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りんたろう監督作品、1985 年。邦題「カムイの剣」。
幕末、母殺しの濡衣を着せられた次郎は、謎の僧侶天海に唆され、下手人と言われる太郎左に仇討ちする。天海の元で忍びとしての修行を受けた次郎は、やがて北方へ行くよう指示を受ける。北方で次郎は本当の母親と出会い、父が太郎左であると知らされる。天海への復讐の念に燃える次郎。しかし天海の目論見は、太郎左が隠したとされる黄金の秘密を暴くため、その息子である次郎を走らせることだった。天海の手の者の執拗な追跡を逃れながら、次郎は海を渡り、黄金伝説に肉薄する……。
もう終わるか、もう終わるかと思わせて延々と続いてく映画でした。まぁ最後はちゃんと決着付けてめでたしなので悪い印象はないです。そして海渡ってメリケンで拳銃相手に戦ったり、薩長の軍資金の謎なんてのにも絡んだりして風呂敷でかそうなところも見せつつ、次郎の復讐譚として上手くまとめてるのも冒険活劇の王道って感じですな。いや、結構楽しめる見世物でした。
忍法合戦の場面で使われる psychedelic な色彩には、流石に時代を感じましたな。
もうね、この人達の音を聴いて高みだの革新だのと語る必要はないんですよ。その有り様こそが音楽、存在即ち音楽、みたいな。2004 年発表作。
tr.1 "Seadrum" は trance な永続 drum と guitar effect や流麗な piano が入り乱れうねりまくる爆走 track。tr.2 "House of Sun" は永続 sitar がうにゃうにゃと鳴り響く drumless な ambient track。聴いていると、細胞の端々が壮大な空間に触れて解放されていくような、minimal で maximum な自由に酔わされてしまいます。
声高な主張ではなく、眠っているものを呼び覚ますような、脳内 massage で sound of stream な一枚。聴きすぎに注意。
Dave Matthews Band の要、Dave Matthews の solo album、2003 年発表。
Dave Matthews Band が米国では teens にバカ受けしてるという話はよく聞くんですが、どうにも信じがたいんだよな。punk に弾けるわけでもなく、idol pops なべとべとした甘さがあるわけでもなく、どろどろ南部 blues でまったり落ち着くわけでもない彼らの音楽、個人的にはメリケンチンドン音楽と思ってますので。でも受けるのか。この solo album も全米初登場 2 位だそうです。へぇー。
band 名義作に比べると地味さに磨きが掛かった曲が並んでます。全体的に小編成の band で鳴らしていて、中にはアコギ 1 本で歌ってる曲も。そういうわけで、jam band の音というよりは singer songwriter の音と言った方が近い雰囲気です。で、Dave Matthews の半泣きヨレヨレな歌声も健在。みんなこの声に弱いんでしょう。小生も例外にあらず。この人、歌が上手いとは思わないけれど、自分の声に合った歌を作る能力は物凄く高いように思います。
というわけで久々の Dave Matthews だった訳ですが、相変わらず我が道ひた走っているようで何よりであります。
友人と無駄話をしていた際に「guitarist 目当てで CD 買うことってあまりないっす」と発言した小生でありますが、実は大友良英の guitar はかなーり好きです。予測不能で noise でウキョエェな感じが素晴らしい。で、Soup はその大友良英と、Bill Laswell (b, effects, samples)、芳垣安洋 (ds, per, tp) の面子による激音インプロな project。2003 年発表。
