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行きつけの中古 CD 屋に行ったら、Trance 系の放出があったので思わず沢山買い込んでしまった。Trance 系は乱発が進んでいたので(最近は沈静化?)、あまり手を出さなくなっていたけれど、DJ 19 と Yoda には条件反射的に反応してしまうんだよな。
"Trance Essence Edge#2" は 2000.01.25 発売の album。これぞ Trance ! てな track が目白押しで、単純に聴いて踊れて気持ちいいとゆーシロモノ。「Trance = 流行物」てな図式は marketting 的にはあるんだろうけど、DJ 19 はそんな流行物の需要を意識しながらも、album total での構成美や風通しの良さも意識して compile しているような感じ。Trance の酸いも甘いも知り尽くした職人の手による、派手すぎず抑えすぎない好 album と言えるでしょう。
tr.8 のリバーブかかりまくりで鮮烈な piano が印象的な曲、いかにも DJ 19 の好きそうな音だなーと思ってたら、Trancentral Station の "The Force" だった。そりゃあ好きでしょうな、自作曲なんだから。
邦題は「いまを生きる」。昔観た記憶があったけど、BS で放送するってんで見直してみた。
全寮制の進学校を舞台に、新任の英語教師と学生達の交流を描く Human Drama。教師役の Robin Williams が面白い役柄で、教科書の一部を破り捨てるよう生徒に指導したり、机の上に立って新しい視点を持つ事の重要性を説いたりして、厳格な進学校の校風からは想像もできないような破天荒な授業をぶちかます。それに影響を受け、それぞれ自分の人生を自分で歩もうとする生徒達。しかしそれは悲劇を生み、遂には英語教師は学校に居られなくなってしまう。それでも、教師の教えは確かに生徒達の心に刻み込まれていた。
ちゃんと自分の足で立ち、自分の意志で考え行動すること。青春だよなぁ。今の日本はゆとり教育とかなんとかで、昔に比べれば管理教育も緩くなったらしいけれど、だからといって自発的な人間が育つとは限らない。それは自己中心的な子供の増加に繋がる恐れもあるし、自分で判断しないでも咎められない世間への順応性を高めるだけかもしれない。この映画で展開されたような親と子の軋轢はむしろ古典的な悲劇の類型だけれど、世代間で生きる system が違うために起こる悲劇はこれからも幾度もなく続くだろう。でも、自分の人生を自分で control する自由はあっても良いじゃないか。そして、教師が生徒の可能性を引き出して、生徒の生き方の可能性を広げる手助けをするのは決して悪い事じゃない。少なくとも、刑務所に似た学舎の中で、一方通行の進路を延々と走り回されるよりはずっとマシだ。
今回見直してみて一番印象的だったのは、授業で詩の朗読をしたとき、引っ込み思案で negative な思考に陥りがちな Ethan Hawke が、Robin Williams の挑発に乗せられて見事「詩人」になった一幕。見事な見せ場でした。
昨日買い込んだ Trance ものを延々聴いていて、流石に耳が疲れてきた。こういう事もあろうかとちゃんと Drew の album 買っててよかった。
Kenny Drew の piano は軽妙さがウリ。軽やかで楽しい piano 弾きって感じ。この "Elegy" には哀愁漂う曲も多く収録されているけれど、Drew が弾くとあまり暗さを感じなくて、乾いた哀愁がじわりと胸に沁み入るような印象が残る。Melodious な phrase が上手い Niels-Henning Orsted Pedersen の bass も、控えめに曲の陰影を描写する Ed Thigpen の drum も、想像を裏切らない Trio 演奏で安定している。
特に今作では Niels Pedersen がいつもより前に出てるような気がするなぁ。こんなに bass で歌える人は珍しいのではないか。それ以上に bass で歌うことを許してしまう leader は凄く珍しいのではないか。仲間を信頼することと、それに答えることとを別々に考えてはいけない。信頼するから、答えられるのだ。軽みの境地に達した Kenny Drew Trio だが、だからといって惰性に墜ちて質を貶めるような様を晒してはいない。安定している演奏には、それを確かに裏付ける修練があったのだろうなぁと思う次第。
G550 を入れてから計ってなかった。それどころか hdbench clone も入れてないことに気付いた。あらら。
hdbench clone は tar 玉配布だが、中に spec file が入っているので、まずは rpm 作ります。
$ rpm -tb --target i586 hdbench-0.14.0.tar.gz
$ sudo rpm -ivh hdbench-0.14.0-1.i586.rpm
* * * HDBENCH clone Ver 0.14.0 * * *
Machine Infomation
Processor Pentium III (Katmai) [501.143 MHz]
Vendor GenuineIntel Family 6 Model 7 Stepping 3
Resolution 1280x1024 65536colors(16bit)
Display Unknown
Memory 255752KBytes
OS Linux 2.4.18-114m
Date 2002/10/13 23:39
