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minimal 魔道を突き進む surgeon、会心の second album であーる。
魔道を突き進む御代らしく、minimal な phrase をこれでもかこれでもかと繰り出しつつ、pitch の変調で世界を緩やかにうにょうにょと変化させていく。怖いです恐ろしいです麻薬です中毒ですアヘアヘ。techno 工場の piston 連打を前にウヘウヘ踊っているの図。てゆかほんとに minimal だよこれ中古屋の餌箱に突っ込まれるのも解る解るって言いながらまんまと手に入れる小生も所詮はゴミ捨て場にたかる鴉さんと同類なのさ。生きるためには形振り構ってられないのさっと達観した振りして今日も自分を騙してみたり。誰か俺を救ってくれよぉ。
Raystorm の arrange version。techno 調でありながら melodious な tamayo world が全面開花。"Geometric City" の詩情、"Aquarium" の静謐、"Luminescence" の高揚。それでも何処か違和感が拭えないのは、小生が minimal に毒されているからか、melody と techno は相容れないからか。
しかし Ray の世界と melody は不可分なわけで、ヒトと機械の分かちがたい融合を音で表現するために tamayo は melody と dance beat を選択した、ということなのだろう。そこに違和感を感じるとすれば、その違和感は Ray の世界で生きる戦士達の胸中とも、また機械の意匠に封じられたヒトの苦悩とも絶妙に link していると解釈すべきである。その姿勢は、異物との communication を徹底的に排除しようとする OGR の "G Darius" 的姿勢とは明らかに相容れないが、それ故にむしろ奇妙な安らぎの世界を生み出すようだ。暗い世界にも希望の光を導く、これはそういう響きだ。
趣味に合うかと言われれば否と答えよう。しかし振り返らずにはいられない。それが Zuntata 道と言うものさっ(笑)。ちなみに小生は original version の方が好き。世界観が統一されてるからね。
これも minimal だなぁ。K Hand 姉さんの 1997 年作。とっても tough で stoic で hard-boiled なのに、housy で silky なのよーんって何だこりゃ全然 image 沸きませんね。
この前見た「アウト・オブ・サイト」とゆー映画の後半は Detroit が舞台だったけど、想像以上に寒そうなところだったなぁ。やっぱり寒いところだと硬派な techno が生まれやすいのかななどと埒もない想像を逞しくする。地味な中に一本筋が通った track ばかり。
しかししかし final track の "Feel" は、Horn Section を feature した格好良い音に仕上がっていて、album の中で異色を放出しまくりなのです。おぉ〜、燃えます燃えます。
system に飼い慣らされる毎日に安住して自分を見失っていないか?
外から押しつけられた rule を、何の疑いもなく受け入れていないか?
巷にはびこる安易な音楽に、soul を吸い取られていないか?
real な自分は、本当に自分の足で立っているか?
本当の自由を手に入れるために戦えるか?
risk を前にしても、一歩踏み出す勇気はあるか?
恐れることはない、あの声が聞こえるだろう?