つか tr.1 "Duck" でウキャキャな奇声が聞こえてくる時点で日本版 Pain Killer な趣が。変わってねぇなぁ Bill Laswell。まぁ、Pain Killer に比べれば緩やかで粘っこい groove が感じられるので、刺激は程々。その分、guitarist 大友良英の美味しさは充分伝わってきます。これまた Bill Laswell お得意の暗黒 ambient も、tr.2 "Mushroom" や tr.4 "Seaweeds" で程良く展開。sine wave もじんわり挿入され、芳垣安洋の drums も変幻自在にハネながら雰囲気に上手く馴染んでます。
各人それぞれ持ち味を生かしながら、渾然一体となって突き進む。乱れの中の調和、調和の中の混沌。狙った音なのか、偶然の産物なのか。焦点が合いそうで合わない、そのぼやけた輪郭がむしろ魅力的な album と言えるでしょう。この勢いだと live 盤も買っちゃうかも。
John Irvin 監督作品、1987 年。
Vietnam 戦争を扱った映画。1969 年、Frantz 軍曹 (Dylan McDermott) 率いる分隊に 5 人の新兵が配属される。軍橋近くに camp を張った分隊は一時の休息に浸っていたが、その平穏も北 Vietnam 軍の強襲により終わりを告げる。やがて分隊は北 Vietnam 軍が厳重な守りを固めている 937 高地の占領作戦に駆り出される。そこは米軍が何度も占領を試み、尽く失敗している魔の高地だった。分隊の兵士は一人また一人と倒れていき、生き残った兵士も極限状態に追い込まれていくが、Frantz らは死体の山を越えて高地の占領を目指す……。
まぁとにかく酷い映画で、山もオチもないまま、ただひたすら人が次々に死んでいくという、それだけの映画です。documentary touch の映画ではありますが、NHK すぺしゃる的な documentary であれば銃弾飛び交う場面で尤もらしい解説が加えられたりして、それが観ている側に冷静さを取り戻させてくれる役割を果たしてくれるわけですが、この映画にはその手の逃げ道はなく、我々は分隊の面々がばたばた死んでいく様を成すすべなく見続ける他ないのであります。この映画を観ると、TV 向け documentary って結構 entertainment な作り方してるよなぁ、と思えてきます。
この映画の狙いが、Vietnam 戦争の悲惨さを real に描写するという点にあるのなら、その試みは "Platoon" 辺りと比べると成功しているように見えます。戦場で兵士はただ死んでいく、それでも戦争は続いていく。人手が足りなくなれば新兵が補充され、新兵は真っ先に死んでいく。経験豊かな兵士も、故郷に帰りたがっている兵士も死んでいく。主義主張の違い、肌の色の違い、そんなものには関係なく平等に銃弾は降り注ぎ、死体があちこちに転がる。無意味な死の累積。それでも高地の頂上を目指す男たち。頂上に理想の世界があるわけでもなく、高地を占領したからといって戦争が終わるわけでもない。その状況で血眼になって前進する兵士たちの姿は、勇壮というより悲惨であり、ある種の不気味さを帯びている。無意味な死に意味を持たせるが為の戦い、しかしその結果は、より大きな空しさを抱え込むだけである。映画的な catharsis を真っ向から否定するような作りで、兵士の無意味な死に様を延々と撮し続けるという姿勢が、この映画の reality を高めているように思えます。とはいえそこは model gun の弾を尻に喰らってアウチと泣くような小生の言うことですから、本当に real なのかどうかは解らんのですが。
生真面目すぎる戦争映画なので、彼女と一緒に観るには向いてないでしょう。
ちなみに音楽は Philip Glass が担当。この人らしい minimal な theme 曲がたまに戦場に流れますが、はっきり言って邪魔です(爆)。生真面目な戦争映画なんだから、音楽は銃声・爆音・絶叫で充分ですよ。
