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謹賀新年。ええと、2004 年ですか。恐怖の大王がお越しになってからもう 5 年が経過しました。皆さん少しは進化しましたか。人のこと言う前に自分のことを気にすべきかもしれませぬ。今年は過労で倒れないよう気をつけます。
んなこたぁどうでもよくて、今年は Friction の 1995 年作で幕開きです。Recorded by Seigen Ono だそうで。小生は Friction のことはこの album でしか知らないので、この Seigen Ono による録音がええのか悪いのか判断できないんですわい。まぁ何だ、tr.4 "Head Out Head Start" は音だけ聞いてると昔の Black Sabbath みたいに聞こえます。Friction て punk band とちゃうのん? いや punk ですよでも音は Black Sabbath みたいな。何のこっちゃ。要は音に立体感がなくて平板ぽいと。貶してるわけじゃなくて昔ぽくて生々しいってことです。PA に頭突っ込んで聞いてるみたいなもんですな。普通死ぬけど。ざらついた質感を前面に出して punk 魂を直接刺激するってえのがここでの Seigen Ono の企てなのかも知れませぬ。
この album も世に出て久しいので、たまに聞きなおしたりしてますが、そのたびに妙な距離感を感じます。melo-core 的な若さはなく、original punk 的な 3 codes の原理主義に陥ることも無く、noise 振りまいて hardcore に首突っ込んでるような感じもない。轟音 guitar で drum はばたばた、vocal はぶっきらぼうに歌を投げつけている……と、その佇まいは典型的な punk ですが、均整が取れているというか枯れているというか冷静冷淡冷血というか、何処となく systematic な美学に貫かれてる album なのですよ。ある意味 listener をも遠ざけるかのような超然とした世界観が構築されてます。何処にも属さないようでいて、誰よりも鋼色なのでありました。
Theo Angelopoulos 監督作品、1995 年。邦題「ユリシーズの瞳」。
映画監督の A (Harvey Keitel) は、Balkan 半島で初めて映画を撮影したとされる Manakis 兄弟の伝記映画製作を嘱託されたため、故郷の Greece に戻ってくる。A は、Manakis 兄弟が死ぬ前に残したといわれる 3 巻の未現像 film を追って、Balkan 半島を彷徨い歩く。旅の間、Manakis 兄弟の記憶や A 自身の過去の記憶が入り乱れる。そして様々な姿に身を窶しつつ、A と奇妙な繋がりを求める女 (Maia Morgenstern) が行く先々に現れる。Beograd の教授から Manakis 兄弟の未現像 film が Sarajevo にあると聞かされた A は、銃弾飛び交う戦場の Sarajevo に向かい、film の所有者 Levy (Erland Josephson) と出会う……。
旧 Yugoslavia の内戦が舞台になってますが、反戦映画という感じではないです。霧の中で Levy の家族が殺される場面とか、内戦を意識させるところは幾つかありますが、A の現在と過去の回想、Manakis 兄弟の辿った道のりの辿り直し、そして旅先の土地・民族の記憶が、A を媒介にして語られているような按配です。出てくる面子は taxidriver であろうと哲学的問答せずにはいられないという、まぁこういう映画にありがちな、思わせぶりで意味深な仕掛けがあちこちで見受けられます。でも、というかだからというか、退屈ですね。Harvey Keitel と Maia Morgenstern が熱っぽく絡んでる場面見ながらうとうとしてしまった……。結局、何を表現したかったのか解らずじまい。雰囲気は嫌いじゃないんですけどねぇ。
ばかでかい Lenin 像に座布団 1 枚進呈。
Tad の 1995 年作。念のために説明しておくと、Tad は Seattle で 1988 頃に結成された hardcore band です。特徴は巨体。違う。heavy な riff、絶妙の break、重戦車が障害物を薙ぎ倒しながら爆走しているような感じです。即ち安定感抜群の狂気。その中にも微妙に pop で歌える phrase を織り込んでいて、それがまた格好良いのですよ。
この album が 4th らしい。Tad 的によく出来てるのかどうかは解らないんですが、個人的には一時期良く聴いてました。重量感があってタメも生かしてて、メリケンの band なのに blues の影響がまったく感じられないってことで、同郷の Nirvana や Pearl Jam よりも、Helmet や Prong と近いところに居る人たちやと思われます。
ざくざくと刻まれる guitar も気持ち良いんですが、良く通る drum の音が密かに快楽指数を押し上げてます。こういう metal な音は大好きです。でも多分 metal な人は聴かないんでしょうなぁ。
昼前起床。漫画読んだり本読んだり。外出して開運福銭貰ったり。
espgaluda は麝香第三段階まで。相変わらず clear できない病に犯されてます。下手に慣れてきてるから、終盤での緊張感が昔とは違うんだよな……自戒せねば。
帰宅後、お袋から「ゴム印彫ってくれ」と頼まれたので、彫刻刀やら鉛筆やら持ち出して作業しました。年賀状に押すのに使うんだそうな。小生、不器用なんですけど……と抗弁すると、適当でいいからとにかく作れ、と。まぁ、そこまで言うならってんで。
