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Motor Raid って、もう何年前になるんだろ、Sega が出した体感格闘 Bike Race Game です。高速で走りながら蹴りだの武器振り回したりだのして相手を蹴落とし top を狙うという、arege 感たっぷりな game でした。sound はモロに techno 調で、ゲーセンでは speaker の前でその低音に身を浸して悦に入っている小生が目撃されたとか(笑)。いや、自分で金払ってやったことは数えるほどしかないんですが。近未来ちっくな暗い映像と音が妙に match していたのが印象的でした。
CD で聴き直してみると、ただの techno 調なだけでもなくて、ポワポワポワポワいってる synthe 音の loop が如何にも Motor Raid です。Melodious だし。思ってたよりも曲数が多いな。うん、良い感じ。
Water Ski なんてものは知りません(爆)。曲は外注で作らせたみたい。打ち込み latin fusion 風味。それなりに楽しい曲ですが印象薄いなぁ。思い入れがないからか。
「――本当の自分なんて、あたしにはないのかもしれない……」
「な事ねぇよ!!」
俺は心から否定した。
「今、おまえは何を考えている! 何を感じている! 今そこにいるお前は――ただの抜け殻の人形か!? 違うだろ! 悲しいだろ! 怒ってんだろ! それがお前じゃないのかよ!?」
昌美は寂しそうな笑みを見せた。
「――"お前" って呼び方、便利だよね……。名前がなくても済むんだもん」(page 103)
映画の novelize、みたいなものらしい。映画は未見。なのだが小中作品なのでとりあえず読んでみた。
秋葉でデータレスキューを生業としている伊藤孝の元に、少女が依頼に訪れる。それからというもの、巨漢の格闘家やナイフ使いに何故か襲われる羽目になる。激しい頭痛の後、孝は人格が変わったような戦士と化して敵を打ち負かす。そして次第に、自分の記憶は何者かに刷り込まれたものではないかと疑い始める。そして昌美と名乗る少女も、その秘密に絡んでいるらしい……。
とまぁ、格闘アクションで自分探しなお話なのだが、如何せん登場人物に魅力が感じられない。文体は一人称だが、べたな口語が地の文にも混じり込むので思わず引いてしまうし。ちと拍子抜け。
ネタばれあり。注意して読まれよ。
Jonathan Mostow 監督作品。title が示すように、第二次大戦時に猛威を振るった U ボートの話。ただし、ちとひねくれてる。
交戦により深手を負い、大西洋を漂流していた U-571。そこからの救難信号を傍受した連合軍は、旧式潜水艦 S-33 を U ボートに偽装して U-571 に接近する。目的は、独軍に勘付かれないように U-571 を制圧し、独軍の秘密暗号器「エニグマ」を奪取すること。この作戦が成功すれば、独軍の暗号を解読できるようになるので、戦局は大きく連合軍に有利になるのだ。S-33 は U-571 と接触し、その制圧、及び「エニグマ」の奪取にも成功した。しかし、いざ S-33 へ帰投しようとしていたその矢先に S-33 は爆発する。U-571 の補給に訪れた独軍の潜水艦からの攻撃だ。かくして、S-33 からの突入班は装備の不十分な敵国の潜水艦で迫り来る独軍と戦う羽目になる……。
敵国の潜水艦を乗っ取るという発想がまず素晴らしい。潜水艦の中での銃撃戦、あの狭い通路の中でマシンガンをどかどか撃ちまくるという situation は、いままでありそうで無かっただけに新鮮だったな。
そして、図らずも敵軍の潜水艦が自分達の命を預かる船となってしまったが故の、乗員達の複雑な心境。深く深く潜水して爆雷をかわそうとしたときに、その潜行能力の高さに驚いた軍曹が苦々しげに呟く一言、「ドイツ野郎め、船の作り方を知ってやがる……」。もっともこの一言の直後、pipe が破砕して大わらわになるので、誉めなきゃよかったね軍曹、と言ってやりたい(笑)。
最後の場面、沈み逝く U-571 を救命ボートの上で見守る副長の複雑な眼差し。この副長、S-33 の艦長から「お前にはまだ船は任せられない」と断言された身であったものの、U-571 では私情を殺して部下に命令を下す艦長として大きく成長した。それ故、沈んでいく船に対して冷静には居られない、そういう表情が印象的でした。
