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UK の techno group、The Black Dog の初期音源集。2007 年 release の CD 2 枚組、SOMACD057。
Ken Downie, Ed Handley、Andy Turner の三人黒犬時代の音で、1989 年から 1992 年の間に録音されたものとなっております。出世作の "Bytes" が 1993 年だから正に黎明期だったんでしょうなぁ。とはいえ既に黒犬らしさは全開で、若干 cheap な synth の音を前面に押し出しつつ、ambient な音響やら歪な breakbeats やらで起伏を付けながら耳に優しい浮遊系 techno を聴かせてくれます。
こういう音が出てきて既に 15 年以上が経過しておるわけですが、Plaid 化して変態 breakbeats を追究する Ed Handley と Andy Turner にしろ、一人犬化して孤高の ambient techno 道を往く Ken Downie にしろ、土台は昔も今も大して変わっておらんのだなぁと感慨しきり。techno てのは電子音世代の民族音楽みたいなもんかも知れん。それで全ては教義に立ち帰る、てことですかね。
英国 Canterbury 発、やわらか機械の 5 枚目。1972 年作品。ESCA 5418。
psychedelic rock な format は若干残っているものの、軸足はかなり jazz に寄っている 5 枚目であります。Elton Dean (as, saxello, ep) は sax を奔放に吹き散らかして俺様独壇場状態。backing な面々は控えめに rock な rhythm で遊んでおります。pop 性は度外視している様子なので rock 好きな人には向いておらず、electric Miles に共感できる人には受け入れられやすい音ではないかと。線が細いのは相変わらずですが、まぁそれが持ち味だとも言えるんでしょう。名盤とは言いませんがなかなかどうして楽しめる一枚。
今年は没後 40 年な John Coltrane さんであります。ということで 1967 年発表のこの album を聴いております。impulse! の A-9120、小生保有は邦盤 MVCJ-19077。
jacket は Coltrane の肖像画で、ご丁寧に "September 23, 1926 - July 17, 1967" の文字も見える last album 仕様。最晩年の 1967 年春の録音なのでそういう仕立ても必要か。面子は John Coltrane (ts, fl)、Alice Coltrane (p)、Jimmy Garrison (b)、Rashied Ali (ds)、Pharoah Sanders (piccolo, fl)。全 4 曲。
sheets of sound や africanism を経て狂乱の free jazz 時代へと突き進んだ後期 Coltrane でありますが、この "Expression" は意外と静謐な音を聴かせてくれます。いやまぁ tr.3 "Offering" のように空間を捩じ曲げるような激しい blow の聴ける箇所もありますが、tr.2 "To Be" の flute 吹きに一抹の寂寥が滲んだり、Pharoah Sanders が sax 吹かない分だけ free jazz 音圧が抑えめだったりする印象なのです。むしろ McCoy Tyner 以上に african な打鍵で空間を埋めつくす Alice Coltrane の piano や、それに張り合って叩きまくる Rashied Ari の drums が、Coltrane の背中をぐいぐい押してる感じ。重度の Coltrane 病と見受けられますな。
もちろん Coltrane の free jazz 狂騒は、この album 以降にも更なる高みを目指していた訳ですが、その一方でこの "Expression" から派生すると思しき静謐の音像にも彼の視野は収まっていたに違いない……と妄想しても今更答えは見出しえないのであります。今はただ黙して聴くのみ。
米国の辺境音楽家、David Grubbs の歌もの album、2004 年作。PCD-23503。
noise minimal 系 artist という表の顔での活躍もさることながら、時おり思い出したようにひょいと放出される David Grubbs の歌ものの方も、ほどよい手作り感と脱力感に包まれていて密かに傑作揃いだったりするのであります。noisy な装飾も下手うまな歌唱も、微泣きな melody と共に表出されると、胸にじわりと浸みてしまって畜生 Grubbs 卑怯なりと思わずにはいられない。minimal と泣きと歌との名において、David Grubbs は偉大であることよ。
David Grubbs の guitar は electric でありながらも柔かい音で、Adam Pierce の drums も情感豊かに rock な突進を見せて、全体的に lo-fi で analog な質感のある album になっております。この狙い済ました安っぽさがあくまで自然体な David Grubbs 流 no guard 戦法から繰り出されておるところがまた心憎い。侘寂 rock の傑作であります。
Richard Fleischer、舛田利雄、深作欣次監督作品、1970 年。