30 分くらいで完成。トレぺのない状態で作った割にはまずまずの出来。一応読める漢字にはなってたので。でも字は下手です。良いんですよ、漢字が解るように彫ってあるんだから及第点ってことにしておいてください。
普段の生活では意識されないことですし、新聞やテレビもそういう観点からの議論をしませんが、現代世界の三分の二が一元論者だということは、絶対に注意しなくてはいけない点です。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。一元論の欠点というものを、世界は、この百五十年で、嫌というほどたたき込まれてきたはずです。だから、二十一世紀こそは、一元論の世界にはならないでほしいのです。男がいれば女もいる、でいいわけです。(page 193)
読了。某お袋さんに薦められて、半ば強制的に読まされました……。
題名は挑発的ですが、話題は脳のことから社会批判まで様々。「個性をうるさく言うなんて本末転倒、それよりも他人の気持ちを理解できるように努力しろ」とか、「NHKの『公平・中立・客観』なんて尊大もいいとこ」とか、「脳にいくら入力しても、係数が零なら(聴く気がないなら)出力が零なのは当たり前じゃ」とか、言いたいことをほいほい出力しているといった風情です。
思考停止してる世間の連中に一言言いたいってのは良く伝わりますですよ。でも「昔は良かった」的な懐古主義に足半分突っ込んでるようにも思えます。まぁ、いろいろな意見があって楽しかったです。
というわけで、kondara な環境から momonga head な環境に乗り換えました。去年の暮れから乗り換え工作はしてたんですけどね。
以前は galeon が clash しまくってうんざりしてましたが、流石に今の epiphany だと安定してます。まぁ、たまに落ちることもありますが。
しかしだ。sourceforge とか見に行くと微妙に文字化けしてたりします。頭の "SOURCEFORGE" が "3OURCE&ORGE" と表示されてるし、他にもちらほら変な記号が。
page 自体はちゃんと取ってきている、mozilla や galeon でも epiphany 同様に文字化けする、といった症状から鑑みるに、mozilla 側での表示の問題かも知れませぬ。まぁ、ぼちぼち調べてみますか……。
帰省先でやっとこさ発見したので購入。Zabadak、2002 年発表の album。
初期の exotic な要素はどんどん後退して、melody のはっきりした 80's japanese pops を連想させる track が多いかな……。まぁ、Zabadak らしい変化球もちらほら混じってますが、基本は melody。
で、tr.1 "Gargoyle" は壮大な世界観を作ろうとしてべたな melody 乗せてしまったものだから、豪華なおかずが散らかってる様はまるで駄目な頃の Tangerine Dream の如し。tr.12 "Signal" は如何にも Zabadak な繊細さが滲み出る名曲。この 2 曲の極の間に大きな差を感じます。その間を埋める曲の数々は、既視感のあるものもあれば Zabadak 的なものもあり、なので、まぁ album total での balance は悪いです。
でもね、これはこれで良いのです。ここにあるのは誠実な歌であり、同心円を巡る軌跡の現れなのだから。Zabadak は器用な band だった、という思いが昔はあったんですが、その器用さ故に抜け出せない枷を自らに課していたとも言えます。で、吉良さんの solo になってからは、枷をブチ壊したはいいが今度は衝動の赴く先を扱いきれないという呪に捕らわれてしまった。で、これが Pistols なら懐古趣味に戻って一稼ぎ……となるわけですが、Zabadak はひたすら苦悩してのたうったわけです。その荒々しい衝動が未だに続いているが故に balance が悪いって印象にもなるわけですが、四方八方に向かう力が、一つの点を目指してぐるぐる回っている、そういう力場の存在が "Signal" という album には感じられます。80's japanese pops ぽい、というのは、その指向性が纏った衣装にすぎない。視線は、もっと深いところにひたと向けられている。"Ikon"、"Colors" と来て、この "Signal" でより一層、焦点が定まってきたような。
masterpiece ではない。けれど、この軌跡の先を期待させるような力を感じさせる album です。未完成であるが故の傑作というのは、こういう album を言うのかも知れないなぁ。
日記はその日のうちに書くもの、って考えもあるでしょうが、小生は後日に書き直すこともよくあります。んで、log file の更新日時を各日付に表示できれば、どの辺が最近更新したのか解るようになってええなぁ、と思った次第。
既存のネタであるかと思いましたが、見つけられなかったので作りました。
一応、日付直下に挿入するか、その日の日記の末尾に挿入するかを選べます。filter file を直で弄らにゃならんので外道もいいとこですが。
まぁ、個人的にはこの出力で問題ないので良しとします。
こういう発想の行き着く先は「最近 log いぢられた日付だけで最新 5 日分を出力」だったりするんでしょうが、日付単位で log を切るのが原則の ndiary にはそぐわない思想かも知れませぬ。
mv だと file の最終更新日時を変更せずに持ってきますが、cp だと新しく生成された file の更新日時が書き変わってしまうのですよ。少なくともうちの linux 環境だとそうなっておる様子。