苦言もいくつか。敵軍の潜水艦に乗っているという状況が、見ている間にあまり感じられなかった。独軍の艦なので書かれている文字が読めず艦をろくに操れなかったり、独軍の駆逐艦があまり警戒せずに U-571 に近づいてきたりと、それなりに意識させる部分はあったけれど、後半はもう俺の船状態でしたなぁ。例えば最後は英軍に撃たれて沈むとかじゃダメすか(ぉぃぉぃ)。それから、追い詰められている筈なのにあまりそれらしく見えない役者の方々。"Das Boot" の皆さんは乗ってる間に髭は伸びるわ服はヨレヨレになるわ眼の下に隈が出来るわでそりゃー大変でしたぞ。それに引き替え Jon Bon Jovi の爽やかなこと(笑)。まぁ、そこまで求めるのは酷ですか。
見ている間は楽しめる映画です。潜水艦ものとしての見せ場も充分。ただし、映画に深みを求める人には物足りないだろうな。上の下。
相変わらず未解決で、新型 PC(名前はまだない)の momonga から network に繋がらない。
eth0 上げるときにやたらと時間が掛かって結局 fail するわけで。っきしょーめ、赤帽ではちゃんと繋がるのに……。
とりあえず繋がった環境のメモ。
使った kernel は kernel-2.4.20-12m.i586.rpm。それから何処かの鯖から dhclient の rpm を入れてます。momonga 鯖には入ってないんだけど、赤帽が使ってたので。
それから、/etc/sysconfig/network に記述されていた NETWORKING_IPV6=yes の記述を comment にして無効化してます。IPV6 付けてるからダメなのか、と思ってた時期もあったので。
grub から立ち上げるときに、kernel に option を渡します。/boot/grub/grub.menu には以下の記述。
title Momonga Linux (2.4.20-12m) noapic acpi=off
root(hd0,0)
kernel /vmlinuz-2.4.20-12m root=/dev/hda2 noapic acpi=off
initrd /initrd-2.4.20-12m.img
この noapic と acpi=off が曲者でした。両方指定しないといかんかったとわ。
あと、/etc/modules.conf で呼ぶ driver も、bcm5700 から tg3 に変えてます。
...
#alias eth0 bcm5700
alias eth0 tg3
...
あとは立ち上げるだけで dhclient が起動して eth0 も起きます。google の読み込みもちゃんとできた。めでたいめでたい。
では実験。
tg3 から bcm5700 に変えてみる。なんだ、ちゃんと繋がる。当分 bcm5700 を使ってみよう。
次。/etc/sysconfig/network の IPV6 option を効かせてみる。んむ、これも上手くいったみたい。素晴らしい。素晴らしいぞよ。これでようやく人並みだ。わーい人並みだ、人並みだ。
では大 install 大会としゃれ込みましょうか。くすくす。
J. R. Monterose さんです。知りません(爆)。なーんか jacket は見たことあるような気がしたし中古盤安売り状態だったし、で購入。あれ、この人「直立猿人」に参加してたんですか。すいません知らなくて。でも "Charlie Mingus / Pithecanthropus Erectus" といえば小生の中ではキワモノ扱いなんですが、この leader 作での J. R. Monterose はそんじょそこらのご機嫌な hard bopper である。軽快軽妙で軟派で B 級。Horace Silver (p) や、Philly Joe Jones (dr) といった祭り好きも当然のように参加して、がつんがつんと攻め立てます。運動会のかけっこに似合いそうな tr.4 "Mark V" なんて「あんた走りすぎだヨ」と突っ込まれますぜ。tr.6 "Beauteous" みたいなのんびりまったり系も、落ち着いて聴けるし。深く考え込まずに聴ける一枚。歴史的名盤とは言われないだろうけど、ふと思い出したときに聴きたくなる一枚でしょう。
ここの続き。あのときは、
$ nkf -e hoge.sjis | tr '\r\n' '\n' > hoge.euc
でおっけーみたいに書いてしまったが、実は問題あり(爆)で、hoge.sjis の改行 1 つに対して、hoge.euc は改行 2 つ入ってしまうのである。
つまり、以下の command 実施時と同じ結果となる。