RD-X4EX の DVD 読み込み、基準厳しすぎじゃないですかね。というわけでヤマタケ DVD の読み込みに失敗、「ディスクをチェックしてください」の pop が出てしまいましたとさ。市販の soft で蹴られたのは初めて。
ちなみに PS2 からは再生可能。手詰まりにならなくて良かった、と言うべきか。
久々にケツイ、1-5 前半道中まで。1-3 の 1up 戦艦前で流れ弾に当たって気合い棒が折れました。
で、何故か雷龍 2 に遭遇。うわーい。早速遊んでみる……と、音が出てねぇ! それはちょっとどーなのよ問題ありありじゃないですかねぶつぶつ。まぁ、学生時代によく遊んでいた STG なので、懐かしさに浸ることはできました。
つか 1P と 2P で機体性能が違うってことに今更気付いた次第。
元 Nirvana の drummer、Dave Grohl 率いる band の 2nd。1997 年発表。
Nirvana の出口無しで行き詰まりな音への反動からか、とにかく FF は明るいというか自由というか、何処か突き抜けた感じの開放感に満ちてます。まぁ、演奏が超絶的に上手いわけではないし、曲に originality を感じるわけでもない、メリケンでは珍しくない type の guitar pop band なわけですが、その無垢な爆音に清々しさを覚えるのも確か。tr.2 "Monkey Wrench" は名曲ですなー。つかこういう punkish な音聴いてると、昔無くした All や Face To Face の album を聴き直したくなってきて困る。
平凡な人の rock 願望を狙い撃ちする、庶民に優しい guitar pop。おっ、tr.11 "Everlong" も感傷メロで盛り上げる佳曲で良い感じです。たまにはこういう album も聴いて、自分の若さを計りましょう。
その意味では私の「ユビキタス」は一神教の神ではなく、あくまでも日本的な八百万の神が「そこにもいて、あそこにもいて、裏のネットワークで話し合っている」というイメージである。そしてこのイメージの方が実現性が高いと思っている。(page 13)
角川 one テーマ 21 の、C-44。TRON 開発者として有名な人による、ubiquitous computing 解説本。
ubiquitous computing の概要説明に始まり、その歴史や研究事例、そして今後の課題や未来社会予測まで包括的に扱った、解りやすい本です。あまり専門的な内容には踏み込まないので、ubiquitous computing について手っ取り早く知りたい人にはお勧め。まぁ、Wikipedia で調べる方が手っ取り早いのかも知れませんが……。
ええと。この本の中では ubiquitous computing は PC の対極と位置づけられているんですが、その根拠は「PC は汎用性が高い分だけ直感的な操作がしにくい、その点 ubiquitous computing は computer の存在を意識させずに生活を便利にさせるのが目的」だから、みたいです。んじゃあ携帯電話は機能拡張しまくって PC 化する方向には行かず、機能別・目的別に module 化が進んでいくような論調になるのかと思ったんですが、どうも坂村教授は携帯電話の多機能化はどんどん推進されていくと考えている様子。今でも機能過多で爺さま婆さまには使いにくいと思うんですけどね、携帯電話って。まぁ、今は携帯電話に集積している各機能が部屋のあちこちに分散され、意識しないうちに使えるようになる環境が整えば、自ずと携帯電話の機能も通話端末に限定されていくとは思いますが。壁を押すと電話帳が開いたり、枕が所定時間になると目覚ましバイブしたり……って、それも ubiquitous computing と言っていいのか?