解っていたはずだ、あの声はずっと響いていたのだから。
内なる声は大地の声と繋がって、遙か彼方を目指す。
それは空を満たし、星々の間を満たし、彷徨える同胞達の魂に届くだろう。
そして翼を得るだろう。
そして笛を得るだろう。
風の間を渡り、空を音で彩りながら、system の呪縛を洗い流す。
灯火を絶やすな。それは後に続く者達の道標なのだから。
俺達を遮るものはもう何もない。
しまった、この album には "Wild Night" が入ってたんだ。数年前にジョン・メレンキャンプとミシェル・ンデゲオチェロの duet で cover されてた名曲で、あの version も大好きだったんだよなぁ。勿論 original も乗りが良くて、若くて溌剌とした soul groove に満ちている。
小生は若かりし頃の Van にはあまり興味無いほうなんだけど、それは昔の Van がかなり気負った作り込みをしていて、あまり自然な流れを感じないからなのである。しかしこの "Tupelo Honey"、自然です伸びやかです爽やかです。表題曲の "Tupelo Honey" での緩やかな盛り上げ方なんて、既に veteran の風格。やっぱ凄い人です。
んで、小生苦手な country 調の曲が多いのも本作の特徴か。いやー、Van の声で聴いても辛いんですが、でも許す(笑)。
昔見たときは面白さが小指の爪ほども解らなかったアニメだが、見直してみるとそれなりに泣けるアニメだったんだなぁと。
王立宇宙軍のへたれ士官が貧しく敬虔な女性と出会うことで一念発起して、本気で宇宙飛行士になろうと奮闘。周囲のトラブルや政治的な思惑が交錯する中、遂には宇宙へ飛び立つ、というお話。
結局のところ、大仰な love story に過ぎないわけだけれど、メカの描写は見事。終盤の、ロケットを奪おうとする隣国の国軍とオネアミス王国軍との交戦中、そのど真ん中をロケットが飛翔していくところは、映画的な嘘臭さが横溢していながらも「飛んで良かったよなぁ」と素直に感動してしまう所がやっぱり映画なわけで。
評価はちょこっと上がって、中の上ってとこです。
review では Van Morrison で書いているけど、実は Heavy & Loud 症候群が再び襲ってきてる今日この頃なのですよ。
で、まぁ気を落ち着けて "Therapy? / Nurse"、"Therapy? / Hats off to the Insane"、"Metallica / Ride the Lightning"、"Helmet / Betty" と立て続けに聴いて何とか自分を騙そうとしているのだが、なかなか気分は収まらない。CD 屋に行ったら行ったで、Metal や Hardcore なところで足が止まっちゃうし。
いかんのであーる。「"Metallica / Kill 'em All" ってまだ買ってなかったっけ?」とか「おや Rage の new album が出ておるぞよ」などと考えてはならぬのである。こういうときは中古屋の餌箱でゴミみたいな noise 餌を買い込んで使い込んでポイするのが常道なのだ。
ぬおぉ、でもウルセー音が聴きたいですぅって俺もバカ丸出し(笑)。
何だかんだ言ってもやっぱり変態な album なわけだ。Chaotic に乱れまくる guitar と drum の狂騒から、高らかに天地を威圧する Jon Anderson の Yes voice が舞い降りてくると、いつしか風雨は止み、幸福に満ちたお花畑が広がっていたのであった。ぬおおお〜〜、熱く加熱した花の子ルンルンかよ。"The Gate of Delirium" は Yes 印が三重丸な大伽藍プログレなのであった。
続く "Sound Chaser" は Yes 風インチキジャズプログレ。こういうのを聴くと、Yes は Soft Machine になれないと思い知ります(笑)。楽器が上手すぎるのも考えもの。
んで "To Be Over" は、またまた幸せ一杯な曲だったりして、嫌でも Jon Anderson のプログレ声に押しまくられるのである。ああ幸せ。
新居昭乃さんと Yayoi さんの unit による一作目。この後は続かなかったけど。
昭乃さん solo 名義作に比べれば、dance beat と土着性を強調した音作り。oriental で scale の大きな声を響かせる Yayoi さんの声に、無国籍風で dreamy な昭乃さんの声が重なる。
厚く漂うシンセの音は南国の熱気を帯びているようで、どことなく細野晴臣の "Naga" を連想させたりもする。
そして "Reincarnation" や "Flower Crown" で聴ける、いかにも昭乃さんらしい pop song には、ただただ聞き入る他はない。やっぱり良い曲書きますね、この人は。
instruments を操るのは、吉良知彦や保刈久明といった、お馴染みの面々。album 一枚通しての統一感も見事。未だ見ぬ南国の孤島への旅を楽しめます。つーても小生は沖縄までしか行ったことないんですが。
さぁ、暑い暑い季節がやってくる。暑い季節には trance で upper に納涼、つーのが定番です。
とはいえ trance はすっかり流行物な昨今、出来の善し悪しはピンからキリまでという玉石混淆状態。techno でも house でも、ある程度は「定番中の定番」と称えられ、何年経っても replay される mix album があるもんだけど、こと trance となると定番を挙げるのは難しいような。これってどうしてかなぁ。歴史が浅いから? 個性が発揮しにくいから?