$ nkf -e hoge.sjis | tr '\r\n' '\n\n' > hoge.euc
どうも tr とゆー command は、置換元の文字数より置換文字数の方が少ないと、出来た空きを置換文字列で埋めてしまうらしい。2 つ改行が入るのも宜なるかな。
どうすればよいか? 答えは簡単。
$ nkf -e hoge.sjis | tr -d '\r' > hoge.euc
としてやって、CR だけ削ってやれば良かったのだ。「それだと CR/LF の場合だけでなく、CR のみの場合も削ってしまうでわないか!」という非難の声も聞こえてきそうだが、そもそも windows で書いて、改行を CR だけ埋める text file ってないだろうから大丈夫だよきっと。
しかし、実はもっと美しい解法がある。
$ nkf -eLu hoge.sjis > hoge.euc
そーなのである。nkf は既に「改行に対応していた」のであるよ。出力結果も、ちゃんと改行まで対応されていた。嗚呼、もっと早く気付いていれば。
さらに追い打ちを掛けるようにもう一発。
$ nkf --unix hoge.sjis > hoge.euc
ここまでくると、「俺の努力は何だったんだ……」と思ってしまいますな(爆)。もちろん nkf の option で書かれてる unix は、「unix 風の変換をせよ」という意味。
げいつ君より。
「音声通信の機能は品質が低下の一途を辿っている」ってさ。昔に比べりゃインフラは整備されてると思いますが。それに音声通信は i モードと競合する protocol ではないですよ。歴史も長いので、品質的に成熟していることこそあれ、低下ってのはないと思うな。
てゆか cdma にしろって。
先刻「式神の城」(PS2 ver.) を数ヶ月振りにやってみたら、相変わらず 3-3 までしか行けない。練習してもしなくてもここが限界、ということですかね。とほ。
んで久々に alfasystem 覗いてみたら、この知らせが。発売時期未定とか言いながらも、画面写真見ると結構出来上がってるような。小生が PS2 版「式神」クリアする前に出回ること必至と見た。う、悲しいかなこれが現実さ。
tr.2 "Don Corleone" を聴いて Nils Petter Molvaer を連想しないわけにはいかないのであるよ。物憂げな trumpet が咆哮し、Talvin Singh がタブラを絡める D'n'B な track。あれ、この trumpet って Steve Hillage の昔の album から sampling したものなにか。それも吹いてるのは Don Cherry ときたもんだ。その割には free っぽくなくて、そういえば Hillage は昔、ambient な album とかも作ってたらしいから、自然とこんな感じに収まっちゃったんだろうなぁと推測。
えー、System 7 の 1997 年作。時代の流れを反映してか、D'n'B 色が強いです。Guitar も "Power of 7" の頃に比べると大人しいな。System 7 というと、小生はいつも「地味」とか「ambient になりきれない techno」とか思ってしまうのだけれど、"Golden Section" はより一層その傾向が強くて(笑)、すーっと聞き流してるうちに last track "Borobudur" が流れ始めるのだけれど、これが名曲なので困ってしまうのだよ。lyrical な piano の調べが D'n'B の rhythm に乗って漂う、必殺の sentimental techno。Robert Miles ほどあざとい感じがしないのはやはり System 7 と言うべきか。ったく、どう締めくくればいいものか。とりあえず、この曲のためだけに買っても元は取れると小生は思ってます。わはは。でわ。
暴力的な Distortion Guitar の音を聴くのは久しぶりな気がするなぁ。今堀恒雄の Trigun アニメサントラ。Gene Shaft の音楽は高崎晃だったけど、同じ Guitarist でも今堀は free 〜 avant な世界で活躍する才人。この album でも、heavy metalic な音から country 風の軽妙な acoustic な響きまで幅広い。そして四つ打ちや D'n'B の beat を組み入れた dancable な曲やら、郷愁誘う美メロな曲やら、多彩な音楽世界が繰り広げられます。それでいて妙に一貫性があるというか、ただっぴろい砂漠を渡る風のような雰囲気が全編に漂っていて。アニメの trigun もまた、荒れ果てた大地と love & peace が theme だったわけで、この音楽も hippie 野郎のためと思えば収まりがいい、と。これは良い album。おすすめ。
