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物語から切り離された音。
音を、音の本来あるべき姿へ還元するという行為。
音は波。蝶の羽音。蟻の足踏み。音による点描が、やがて一枚の絵を描く。
それがビートとなり、群を成し、しかし静寂へ。再び波。
高音波を知覚する。低周波を知覚する。再び解体される音。
そして再び再構成される音の断片たち。ヒスノイズが定期的に鳴り響く。
コラージュ。寄り添う音たちが再び音楽を形作る。
いや、音楽と思いたがる自分がいる。そこに幻想と感情を求めたがる自分が。
無機質に定期的に鳴り続けるサイン波。ミニマルに反復反復反復。
群れ集う音が風景を見せてくれる。風景が先にあるんじゃない。
音が風景を作るんだ。それは見えるものを選別する。
音を感じる。音の存在感。音が、ある。音を感じる俺が、いる。
音と音と音と音。ビート。ビート。
oval と同じ地平にいるような、池田亮司の佇まい。
点描される音の数々は、CD が「飛んだ」ときのあの音や、人工的なサイン波といった、cheap な素材で成り立っている。それらが定期的かつ重層的に鳴らされるとき、そこには不思議な emotion が噴出する。それを「物語」と呼びたがるのは小生の性だろうが、もっと的確には「体験」としか呼びようのない感覚である。頭脳を介して快楽を得るのではなく、もっと細胞単位で、鼓膜の震えと神経細胞の伝達とで体中にパルスを生じさせることで発生する新しい感覚。普段使われていない部分にも電流を流し、否応なしに反応を起こさせることで、耳から入ってくる音を音そのものとして捕らえようとさせる。それは自然な、本当に自然な感覚の復興なのだろう。
聞き終えたとき、沈黙の中から耳朶の奥から響く自分自身の耳鳴りが聞こえてくる、そういう album だ。是非夜中に、ヘッドホンでお聴き下さい。
観ました。
いやはや、飯食いながら観るものではないっす。冒頭のノルマンディー上陸シーンから血が血が血が。戦場は爆音と銃声と怒号と阿鼻叫喚が絶えず飛び交い、止め処もなくあふれ出る兵士達の血が波寄際を赤く赤く染める。その戦場を生き延びたジョン・ミラー大尉の元に軍の参謀長官から新たな指令が下る。この戦場から一人の兵士を見つけだし、母国アメリカへ送り返すこと……。生きているか死んでいるかさえも解らぬ一兵卒のために命がけで最前線へと乗り出すミラー隊。もちろん無事では済まされない。何人もの部下を失い、やっとライアンを見つけるが、しかし彼もまた戦場で生きる男であり、中隊の一員として戦うことをミラーに告げるのだった……。
一兵卒を救うために戦うことに疑問を感じる隊員達。それを取りまとめるミラー大尉の、苦悩に満ちながらも毅然とした態度が見事。Tom Hanks はキレイ役も汚れ役も上手くやってのけるなぁ。他の兵士たちも戦場の緊迫感をよく表現していた。戦場の描画でも、泥試合のように見えて、個々の兵士の心情変化を細かく捕らえているところが流石に Steven Spielberg の映画。大作の名に恥じぬ作品でした。上の中。
深い霧の海に、トーチライトがゆるゆると流れ揺らめいている。冷気が肌を刺し、吐く息の白さに自分でも驚く。遠くから聞こえる汽笛の声。渡る風が、見えない森の存在を示す。
迷い込んでから何時間が経過しただろうか。ずっと同じところを歩いているような気がする。ここには真っ当な光は射してこない。何かを待つには良い場所だ。
何を待つ? それを、男は知らない。ただ待つのが彼の勤めだ。それを疑問に思ったところで仕方がない。どうせ答えは出ないのだから。カフカの編み上げた迷宮と同じように。
そう、待つだけだ。そして感じる。この空白の世界に木霊する、静かな精霊の歌に。それは耐える時を楽しむ時。静寂の中に音楽を感じる時。何かが常に鳴動し、しかし主張することなく、いつの間にか周囲を取り囲み風景を彩る。そこには明瞭な色彩はない。白と黒が微妙なグラデーションを織りなしつつ、絶えず動き続けるのみ。永遠と一瞬の相克に、ただ流されるのみ。
