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田中フミヤの Karafuto 名義作、1998 年発表。
techno 屋の行き着く果ては jazz だの ambient だの electronica だの break beats だの down tempo だのとにかく techno じゃないが techno 周辺音楽、なわけですが、田中フミヤもまたこの時 techno 辺境へ足を踏み入れたわけです。Karafuto って元は house project じゃなかったっけか。まぁいいや Karafuto だし北端だし辺境だし。でもってこの次に来るのは Individual Orchestra 名義ということで、Karafuto も何処かへ置き去りにされるわけであります。
その Individual Orchestra 名義作 "Music from a View" に比べれば、まだこの album は人に聞かせよう club use に仕立てようという志が垣間見えます。Carl Craig の道を追うように生音 jazz に挑戦、しかし何処か歪な空間弯曲力が……。胸の内の空想妄想をとりあえず鷲掴みにしてちょこちょこ削ってほいできあがり、といった風の焦点定まらぬ謎音響と minimal 生音 down tempo で、field recording による汚しと electronic だが妙に体温を感じさせる上物とが組み合わさって世界がうにゃりとくにゃります。この人の track は intro が格好ええんですが、それも音響への一方ならぬ愛着あってこそ、と思われますな。techno を遠く離れてもやはり techno な人なのであります。くそ暑い日に聴くと涼める逸品。
宮繁之監督作品、2005 年。
メリケンの空軍基地から UFO の遺物と言われるオリジナルメタルを強奪したルパン一味。ルパンは diamond より硬いとされるオリジナルメタルを使って、不二子に贈る指輪を作ろうとするが、その硬さは筋金入りで、五ヱ門の斬鉄剣でさえ酷い刃こぼれに見舞われる始末。一旦解散したルパン達だが、オリジナルメタルを狙う国際テロ組織のブラッディエンジェルスが、密かにルパン達へと接近する……。
レディコミみたいな絵柄になってますな。敵方の血塗れ天使隊もみんな姉ちゃんだし。その割に色気が無い印象があるんですが、ルパンがポイズン・ソフィ相手に優しいおじさま振りを発揮したり、不二子の声が流石に年期を感じさせたりするからそう思うのか。
ルパン組 4 人に天使隊 4 人、加えて銭形に助手女と、登場人物が多い分、お話は小粒。辻斬カオルは五ェ門の引立役でしかないため端折って観ても問題なさそうだし、ボンバー・リンダは只の銃乱射馬鹿であっさり退場、レディ・ジョーは截拳道の使い手で男装麗人、というだけにしとけば良かったものを終盤では令嬢衣装で銃撃ちまくるという宝塚姉さんになってしまいました。
story 的に盛り上がらないところをネタ大量投入で凌ごうとの思惑があったんでしょうか。まぁ去年のに比べれば action は派手目になっていて、ぼんやり観ている分には楽しめますが、話に魅力が無いので見終っても特に感慨なし。character が多い話を面白くまとめるのは大変なんやろなぁと思いました。
北久保弘之監督作品、1991 年。
ある日、寝たきり老人の高沢喜十郎が厚生省の役人に連れ去られる。volunteer で高沢老人の世話をしていた看護学生の晴子は、厚生省の project 発表会で機械ずくめの箱に入れられた高沢老人を目の当りにする。第六世代 computer に制御され小型原子炉で稼働する全自動看護寝台の monitor として高沢老人は選ばれていたのだ。学校に戻ってから、自分の computer に高沢老人からの助けを求める message が入っていることを知った晴子は、仲間と連れだって厚生省の研究所に忍び込み、高沢老人を救出しようと試みるが、作業の途中で project の首謀者寺田に発見される。晴子たちは看護寝台ごと高沢老人を運び出して逃走しようとするが、そこで看護寝台は異常な運動性能と変形機能を垣間見せるのだった……。
大友克洋原作のドタバタ映画。老人介護をネタにしているとはいえ、後半は大友らしい発想の融合増殖機械が鎌倉目指して走りまくるという展開で、老人介護は何処いっちゃったんだよと (笑)。素材は素材で theme にゃならんということか。
