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読了。直木賞受賞後の第一作は、日本は新宿が舞台の連作集。船戸の日本ものというと外れの代名詞みたいなもので、過去の『海燕』や『龍神町』で辛い思いをしたのは小生だけではあるまい(*1)。だが安心せよ、この作品は良作なり。
船戸の作品には現在の社会情勢が色濃く反映している。『新宿』でもそれは同様で、リストラ、消費者金融、国粋主義者、ホームレス、等々、今を感じさせる要素が個々の作品に取り込まれている。だが、船戸によって調理されるそれらの供物は、否応なしに死の匂いを発している。「夏の黄昏」の老人、「夏の流れ」の金融業者、「夏の星屑」の興信所員などは、既に物語の冒頭から闇を覗き込んでしまっている。彼らは物語が始まる前に、その人生を捻れさせてしまっている。その後の物語は約束されたレクイエムであり、主人公達のの思惑など関係なく悲劇への階段を転げ落ちていく。その過程を描く船戸の手腕が見事である。『カルナヴァル戦記』などの初期短編に見える力任せな展開とはまた別の、枯れた筆致で丹念に登場人物の心を描く術に作家としての円熟を見る。
上述の作品ほどではないにせよ、「夏の渦」のおかまは友人の死を弔うことでおかまであり続けることの限界を知り、「夏の残光」の極右青年は属する組織から捨てられ、「夏の夜雨」のホームレスは保身目的で真実を隠したために最終的には罰せられ、「夏の曙」の板前は誇り高い者達の無力さにただ涙する。これらもまた死の匂いを漂わせているが、むしろ敗者の物語と言うべきだろう。もちろん敗者や虐げられた者の物語というのも船戸のモチーフではあるのだが、従来のそのような物語から漂っていた爽やかさが徹底的に排除されているため、より一層陰惨な印象を残す。
棋士としての道を絶たれた青年が主人公の「夏の雷鳴」は、話自体は暗い船戸調だが、純情なレスラーの神津に感化される青年が最終的に闇を暴こうとする点で唯一救いがある。『虹の谷の五月』の読者へのサービスかな。
通して読んでみて、女性のキャラクターが冴えていることに気が付いてちょっと驚いた。今までの船戸作品だと女性は性欲の対象(失礼)とかステレオタイプな大和撫子とか男勝りなねーちゃんとかで、控えめに言ってもバリエーション豊かではなかったと思うので。「夏の雷鳴」の幸江みたいなキャラは今までいなかったのではなかろうか、脇役だけど。『夏の曙』のチベット人活動家も純情だが芯が強いしねぇ。……と書いてからしばらく考えていたが、『黄色い蜃気楼』のスチュワーデスとか『伝説なき地』の正反対の二人とか『龍神町』のロリロリ(笑)とか、物語上重要な女性は丹念に書いてるような気がしてきた。むぅ、これは失礼。
池袋のWaveに行ったとき、Jazzのコーナーでアルバム二曲目"Sugar"が流れていて、「Jazzちゃうやんけ」。でもやたらと格好良かったので思わず購入。物憂げなジャズボーカルにダウンテンポなビート、時には人力ブレイクビーツも。さりげなくアビシャイ・コーエンも参加してたりするが、ジャズ発現することもなく控えめな上物乗せに留まっている。そういうわけでJazzと思って聴くと物足りないが、大人のクラブミュージックとしては良い出来である。"A Guy Called Gerald / Essence"や"Herbert / Bodily Functions"が好きな方は是非。トラックによってはReprazentっぽいのもあるけど。
そういや今日も雨だったなぁ。