その冷たい輝きが、その世界の全て。躊躇いの中を生き続けること。そうやって昨日も過ぎた。そうやって今日も過ぎる。そうやって明日も過ぎるだろう。ただそれだけのこと。鳴りやまぬ汽笛は、今も誰かの心を凍らせるのか。
Chill Out のコンピ盤なんて、店頭で聴いてもほとんど食指を動かされることがないのだけれど、この DJ 19 編集盤はただただ気持ちいいの一言。down beat な中に響く澄み切った piano の音にもう弛緩しまくりです。
結局、小生が Chill Out ものに手を出さないのは、その手の track が「癒してやるぜオラオラ」な感じで、べたべたした sound を強烈に押しつけてくるからなのである。どうにも灰汁が強すぎて、付き合ってられないというか。その点、DJ 19 編集のこの album では、19 の好きそうな繊細な track が揃っていて、悪趣味な方向に流れていないところが高得点に結びつく、と。夏の夜明けの清涼と共に聴くのが良いかと。まだ 2 月だけど。
ちなみに trk.5 の "Chicane / Low Sun" は、小生が昔作った曲にそっくりなフレーズが使われてます。いやー嬉しいやら悲しいやら(笑)。まぁ、自作ものよりこっちの version の方が楽曲的に優れているので、こういう真っ当な曲で使われて良かったということにしませう。
読了。ロッテルダムのストリートで路上生活していたビーンが、修道女カーロッタの保護を得てバトルスクールに入学し、そこで才能を人知れず発揮して、エンダー率いるドラゴン隊を編成して入隊するまで。
エンダーは上巻の巻末にちょこっと出てくるだけだけれど、バトルスクール内では彼の影響力が通総低音のように響いている。ビーンは自分が賢明であることも、チビで年少であるため指揮官にはなれないことも知っている。故にエンダーを指揮官に据え、ビーンはその副官として自分の才覚を発揮しようとする。む、自分の背の高さを知るってのは大切だよなぁ。
そしてビーンの出生の秘密についてもシスター・カーロッタの追跡調査のお陰で明らかになる。ビーンはその類い希なる能力と引き替えに、長く生きられない身体だったのだ。また酷な運命を背負わされたものだ。でわ下巻で。
久石譲というと、宮崎駿や北野武の映画音楽担当者という印象が強くて、んでその音と言えばやはり classic を base にして叙情的なメロで涙腺を緩ませる系(笑)の、まるで和製 John Williams な世界を想像してしまう小生である。んがしかし、この "Alpha-Bet-City" はほとんどシンセサイザーとサンプリングで成立している、摩訶不思議で minimal なエレクトロサウンドの結晶となっている。印象はとにかくチープ、チープ、チープ! しかし久石の構成力と imagination によって、そこはかとなくこの世ならざる音世界を構築するに至っている。title track の "Alpha-Bet-City" は美メロとチープさが相まって、一昔前の game music を連想させるが、これはむしろ例外的な曲。この album を象徴する曲といえば track 6 (10) の "Da-Ma-Shi-絵" で、延々と回帰する minimal なフレーズに煽られていると自分がどっか行っちゃうんではないかと心配になるくらいの変な中毒性がある曲である。それにしてもねー、世界の久石にしてこの音とゆーのも、何というか若さというか(笑)。久石の音の背景に minimalism があることを改めて感じさせる一枚と言える。ちなみに 1985 年作。
ここらで club 仕様の album とか作ってくれないかな。多分買っちゃうよ俺。