ide: Assuming 33MHz system bus speed for PIO modes; override with idebus=xx
hda: 78165360 sectors (40021 MB) w/2048KiB Cache, CHS=4865/255/63, UDMA(33)
hdb: 16514064 sectors (8455 MB) w/418KiB Cache, CHS=1027/255/63, UDMA(33)
hdc: Pioneer DVD-ROM ATAPIModel DVD-500M 010, ATAPI CD/DVD-ROM drive
Filesystem 1k-blocks Used Available Use% Mounted on
/dev/hda10 7526184 5672156 1854028 76% /
/dev/hda8 23302 4970 17129 23% /boot
/dev/hda1 7800324 7075660 724664 91% /mnt/win
/dev/hdb6 7959928 5555948 2403980 70% /mnt/kondara
/dev/hda5 7810788 6556380 1254408 84% /mnt/xfs
TOTAL FLOAT INTGR MEMRY RECT CIRCL TEXT SCRL IMAGE READ WRITE DRIVE
31990 62352 69150 17355 67900 29049 49016 89 46 14894 10101 /tmp:10MB
「……悪鬼の障り、蠱術の障り、どれも同じ、いかなる病気であれ病気で命を落とした者というのは、そのほぼ全員が自滅しているに過ぎぬ。病気にかかって死ぬ、とは間違った言い方である。病気の病状は自滅を止めるために浮上する知らせである。これは覚えておけ」(page 265)
読了。娘さんにかけられた蠱を、尼丘山を訪れた南方の医師が解こうとする話。
いやはや素晴らしい。東洋と西洋の医術について蘊蓄を傾けつつ、医師と妖女子蓉との壮絶な呪術争いを描写して見せる。半ば超能力争いのように見えながら、術に墜ちる者、墜とす者の論理が充分に展開されているから、物語世界の reality は相当のものである。今作は派手な action こそないものの、子蓉と医師の虚々実々な駆け引きや、それに翻弄される顔回、公子長、五六のてんてこ舞いなど、終始飽きさせない話運びだった。
でもまだ決着が付いてないんだよな。てゆかここまで展開させちゃって、次はどうなるんだ、この展開を上回ることができるのかと心配になってしまう程だ。次巻が楽しみ楽しみ。てゆか文庫化遅いよ。ちなみに次巻は来年 2 月刊行予定だってさ。むぅ。
Gary Peacock と言うと小生は Paul Bley との競演作を真っ先に思い浮かべるのだけれど、この album では菊池雅章 (p)、富樫雅彦 (per)、村上寛 (ds) といった日本人を back に、腰の据わった leader として世界を統制している。特に菊池の piano との交感が美しい。精妙にして巧緻。Paul Bley や Keith Jarett と競演するときの Peacock は、彼らの持つ独特の抽象性を上手く引き立てる役割を充分に果たしてるのだが、この album では抽象と言うより表層の深遠さのようなものを意識させるようだ。
澄み切った水の表面に現れる情景は、実在する情景を映す鏡のようなもの。しかしそれが水であることには変わりなく、澄んだ水の深みには水面下の世界、水の中で実在する情景がある。我々はその二つを共に認識し、一方を鏡像と思いながらもそこに reality を求め、他方に真の情景があることを認識しつつも、その情景を注意深く意識から遠ざける。それは罪ではなく、人の無意識的な情報選択のなせる技に過ぎないけれど、水面に波が立ち、目が波紋の行方を追うとき、表層で見えていた風景の揺らぎを認識し、表に出ていた情景が所詮は水の悪戯であることに気付くのである。
Peacock の bass はその水のような存在感を示す。一つ一つの音は、一定の予測不能性を内包しつつも、total では安定した texture を表現している。その特性は菊池を始めとする side men にも該当し、album を聴き通した後の印象も、やたらと静かな album だったなぁ……というくらいにしか思わない。しかし、表出され認識できる音だけが表現ではない。Peacock の bass が減衰するとき、そこから立ち上ってくる深い闇、意識の底、無音という表現に、耳をそばだてる必要がある。これは、そういうことを意識させる album なのだ。
書いてると怖くなってきた(爆)。"Voices"、小生の持ってるのは 97 年の再発盤だけど、未だに自分の中で position を特定できない album の一つなので。久々に聴き直してみて、昔には見えなかった情景が少し見えたような気もする。まぁ、年取っただけかもしれないが。
「ゲームセンターあらし」を知らないのか。嗚呼。年取ったなぁ。
Official HP なんてあったりして、凄く懐かしい感じ。
勉強中に石野卓球 "Karaokejack" 聴いてたら、流石に集中できぬ(笑)。故に静かな album をと思って引っぱり出してきたのがこの一枚。映画「裸のランチ」の Original Soundtrack。
いちおー composer は大御所 Howerd Shore となっているが、feature されている Ornette Coleman の sax が schizophrenic な phrase をどかどか打ち出していて、映画の color を瞬く間に Ornette 色に染め上げてしまうのであった。いやはや困ったオヤジである。人の座敷に乗ってるんだから、ちったあ遠慮しなさいよ。まぁ、言うだけ無駄だろうけど。
