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すっかり知名度も上がって Fuji Rock Festival の stage にも立った Harakami 師匠の新譜が早くも登場。といっても新曲は二曲、ほかは Harakami 自身も含む "Red Curb" の remix となっている。
remix というと、原曲の image を各 remixer 色に染めていくという感じになり、その結果として全く原曲の image から遠ざかることもしばしばだけれど、この remix album はどの曲にも Harakami 師匠の息吹を感じ取ることができる。絶妙の音響感覚が元の album の根底をがっちりと固めているが故に、多少の fake な飛び道具では元の世界を越えられないのだろう。いや、越える越えないというよりは、remixer 達が "Red Curb" を愛し、その音と戯れることで自分流の "Red Curb" を組み上げていったという方が自然な言い方かもしれない。従って、小生の聴いてきた techno remix album とは一味違う、album としての統一感に溢れたものに仕上がっている。それは original の存在なくしては有り得ないが、original に限りなく寄り添う存在。
文中から音が消えていくという小説。本当に消えていく(使えなくなる)のだから、作中の労苦は察するにあまりある。だがそういった「現実面での労苦」など微塵も感じさせぬばかりかそれをネタにして言語に長けていない凡人を相手に我が身(作家)の卓越性を物語らずにはいられないところに、この作家の性悪さを見る(笑)。
しかしこの話の素晴らしい点は、そうした音の喪失により、否応なく世界が失われていく悲哀を文字通り「体験」出来てしまうということにある。主人公が妻を失った時の悲しさも然り、終盤に自分の過去を経巡る場面も然り。特に後者の場面は、記憶の底に沈殿しながらもそれを明確に表現できないもどかしさが演技でも作為でもなく伝わってくる。そして最後にはやはり世界が消失する。それは身に付けているものを剥がれ終いには塵と成らざるを得ない我々の死の瞬間をも想起させずには居られぬ現実感を伴っている。いやぁ、良い本でした。
などとゆーことが出来ることを先日始めて知りました(爆)。Linux Magazine の竹田善太郎さんの連載で。以下その受け売り。
bash では、PS1 とゆー環境変数に prompt で表示させる文字列を指定しているそうな。例えば、Kondara 2.0 の default で指定されているのは
PS1='[\u@\h \W]\$ '
[metham@xxxxhost metham]$
$ export PS1='[\d \W]\$ '
[Sun Nov 11 metham]$
みたいになって happy になれる、というわけ。うひょお、素晴らしい。
あとは ".bashrc" あたりに export を書き込んでやれば、bash 起動と共にこの表示がでるのでさらに happy、というわけだ。
詳しくは Linux Magazine 12月号を読んでね♪
現実とは思いこみである、とは誰の言葉だったか。まぁ思いこみは思いこみで良いのだが、人はその日の安定を得るために思いこみを強化しようと日々腐心する。そうしないと現実感覚が遊離してしまうし、ずっと夢の中で生きていられるほど人は強くはないからだ。でもあまりに強固な現実に身を置いていると次第に持たなくなっていく。それは現実が意志で control できないものだから、夢に半歩使っている自意識が軋んでいくためだ。
音は現実で鳴り、しかしその vector は常に「到達できない其処」を向いている。real であるという感覚を視線と触覚に依存している我々は、だから音に怯え、また音に慰めを求めようとする。だって其処にあるのは、夢(音)だから。
ということを Harakami 師匠の音を聴きながら連想してしまうのは、彼の音が安定と不安定の狭間でゆらゆらと漂うからなのかも知れない。
サブカル評論というと真っ先にこの人の名前が浮かぶのだけれど、実際に本読んだのは始めてだったりする。内容は都市民俗学と大塚が称するところの女子高生生態学(笑)。「ビックリマン」から宗教へ、都市伝説からマーケティング論へ。物語が如何にしてムラの秩序回復手段から資本主義の実践手段へと変貌を遂げたかを 80 年代というバブリーな時代と共に読み解く、といった趣向。賛同できるところも多々あるのだけれど、やはり 80 年代という時代に拘束されているという点では過去の論である。メディアが情報の優位性を信じて疑わなかった 80 年代だからこそ、同人誌や都市伝説といった「メディアの手の内を搾取し且つすり抜ける」見えないメディアが特異性を得られていたのだということが、今となってははっきりと認識できるのだから。それは internet で資本を背景とした情報とその他多数の有象無象な情報とが混在する現在ではやはり旧時代的な現象と写る。でもまぁ、懐かしいのは懐かしいなりに面白かったけどね。
George Winston には抵抗がない小生である。MM とかだと George Winston = (インチキな)癒し系の代表、といった文脈に出くわすことがあって、それはそれで納得できたりもする。知名度高いし piano は清涼系で聴きやすいし、ということで easy listening と label 貼られるのも納得しやすい。が、例えば「星空のシンフォニー」(仮題)とか「森の音楽」(仮題)といった、本気で「癒し」を売りにしてその手の謳い文句を惜しげもなくべたべたと張り付けている癒し系な album と同じ性質かと言われると、それは違うんじゃねーかと思う。
Winston の piano が奏でる melody には、親しみやすさと共に寂しさが漂う。それは sentimental でありながら、情に流され過ぎずにじっと何かを堪え忍ぶような張り詰めた線が一筋通っている。それが何に起因するのかは Winston の biography を知らぬ小生には計りがたい。けれど、折に触れてその音を耳にすると、今まで生きてきてこれからも生きていく自分が結局は一人なのだという、自明すぎてつい忘れがちになる事実を思い出したりするのだ。その感覚は、Steve Reich の minimal な音を聞いているときにも自然と脳裏で反響する感覚にも通じるものだ。Reich ほどには stoic ではないにせよ。
