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Valentine Davies 監督作品、1955 年。邦題「ベニイ・グッドマン物語」。
Benny Goodman (Steve Allen) が 10 歳で clarinet を手にし、やがて jazz に目覚め、自らの band を持って巡業し、やがて恋人 Alice Hammond (Donna Reed) の観ている中、New York の Carnegie Hall で演奏するまでの半生を描いた映画。
Lionel Hampton って食い物屋の親父やったんか! いや吃驚です。いろいろ困難もありますがそれを乗り越えて人気者になっていくという bildungsroman であります。有名曲もどかどか披露されていて耳にも楽しい映画。Alice のツンデレ振りにも思わず仰け反りますが、映画に華添えるって点ではこれでよいのでしょう。
先日亡くなった Derek Bailey (g) を偲んで。灰野敬二 (g) との duo album、1996 年録音。
非定型の音楽を希求し続けた Derek Bailey、ここでも孤高の free noise を聴かせます。相方は東洋の神秘家たる灰野敬二、歌心を知るが故に非歌の何たるかも十全に弁えた非音楽を展開してます。で、東西の free musician が相対して独善弾きまくり闘争を繰り広げる、というわけでもなく、一見どろどろの展開に見えつつもここには互いに交感する感触があるように思えるわけで。一方の弾きまくりに対して弾きまくりで応じるか feedback noise で場を埋めるか、といった選択にも、その場に渦巻く想念の流れを読み取ろうとする意志が現れている。その流れに反するように二人の独善的な主張もどばどば弾け飛んでいるのですが、それが non idiom という同じ方向で突っ走っているので、結果として二人の想念が互いの尾を食い合ったままぐるりんぐるりん回っておるように思われるのですな。喧嘩しとるのか仲睦まじいのか解らん。うむ、結局似た者同士ということか。
全 7 曲ですが終盤 3 曲だけで 60 分越えてます。普通の音楽に飽きた人向け。
今日も Derek Bailey (g) 関連で。Pat Metheny (g)、Gregg Bendian (ds)、Paul Wertico (perc) といった面子とつるんでの 1996 年録音。CD 3 枚組。
昔も今もこの album の印象は今一つよろしくないのですが、CD 3 枚組で volume ありすぎなのがいかんのかのぅ。Derek Bailey は例によって唯我独尊な electric guitar 弾き。対する Pat Metheny も electric guitar で Bailey に真向勝負を挑む展開もありますが、終盤にはこの人らしい爽やか系の音も織り交ぜつつやっぱり痛音で free music に驀進。Gregg Bendian と Paul Wertico は左右に分かれてどたんばたんやってますがどっちがどっちやら解らん。
この 4 人ならではの何とやらが見えないままに各人各様にどんちゃか音楽をやらかしているといった風情。Metheny が器用な人やということは良く解るんですが、逆に言えばそれしか解からんということです。
今日も Derek Bailey (g) 関連で。John Zorn (sax)、William Parker (b) との trio 演奏、1995 年発表。Knitting Factory での live 録音。
小生の数少ない Derek Bailey 作品の中では比較的よく聴き直す一枚。まぁ John Zorn の爆裂 sax が目当てだったりもします。Ornette Coleman の影響を受けつつ jewish music の艶めかしさも帯びた音を聴かせる John Zorn、本作では sax 一本で闘っております。Masada の演奏は jazz idiom に則ったものが多く、それはそれでこの人らしい自己主張が現れていて楽しめるものなのですが、"Harras" では孤高の free musician たる Derek Bailey との競演なので、free に爆裂する Zorn の姿が拝めます。Painkiller や Nakid City に比べれば大人しい、という言い方もできるでしょうが、真っ当に free improvisation する Zorn も良いものです。
Derek Bailey は若干控えめで Zorn の影に隠れがちですが、隙を見てはぎゅわぎゅわ弦を掻き鳴らして煽ってます。個人的には David S. Ware Quartet の bassist として記憶に残っている William Parker は、地味渋な演奏ですが音が結構でかくて良好。そんなこんなで個人的には満足できる一枚。
今日も Derek Bailey (g) 関連で……って、David Sylvian ですが。2003 年発表の album。Derek Bailey は tr.2 "The Good Son"、tr.5 "She is Not"、tr.7 "How Little We Need to be Happy" の 3 曲で guitar 弾いとります。
歳取ってますます仙人化が進む David Sylvian、この album では大半の曲を一人で手掛けてますが、所謂 band sound ではなく、synthe だか guitar だかの音響を minimal かつ atmospheric に展開しつつ、墓場の底から響くような幽霊声を聴かせるという趣向であります。ただでさえ simple で凄味のある曲が並んでおる中、Derek Bailey との競演作は殆ど装飾らしい装飾もなく、Bailey の独善 guitar と Sylvian の幽霊声とが共感とも解離とも付かぬ様相で一体化しつつ進んでいきます。いやー素晴らしい。歌を聴かせるために歌を突き放す装飾を持ってくる、ってのは一見逆説的な approach に思えますが、Sylvian の独特の声にはやたらと説得力があるので、Bailey の free な音像でさえも Sylvian の描く調律された世界の一部に感じられるのです。破綻寸前でありながらも硬質な美意識に彩られた音楽。この音を聴いた後では Fennesz 参加の tr.8 "A Fire in The Forest" は甘すぎに聴こえるほど。
