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うわー tr.9 "Theme From Larry's Dub" なんてベタベタの dub っすよ。というわけで Garnier 先生の栄光の軌跡を振り返っております。これは 1997 年発表の 2nd。日本盤は Avex から出ていて、bouns track で Garnier 先生の「ボクハ、ヘンタイニイチャンデス」も聞けます。やめときゃいいのに先生ってばよ。
前作の detroit への傾倒は後退し、幅の広い曲調で勝負している感じ……なんですが、いろいろやっちゃったお陰でまとまりのない album になってしまってますなぁ。印象に残る曲も無いし。まぁ、F Communications の首領として label color を一身に背負ってやるぜ、といった意気込みは感じられますが、後の作品ほど natural に表現できてないところがどうにも歯痒くて。down tempo ものの比重がこの頃から高くなっていて、昔から ambient な音作りに意識的だったということは再認識できますが、やはり過渡期の作品として後の歴史家は片付けてしまうことでしょう。
David Cronenberg 監督作品、1986 年。
物質転移装置の開発に勤しむ科学者の Seth Brundle (Jeff Goldblum) は、雑誌記者の Veronica (Geena Davis) に開発のことを打ち明けたことで彼女と仲良くなり、やがて二人は相思相愛の関係となる。やがて最大の課題だった生物の転移にも成功した Seth だが、Veronica の上司かつ元恋人の Stathis Borans (John Getz) が Seth に嫌がらせをしていることを知った Veronica は、Borans に抗議するため外出する。研究を早く成し遂げて、一人前の男として信頼されたい Seth は、Veronica が戻ってくる前に自ら転送装置に乗り込み、人間転送の実験を行い、見事それを成功させる。しかも、以前のひ弱な Seth ではなく、強靱な肉体を持つ精力絶倫男となっていた。Veronica と Seth は実験の成功を喜び、Seth は転送によって人間は新たな段階に進むとの持論を持つようになる。だがやがて Seth の身体には変調が訪れ、身体からは変な剛毛が生え、性格も変わり、何故か甘い物ばかり食べるようになる。実験の再調査を行った Seth は、最初の転送の際に、自分と一緒に一匹の蠅が一緒に入り込んでいたことを知る……。
David Cronenberg の作品というとグロくて B 級で悪趣味というのが定説で、この作品なんかは正に Cronenberg なウキャキャな展開に仕上がっているのですが、その一方で特異な環境や能力に翻弄される人間の苦悩をえげつなく描き込むという特色もあって、それ故に尋常の B 級 horror movie とは一線を画する作品になってます。
この映画の怖さが、Seth が蠅と融合して変容していくという点にあることは認めますが、蠅と融合すること自体が怖いのではなく、次第に蠅になっていくという、その process が怖いんですな。例えば、人間と蠅が遺伝子 level で融合したらば、出てきたときには既に成体としての Brundle fly になってないと変じゃないか、という考え方はあると思いますが、Cronenberg はそういう作り方をしない。転送後、見かけは普通の人間、しかし以前よりも健康体になっている。それは転送によって人は happy になるぜ! という甘い夢を抱かせながら、次第にその夢が崩壊する様を容赦なく描くことで悲劇性を高める効果をもたらしている。また、恋人の Veronica も、次第に元の Seth ではなくなっていく男に対して、彼から逃れようとせず、彼を抱きしめ涙を流す。また、彼の子を身籠もったと知った際も、直ぐに下ろそうとは考えず、ただ狼狽える。素材が蠅男ということで異質な感触はあるが、この見せ方は重病に罹った病人とその恋人との関係に近似している。そしてその愛の行く末は、Seth が人としての理性を失い昆虫の本能に取り憑かれることで一気に終焉へと向かう。実に古典的な作り方ですが、Seth の姿を徹底的に deform し、その変わり果てた様を描き込むことで、人はどこまで変容を許容できるのか、愛する者をどこまで愛しきれるのか、という theme をより鮮明に表現しているように思える。だから、最後に蠅とも人とも付かぬ肉塊に成り果てた Seth に銃口を向ける Veronica が、それでも撃てずに泣く様、そしてその銃口を自ら額に押し当てる Seth の姿が哀れに思えて仕方がない。それは、Seth にとってはなけなしの人間的感情であったろう。Veronica にとっては、その肉塊さえかつて愛した男に見えたのだろう。そういった感情が見えるから、哀れ極まりないのである。
