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Tortoise の音に接するたびに、「Tortoise は如何に聴くべきか」とゆー問いを幾度も繰り返すことになる。Jazz っぽいけど jazz が持つ dynamism は持ち合わせていない。Rock として聴こうとするとその message 性の薄さに肩すかしを食わされる。じゃあ何か、Bossa とか ambient に近いのか……をぉこういうときに便利な言葉があるじゃあないの、そう techno に近いのであるよ。わーい techno だ techno だ。って全然ちゃうやんけ(爆)。でも消去法で考えると、一番近いのは techno だったりするので。
Jazz のように静かに theme が流れ始めて、暫くは hip hop みたいなゆるゆる beat で進んでいたかと思うと、いつの間にか人力 d'n'b のような rhythm になってて、訥々とした guitar が入り込んでくる。一幕の映画のように、時間と物語に寄り添う音楽。bass の響きはずっしりと世界の軒下を支え、哀愁と悲哀に満ちた夜に鳴り響く。高揚しすぎないで、弓状の軌跡を引きながら真っ直ぐ胸に入り込んでくる melody。厳しさと大きさと無言の存在。冷たさの中にも暖かさが滲む、大人の男達のお話なのです。
BS を見ていたら、この album の tr.5 "Curious Child" が流れてきた。そういう縁もあって久々に聴き直している。
反復する旋律が懐かしい響きを湛えて鳴り続ける。しかしその奥底には残酷な瞳がじっと闇を凝視している。子供たちの心は無垢で残酷。汚れを知らないが故に過剰な自意識を操りきれない。不協和音ですら研ぎ澄まされた自意識の前では宝石の一欠片となる。危うい balance 感覚の上で、狂騒と静寂が絶えず相克する。
この頃の竹村延和は良い感じに面白いんだよな。1997 年作だけあって、d'n'b の曲もあったりして。これがまた哀愁の初期 Squarepusher 風で。しかしこの作品に見られるような abstruct な感性は、この後の作品群では陰を潜めてしまい、ぐっと安定感を増した minimal track の量産へと繋がってしまうのであった。
最新作は未聴。でも本人曰く「最後の作品」とのことなので、機会があれば聴いてみたいな。
事の発端は昨夜。今まで問題なく使えていた RDF17X (Mitsubishi) の表示に異変が発生。何か Window 開くと、その Window の白い部分が画面の横方向に残像のように薄く広がる感じ。見にくい。それに font が今までよりも薄く見える。日本語が読みづらいこと甚だしい。こりゃいかん。Monitor は UI の命、どんなに Hi-Spec な machine でも、monitor が死んでいては快適環境からは程遠い。
でも software 的な不具合だとアレなので、Windows98 を久々に起動してみる。やっぱり同じ。しかしただの console 画面だと普通に写っているような気もしたのだが……でもでも Grub の画面では白い部分が横に広がるとゆー状態になっていたので、原因は monitor かなぁと。
そういうわけで小雨のぱらつく中、秋葉原へ急行。Dinner の TE170S とゆー液晶 monitor を購入した次第。う、意外と重い。ちなみに 5.8kg だ。担いで家に持って帰り、早速取り付け、PC 起動、と。あれれ、同じじゃん(爆)。じゃあ残る原因というと、ええっ、そんなぁ。
というわけで、真の問題点は Graphic Card にあったのでした。Elsa 製の GeForce2 基盤に異常があった様子。Card 差し直したりしても症状は変わらなかったが、GeForce2 の前に使っていた Riva TNT を差すと正常に表示された。勿論、RDF17X も正常に表示されてた。あああ、何だよこれなら先に Graphic Card 差し替えて確かめておくんだった……。とはいえ、液晶 monitor 欲しかったのは事実だし、Riva TNT は押入の奥深くに封印していたので探すの面倒だったし、RDF17X も煙草の煙る極悪環境で 3 年以上使っていたし、いろいろな要因が複合しての結果だったのですよと言って自分を慰めることにしよう。
それにしても液晶 monitor は思っていたよりも見やすい。小生も仕事場では液晶 monitor 使っていたけれど、今までは「CRT こそ desktop PC での monitor として最高」とゆー思いこみがあった。その認識を改めなくてはなりますまい。そして、いろいろ動かして解る CRT monitor の大きさ。小生の部屋にはもう空いている space って無いぞよ。今のところ、押入の段ボールを一部配置換えして何とか押し込んでいるけれど、あれが落ちてきて押入を蹴破って小生の上に乗ってきたら、多分死ぬな。早いとこ何とかしなくては……。