M. Night Shyamalan 監督作品、1998 年。
さえない小児精神科医の Malcolm (Bruce Willis)。かつては市長に表彰されるほどの実績を収めていたが、かつての患者 Vincent に銃で撃たれたことにより自分の能力に限界を感じ始めている。そんなとき、その患者とよく似た症状を見せる少年 Cole (Haley Joel Osment) と出会う。Cole を救うことが Vincent への贖罪にもなると感じた Malcolm は Cole の診察に当たる。次第に Malcolm に心を開き始めた Cole は、自分には死者が見えるのだと告白する……。
死者が見えるからどーよ? 結局幽霊話かよ? などとあっさり流してはいけない。死者は、何かを伝えるために Cole 少年の前に現れる。しかし Cole は、血反吐や傷跡の生々しい死者たちの外見に恐怖を感じ、ただ逃げ出し自分の殻に閉じこもることしか出来なかった。当然の反応だろう。しかし Malcolm に諭され、死者と対話することにより、Cole は自分にしか出来ないことを見つけ、それを実行することで、力強く生きていく勇気を獲得する。死者と対話できるという能力を持った少年が、自分の能力を認めることで自ら「選ばれたもの」として生きていくことを自覚する、そういう映画だ。終盤、Cole 少年が学校の演劇発表会で Arthor 王の役を演じ、石に刺さった剣を引き抜く scene がある。虐められっ子だった Cole が学内の友人と上手くやっていることを印象づけると共に、選ばれしものとしての Arthor 王はそのまま Cole への寓意にもなっているのだろう。
Malcolm もまた妻との心の擦れ違いに疲労を感じている。結婚記念日の会食でも口を利いて貰えなかったり、新しい男ができたんじゃないかと疑心暗鬼に捕らわれたり。しかし Cole に「奥さんが眠っているときに話しかければいい」と忠告され、それが元で自分の「存在」に気付いてしまう。この辺がどんでん返しな映画と称される所以だけれど、それに気付いてしまった後の、Malcolm が妻に優しい眼差しで言葉を投げかける scene が美しい。
暗く繊細な映像表現も見事。派手さはないけれど、良い映画でした。中の上。
John Frankenheimer 監督作品、1998 年。
元諜報部員達が集まって、報酬を求めて作戦を練り行動を起こす。依頼主も敵も奪い取る case の中身も知らされないまま、ただ professional に徹して行動する男達。映画の title にもなっている浪人つーのは、そういう生き様を表しているのか。
身内の裏切りや金の受け取りについての駆け引きなど、見ていてそれなりに目を引くところはあったのだけれど、不完全燃焼気味。逆走 car chase も見ていて楽しかったけど、実のところあまり盛り上がらない。Robert De Niro、Jean Reno はいつも通りの演技で良くも悪くもなし。けれど疲れ顔の Natascha McElhone は良い感じでした。影の黒幕 Jonathan Pryce も好演。なんだか悪役が板に付いてきたみたいで嬉しいやら悲しいやら。他に言うこともないな。下の中。
Detroit Techno 御三家の一人、Kevin Saunderson さんの projedt で、1989 年作。いやぁ、古い。昔ながらの dance pop album って感じです。まぁ House ってのは元々が搾取しまくり remix しまくりの嘘臭さ全開な genre だったわけで、その意味では王道と言えるのかも。
しかし流石に synth の使い方は detroit っぽい艶があります。そういえば produce は Juan Atkins さんな訳で納得です。Paris Grey の hi tone な vocal も黒くて美味。tr.5 "Big Fun" みたいな売れ線アゲアゲな track も悪くないが、tr.6 "Do You Love What You Feel" みたいな叙情も魅力的。安そうな作りですが楽しめます。
あれ、tr.7 "Good Life" って聞き覚えあるなぁ……。もしかして radio hit tune ですか?