全体的には ambient な雰囲気で統一された album。冷たい雰囲気が冬場に似合う一枚であります。
「ああ、気持ちの良い空気」紅子は七夏のところまで来て空を見上げる。「温度も湿度も、ちょうど良いわ」
「おぼっちゃまは、お元気ですか?」七夏は歩きながら尋ねる。
「ええ、おかげさまで。先日はお世話になりましたね」
「いえ、とんでもない」
「そちら、お嬢さんは、いかが?」
「ええ、おかげさまで、なんとか」(page 296)
凄い会話です。series 大詰めともなるとこうなるか。講談社文庫版で読了。
真っ赤に塗装された死体が発見される。死人は赤井寛。赤井の恋人と称する田口美登里は保呂草の元を訪れ、犯人は作家の帆山美麗だから証拠を挙げてほしいと依頼する。様子見でいろいろ探り始めた保呂草だったが、そうこうするうちに第二の殺人が起こる……。
V series 完結篇ということで今回は真面目路線。紅子さんの殺人講義も聴けます。壮大な幕引き、って感じではなく、さらりと終わっていくところが如何にも森先生であります。
出崎統監督作品、1989 年。TV 映画。
全世界の警察にルパン達の犯罪情報が流通している。ルパンはその情報がなければ仕事がやりやすくなると考え情報の処分に精を出すが、data をいくら盗んでも backup 取られてるので根絶できず、また女にうつつを抜かしてしまい、泥棒稼業から足を洗う。次元は旧友ルースターの持ち込んだ大ネタ、即ち世界最大の diamond である super egg を自由の女神像から盗み出すという話をルパンに持ち掛けるが、ルパンはもう泥棒はやらんと一蹴。五ェ門も修行の旅に出てしまい、仕方なく次元はルースターと共に仕事に掛かろうとするが、彼らの隠れ家に謎の集団が急襲をかける。女に振られたルパンは次元らを助けて奮闘する。そうこうするうちにルパンは computer に詳しい少年マイケルと組むことになる。マイケルは相手の computer を乗っ取ることの出来る computer virus の捜索をルパンに依頼する。その virus があれば警察のルパン情報を白紙にできると考えたルパンは俄然やる気を見せるが、ルパンらを追う集団はその virus にも関係しているらしいと知れる……。
宝石盗むだけなら普通の泥棒、しかし宝石の隠し場所を探るために女神像ごと盗み出す、ってところがルパンらしくてええですなぁ。素早い場面転換に劇画調の止め絵がズバズバ決まって痛快です。
悪の組織はあんなんで本当に世界を牛耳ってたりするんかのぅと思わなくもないですが、痛快だったからまぁいいか。
単に disk を入れて mount して cp で書くだけ。いやー簡単ですね。
しかし local で持ってる大量の file を一度に書き込もうとすると怪しい動きをします。Eterm 上では終わってるように見えて disk への access は継続、eject も umount も受け付けず、df すると mount point が何故か root dir と同じに見える……。とりあえず reset して再起動かけると案の定 disk が読めない状態に。まぁ、dvd-ram なので初期化すればまた使えますが。
dma が有効だからいかんのかのぅ、元が録画用 dvd-ram disk だからかのぅ、等といろいろ疑いましたが、結局のところは dvd drive が非同期で動いていたから、ということらしい。一気に書き込んでるように見えて、実際には cache に溜めてゆるゆる書き込んでおる、と。
まぁ非同期であれば terminal がすぐに開放されるので良いっちゃ良いんですが、書き込みの進行度合が解らんし書き込み失敗する dir もあったりするので、こういうときには同期で mount して様子見するのがええなぁと。
$ mount -t udf -o sync /dev/dvd /media/cdrecorder
これで同期で動きます。'sync' は mount の manual には「ext2、ext3、ufs でのみ効果を持つ」と書かれてますがそうでもないような。
書き込み。
$ cp -av pic/hoge /media/cdrecorder
Norman Jewison 監督作品、1967 年。邦題「夜の大捜査線」。
Mississippi の田舎町で、警官の Sam Wood (Warren Oates) は深夜の路上で実業家 Philip Colbert の死体を発見する。地元の警察署長 Bill Gillespie (Rod Steiger) の命令により捜査が開始され、深夜の駅で待っていた黒人がしょっぴかれてくる。しかし彼は Philadelphia の殺人課刑事 Virgil Tibbs (Sidney Poitier) で、母に会うためこの町を訪れていたのだった。殺された実業家はこの町に工場を作ろうとしており、その未亡人が犯人を検挙しないと工場の話は白紙にすると主張したため、町の市長は Bill に Virgil の助力を頼むよう依頼し、Virgil も殺人事件の捜査に協力することになる。しかし黒人差別の風土が根強いこの町では、Virgil の捜査は難行するのだった……。
南部を舞台にした社会派 mystery といったところでしょうか。mystery としては今一つなお話ですが、非協力的な白人たちに科学的な捜査でやりかえす Virgil がかっちょええのです。署長の Bill とぎこちないながらも次第に解り合っていく様もええですな。普通に良い映画。
"She can!" he shouted. His voice rolled like thunder toward the shacks of Mary's Rest. "She can!"
