix" をようやく見たとのこと。印象を尋ねると「ムシが気持ち悪い」……って、どこに注目しとるんじゃ。ムシと言えば "Naked Lunch"。で、トモヲさんがこの話に乗ってくるという展開はちと意外でした。そこから David Cronenberg は如何に偉大であるか(或いは如何にクソ監督か)論争へ。クソは偉大である。誰もがクソから逃れられないが故に。
Cronenberg が殺人鬼やってる映画って、これのことですか? 監督 Clive Barker だってよ。うひょえ。少し観てみたいかも。きっとへたれ B 級映画に違いないと思うけど。
音響派って言い方ももう古い? でも Chicago 音響派の親玉といえば Tortoise なのです。2001 年発表作。
音響派なんて言っても別に feedback noise ぶりばりといった ambient な作りではなくて、guitar と bass と drums とふにゃあんな synthe が、pop な作りの melody を丹念に鳴らしてます。前作に比べれば pop 志向がより鮮明になった印象。でもって、tr.1 "Seneca" の intro から滲み出るナマオトの揺らぎもまたこの album の特徴になっている。
Mogwai あたりと同じ方向を向いてる音だとは思うんですが、Tortoise の音は音そのものへの fetish な感覚に強烈に支配されていて、奏でられた音が緩やかに減衰していく様や、guitar の音と drum の音とが互いに交感してバババッと反応する一瞬とか、とにかく一つ一つの音への集中力が凄まじいわけで。ぼやーっと聴いてると単なる牧歌的 guitar instrumental album で終わってしまうのだけれど、じっくりと聴いてみるとえれぇことになってる。rhythm の組み方も techno や hip hop を通過した上で鳴らされているし。実際に鳴っている音を聴くことで、そこに至るまでに捨てられていったであろう様々な可能性へと思いを馳せることになる。これ即ち音響俳句。器用貧乏のはずが、あまりに器用すぎるので貧乏になりきれなかったの図。
世界を変える音ではないけれど、職人は職人にしかできないことをやっていくってことを証明した album です。歳取ると、こういう音が沁みるようになってくるな。