話はまぁドタバタ……で終わってもいいんですが、看護寝台が高沢老人の細君人格を宿すという点が個人的にツボ。老人の心の care まで考慮して作られているとしたら大したもんです。最後は大仏様になって彼岸の世話まで見てくれるようですし。でも被看護者が死んだら看護寝台は存在価値が無くなってしまうわけで、ということは被看護者が死なないように万策尽くすはずで、老化細胞抑止の為に薬付けにしたり部分的に cloning したり人格を機械に移しかえたりしだすんじゃなかろうか。そういう未来も醜悪でよろしかろう。
箱詰の高沢老人を可愛そうとか言っていた晴子は、看護寝台がおかあちゃん人格を宿したと知るや救出作戦ほっぽりだして寝台弁護派に回っとります。愛ある機械なら許せるってことですかね。看護 robot も機械機械した無機質 design よりは人間ぽい衣装やゴム顔とか付けてる方が好感度が高いそうですし、将来は機械による疑似人間世界が構築されるやも知れません。そういう未来も醜悪でよろしかろう。人間だって有機体の wire や pomp で構成されてるんだから、機械に置き換わってもそう変わるもんではあるまい。
などという妄想は掻き立てられますが、この手のドタバタは "Memories" の「最臭兵器」で免疫が出来てしまったのでいまひとつ乗り切れず。先にこっちを観るべきだったかのぅ。
Harold Ramis 監督作品、1999 年。邦題「アナライズ・ミー」。
N.Y. の大物 mafia の頭である Paul Vitti (Robert De Niro) は、彼のシマを狙う Primo Sidone (Chazz Palminteri) に命を狙われてからというもの、発作や体調不良に悩まされていた。腹心の Jelly (Joe Viterelli) に精神科医の世話を頼んだ Paul は、Jelly の紹介で精神分析医の Ben Sobel (Billy Crystal) の元に通うようになる。結婚を間近に控えた Ben は、裏社会の大物 Paul と関わりを持つのを嫌ったが、すっかり Ben を気に入った Paul は Ben の都合もお構い無しにすぐ呼び付けては治療を要請する。やがて Paul を付け狙う FBI が Ben も mark するようになり、Ben も mafia の抗争に巻き込まれたり Paul の代理で mafia の会合に出席する羽目に陥ったりすることになる……。
De Niro の演技はねちっこくて嫌らしくて嘘くさい、とはお袋の評でありますが、この映画の製作者もそれは念頭に置いていたのではあるまいか。この映画、とにかく De Niro 扮する Paul がよく泣くすぐ泣く号泣しきりである。そんで Paul の泣き仕草が笑いの switch になっているのだから趣味が悪い。しかしここは笑って良いのである。だって De Niro の泣きは嘘くさいから (笑)。安心して笑わせるための装置として De Niro を起用したところがこの映画最大の企てと見た。その割には笑えない? まぁ、De Niro で笑おうってのがそもそも難しいってことでしょうかね。もしくは、mafia に絡まれて迷惑する Ben に思わず同情してしまうからか。
この映画は、Paul が自らの心の闇を Ben に打ち明けることによる自己再生の物語であり、その Paul を助けることで思わず Paul に友情を抱いてしまい、ついつい mafia の世界に足を踏み入れてしまう Ben の物語でもあります。始めは自分の都合で Ben を呼び付けては「薮医者が!」とか「さすが名医!」とか好き勝手言い散らかす Paul、しかし次第に父を失った悲しみを受け入れて自ら足を洗う決心をする。見せかけの強さを捨てることで本当の自分を見出す Paul は、お約束な展開に飲まれながらもあの De Niro 節故に変な説得力のある存在になってます。一方の Ben は、小市民らしく Paul に振り回されつつ、こちらも言いたいことはずけずけ言って Paul に負けていない。Paul が腑抜けたと見るや自ら銃を取って戦ったり、Paul の代理を無理矢理やらされておろおろしていたのが、いざ発言すると完全に自分の pace に持ち込み他の大物 mafia を唖然とさせる。いや、良い character だなぁ。時には Ben の不安を逆に Paul が分析したりもするし、良い具合にこの二人の立場を利用して遊んでますな。遊びに力を入れすぎて、二人の友情話としてまとめるにはその過程があまり描かれていないようにも思いますが、mafia もので精神分析で comedy に仕立てる、という目論見はとりあえず達成できているように思えます。うんうん、予想よりは面白かったよ。
最後に Tony Bennett が出てくるところは気が利いてて良かったです。
Led Zeppelin の 4th album、1971 年発表。The Complete Studio Recordings 版。