$ cp -p hoge.txt hoge2.txt
とすると書き変わらないんどす。"-p" には、元 file の属性を維持するという呪いがかけられているそうな。
正確には、以下のようにすると timestamps だけ弄らずにコピれるらしい。
$ cp --preserve=timestamps hoge.txt hoge2.txt
help 見れば一目瞭然なネタですが、不覚にも小生は「cp は更新日時弄らんのがデフォじゃろう」と思いこんでました。あう。
そういうわけで、小生の過去 log は 2002/05/05 だらけ、ってことになるんですな。
昨夜の事故の余波で、痛みに苦しめられて朝は寝不足の貧血の体調不良で down。
その後、痛みに耐えかねて病院へ。そして……うわあああっ。以下続く(ぉぃ)。
んで。
初診だったので症状についての書き込みをして外科のところで待っていると、骨に異常があるといかんということで整形外科に回されました。
整形外科の先生に足見せると「おおっ痛いでしょうっ」と言われました。当たり前だ。
「痛いのは血が抜けてないからなので、血を抜いてやれば楽になります」
「はぁ」
「骨に異常があるといかんので、まずはレントゲン撮ってきてください」
「……レントゲン、ですか?」
予想してたより手間の掛かる事態のようです。
何はともあれレントゲン室へ Go なのです。
しかし足の指のレントゲンなんて、どうやって撮るのであろうか……などと仄かな疑問が浮かんだものの、何のことはない、寝台の上に乗って、上部に据え付けられた camera で撮るだけでありました。
最初は足を真上から、次は横からパシャっと。写真受け取って再び整形外科へ。
「骨には異常ありませんね」
「はぁ」
「じゃあ血、抜きますか」
「うっ」
「爪に穴開けるので少し痛いと思いますが、抜いた方が今より楽になりますよ」
「おっ、お願いしますっ」
「じゃあそこの台に横になってください」
寝台に乗って靴下脱いで待機。先生、針を lighter で炙ってます。その間に患部には消毒液が塗りたくられます。麻酔無しの素で血抜きするらしい。
で、いよいよ。
「少し痛いと思います」
「はい」
「ホントに痛いと思いますよ」
「はい……」
「とても痛いですよ多分」
「はい……」(何度も言わないで……)
「見るともっと痛くなりますので、あっち向いててください」
とまぁ、患者を怖がらせておくのも先生の sadistic な悦びの一つ……というわけではなくて、患者が痛みに準備できるよう導いてるわけです。いきなり患者に暴れられても困るだろうし。
実際には思っていたほどの激痛は無くて、20 秒くらいで終わった感じ。でも、血を抜いたからといってすぐに痛みが引くわけもなく、せいぜい少し楽になった程度。
その後、患部を gauze でぐるぐる巻きにされて、痛み止めと胃薬を処方してもらって、おしまい。
会計を済ませるとき、受付の人に「電話番号がヘン」と言われて見直してみれば、実家の電話番号書いてました。正月ボケ。しかも再申告した番号も間違っていて、薬貰ったあとで再び修正してもらいました。お手数をおかけして申し訳ない。
というわけで一日安静。まぁ動かさなければ痛みはそれほどでもないので、久々に PC の前でごそごそしてました。夜には痛みも大分収まっていい感じに。何とか生きていけそうな位には回復してきたとさ。
1986 年発表、GRP より。
"Live from Elario's" が前哨戦で、こっちの方は studio 録音の正式版。面子は Chick Corea (key)、John Patitucci (b)、Dave Weckl (ds) の三人に、Scott Henderson (g) と Carlos Rios (g) の二人が加わる程度。大所帯ではないけれど、この程度の編成の方が Chick 色が出ていい感じです。前哨戦の曲と被ってるものも何曲かあるけれど、流石に studio 盤の方が音は綺麗で gorgeous で安っぽい(笑)。まぁ、こうした派手派手しくて 80's な音もまた良いもんです。
前哨戦に比べると端正に過ぎるという点はあるものの、楽しげに synth と戯れる Chick の様子が目に浮かぶような好盤に仕上がってます。
TV anime "Gungrave" の Original Soundtrack、第一弾。ちなみに uno は spanish で 1 の意味(多分)。
anime の方は元々期待してなかったんですが、回を追うごとにどんどん良くなってきて、個人的には要注目な title になってしまいました。第一話、長いこと浮いてるなぁと思ってたんですが、見直してみると後々への布石がちらほら。なかなか周到だなぁ……。
で、O.S.T. 第一弾は OP number でもある tr.1 "ファミリィ" から開幕。地味な曲ですが聞き応えは充分。ファミリィという、最も近くて心許せるはずの組織の歌が、何故に斯くも哀しく不安な色調なのか。Nino Rota の "The Godfather" を、今堀恒雄らしい屈折で照射すると、こういう感じになるのか。
全体的に印象的なのが弦楽器。今堀恒雄というと轟音エレキと tribal な rhythm で progre な曲、って印象がありますが、今回は生 guitar や piano、strings などで、魂の軋む情景や、緊張の中での一時の休息を表現してます。もちろん aggressive な曲もありますが、全体を覆うのは哀愁の雰囲気。泣けます。
気がつけば連続 3 回 repeat。いやぁ、まだまだ聴き足りない……。