持ち上げすぎた(爆)。天井這い這いする場面とか、元彼クンが腕と脚溶かされる場面とか、あーやっぱ Cronenberg はええわぁと笑いながら観てました。笑って観られて最後は切なく感動。おお、これぞ娯楽大作の基本! 流石は Cronenberg、解ってらっしゃいますな。
Laurent Garnier 先生の戦いの歴史を振り返る series、今回は初期音源 & remix works の 2 枚組、1998 年作品。収録されているのは 1991 年から 1994 年までの諸作品です。
Garnier 先生が detroit techno に傾倒しまくっていた頃の音源なので、先生の album としては最も踊りやすい作品と言えるでしょう。CD 1 には tr.2 "Wake Up"、Choice 名義の tr.6 "Acid Eiffel" 等、Garnier を語る上では外せない名曲が入ってます。曲の方も acid で minimal で detroit、心地よい疾走感に浸れます。
でも個人的には CD 2 の方が好みだったり。europian な雰囲気が印象的な美メロ track が多いからかのぅ。ついつい C.J. Bolland の album を連想してしまう瞬間も。この時代ならではの pure techno 祭り状態で、Garnier 先生にも若い頃があったのだのぅと感慨しきりであります。
Laurent Garnier 先生の以下略、最終回ということで 2005 年発表の 4th album です。
前作の "Unreasonable Behaviour" から 4 年、その間に Garnier の心情に如何なる変化があったかは知る由もないのですが、前作を遙かに凌ぐ超弩級の down tempo かつ dark 色全開な album になってます。つか、もはや dance album としては聴けませんよこれ。小生の頭の中では Squarepusher の "Music is Rotted One Note" と同じ回路に接続されてしまうようです。dark で abstract で偽 jazz な匂いが充満していて、detroit な頃の Garnier 先生の面影は殆ど残ってない様子。Bugge Wesseltoft まで召還していて、かなり真面目に偽 jazz に取り組んだ模様です。
とはいえ、detroit revival な昨今の風潮に阿ることなく我が道突き進む先生の姿勢には男を感じますな。ざらついた質感の音が不安を誘いますが、それでもここには力強い soul の輝きがあり、Garnier らしい atmospheric な美意識が凝縮されている。Laurent Garnier、まだまだ奥が知れない artist ですなぁ。
Herbie Hancock (p)、Freddie Hubbard (corn)、Ron Carter (b)、Anthony Williams (ds) の 1964 年録音。この album は US3 が sampling したことで有名な tr.3 "Cantaloupe Island" も収録。
Herbie には苦手意識がある小生ですが、この album はなかなか良いっす。Herbie つー人は頭が良いからか play も理知的で弾けきらんところがあるんですが、one horn で矢面に立つのは Freddie Hubbard、ということで Freddie が直情的な solo を吹きまくるのに引きずられる形で Herbie もどかどか弾いてます。その結果、Herbie の leader 作にしては勢いのある仕上がりに。tr.3 "Cantaloupe Island" はこの album の中では hip でのほほんな雰囲気なので、むしろ浮いている印象。ええ曲には違いないんですが、その後に控える tr.4 "The Egg" の存在感には霞んでしまうわけで。"The Egg" は free に片足突っ込んだ Herbie 調の大曲で、Herbie の composer としての嗅覚の冴え具合と、この 4 人の面子による化学反応が充分堪能できます。いやぁ、やってくれますな。
