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Keith Jarett といえば "Koeln Concert" を良く聴くくらいで、他の album で良い印象のものは少なかったりする。むしろ Keith に似ていると言われる Bobo Stenson や Steve Kuhn の方が肌に合うというか。それって逆説的というかひねくれてるというか、小生の嗜好性をこそ疑うべきなのかも知れないのだけれど。
この "My Song" も長らく埃をかぶっていた album で、久々に引っぱり出して聴いているが、やっぱり Keith の piano は冗長。relax しているのか単にやる気がないだけなのか、どうにも入り込めない。小生がもう少し歳とれば、良さが解ってくるのかな。
読了。人間ではないと大人たちから見なされてしまったビーンだが、健気に頑張ります。そんな彼でも、エンダーが自分よりも指揮官として相応しいということには自覚的。しかしそのエンダーにも苦悩の影を読みとり、何もできない自分に苛立ったりもする。やがて最後のゲームが始まり、ビーンにも打つ手なしと思われた中でエンダーが決断を下す……。
ある意味、エンダーよりも高い知性と情報を備えたビーンであるが、それ故に大人達の駒としての自覚も充分に備わっていた。バガー殲滅戦の真相に到達しつつ、それを口にできないビーンもまた悩める 6 歳児なのだよ。何とも、過酷な運命を背負わされたものだ。
しかし最後はとりあえずハッピーエンドで、よかったよかった。
minimal に、stoic に我が道を突き進む田中フミヤ。ここには耳に馴染む melody はない、空間を豊かに彩る strings の響きも、曲に表情を持たせる vocal の響きもない。あるのは bass drum と hi hat の規則的な rhythm、それに数少ない上物のみである。そしてひたすら反復反復反復。こーいう album を部屋の中で聴いて楽しいのかと問われると、素直に「楽しい」などとは言えないわけだがしかし田中フミヤの album を無性に聴きたくなる時があるのも確かなのである。
techno が本来持っていたはずのどす黒くて呪術的な groove は、他のジャンルとの混淆によってどんどん中和されている。それは逆に techno の可能性をも広げていて、それ故に傑作となる album も数多いのだけれど、原石の輝きを失って迷走する場合も多いわけだ。田中フミヤはその点、迷いがない。生まれたてでも classic の響き、なのである。この「ごろり」と転がっている原石の感触が、懐かしくも新鮮に感じられる今日この頃。
Hidenobu Ito の音を初めて意識したのは、多分 "Boogiepop Phantom (soundtrack)" 収録の "Unstability"。聴いたときの感触は「oval やんけ」。さっきも聴き直してみたが、やっぱり oval っぽいとしか言いようのない、noise で着飾った electronika だった。その後に続く Rei Harakami の "Pone" への流れが美しすぎて、小生的には "Pone" への助走としか思えない組み合わせだったのである。だがだがしかし、この "First Love" での clear で確信的な音はどうだ。Breakbeats のど真ん中へ dive して、爽やかな音像が次から次へと繰り出すこの自信に満ちた響きは。これが oval もどきな音出してた人の album ってのは反則てゆか背負い投げですな。
また比較するのも何だが、Hidenobu Ito は Rei Harakami のように自分の色を音で出せる type の artist ではないと思う。むしろ様々な素材を引っかき回し再構成し摘み上げ振り回した挙げ句、何故か万華鏡のようにそれぞれの物が収まるべきところに収まってしまった、よしよし、てな感じの音である。そこには avan で暴力的で強引な衝動と、ほのかな叙情性が同居するフシギな世界が存在する。それが 1 曲とか 2 曲だけなら偶然が産んだ奇跡として片づけられるのだが、全 20 曲に渡って繰り広げられるとなったらそこに作為性を感じずには居られないであろーが。Hidenobu さん、アンタはえらいよ天才だよ。才気走りすぎだよ。きっと "First Love" で舞い上がりっぱなしなんだよな。ちょっとした刺激にもすぐ恥じらって爆裂してしまったりさ。
だから、"old tapes" で ASO の SE を sampling したのも小生的にはオールオッケーなのです。あはははは、ハジけてくれこの調子で。
Rhodes Piano を大きく feature した、Susumu Yokota の sublime 盤。最近の Yokota は、skintone から出すものは私小説風、sublime から出すものはフロア向けといった区別をしていたような感じだったけれど、skintone での "Will" とこの作品を聴き比べると、両者の歩み寄りが意識されているかも、と思ってしまうな。
"Sound of Sky" でも Yokota らしい coolness は漂っているけれど、例えば "1998" ではその coolness の中に沢山のおもちゃを突っ込むことで一種の危うさを演出していた。その危うさこそが、Yokota の微妙な位置感覚と独特さを伝えていて、小生も聴いていてドキドキしてしまったわけだ。しかし "Sound of Sky" で鳴り響く音には迷いも不安定さも見いだせない。喧噪の中で確信を追い続けた Yokota が、基本的にフロア指向な sublime 盤でも静けさを意識させるようになったというので、小生は嬉しいような寂しいような、不思議な気分にさせられてしまう。Susumu Yokota は元々安定した trackmaker なので、安定しすぎてはみ出さなくなるのが寂しく感じる所以。"Grinning Cat" のような毒も感じられないし。
と言いながら、結構聴いているわけよ。相変わらず。