映画の score ってどれも似たようなもんだとゆー偏見が小生にはある。没個性が美徳とかいう風潮でもあるのかね。それとも絵(=映画)が主役なんだから音は汚し役というか少し引っ込んでないとイカンのだろうか。音だけ目立ってても仕方がないし。でも、劇の color を決定づけるのが音であってもええやん。その意味では、「裸のランチ」は随分と音寄りな映画であった。元々が精神的にズれた世界の物語なので、Ornette の free improvisation もしっくりハマってたような。勿論、サントラだけ聴いても良質。DVD は買ってないけどね。
嫌いな作家ではないはずなのですよ、David Cronenberg って人は。あの「Scanners」の人だし。うぅ、「eXistenZ」も見たいなー。買っちゃうかも。
utopia とは Sir Tomas More の造語で、ラテン語で場所という意味の topia に否定の接頭辞 u を付けた言葉らしい。即ち「どこでもない場所」。
Tomas More がどのような意図でこの言葉を作ったかは小生の与り知らぬ事である。ただ、その言葉が一般的に連想させる「理想郷」的な image と、この本来の意味との間に、なんだか絶対的な断絶を感じてしまい、ちょっと畏れを抱いてしまう。ありえないからこそ、理想郷と呼ぶことが出来る、その果てしない距離。
ちょうど chomsky の 9.11 本を読んでいるところで、国内的には terrorism を自閉しながらも、対外的には積極的に利用する国家に、改めて恐怖を感じている。そして、Suzukiski の "Utopia" を、9.11 以前に聴いたような、単なる melancholic な electronica としては聴けない自分に気付く。
Suzukiski の奏でる electro music には、日常をまっすぐ見据えながら、どこかそれを突き放したような達観を感じさせる。それは日々の風景さえもが "Utopia" に、どこでもない遠い世界に組み込まれてしまっている、そんな状態を表現しているようだ。上辺の日常を剥ぎ取った後に見えるのは、瓦礫の山であったり、呻き苦しむ子供達の姿であったりするかもしれない、そんな冷えた緊張感と切ない哀感が album の color となっている。これは、"Utopia" という名を借りた requiem だ。我々は、この音から目を背けるべきではない。
初めて聴いた頃は ambient な雰囲気の house track という位にしか意識しなくて、その静謐さ故にあまり聴き込まなかったのだけれど、久々に聴くと緩やかな melody が疲れた心に深々とと響く良い album に聞こえるなぁ。
rhythm ががちっと固まっていて、Wesseltoft の piano も美しい melody を紡ぎだしはしても improvisation へ向かっていかない。これは jazz と言うよりは ambient な club music と言うべき音だ。ただ、それにしても音から energy を感じないので、club 野郎な方々にも match しないような。いまいち焦点を絞り切れてない印象が残る。
まぁ、それが Bugge Wesseltoft の狙いかもしれないけれど。聴く人を選びそうな album。Nils Petter Molvaer と見ている方向は同じだけど、実現方法が異なっていて、Wesseltoft はまだ道の途上といった感じだ。でも 1st のけたたましさに比べれば、大分まとまってきたよね。
でした。朝 9:30 開始、15:30 終了。
普段集中して机に向かいっぱなしになることがないから、たまに試験なんか受けると肩が凝ってしょーがない(*1)。まぁ、前に受けたときよりは damage 少ないけど。頭痛もないし。
結果については訊かないように(爆)。
Wim Wenders 監督作品。主役の映画プロデューサー、マックスは多忙すぎて奥さんは倦怠気味。ある時マックスは誘拐され命を狙われるが、謎の銃弾により誘拐犯達の頭は吹っ飛ばされ、マックスは逃亡、mexico の庭師達と共に暮らす。奥さんは旦那の会社を切り盛りして人生の華を知る。一方、天文台で nasa の研究員してるレイ。彼には国家から重大な指名が託されていて、その役目を成し遂げれば犯罪率低下に大きく寄与できるという。しかし彼はその機密情報を、かつて知り合ったマックスに流していた。また別の視点では、マックスが殺人を犯したと思っていない事件担当の刑事が登場。マックスの周辺を洗っていると、映画のスタント女優に出会い一目惚れ。とゆーのは脇に置いておいて、刑事はこの事件の裏に国家的陰謀が潜んでいると喝破して、次第に事件の真相に迫っていく……。
と、ざっとした話の展開を書いてみたものの、映画を楽しむ役には立たないなぁ。主役のマックス、その妻、NASA 研究員のレイ、そして刑事という四人の視点を中心にして、重なりそうで擦れ違う筋の展開にやきもきしつつ、映画としては Wenders 調とでも言うべき淡々とした進み方である。Wenders の映画というと、饒舌な割には話が読めないとゆーか、多分に独白的で、言ってることと行動との繋がりが見えにくい印象がある。そこを一歩踏み込めば面白さが解ってくるのかも知れないけれど、小生にはどうにもついていけませぬ。
でもこの映画、Wenders にしては国家の陰謀とかハリウッドとか、妙に華やかな素材を使っていて、何となく Wenders らしくないぞ。例によってカタルシスは得られないが。