「石岡君、波瀾万丈の人生なんだろう? われわれが見たものは、まだ彼女の悲劇のほんの一部分かもしれないぜ。地獄のような経験が、彼女の表情を無惨に変えたのかもしれない。この両者には、四十年以上もの時間の隔たりがある」
「じゃ君は、本物だって言うのかい? 彼女が」
私は訊いた。御手洗は、首を横に振った。
「そうは言ってないさ。まだ何も解らないと言っているだけだ。判断の材料はあまりに不足している。簡単には決めない方がいい。これは実に間違えやすいケースだ」(page 127)
角川文庫版で読了。
米国にいるレオナから届いた一通の手紙、それが石岡の元に届けられたことから、石岡と御手洗は箱根の富士屋ホテルに収められている一枚の写真を見ることになる。そこには芦ノ湖に浮かぶロシアの軍艦が写っていた。しかも伝え聞くところでは、その軍艦は一夜にして消失、そしてこの事件については厳しい箝口令が敷かれたという。調査を進める石岡と御手洗は、やがてロマノフ王朝最後の皇女アナスタシアの謎に迫ることになる……。
島田荘司らしい大掛かりな謎を冒頭に配し、やがて歴史の暗部を明るみに出すという展開です。この人の作品は安定して面白いですねぇ。とはいえ御手洗が超人すぎるので謎解きの process はあまり楽しめませんが。あと epilogue 長すぎです……。
Wych Kaosayananda 監督作品、2002 年。
妻を亡くし失意の中で生き延びている元 FBI の Jeremiah Ecks (Antonio Banderas)、しかし FBI の上司から妻が生きていると知らされ、妻の居場所の情報と引き替えに、ある任務を依頼される。元 DIA の Robert Gant (Gregg Henry) の一人息子 Michael (Aidan Drummond) が、Sever (Lucy Liu) と呼ばれる元 DIA の工作員に誘拐された。Sever を追う Jeremiah だが、銃器の扱いと格闘技に秀でた Sever は手強く、また Gant の手下も Jeremiah の邪魔をする。Robert Gant が Michael を追うのは、自分の息子だからではなく、Michael に忍ばせた超小型暗殺機械を入手するためだった。Gant の手下に掴まっていた Jeremiah は何故か Sever に救われ、彼女から妻の Vinn (Talisa Soto) が今は Robert Gant の妻になっていることを知らされる……。
action 大作ですが中身はカス。stylish な爆発系 movie 撮るぜ、と意気込みすぎたのか、話は action の繋ぎ程度にしか機能せず、アホみたいに銃弾がばらまかれ爆発炎上し雑魚な人達は吹っ飛んでいくという映画でした。昔遊んだ殺戮系の洋ゲーを思い出しましたよ。その割にはラスボスあっさり死ぬし Jeremiah と Sever の関係も近くも遠くもならんうちに終了。二人出てきてお仕事しましたよ、という感じか。あれだけ爆発しといて心情的に燃える要素が全くないという、ある意味稀有な映画と言えます。
この映画の取り柄は 91 分で終わること。短いので怒りが沸点越える前に見終わることができます。
Steven Spielberg 監督作品、2001 年。
Monica (Frances O'Connor) と Henry (Sam Robards) の夫婦には、難病に罹り意識不明の息子 Martin (Jake Thomas) が居た。Martin に回復の兆しがないと見た Henry は、試作型の robot、David (Haley Joel Osment) を新たな家族として迎える。David は見た目は人間の子供そっくりで、刷り込み処理を行うことにより愛情を理解するようになる。最初は David に抵抗を感じていた Monica だが、やがて David に刷り込み処理を行い、David は Monica を母親と認識するようになる。David の登場で再び健全な家族生活を送れるようになった Monica。しかし Martin の病状が急に回復し、Monica 達と一緒に生活することになったため、David は母の愛情を独占できなくなる。やがて Martin は David といざこざを起こすようになり、Henry は機械への不信から David に警戒の目を向けるようになる。David の起こした事件を庇いきれなくなった Monica は泣く泣く彼を森に捨てる。junk 屋に捕まり処分されかけたところを辛くも逃げ延びた David は、女たらし robot の Gigolo Joe (Jude Law) と共に青い妖精を探す旅に出る。青い妖精なら自分を人間に変えてくれる、人間になれば母の愛情を取り戻せると信じて……。