そういえば Winston は Reich の名を thanks credits に乗せていたな……。Reich と Winston との大きな違いは、Reich の音が反復を繰り返すことにより世界の外へ外へと浸食していこうとするのに対し、Winston の音はあくまで personal な世界に留まろうとすることか。それ故の甘さ、不完全さ。その揺らぎが良い響きを帯びることもある。特に今日のような、秋の深まりを意識させるような冷えた夜には。
今日と明日はお休みなので一大プロジェクトを発動。linux でラジオ録音しよう! というわけで。だって J-Wave の "Free Form" なんて土曜の 27:30 〜 30:00 にやってるし。そこまでは起きてられないっす。
まずは sound board の line-in から音を拾う soft を手に入れねばならぬ。esdrec でも録音だけなら可能なのだけれど、録音時間(秒)を指定できないという問題があるので今回は使わない。Mary に入っている rec でも同様。あとは alsa 用の arecord なるものもあるが、うちは oss + esd で鳴らしているので除外(以前 alsa にしたときには line-in が拾えなかった気がする…… capture もちゃんとやったから、soundcard と driver の問題だろうか)。そこで rawrec を使うことにした。これなら時間指定できる。
で、rawrec と sox と oggenc をパイプで繋いで、こんな感じに。
rawrec -t 9000 -c 2 -f u8 -s 44100 | \
sox -c 2 -v 0.8 -r 44100 -u -b -t raw - -t wav - | \
oggenc -o "/home/metham/mp3/freeform-`date +\%Y\%d\%m`.ogg" -b 64 -
簡単に解説すると、rawrec で 9000 秒、2 channel、unsigned 8 bit、44100kHz の音質で標準出力し、それを受け取った sox で 2 channel、volume 0.8 (これを 1 にすると音割れがするので……)、44100kHz の音質で wav に変換し、最後に oggenc で "freeform-20011118.ogg" みたいな file name にして 64 kbps の encode を行う、ということである。
何度か試行錯誤した上で録音できることが確認できたら、これを crontab に登録する。
$ export EDITOR=jed; crontab -e
とかますと jed で crontab の編集に入れるので、ここに
30 3 * * sun rawrec -t 9000 -c 2 -f u8 -s 44100 | sox -c 2 …(以下略)
てな感じでべた書きすると、日曜日の 3 時 30 分から録音できるという寸法。もちろんこの時間帯に radio は入っていることが大前提なり。
というわけで録音できるやろーと思っていたら、3 時 30 分になっても録音が始まらねー(爆)。いや始まってるっぽい( /var/tmp/cron を読むと command は発行されている)が、ps ax しても process が見えないし、予定の file も出来ていないという状態になっていた。ので仕方なく terminal から手打ちして録音開始。って結局そうなるのか(泣)。そのまま寝に入った。
翌日、PC の monitor を付けると、バッファオーバーフローの文字が。あああああ。50 分しか録れてねーじゃん。というわけで苦悩は続く(哀)。
そういうわけで昨日は負け負けでしたが今日は借りを返したって感じで。
結局何がいかんかったのか今ひとつ解らぬ状態ではあるが(笑)、とりあえず oggenc の option を、
oggenc -Q -b 64 -o /tmp/hoge.ogg -
みたいにしてやると、ちゃんと crontab から command 起こして 150 分録音してくれるようになった。追加した "-Q" とゆーのは、いわゆる silent の option で、encode の途中経過を表示しないようにするというもの。
まぁ crontab は XWindow の裏で動くものだから、本来は標準出力に何も吐かないほうがいいんだろうなぁ。とすると、"-Q" でなくても
oggenc -b 64 -o /tmp/hoge.ogg - 2>&1 1>/dev/null
みたいに、標準出力とエラー出力をドブに捨てるという手もありだったかも知れぬが試してない。まぁ、"-Q" があるならそっちの方を使うべきでしょう。
久々に xmms.org みてみたら。
iris 0.7だとか、plazma 0.0.7 だとか、そして愛しの Blursk 1.2 が遂に。明日は早く帰って make るっす。
いわゆる XP 指南。小生はまだ解ってないんだけれど XP って。でもなんか既視感あるなーと思ってたら、「UNIX という考え方」にもこの手の話があったなと気が付いて、ちょっとだけ納得した。ここもチェックしよっと。
押し殺した空気の中で脈動する dynamism を、この level まで結晶化した album は稀だろうなぁ。House や techno の影響もあるけれど、全体に貫かれているのは ambient な tone。しかしそれは空間に拡散して周囲に溶け込もうとする音ではなく、発せられる音によってその世界の内側へ内側へと意識を集中させるような音である。Protools を駆使し、10 ヶ月の歳月をつぎ込んで作られた album であるのに、一聴しただけではそんな印象は微塵もなく、一発録りしたんではないかと思われるほどに自然な流れが全体を支配している。にもかかわらず、聴けば聴くほどに新たな発見に驚かされる。心憎いほどに鯣烏賊な album。雑踏の声までもが風景に違和感なく溶け込んでいるなぁ。