Terrence Malick 監督作品、1998 年。う、この人も知らないや。
舞台は太平洋戦争時のガダルカナル島。米陸軍の中隊がそこに上陸し、戦い、そして別の戦地へと旅立つ。と、まぁそういう映画だ。
物語としての catharsis は望むべくもないという点で、同じ時期に発表された Spielberg の "Saving Private Ryan" とは比較にならないが、それは比較する視点がそもそも間違っているのだろう。島の雄大な自然描写が其処此処に散りばめられ、戦う兵士達の monolog が乾いた諦念を帯びて訥々と語られる。そして、明日生きているかどうかも定かでない兵士達の日常が諄いほどに描かれ続ける。
美しい自然描写と兵士達の戦闘とを併置することで、この映画が「人間の愚かしさ」を描いていると考えるのは容易い。しかし、この映画の冗長さはそういう見えやすい theme をむしろ忘れさせてしまう。野ざらしにされた死体の山と、それをぼんやりと眺める戦隊指揮官の中佐。美しい渓流で、近づきつつある日本軍の兵を引きつけるために自らおとりになる決心をする Witt 一等兵。彼らの置かれた状況に対し、自然は、文字通り自然なままにそこにある。兵士の monolog には神との対話や祈りも多く含まれるが、多くを与え、また奪う存在である神は、まさに自然そのものである。それは彼らを常に取り巻き、そして何もしない。その冷徹さ、美しさ。戦場でも魂が輝いていられるかどうか、そういう観念をも自然は置き去りにしてしまう。
見終わった後に静謐さや空虚感が残る映画。長ったらしくて面白みもあまりないが、一度は見ておいてもいい映画だと思う。中の上。
大谷幸による animation 「灰羽連盟」の soundtrack。懐かしい音色と素朴な melody。こういう曲も書けるんですねぇ大谷幸さん。小生は Gundam W の曲聴いたときに、その大仰な音楽に仰け反ってしまった口だが、劇伴家を一作だけで判断してはいかんのだと思い直しました。
New Age、古楽、Cafe Lounge、Healing の間をふらふらと漂うような曲が並ぶ。musette 調の曲が鳴ればグリの街の雑踏が目に浮かぶ。synthe の brightness が鳴り渡る中、子供達の chorus が残響を伴えば、クウがコップの話をしていたときを思い出して泣けてくる。
……むむー。いかん。音を実際の映像と結びつけて評するのは小生の本意ではないのです。しかし、それだけ音と映像の親和力が高かったということでもあるわけで。秋と冬の情景から音を導けば、George Winston と灰羽サントラが自ずと浮かんでくるという具合。ラッカは元気にやってますかね……。
ちなみに CD case の底の方に書かれている "une fille qui a des ailes grises" という french は、english だと "a girl who has gray wings" だそうです。
「フューラーは命じ、我らは従う」SSのスローガンをクラウスは口にし、「フューラーは、独り言のように呟かれました」と、つづけた。「"生の過程とは、崩壊の過程にほかならない……"」
「生が崩壊であるなら、死は、けっして崩壊せざるもの、だな」エブナーが言った。「生の崩壊が、すなわち、老いの過程なら、不老は、死に等しいな」
「詭弁ですよ。それは」(page 171)
読了。吉川英治文学賞まで獲ってしまった傑作、ということで構えて読んでしまったが、それほど pedantic な感じはしなかったな。
双子の子供達を使った人体実験、永遠の命の研究。カストラートに魅せられた SS 将校と、彼に見いだされた美声の少年。第二次大戦中の独逸で繰り広げられる、美と狂気の騒乱。これが女性の一人称で描かれるのが第一部。
第二部と第三部は大戦の数十年後が舞台。大戦中に切れてしまった運命の糸が、古城を舞台に再び寄り合わされる。そこに極右の団体、元 SS 将校の息子などが絡み、終盤の崩壊へ向かって物語は進行していく。
取り上げた素材は、好きな人には応えられないものだろうなぁ。クラウスの美への執着心は常軌を逸していて、見事に壊れ振りを発揮している。美声を保つためなら去勢させることも躊躇わない……どころかその方が「本人にとっても幸せである」と信じて疑うことがないとゆー。客として迎え入れたギュンターに犬を嗾けて怪我を負わせ、それを治療することで無理矢理に恩を着せて自分の思い通りに操ろうとするし。まー凄い人物である。唯我独尊スギ。神です父です支配者です。
こういうおっさんに関わったが最後、真っ当な登場人物に見えたギュンターもマルガレーテもエーリヒもフランツもミヒャエルも大佐も、みーんな壊れてます。あ、そういやヘルムートも壊れてますが彼は愛に生きたということで。可哀相なヘルムート。安らかに眠れ。ゲルト、背伸びしすぎ。そこが良い。自分一人で生きていこうとするけれど、結局人に頼らないと生きていけない弱い少年。それでも仲間と思えば助けようとし、敵と思えばとんずらかまし、後編ではピカイチの存在感。ゲルト、よくやった。何だか批評の観点からは遠く離れてしまってるような気もするな。きっと「神話を準えた悲劇」とか「ナチの亡霊に憑かれた男女のゴシックロマン」とか、そういう観点で読み解けばいいんだろうけど、それは他の人達がやってくれてます。とりあえずこれだけは言っておきましょう。病弱ミヒャエルの健気さに涙せよ。フランツの中にクラウスの亡霊を見よ。エーリヒにはみんな黙って騙されよう。そして貧乏籤引きまくりのゲルトに声援と祝福を。