"I" が 1969 年発表なので、この 4 枚目まで僅か 2 年しか経っていない、にも関わらず彼らはここまで登り詰めてしまったのですな。2 年あったら 0 歳児が 2 歳になりますな。そろそろ独り立ちでしょうか。片言喋れるようになりますか。Zeppelin も 2 年経って揺るぎない個性を身につけ、堂々たる作品を生み出せるようになったと。
tr.1 "Black Dog" からして度肝抜かれる楽曲で、前作の "Immigrant Song" も凄いんですが、それとは全く異なる break と爆裂 riff の奇天烈楽曲なのですが、背伸びした印象は皆無で、在るべくして在る音塊ががつんがつんと体に突き刺さる名曲であります。続く tr.2 "Rock And Roll" は、臆せず straight な title を付けるだけあってロケンローな勢いのある number で、やたら格好よい。hard rock な Zeppelin を堪能できます。tr.3 "The Battle of Evermore" の traditional な響きは "III" の試行錯誤の延長にある曲か。drum が無くても Zeppelin は Zeppelin です。そして tr.4 "Stairway To Heaven" は彼らの代名詞とも言える名曲ですな。小生、実はこの曲のあからさまな大仰さが苦手だったりするんですが、Zeppelin の数ある楽曲の中でも屈指の楽曲構成美を誇る曲であることは認めざるを得ないのであります。trad でありつつ hard rock でもあるという、いかにも Zeppelin な一曲。
と、この A 面 4 曲で名盤指定確定ですが、軽く見られがちな B 面もなかなか味わい深い曲が並んでます。変態 riff に笑うべきか悩むべきか、複雑な気分にさせる tr.5 "Misty Mountain Hop"、呪術的な John Bonham の drumming が怪しい groove を醸し出す tr.6 "Four Sticks"、folky な雰囲気の中にもピリリとした緊張感を孕んでいる tr.7 "Going To California"、そして middle tempo で Bonham の重い drum がズンドコ突き進む中、Black Sabbath とは別の意味で深い闇の世界へと我々を引き摺り込む tr.8 "When The Levee Breaks"。いずれも Zeppelin でしか為し得ない音楽結晶体であります。
もはや blues band の枠を大きく踏み越え、道無き道を歩みつつ、その足取りは王道を行く覇者そのもの、といった風情漂う一代傑作。いまの耳で聴いても圧倒される作品です。rock の道に迷ったらこれを聴きましょう。
John Coltrane (ss, ts) の leader 作、1965 年録音。
Coltrane による spiritual jazz の傑作で、あの "Ascension" の半年後の録音です。情感溢れる phrase を時折挟み込みながらも、基本は汗の飛び散る熱血 jazz。free jazz ぽく聞こえることもありますが、本人は自分が free jazz やってるという意識は無かったんじゃないですかね。自らの限界を乗り越えんと一心に吹いて吹いて吹きまくる。その姿勢こそが spiritual と呼ばれる所以であり、南国風味や tribal な beat をかっぱらって spiritual と称する商業 spiritualist とは全く一線を画する存在なのです。音を通じてどこまで高みに登れるか、という試みを命削って実践した人、という意味では、小生の中では Bach と Messiaen と Coltrane は同列の存在だったりします。
"The Olatunji Concert" を聴いてしまった今では、この頃の Coltrane はまだ発展途上やったんやなぁと思わされる演奏ですが、Elvin Jones (ds)、McCoy Tyner (p) がまだ在籍していた頃の album なので、大きく外れすぎない定型の jazz という枠組は辛うじて保たれてます。この微妙な均衡がまた thrilling で良いのですよ。
馬から飛びおりた信長の上半身を、しぼった手ぬぐいで藤吉郎が懸命にふいている。その姿は誰が見ても忠実一途にしかみえない。
それがすむと、馬の手綱をとって信長が供の者と生駒屋敷に戻る姿を腰をかがめて見送っている。
(あれが後の大将の姿か)
と小六と小右衛門は笑いながら、その姿を眺めていた。(page 67)
文春文庫版で読了。