しかし小生にはこの CD があるから、ひとまず安心できるのである。Yoda の mix によるこの Mothership コンピ、何よりも album 一枚の流れが素晴らしい。美しい風景を愛でながら landcruising しているような心地良さ。それは大きな物語のようであり、絶妙な timing で止めどもなく絶頂を迎えるも、なおも快楽への志向は留まることを知らず、更なる高みへと上り詰めようとするかの如く beat と break がしのぎを削るのである。って書いてみると何だこりゃエロ小説風(笑)。いや否定はするまい。trance と肉体の快楽本能は直結しているのだ。さしずめ Yoda は前戯も後戯も達者な床上手というわけで、listener は彼の手腕に為すすべもなく陥落せざるを得ないのである。何ともまぁ心憎いお人であることよ。
おっ、"Physalis / Night & Dream" から ambient な繋ぎで "Moogwai / Viola (Armin van Buuren remix)" へと流れる展開がまた絶句もの。うひょひょーい。たんのー。
はっきり言って嫌いな音です(笑)。音から伝わってくるものが何もないというのがいかん。
テキトー感に溢れる guitar、やる気なさげな bass。やたらと熱い Mark Stewart の agitate も浮いてしまって空回りを繰り返す。Bruce Smith の drum はこの面子の中では唯一評価に値するけれど、ぺなぺなした音で魅力も半減。
小生の書いたような酷評を期待してこういう音にしたんだろうとは推察できるのだけれど、これで「世相への反抗声明」になっているとも「身をもって punk を体現」してるとも思わないのだよ。avantgarde にもなりきれず、band としての結束も大して強くはないが、Mark Stewart の自己完結・自己主張への欲望は捌け口を求めてのたうち回っていた、それがゴミの固まりとともに吐き出されただけのこと。
む、こんな album に言葉を費やしすぎたか。じゃね。
何で techno 聴きだしたんだろう……と、今更ながらに思うことがある。
元々は嫌いだったはずなのである。game music 〜 pops 〜 rock 〜 heavy metal 〜 hard core 〜 jazz ……と、小生の音楽遍歴も変遷を重ねてきたわけだけれど、techno を積極的に聞き始めたとっかかりと言われると返答に窮する。身に覚えはないけれど、いつの間にか techno ばかり聴く習慣が付いてしまっている。
techno つーのは、一つの genre として括ってしまえるけれど、絶えずそこから逃れ出てしまう困った genre である。故にそれは世の音楽の中に、否、世の音の中に偏在する。そう、techno が真に革新的であったのは、過去、音楽は楽器という枠の中で構築される世界であったのに対し、楽器という枠を取り払うことで、音楽ならざる無秩序な音の世界を逆に音楽の手段として用いた点にある。そこでは noise も violin も等価な音素材として扱われる。結果どうなるか? 世の音はすべて音楽と化してしまう。洗濯機の noise も、雑踏の無秩序な足音も、さりげない日々の会話も、夜の静寂も、すべてが等価な音として耳に迫る。
それは、緩やかに、しかし確実に世界を変えることになる。今まで聞こえなかった音に耳を澄まし、音を新たな感覚で取り込むこと。
何気ない風景から、その風景を彩る音へと意識を集中させること。
そうした感覚を身につけると、既存の「音楽」でさえもが techno 耳の影響から逃れることはできなくなる。acoustic な響きは、かつては絶対的な存在感で音の伽藍を構築していたのに、それは「その音世界を構築するために、雑多な音世界から選択された音の組み合わせ」として知覚されてしまう。
そこに神はいない、と思い知る瞬間が、しかし、新たな扉を開く鍵になっている。
Multiphonic Ensemble の、現時点での最新作。今の半野喜弘は既に Multi の範疇を大きく越えてしまっているけれど、この album で聞こえる breakbeats と noise と romantisism は、techno の持つ無尽蔵の可能性を感じさせてくれる。そうか、こういう album を聴いていたから、世界が変わってしまったのか……と、またまた思ってしまう今日この頃なのである。