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現代音楽家、一ノ瀬響の 3rd album。2007 年発表。ZN-1114。
electronica は最近取り上げない小生ですが相変わらず気になる genre には違いなくて、塔盤屋の試聴機には毎回かぶりついてていつもすいませんな状態なのですが、小生の妖気針に引っかかるものはそうそう無いのが現状であります。うるさいの多いからね。いやうるさいといっても轟音爆音ぎゅるるるんてのは嫌いじゃないんですが、こまめに編集して glitch 振りかけて electronica ぽくしてみたぜイエイてな自己中トロは胃に凭れるので正直辟易なのです。Autechre 以降の音響微分細分化を extreme に突き進めるか、親和性の高そうな jazz や hip hop 等と crossover 化することで微妙に外して面白がるというのが昨今の自己中トロ傾向らしい。しかし小生は minimal & ambient すきーなので、イヂリー礼賛な音はごめんなさいなのです。
しかし一ノ瀬響の音は信用できるのですよ。electronic な音に傾倒しつつもそれに淫することなく、nostalgic な minimal phrase を美しく響かせることに腐心する、というのがこの人の音世界であります。結果として出てくる音の印象は electronica と言うより中世の合唱曲や静謐系映画の soundtrack 風。前作 "Lontano" は弦の音が印象的でしたが、今回は自身の piano による演奏も feature されているので、minimal 指向がより顕著に現れているような気がします。曲によって石川高の笙や piana の voice も入ってますが、前に出過ぎることなく空間に彩りを与えてます。
electronica としては地味で目立たない音なのでしょうが、ささやかな佇いの中に美しさの光る良盤であります。
一ノ瀬響といえば 1st album の title を Ray Bradbury の小説から頂いてしまうような SF 人でありますが、今回は tr.7 を "Ten Thousand Light-Years from Home" と名付けております。叙情の源泉は相変わらず SF な様子。
Del Rey 版の paperback で読了。『Trading in Danger』の続き。
Slotter Key 星系が何者かに襲撃され、Vatta Transport Ltd. は壊滅的な打撃を受ける。老朽艦 Gary Tobai の運送業で星系を離れていた Kylara Vatta も、艦を爆破されそうになったり暗殺者に狙われたりとてんやわんや。従姉の Stella と合流した Ky は Vatta Transport Ltd. の立て直しを計るべく行動を始めるが、彼女の前に一族のはみだし者 Osman が現れ行く手を阻む……の巻。
前作はまだのほほんな話でしたが、今回は見えざる敵の登場で俄然面白くなる……という感じでもなくて、堅実に話を進ませている感じ。正統派すぺおぺなのでいろいろ準備や下積みが必要なのでしょう。
米国の rock singer、Stephen Stills の 1972 年作。Atlantic の AMCY-2698。
梅雨前ですが気分はもう夏な日々が続いております。くそ暑い中をだらだらと汗かいて beer 飲んでほえほえしつつ blues rock 聴くに相応しい季節になったということですかのぅ。
さて Stephen Stills ですが、この人は CS&N の S の人であります。とはいえ小生は CS&N も CSN&Y もろくに聴いちゃいねぇ人なので、Stephen Stills その人についてもろくに知らなかったりします。中古盤を漁っておった時、帯に southern rock 云々とあるのを見掛けて買ったのですな。軽薄。済まないねぇげふげふ。
中身の方は如何にもな感じの southern rock。blues や country の影響色濃い土埃系の世界であります。跳び抜けて良い曲もなければ悪い曲もなく、だらだら聴いてええ album やなぁと思える中庸な一枚。
Keith Jarrett の solo piano による演奏。1975 年 Koeln での live 録音。ECM 1064 ですが小生保有は Polydor の POCJ-2524。
Paul Bley の "Open, To Love" 辺りと比べると俄然聴きやすい Keith の solo piano であります。完全即興演奏とはいえ free jazz の idiom には走らず、低音部で安定した bass line を保ちつつ、歌うような melody を乗せてただ只管に甘美で sentimental な世界を構築しております。旋律楽器にも rhythm 楽器にも成りうる piano の特性を生かしつつ、Keith の詩情が存分に発揮された作品であります。まぁ、あまりに甘々なので聴く際には気分と相談する必要があったり、美展開が金太郎飴的に続くので聴いていると刺激が薄れていくといった難点もありますが、名作には違いありますまい。
piano で刻む "E2-E4" とでも言いたくなるような快楽志向を感じたり、延々と続く tremolo に George Winston の諸作品を連想させる部分もあったりしますが、Keith の solo はそれらの作品に先行して出てきておるわけで、new age な音が台頭するまでの間にこの album で救われた jazz 吉な人も多いのでしょうなぁ。
杉井ギサブロー監督作品、2005 年。
嵐の夜、山羊のメイは雨宿りのために古い小屋に身を潜める。そこでは狼のガブも雨宿りしていた。お互いの素性も知らぬまま二人はつらつらと話をし、似た者同士であることから親密になる。翌日に picnic する約束をして二人は別れる。さて翌日、いざ対面したメイとガブは、自分達が喰われる者と喰う者との関係であることに驚くが、互いを信じる心が勝って、二人の友情は日に日に深まっていく。だがある日、狼の一団が山羊を襲った際に、ガブがメイを助けたことが露見する。一族から疑いの目を向けられたガブとメイは、駆け落ちして山向こうの未知の世界へ旅立とうとする……。