まぁ、ubiquitous computing には金がかかりそう、という漠然とした思いを確信に変えてくれただけでも本書の価値はありました。
今日も面談。今度は仕事場の偉い人と。いろんな部署や会社が絡む機能は大変ですぅ、と泣きを入れました。偉い人はちゃんとお金のことも考えていて、流石やと思いました。まぁ、小生のような下っ端に伝わってくる情報じゃないからねぇ。
仕事場同僚から角膜保護目薬なるものを見せられる。はぁ、角膜保護ですか。一本差し終わる頃には鉄壁の角膜が出来上がると良いですな。ちなみにコンタクト利用者向けの目薬とのことなので、裸眼派の小生には不要であります。
定時過ぎに食堂でのんびりしていると、昔の先輩に話しかけられる。
先輩 「今度の酒宴、腹括って社長の前で歌っておきたまえ」
はみ 「やです」
先輩 「君ならやってくれると思っていたが期待外れのようだな」
はみ 「そういうことに期待されても困ります」
先輩 「私がどういう性格かは知っているだろうに」
はみ 「相変わらず悪い人ですよ貴方は。どうせ小生に選択肢は無いのでしょう?」
Funk D'Void も出たし Envoy も出たしで、今年は Soma 当たり年ではないですかね。でもって首領の Slam もこの album 出してきて、充実振りに拍車をかけてます。original 3rd album、2004 年発表。
Slam と言うと、detroit techno を下敷きにしつつ、europa 産らしい dark な hard minimal でアングラ路線爆走……という印象があるんですが、"Year Zero" は意外と pop で明るめ。以前から vocal track は手掛けてましたが、今回は半数以上の曲に vocal を配し、electronic だけど organic、硬質さと柔軟さを併せ持つ electro で soulful な世界観を強調してます。でもって、それが全く不自然さを感じさせない、正に成るべくして成ったような仕上がりになってます。わお。この人たちは自分の進む道をよく心得ておられる様子。どことなく ele-pop で new wave な雰囲気もありますが、滲み出る feeling には懐かしさを想起させる要素はあまりなくて、むしろ過去に行き詰まった展開を今の解釈で前進させようとしているように思えますな。これもまた一種の冒険、故に veteran でありながら若々しい、と。
音楽性は大きく違うんですが、ふと "A Guy Called Gerald / Essence" を連想してしまいました。あれも vocal が印象的な d'n'b でしたからねぇ。そういえば Gerald の new album も来年には出るそうですよ。期待。
性悪先輩の魔の手を逃れるべく、早速抵抗活動を開始。とりあえず小生と同じ group になっている品証の某氏に推薦枠を押しつけようと、品証親分つか小生の元上司な人に電話してみる。
親分 「もしもし」
はみ 「はみっす。お疲れっすお久しっす」
親分 「歌っとけ!」
はみ 「はい?」
親分 「歌っとけ歌っとけ歌っとけ歌っとけ社長の前で歌っとけ!」
はみ 「あっあのっ話させてくださいよっ」
どうやら既に性悪先輩の手が回っていた模様。ちっ、遅れをとったか……。
どうにかこうにかして親分に某氏と連絡とりたい旨をお願いしてみたところ、肝心の某氏は現在 FT 出張で France に居るらしい、帰国は来月頭の予定で、下手すると延長もありとのこと。うにゃあ。性悪先輩の元に赴き、性急に決めることでもなかろーよという落ちで保留扱いに持ち込む。まぁ、まだ手詰まりではないってことで。
んで仕事。発行直前なのでわたふた、設計からも回答くれと煽られてあたふた。何とか 23 時に一段落つけて帰宅。
明日は定時に上がって quest 達成にむけて頑張るつもりでし。
Albert Ayler (as)、Joel Friedman (cello)、Alan Silva (b)、Bill Folwell (b)、Beaver Harris (ds) らによる、Village Theatre の 1967 年 live 録音と、Village Vanguard での 1966 年録音の set 盤。impulse から。
Ayler の音楽は free jazz と括るのが一番解りやすいのだろうけれど、それだけで終わってしまうと何だか釈然としない。Ornette Coleman の free jazz は modern jazz の発展途上で生まれた変異体で、やはり modern jazz の流麗で洗練された phrase への参照を避けて通れない類の音だと思いますが、Ayler はもっとどろどろしたもの、黒人音楽の根本のようなものをその alto sax から放出しているように思えます。modern jazz というより、黒人霊歌や blues を想起させるような音。
Coltrane の spiritualism は高みを目指した挙げ句、誰も到達できないような極限へと突き進んでしまった。対して Ayler は、地べたの神を敬いその足跡を追うことで、図らずも原初の祭典を現世に甦らせてしまった、と。この live 盤では、cello 弾きも居れば violin 弾きもいる、でもって bass は二人もいる。theme は木訥な march、されど何時の間にか泥沼 free jazz 祭りに雪崩れ込み、それでも theme は何食わぬ素振りでその顔を覗かせるという、荒ぶる jazz 魂と素朴な伝統音楽との怪しい会合が延々と繰り広げられています。
でも泣けるんですよこれが。本当ですよ。