戦国の世、木下藤吉郎に仕えた前野将右衛門の若かりし頃の話。木曽川べりで蜂須賀小六とつるんでやんちゃな悪ガキ振りを発揮し、一度は信長に仕えるも喧嘩して馘になり、しかし人情家の木下藤吉郎の為に人肌ぬいで彼に助力し、戦に開け暮れる日々を過ごす。その傍ら、所帯持ちでありながら信長の側室吉乃や、吉乃亡き後は彼女の面影を彷彿とさせる女性お栄に恋慕したりもする。
権謀術数渦巻く世界にあって、愚直かつ清洌に生きていく将右衛門が印象的に描かれてます。桶狭間の戦い、姉川合戦の模様も書き込まれていて、信長勢のみならず相手方の今川義元や浅井長政の視点も採り入れているので情景が解かりやすくて良いです。将右衛門や小六の活躍はもとより、この上巻では秀吉が好人物に描かれていて、この頃は人望厚い人やったんやなぁと。人間どこで豹変するか解からんもんです。
終盤、将右衛門がお栄を手打にする場面が泣けますなぁ。
Gilles Hekimian (p)、Pierre-Yves Sorin (b)、Stephane Gremaud (ds) の piano trio jazz、1977 年録音。
Evans 派と言われる Gilles Hekimian、そういや tr.3 "Nardis" なんてのも取り上げてますな。Evans 派なら一度は演奏しておきたい number ですかな。といっても、Evans 派なんてのは piano jazz 屋には珍しくない人達で、程々に良いが抜きん出た個性てのが発揮しにくい派閥と思われます。大体 Evans 派を聴くくらいなら Bill Evans 御大の録音聴いた方がよっぽど Evans らしいです。って、当り前か。
Gilles Hekimian の touch には確かに Evans 派らしい端正さがありますが、大半の曲を自作で固めたこの album では、意外と tempo 早めの爽快系 jazz を展開しているところが個性と言えるかも知れません。情感にずぶずぶと翻弄されることなく、理性的な醒めた play で丹念に美しい世界を描こうとしているかのよう。rhythm 隊も良い仕事してます。europa 産らしい cool jazz。隠れ名盤ですな。
「右近殿、みどもと女房とは木曾川のほとりで育った。木曾川こそみどもにとって、女房と会えるあの世に思えます」
真面目な右近は将右衛門の言葉を馬鹿にせず、じっと聞いてくれた。
「娘を失うた時、われら夫婦はその子が木曾の流れのなかで生れかわっておると思うてござりました。そう思わねば悲しみはどうにもならぬゆえ、そう考え申した。そして今は女房も娘と共に木曾の清らかな流れでみどもを待っていると、そう信じられてなりませぬ。みどもにとって命の故郷とは……あの木曾川でござります」(page 94)
文春文庫版で読了。上巻の続き。
近江の浅野長政を倒した後、十数年が過ぎ秀吉は天下を手中に納め、諸候に横暴を尽くすようになる。前野将右衛門は重臣として用いられながらも、旧友の蜂須賀小六、妻のあゆを亡くし、やがて素朴な老後を望むようになるが、朝鮮出兵や関白豊臣秀次の後見役などで多忙な日々を送ることになる。やがて増長する秀吉の疑心暗鬼が元で、秀次の謀反計画が持ち上げられ、将右衛門も秀次派の一人として責任を追わされる……。
上巻は若い頃の将右衛門が描かれてましたが、下巻では主に晩年の姿が描かれてます。途中でひょいと十数年が経つのは急な感じもしますが、title が title なだけに、全部書いてたら時間が足りんってことでしょうか。
秀次事件については詳しく知らなかったのですが、秀吉の気まぐれに振り回された挙げ句に詰腹を切らされるとは悲しすぎる。下巻では切支丹への言及が多くなりますが、切支丹にはならなかった将右衛門が木曾川を心の拠り所とし、その思いと切支丹の教えとが同じ方向を向いている、とする話の流れが、この作家の宗教観を現しているようにも思えます。
悲愴な運命を淡々と受け入れる将右衛門、凛々しい男でありました。
Agustin Diaz Yanes 監督作品、2001 年。邦題「ウェルカム!ヘヴン」。
善人が少ないため壊滅の危機に瀕する天国 (公用語: french) で、作戦本部長の Marina D'Angelo (Fanny Ardant) は地上 (公用語: spanish) で boxer をしている Manny (Demian Bichir) の魂を救済することで地位の奪還を目論み、天国の有名歌手 Lola (Victoria Abril) を地上へ送り込む。一方、悪人の多い御時世の為に人口過密な地獄 (公用語: english) では、作戦本部長の Davenport (Gael Garcia Bernal) が天国の思惑を知り、それを阻むべく lv.22 の給仕 Carmen (Penelope Cruz) を Manny の元へ送り込む。Lola は Manny の妻として、Carmen は Manny の従妹として Manny の元を訪れる。Manny は医者から boxing を止めるよう言われ落ち込んでいた。二人の女はそれぞれの思惑に従い Manny に働きかけるが……。