自然界の掟に逆らう禁断の友情、否、恋愛物語であります。食い物に情を持つといろいろ厄介ですぜというお話。狼が山羊を懐柔して動く非常食扱いにするとか、山羊が狼を手玉に取って外敵潰しに役立てるといった、殺伐な権謀術数の世界に踏み込めば小生好みの展開になるのですが、平和な時代の童話らしい友愛物語でありました。
駆け落ちから冬山登りへの展開は如何にも死ぬ死ぬ mode な感じで悲劇的な結末に胸踊らせていた小生でしたが最後に極楽行きとはありえんありえなさすぎ。いや実は二人とも死んでて Jacob's Ladder な話だったりするのかこれ。ううむ幸せすぎて腹が立つ。いや腹立てるような見方をしちゃいかんのだろうけど。
深作欣二監督作品、1980 年。
1982 年の冬、有効な対策の無い新種の virus が東側から盗まれるが、運搬中の事故で virus は空気中にばらまかれてしまう。その virus は常温下ではすさまじい繁殖性を持っていたが、氷点下では活動が抑制されるという特性があった。春になると世界各地で Italian flu と呼ばれる病気が蔓延し、多くの人がなす術もなく死んでいく。やがて人類の殆どが死に絶え、南極にいた僅かな人員だけが生き残ることになる。その生き残り達は南極政府を樹立し、女性と子供を守りながら人類を存続させるための生活を続ける。しかし数年後、米国で起こるであろう大地震によって軍事防衛 system が誤動作し、その結果ソ連の核が報復拠点の一つである南極へ向けられる可能性が出てくる……。
また終末映画ですなぁ。原作は小松左京の小説。「渚にて」の影響が大きいような。
でもあまり悲壮な感じは出てこないんですな。世界の裏側で人がばたばた死んでても南極は安全だからかのぅ。まぁ中には錯乱して逃げ出す人や集団自殺する人達もいますが。そういや無線機の switch 押しながら自殺した 5 歳児なんてのもいたっけ。死ぬときくらいは switch 離していいからね。
終盤は徐に vaccine が出来たり丁度良い timing で地震が起こったり南に歩いてたら何時の間にか海も越えて生き残りと再会したりと、泣かせ系の御都合主義が炸裂しております。むしろ泣けない趣向ですが drama を盛り上げるためなのでやむを得ないか。という感じの普通な凡作。
音楽は羽田健太郎が担当。暗い曲調だと良い曲に聞こえますなぁ。
仏蘭西の指揮者 Michel Corboz が、手兵 Ensemble Vocal de Lausanne を指揮して Bach の "Mass in B Minor (BMW232)" と "Magnificat (BMW243)" を録音した album。1972 年録音の CD 2 枚組。Erato からの release ですが小生保有は邦盤の WPCS-4769/70。
こないだ中古盤屋に行ったらば年配の爺様が J.E. Gardiner 指揮の "Mass in B Minor" を売りに出しておったので、そういや久しく聴いておらんわいと思って押入から引っ張りだしてきたのであります。
Bach の四大宗教曲の中でも最晩年に成立したと言われるのがこの "Mass in B Minor" 即ち "ロ短調ミサ" であります。古今の音楽技法を駆使し、Protestantism と Catholicism の垣根を越える汎宗教的な作品と評されたりもしますが、その一方で複数の Cantata の組合せとも言われているようです。でもねぇ、こりゃ集大成というより寄せ集めの混ぜ合わせなんじゃねえのと素人目からは思ったり。晩年の Bach は一つの主題をこねくりまわして "フーガの技法" や "音楽の捧げもの" といった大作をものしてしまう人だったわけで、そんな偏執狂的な指向の持ち主が、作りかけの "ロ短調ミサ" を見直したりしたらば、言いたいことは後から後から沸いて出てくるのも宜なるかなと。で、とりあえずやりたいことの青写真をどかばかと詰め込んで後は細部を弄り倒してくれるわと意気込んでおるところで時間切れ、といった感じではないかと。まぁ、まとまった宗教曲なら他にもあるのだから、こういう歪玉なネタがあっても良いんじゃないでしょうか。そういや Baroque の PS2 版は今月末でしたな。話違うし。
で、Corboz 率いる Ensemble Vocal de Lausanne の演奏ですが、何度聴いても金管がうるさくてやたらと乗りが明るくて小生好みの音とは言い難いのでありますが、しかしここまで vivid に迷いなく鳴らされるとむしろもっといけいけな気分になっていく自分が怖い。合唱もひたすら美しいので聴いているとふやけてしまいそうです。春の陽射し燦々な気分で Bach 解釈した会心の一枚でありましょう。
仏蘭西の pianist、Philippe Entremont による J.S. Bach の "2 声のインヴェンション" と "3 声のシンフォニア" の演奏であります。1975 年録音。Sony Records の SRCR 1636。
Peter Serkin 盤や Glenn Gould 盤に比べれば教科書的な毒のない演奏で、安定した tempo と情感薄めの機械的な touch で一音一音丹念に紡いでおります。奏法としては面白味に欠けると言ってもいいのですが、逆にいえば個々の声部の独立性が際立つ正統派な演奏ではないでしょうかね。燻んだ piano の音色も昔ながらの classic といった趣で、正に骨董品な一枚。たまにはこういうのも聴かないとね。
Russia 人 pianist の Boris Berezovsky による、Paul Hindemith (1895-1963) の piano 曲集。2006 年発売。Warner Classics の 2564 63412-2。
"Ludus Tonalis" は Bach の "Well-Tempered Clavier" を意識して作られたらしいのですが、不穏な雰囲気が漂う中にも Hindemith らしい構成美と melody sense の良さが光る佳曲であります。"Suite 1922" もそこはかとない humor が感じられる変な曲。この捻くれた感覚こそ、Hindemith が classic 界のぬらりひょんと言われる所以であります。写真で見かけるお顔もぬらりひょんぽいし。危うし鬼太郎。って classic 界の鬼太郎って誰ですか。今後の研究課題ということで。