Spielberg によるピノキオ再解釈映画。見終わる頃には涙がちょちょ切れます。咳が止まらんし眠いし欠伸しすぎたので。とにかく長い、そしてくどい。
robot に愛を持たせようとした Hobby 教授 (William Hurt) が作り上げた物は、愛を与えるというよりはひたすら愛されることに飢えた機械人形だった。David は愛を取り戻すという目的に邁進する、それこそ偏執的に邁進する。David の無表情と相まって、その愛情探しの旅は不気味な様相を示す。Gigolo Joe も不気味ですな。女を喜ばせることを第一と考える彼は、話の展開を女と絡めて解釈し納得する。David も Joe も複雑な思考回路を持つ robot とは思えぬ単細胞な発想なわけで、これで AI と言われても困ります……と思っていたらば、Teddy が居るじゃないですか! この旧世代クマ型 robot、旧世代どころかこの映画で最も人間的な役回りです。助演クマ賞ものですな。
最果ての地 Manhattan の描写、それと 2000 年後の話を持ってくるところが印象的でした。終わり方は Spielberg らしい説明過多でくどいところがありますが、まぁ解りやすくて良いんじゃないですかね。
Andy Wachowski & Larry Wachowski 監督作品、2003 年。
現実世界で救世主と呼ばれるようになった Neo (Keanu Reeves)。しかし彼は、愛する Trinity (Carrie-Anne Moss) が machines との戦いで死ぬという予感に不安を感じていた。Neo らを乗せた Morpheus (Laurence Fishburne) の船は人類最後の砦 Zion に帰還。しかし Zion の位置は machines に知られてしまい、machines は大部隊を編成して Zion に攻め込もうとしていた。人類軍も持てる戦力を結集して戦いの準備をする。Neo は預言者 (Gloria Foster) に会い、戦いの鍵は Matrix に存在する program の一つ、The Keymaker (Randall Duk Kim) が握っていることを知る。だがその為には大きな権力を持つ Merovingian (Lambert Wilson) の協力が不可欠だった。The Keymaker を求めて Matrix に入り込んだ Neo の前に、以前倒したはずの Agent Smith (Hugo Weaving) が立ちふさがる……。
前作の続き。Super man ごっことか、大広間での Scarface な dive とか、なかなか遊び心の感じられる演出ですなぁ。しかし action と story がどうにも噛み合ってなくて、退屈だったり面白かったりで全体的な balance が悪いような気も。まぁ、次への繋ぎってことで。
北野武監督作品、1999 年。
おばあちゃんと二人暮らしの小学生、正男 (関口雄介)。学校が夏休みになり暇になった彼は、仕事のため遠くに居るという母親に会いに行こうと思い立つ。その話を聞いた近所のおばちゃん (岸本加世子) は、正男の付き添いとして夫のおじちゃん (ビートたけし) に同行させる。しかしおじちゃんはろくでなしの遊び人、金は競輪でたちまち底をつく。色々騒動を起こしつつ、hitchhike しながら旅する二人は、やがて正男の母親 (大家由祐子) のところに辿り着くが、そこでは別の家庭が既に成り立っていた。傷心の正男を元気付けようとおじちゃんは手を尽くし、ハゲ (井手らっきょ) やデブ (グレート義太夫) や優しい兄ちゃん (今村ねずみ) といった旅の道連れもそれに協力してバカ騒ぎする……。
おっさんと子供の roadmovie。しかし北野作品なので tempo が悪い悪い。棒読みな台詞廻しとボッ立ち連発で引きまくりです。話の進行上で必要な場面になると空気の流れが悪くなる。しかし、地の姿を晒して一発受けを狙う場面では流石に生き生きしている。芸人が真面目に演技しようとしても駄目ってことか。まぁ、終盤の風雲たけし城な世界はちと長すぎるとは思いましたが。
roadmovie というと行き当たりばったりな展開になるのは当然なんですが、映画の撮り方からして行き当たりばったり感が漂うってのはなかなか巧妙……と言いたいところですが、そこまで考えてなさそうな作りなので煎じ詰めると下手映画てことになります。久石譲の音楽は出来過ぎですな。