1939 年、日本の連合艦隊司令長官に就任した山本五十六 (山村聡) は、米国との戦争は避けるべきとの持論を持っていたものの、東亜細亜の戦線を拡大する陸軍の動きにより、米国との衝突は避けられない状況に向かっていた。山本は開戦時に初手を打つため、日本の喉元を封じている Hawaii の真珠湾に停泊する米軍太平洋艦隊に奇襲をかける作戦を打ち出す。一方の米国でも、日本が戦争を仕掛けてきた時に備えて、Kimmel 提督 (Martin Balsam) を太平洋艦隊司令長官に任命するが、真珠湾では軍上層部の緊張感が欠けていた。Hull 国務長官 (George Macready) と野村駐米大使 (島田正吾) による外交協議も行き詰まり、やがて 12 月 8 日を迎える……。
真珠湾攻撃の顛末を描いた documentary 映画。制空権を得る重要性を説く山本五十六の卓見があったり、初手を日本に打たせたい米軍上層部の意向なども採り入れられていて、かなり生真面目に作られた映画という印象です。映画の大半は日米の軍部内で情報が行き交いえっちらおっちらするというお話なので、climax に持ってきた真珠湾攻撃の場面は無意味に長すぎますな。いや迫力はありますがそれ目当ての映画でもないだろうと。
よく出来てはいるので一度は観ておいてもいい映画であります。
Gidon Kremer (vln) が、Per Arne Glorvigen (bandoneon)、Vadim Sakharov (p)、Alois Posch (db) 他の面々と組んで、Astor Piazzolla (1921-1992) の曲を演奏したもの。1996 年発表。Nonesuch からの release ですが小生保有は Warner の WPCS-5070。
Piazzolla は Argentine tango の改革者と言われてますが、やっぱり tango は tango で、自身の bandoneon 演奏では肉感的な響きも多分に聞き取れるのですが、この Kremer の演奏ではそうした体に来る部分よりも、melancholic な情緒を強調して、adagio 作家としての Piazzolla を強く印象付けるような演奏を心掛けておるようです。Gidon Kremer と言えば現代屈指の技巧派 violinist、その音は流石に美しく淀みがない。
しかし踏み込めない。さらりと耳の側を流れて通り過ぎていく。tr,7 "Soledad" がこんなに聴きやすくていいのか。これではどん詰まりの絶望感の表現どころか大人の lounge music にしかならんではないか。Kremer に技巧以上のものを求めるのがいかんのかのぅ。
「アンヘル様……アンヘル様、お怪我は……」
涙交じりの声を聞いた瞬間、怒りが爆発した。
「ざけんじゃねえぞ糞餓鬼が。誰のせいだと思ってんだ!」
嗄れ声で喚き散らした。死体を抱え上げ、通路に放った。足を上げてホアキンの左腕を踏みにじった。エナメル靴の下から血が飛び散った。少年は食い縛った歯の間から切れ切れに悲鳴を発した。
「いらん手間掛けさせやがって、満足か、ああ?」
「すみません、アンヘル様……ごめんなさい……」(page 226)
いやはや楽しそうですな。早川文庫版で先日読了。
virus の蔓延により荒廃した未来で、文明社会は latin america に残るのみだった。エスペランサの総統にして、知性機械サンティアゴに access できる唯一の生体端末であるアンヘルは、中南米統一のために軍を動かす一方で、異常な力を持つ流浪の戦士 JD と、彼を父と慕う金髪碧眼の少女カルラに関心を寄せていた。カルラ達は千里眼娘のトリニや彼女の保護者を任じる少年ダニエルと合流し、やがてコンポステラ参詣団の中核的存在にまつりあげられるが……。
多言語のせいもあるが呼称が統一されてなくて混乱する、SF な玩具をばしばし突っ込んでおるのにその辺は一気の説明口調で解決済みにしているので流れが悪い、そのくせ
human drama 指向かつ思わせぶりな記述が多くて読み進めるのに難儀する……と、SF のおいしくない部分を見事に継承している新世代 SF であります。上巻読むだけでもかなりしんどい思いを致しました。
Documents の Astor Piazzolla 10 CD-Box Set の 2 枚め。Order No.205554。
そういや今年は Piazzolla 没後 15 周年なのですが、少しは盛り上がってますでしょうか。いやまぁこの 10 枚組があれば小生は当分腹一杯なので新しい音源には手が延びなかったりもしますが。
安価命な Documents の仕事ですから、この 10 枚組 CD Box も当然の如く liner notes は付いておらず、個々の CD でも録音年度がまちまちだったりで御世辞にも master work とは言えない代物ですが、Piazzolla 自身による Bandoneon 演奏がたらふく聴けるだけでも充分価値ある一品。vocal 曲も意外と多く入ってますが、個人的には器楽曲の方が好みではあります。この 2 枚めでは真っ当な tango 調の曲が多くて聴きやすいのですが、途中で変拍子になったりする点は Piazzolla らしい捻くれ振りが垣間見えて楽しめます。
「泣くな、鬱陶しい」
びくりと肩を震わせ、少年は静かになった。アンヘルは項垂れ、顔を覆い、終わりの時を待ち受けた。(page 279)
アンヘル様もくどい自己憐憫さえなければ立派なつんつん娘になれたのにねぇ。早川文庫版で読了。
JD とカルラの父娘、ユベールやラウルといったレコンキスタの面々、側近ホアキンに秘書モニークといったあれやこれやの方々は、アンヘルの掌の上で踊らされててんやわんやする。当のアンヘルはサンティアゴを降臨させ、自分の物語に幕を引こうとする、というお話。