DJ Spooky と言えば illbient の第一人者……という風評について小生は語ることができない。何せ聴いたことないからね。illbient って言葉からして怖そうだし。でもこの album は店頭で視聴した時からわくわくのどきどきなのですよ。だってこれ、jazz ですよ。勘違いしてはいけない、jazz っぽいのではなくて jazz なのだ。
何が良いって兄ちゃん、tr.1 "Ibid, Desmarches, ibid" を聴いておくれ。Matthew Shipp の piano がずこぉんと鳴り響いた瞬間、小生はこれが DJ Spooky の album であることを忘れたのだよ(失礼)。Matthew Shipp と言えば小生は思わず David S. Ware の combo を思い出してしまうけれど、何者も寄せ付けぬ Ware のような巨人が不在のこの album では、Matthew の piano はより闊達に自由に自分をさらけ出しているように聞こえる。曲が進んでいくと、流石に DJ Spooky 色の強い Hip hop や ambient な雰囲気のものも流れてくるが、でも Matthew Shipp の piano が入ると世界はぐぐっと piano で調律されてしまう。この呪術的なアヤシサが、深淵の恐怖と、美に魅入られし魂をくっきりと照らし出す。William Parker (b)、Joe McPhee (ts & tp)、Guillermo E. Brown (dr) といった脇の業師も、free jazz ぎりぎりのところで鋼の結束力を発揮して、抑制の利いた ensemble を聴かせる。いやはや見事な jazz album。
".hack//SIGN" のサントラ。監督は真下耕一、音楽は梶浦由記。この組み合わせは "Noir" 以来かな。
梶浦由記らしい tribal で melodious な世界。しかし話が仮想現実の game 世界なだけに、音楽もまた「此処ではない何処か」を志向する。exotic な風味を十二分に塗せて現実離れした世界を仮構しつつも、素朴でべたな旋律も生かしていくのが梶浦由記らしい。".hack" の世界を象徴するような飛び抜けた名曲が無いようにも思えるのだけれど、逆に言えばどの曲も real と game の境界線を絶えず行き来する(=日常と祝祭の狭間で揺れ動く) ".hack" の性質をよく表現しているということで、個人的には高い評価を与えられる album に仕上がっている。ED の "yasashii yoake" と OP の "obsession" が、album では逆転しているところも一捻り効いてて面白いです。
読了。linux の誕生と発展に関する物語はいろいろな場所で語られてきたけれど、この本はその linux のみならず、free software 〜 open source 運動とそれを取り巻く人々の物語も取り込んだ一大ドキュメンタリーになっている。緻密な調査と interview によって構成された数々の物語は、その当時の熱気を感じさせる勢いで思わず一気読みさせられる。open source が持てはやされ株価の上昇にも一役買っていた頃の話なので、今になってみるとやや冷めた感覚で読んでしまうのはやむを得ないけれど、その精神が今なお息づいているのは周知の通り。linux 使いなら読んで損しないでしょう。
再発ものって最近の流行なのでしか? こないだの John Beltran や、Ian O'brien の "Desert Scores" とか、まぁ嬉しいっちゃ嬉しいのだけれど。そして The Black Dog も "Temple of Transparent Balls" とこの "Parallel" が再発。小生もこの機を逃さず買いましたとも。
"Parallel" は The Black Dog の初期も初期、Warp から album 出す前の track を集めた作品らしい。変態度は確かに他の作品よりも低くて、所謂古き良き techno であり breakbeats な track が揃っている。で、それがまた秋の夜長に just fit なのですよ。これを聴くと、黒犬も Detroit Techno の落とし子であることが良く解る。minimal な phrase を連発しながら、哀愁のシンセ音が soulful に空間を満たす。地味で控えめに見えて、しっかり自分たちの美学を突き詰めているようで。美味です。