天使と悪魔が一人の男の魂を奪い合う、という話のはずが、いつのまにやら借金返済のため女二人で現金強奪したりもする謎展開の映画であります。天国に地獄と舞台設定は面白いのですが、天国つーても善人揃いには見えないし、地獄も猥雑な中に徹底した官僚主義が根を張っているようで、言う程居心地が悪そうではない。まぁ、公用語の使い分けも含めて大いなる冗談なのでしょうが、役者は皆生真面目にやってますし、お話に笑えるところもない。冴えない亭主 Manny が状況を左右する要因になっているという点も解からないし。見終ると「結局何だったんだよ」と言いたくなる映画。
とはいえ、糟糠の妻らしく Manny に尽くす Lola と、腑抜けた Manny を男にすべく挑発する Carmen の対比はいい感じで、特に Carmen 役の Penelope Cruz の男勝りな演技は見物でした。
「だけど今は、専ら冷凍食品の事件で持ち切りだよ」
「あの、不倫相手を肉塊で殴り殺して、解凍して食べちゃったってヤツですか?」
「時代の流れを感じるね」(page 423)
そういや Roald Dahl の短篇でそういう話がありましたっけ。それで時代の流れを感じるって、あんた何歳やねんと。あ、妖怪に歳訊くのは愚問か。講談社文庫版で読了。
古ぼけた薬屋を営む店長の深山木秋は茶髪の十代後半風少年、店員の座木は黒髪の爽やか二十代後半風青年、見習い店員のリベザルは赤毛の好奇心旺盛未成熟餓鬼。彼らの元にある日、悪魔と契約してしまった男が契約破棄を求めて訪れてくる。秋らは姿形こそ人間そのものだが、その本体は妖怪、人外の事件処理も仕事の内なのであった。だがその依頼を調査するうち、彼らは TV をにぎわせていた雪の妖精事件に深入りすることになる……。
会話や設定はラノベらしい軽妙さがありますが、謎解きはなかなか scale が大きくて楽しめました。まぁ、死ぬ程大好きで死んじまうなんて阿呆か死ぬまでやってろつか死んでるか、という無理矢理さも無きにしもあらずなので、真性本格好きな方にはお薦めはできませんが、某大説の御蔭でその方面の物差しが狂いっぱなしの小生にはこれくらいでもちゃんとした本格推理なのですよ。
秋が色の蘊蓄を語る場面がなかなか印象的。浅葱色とか鬱金色とか思わず調べてしまいましたよ。
Doug Liman 監督作品、2002 年。
ある嵐の日、漁師達が漂流している若者 (Matt Damon) を発見する。彼は銃弾を受け瀕死だったが、漁師の治療により生き延びる。だが彼は自分の名前や過去を思い出せないでいた。陸に上がり、唯一の手がかりである銀行の貸し金庫を開いた彼は、自分が Jason Bourne という名であることを知るが、同時に偽造 passport の山や拳銃、それに大金も自分の収めた物として残っていた。Paris に自宅があると知った Jason はそこへ向かおうとするが、米大使館で何者かが Jason に奇襲を仕掛けてくる。追手をまいた Jason は、大使館でその襲撃に居合わせた Marie Helena Kreutz (Franka Potente) に頼み込み彼女の車で Paris に向かう。CIA の幹部 Alexander Conklin (Chris Cooper) は、europa にいる手下の工作員に召集令をかけ、Jason の始末を命じる……。
Robert Ludlum の原作は昔読んだ事がありますが、内容はすっかり忘れてます。まぁ地味な映画なんやろなぁとは思ってましたが、予想していたよりはしっかり作られた映画で楽しめました。
追われる男 Jason Bourne を Matt Damon が好演。普段はありふれた青年だが危機に陥ると超人的活躍を発揮し、そういう自分に戸惑う。俳優として飛び抜けすぎない Matt Damon ですが、そういう自分の背丈に合った配役といえるでしょう。相方の Marie は "Lola Rennt" の走る姉ちゃん Franka Potente、この人も地味で良いですな。
お話の方も刺客一号との屋内での死闘、刺客二号との冬山決戦を経て、追われる身から仕掛ける男へと形成逆転してからの Conklin との対決、と綺麗に収めてます。飛び抜けた傑作とは言い難いですが観ている間は楽しめますし europa の落ち着いた風景も美しい。良作。