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半野喜弘 (program, etc) と Mick Karn (b, etc) の collaboration album。1998 年。
只でさえ地味な楽器であるところの bass guitar でありますが、flet を抜いて音の立ち上がりが一層緩くなる fletless bass なるものを愛用する種族がこの世の中にはおられるのです。何でまた fletless なのよ、と思わなくもないのですが、これはこれで西洋音階に囚われない、うにょうにょした音色をモノにすることができるということで、その筋の人には重宝される楽器のようです。とはいえ小生がこの楽器から出る音を面白がることができるようになったのは、この album に接してからではなかろうか。
fletless bass は ambient や d'n'b と相性が良くて、そりゃまぁ bass の音が聞こえないと面白がることもできまいという至極真っ当な理由からその結論に辿り着くわけですが、bass line がそのまま melody の主役を張れるという situation ともなれば俄然その player の空間想像力が試されるのは理の当然、そして Mick Karn という人は、fletless でうにょうにょもできれば slap も達者という達人であるからして、rhythm 取らせてもうにょうにょで歌わせても卒なくまとめてしまえるのであります。d'n'b に継投していた頃の半野喜弘が上ものでの direction を取っているとはいえ、やっぱ主役は bass な album で、無国籍な音の風景画を装いつつも耳は底辺でうにょうにょと歌う bass に耳を掴まされてしまうわけであります。
いやはや、今聴いてもこの両者の邂逅は千載一遇な感じがしますねぇ。名作。
癌により 1/04 に逝去。享年 52 歳。
元 Japan の bassist、で有名な方ではありますが、むしろ Japan 以降での活躍にこそこの人の真骨頂があったようにも思いますね。
ご冥福をお祈り致します。
富野喜幸総監督作品、2006 年。
ティターンズとエゥーゴの戦いにジオン残党のアクシズが介入。日和見を決め込むシロッコも含めて各陣営の駆け引きが始まる。グリプス2のコロニーレーザーが戦局の鍵を握る中、三つ巴の乱戦は激しさを増す、の巻。
三部作の第三部。ジェリドのかませ犬っぷりもここで見納め。それにしても富野は裏切り者に寛大だよなぁ。エマとレコアの決戦、どっちも鞍替え組だし説得力ねーぞと言っても後の祭りか。サラはエゥーゴに二度監禁されながらも二度とも脱出、エゥーゴの面々も敵地乗り込んでの交渉が決裂しても脱出余裕です。君たちは自軍の警備がゆるゆるなのを自覚しておるのかね。こういう展開が多いと都合良すぎなお話にしか思えなくなってきますが、それも含めて富野節と言うべきか。
TV 版もとっちらかってましたが劇場版もやっぱりとっちらかってた、という印象であります。
Chicago Blues の裏番長、Howlin' Wolf の初期作品 "Howlin' Wolf" (1962) と "Moanin' In The Moonlight" (1959) の 2 in 1 CD。
Captain Beefheart が昔 Howlin' Wolf の声まねをして、すわ Wolf の再来かと周囲の人をビビらせたという episode を何かで読んだ覚えがありますが、改めて本家を聴いてみると確かに似ておるわ。ダミ声な声質はもちろんですが、言葉のなげ方のぞんざいさというか無頓着さというか、とかくその辺の歌への姿勢が何だか似ておるように思えるのですよ。
久々に聞き直すとダミ声で腹一杯になりますが、この強烈なダミ声は一聴の価値ありであります。
Susumu Yokota の 2010 年作。
2001 年の "Sakura" 以来久々の ambient 作、と言われている本作ですが、beat よりも音響への関心に傾いている昨今の Susumu Yokota な風潮からしてみればそう驚くほどのことでもないのでしょう。良くも悪くも作風が安定してきいる、のは確かですが、にしても白玉の振り具合といい上ものの奇妙さといい、この人にしか出せない独特の strange music になっており、やはり只者ではありませぬ。ambient と言いながら、曲は 3 分から 4 分あたりの compact なものにまとめているのもこの人らしい。ゆるゆる聴いて楽しめます。