上巻同様に読みにくいわ、アンヘル様以外の登場人物はいいようにこき使われるわで、終盤の大ネタ連発も思ったほど盛り上がらなくて辛い。読んでる間の疲労感は清涼院流水の『カーニバル』に匹敵するかと思われるほどでありました。次は面白い話を読ませてください。
とか言ってる間に Tomahawk の new album が出るそうですよ。いや今回も華麗に through する予定なのです Mike Patton て人には Zorn 組の絶叫機械という認識しかありませんので御愁傷様。何の話だったっけ。ああ Battles ですよ 2007 年 release の official 1st album。WARPCD156 ですが小生保有は邦盤、Beat Records の BRC-174。
John Stanier (ds) をバンマスに据えた post rock & minimal 劇場といった様相の EP を経て release されたこの album ですが、新機軸と称して早速 vocal ねたを採り入れるあたりの、Tortoise や Mogwai の変遷から何も学ばずただ搾取するという安易な姿勢をまずは笑うべきか。おかげで従来の持ち味だった mechanical で metalic な重圧 groove は後退し、生煮え pops 路線に参入しております。vocal と instrument の組合せだとどうしても vocal が前に出てくるし、それは筋の解りやすい melody の強調と展開の明解さを導きますが、polyphonic な ensemble の面白さは犠牲になってしまうのですよ。まぁ、表の顔を厚化粧しておけば初見の人も騙されやすかろうとの大人な計算もあるってえことですかな。という感じで album 前半はかなりずっこけ気味であります。
それでも後半には tr.9 "Snare Hangar" や tr.10 "TIJ" のような従来路線の metal 増幅版みたいな曲が控えておるのでやはり見切るには忍びないと。tr.11 "Race:Out" もいいとこまで行ってるのに何で fade out やねん畜生あと 10 分くらい聴かせろよと。自分の魅力を勘違いしとるとしか思えませんな全く。いや小生の面白がり方がそもそも間違っておるとの意見も否定できんのですが。
と書き散らしてはおりますが、german rock の疑似肉体的な実験性と chicago 音響派のすかしっぺな hard-boiled 風味とを hardcore な drum work で揉みくちゃにして突進させるという見立ては充分に達成されている album であります。major 感に毒されず裏街道をひた走って頂きたいと思う今日この頃な一枚。
Stockholm を拠点に活動している techno producer、Aril Brikha の 7 年振り 2nd album、2007 年発表。Peacefrog の PFG097CD ですが、小生保有は邦盤 PFJPCD-001。
1st album の "Deeparture In Time" が release されてからもう 7 年も経つわけですが、その長い歳月が嘘のような全然変わらぬ Aril Brikha 節全開な album になっております。即ち白玉 synth が通奏低音よろしくぽよよーんと幅を効かせる中、sensitive な上物 synth が控えめに melody を主張し、角の丸い bass drum がこれまた控えめに rhythm を刻むというのが基本的な音象。detroit techno との親和振りも例の如しですが、soul 色は薄く、壮大な strings で emotional に突き上げるような音でもなく、むしろ listening techno 的な落ち着いた風情を醸しているので、detroit follower と呼ぶには抵抗あるかも。いやまさにそういう風情こそ Aril Brikha な音だったわけで、その意味では旧来の好事家の期待を全く裏切らぬ作品と言えるでしょう。今時珍しいくらい軸足のしっかりした人だったんですなぁ。
2007 年の techno としてはどーよと思わんでもないですが、これはこれで筋の通った力作。お見事。
GRRM の The best SF Film は "Forbidden Planet" だそうな。また通好みなところを突いてきましたなぁ。小生の review はこの辺。
主演 Leslie Nielsen つーことで今更ながら吃驚ですよ。ウン十年後に銀幕で裸の銃を振り回すことになるとは当時は誰も予想できなかったに違いない……。
「空を飛ぶことは、地上にいるよりも、危険でしょうか?」僕は根本的な疑問をぶつけた。
「危険だ」彼は答える。両手を顔の前で合わせ、親指を顎に、人差し指を眉間につける。その手の両側の目が、僕を冷たく捉えていた。
「自分にとっては、地上の方がむしろ危険です」
「何故だね?」(page 104)
うんこ踏んじゃうからです、等と模範的な答えを期待してはいけません。中公文庫版で大分前に読了。『ナ・バ・テア』の続編。
クサナギは怪我して入院。そこでカンナミに出会う。退院後のクサナギは何くれと無く大事にされ、前線に出向けないクサナギは鬱屈する。とそこに、相手会社との demonstration としてクサナギとティーチャが市街での空中戦を行うという話が持ちあがってくる……。
んむ。終盤のティーチャとの一騎打ちが main dish なので、そこに至るまでのあれやこれやが結構まどろこしい。印象的な event も少ないしのぅ。尤も、透明な日常感覚の描写を面白がれる人には良い話なんでしょう。市街での空中戦てのも人騒がせな話だし、どうも乗り切れん話でありました。