Swan shifted drowsily. The slit of her mouth opened, and she asked in a soft, irritated voice, "Can what?" (page 657)
Pocket Books 版の paperback で先日読了。
第三次世界大戦が勃発し、全米が焦土と化す。少女 Swan は母を失い、自らも酷い火傷を負うが、偶然居合わせた悪役 wrestler の Josh は何かの声に導かれ彼女を守ることを決意する。New York の bag lady だった Sister Creep は宝石店の残骸から不思議な光を放つ glass ring を手に入れるが、やがてその glass ring を破壊せんとする緋色の目の男に付け狙われる。惨劇の時には地下の防核施設に居た computer gamer の少年 Roland は、防核施設の崩壊後、施設の責任者であったかつての戦争の英雄 Colonel Macklin を自らの王と思い定め、王を守るための戦いを始める。生き残った人間は僅かな資源を元に生計を立て、村を形成する者たちもあれば、徒党を組んで暴徒と化す者たちもいた。荒れ果てた大地は作物が育たず、太陽の光も厚い塵芥に遮られ差し込んでこない。だが Swan にはある特殊な力があった。やがて Swan の元に様々な人間が参集していく……。
956 頁に渡って繰り広げられる世紀末救世主伝説であります。今月はずっとこれ読んでたような気がするのぅ。分量も時間も長かった割には早く読み終わった感じもするんですが。
それにしても McCammon、長大で風呂敷大きめのお話なのに基本的には個々人のお話を中心に据えるのは相変わらずですな。核で一度終わった世界なので一種 fantasy の領域に踏み込んでしまっていて、アレな感じの creature や顔面瘤の奇病やらが出てきても驚きはしませんが、上辺の奇矯さよりもむしろ個々の situation に対して登場人物たちが選択する行動に心打たれるのですよ。Swan を救うために身を犠牲にするおばさんやおっさんや犬や馬に涙。妻と子に会うべく既に廃墟と化したらしい街へ向かう男にも涙。真の王に出会い彼に忠誠を尽くそうとするが人の心を捨てきれぬ Roland にも涙であります。でもって最後には希望の光が……。いやはや、ずたぼろになっても life is beautiful なお話。
端的には善と悪の戦いってことになるんでしょうが、悪の化身とも言うべき緋色の目の男にしても、Swan との対話により逆に彼女に手出しできなくなってしまうという人間臭い一面も持ち合わせていて面白いです。まぁ、自分が手出しできないなら他人にやらせようってのも悪魔らしくて良いんですが。
これ読んでしまったからには、そのうち King の『The Stand』も読まなきゃいかんよなぁ。それが筋ってもんだよなぁ。はてさて、いつ読むことになるのやら……。
Jan Garbarek (ss, ts)、Bobo Stenson (p)、Palle Danielsson (b)、Jon Christensen (ds) による 1974 年発表作。
Garbarek と言えば北欧ののほほん牧歌派笛吹きの代表格で、tr.1 "A.I.R." からしてふにゃあんでぴろぴろぴーで脱力なのです。Bobo Stenson の抽象的な piano も Garbarek のまろやか白玉単音の壁に阻まれて前に出られずもどかしい感じ。tr.3 "Hasta Siempre" では北欧 jazz なのに tango です。Garbarek は気障男を装い透かしっ屁な phrase を連発、Stenson も下心見え見えな熱情を醸し出そうとしているようですが元が独善美意識の塊みたいな人ですからあくまで端正な北欧 jazz になってしまい、結果として南国なのか北国なのか判然としない歪な音楽と化しております。いやぁ参りますねぇこういうのは。
しかし終盤 2 曲は秀逸。tr.4 "Witchi-Tai-To" は北欧の冷え冷えした空気感に満ちた sound で、Stenson の play が光ってます。tr.5 "Desireless" は 20 分以上の大曲で、Garbarek の意外にも熱い吹きまくりが聴けます。Garbarek もその roots には Coltrane が居るんやなぁ。のほほん牧歌に向かっても spiritual な視線を失わない、ってことが、Garbarek が Coltrane から学んだ一番大きな美点なのかも知れんのぅ……等と思わされる演奏でした。