最近訪問した塔婆・ご提供画像(2013/06/15〜        )

過去の訪問塔婆履歴

2017/03/09 大和吉野山 再訪 →吉野山大塔伏鉢破片大和吉野山全般、東南院多宝塔金峯山寺南朝妙法殿
大和上市日慎院
大和上市宝塔寺
大和の日蓮宗
  ※上市宝塔寺仏舎利塔はパゴダ式宝塔である。
大和吉野/日本山妙法寺吉野中僧伽 塔婆参考
大和定林寺跡 再訪 →大和定林寺跡
大和川原寺跡 再訪 →大和川原寺跡
大和飛鳥寺跡 再訪 →大和飛鳥寺跡
大和山田寺跡 再訪 →大和山田寺跡
大和安倍寺跡 再訪 →大和安倍寺跡
大和吉備池廃寺 再訪 →大和吉備池廃寺
大和高市廃寺候補地1 大和高市廃寺(大和木之本廃寺)
大和紀寺跡 再訪 →大和紀寺跡
2017/01/19 山城佐山椏本八幡宮 再訪 →佐山椏本八幡宮
2017/02/19 大和中川寺跡 再訪 →大和中川寺跡
大和東大寺転害門 再訪 →大和東大寺中(東大寺伽藍現況)
大和般若寺楼門 大和中川寺跡中参考(最後尾)
大和不退寺多宝塔残欠 再訪 →大和不退寺多宝塔残欠
2017/02/11 河内由義寺塔跡 河内由義寺跡
2017/01/28 宝塚長谷川邸<旧伊賀浄瑠璃寺>三重塔/附日蓮宗法運寺 再訪 →宝塚長谷川邸<旧伊賀浄瑠璃寺>三重塔
摂津中山寺五重塔/大塔/万霊塔(ストゥーパ) 再訪 →摂津中山寺五重塔/大塔/万霊塔(ストゥーパ)
摂津新免(金寺跡)廃寺 再訪 →摂津新免廃寺(金寺廃寺/金寺山廃寺)<摂津河内和泉の塔跡中>
摂津藤井寺三重塔 再訪 →摂津藤井寺三重塔
2017/01/01 備前福岡妙興寺 備前の日蓮宗寺院
廃岡隆山薬王寺 報恩大師備前48ヶ寺中bQ4
2016/12/22 山城今熊野観音寺 再訪 →今熊野観音寺多宝塔教王護国寺五重塔(遠望)
2016/12/18 讃岐白峯山別所三重塔跡 再訪 →讃岐白峯寺三重塔跡・白峯寺別所三重塔跡
      ※別所跡には到達できるも、三重塔跡そのものは明確にできず。
2016/12/05 山城岡本廃寺 再訪 →山城岡本廃寺
2016/11/27 能登市姫神社えびす堂(二重小塔) 能登市姫神社えびす堂
穴水真和園三重塔 明治以降の三重塔(467)にあり。
能登シャデコ廃寺
並びにシャデコ廃寺心礎
心礎は再訪 →能登柳田シャデコ廃寺
2016/11/26 越中伝真興寺跡 越中伝真興寺跡
越中石動観音寺一間三重塔 越中石動観音寺
加賀倶利伽羅不動寺五重小塔並びに和光塔 加賀倶利伽羅不動寺
能登国分寺跡 再訪 →能登国分寺跡
越中上市全勝寺
越中石動本行寺
越中の日蓮宗諸寺
能登七尾長興寺
能登七尾妙圀寺
能登七尾長壽寺
能登七尾本行寺
能登七尾印勝寺
能登七尾實相寺
能登七尾本延寺
能登七尾成蓮寺
能登の日蓮宗諸寺
2016/11/20 讃岐白峯山別所三重塔跡 再訪 →讃岐白峯寺三重塔跡・白峯寺別所三重塔跡
      ※別所三重塔跡を突き止めることができず、探索は失敗する。
2016/11/10 山城佐古称名寺 廃寶(法)蓮寺薬師如来坐像など →佐古称名寺
2016/11/05 山城法観寺五重塔 遠望 →山城法観寺
山城清水寺 再訪 →山城清水寺
山城上出雲寺三重塔礎石 山城上出雲寺三重塔礎石/東本願寺渉成園
寺町二条妙満寺跡 発掘調査現地説明会その2 → 京都妙満寺
2016/10/26 京都タワー展望台

遠望 →山城清水寺山城法観寺山城教王護国寺山城金戒光明寺山城智積院
      山城東本願寺<東照権現・東照宮中>

山城東本願寺 山城東本願寺<東照権現・東照宮中>
山城平等院 山城宇治平等院
2016/10/13 大和大安寺 再訪 →大和大安寺「足場の塔」ほか
2016/10/09 讃岐中寺廃寺跡 讃岐中寺廃寺跡
讃岐弘安寺跡 再訪→讃岐弘安寺跡
讃岐善通寺推定心礎、
五重塔、石造利生塔、
平和祈念塔(パゴダ)
再訪→讃岐善通寺
讃岐法勲寺 讃岐法勲寺
多度津少林寺六重塔 遠望→多度津少林寺<擬製塔婆中>
2016/10/08 讃岐白峯寺三重塔跡
白峯寺別所三重塔跡
付録:神谷大明神社殿
讃岐白峯寺三重塔跡・白峯寺別所三重塔跡・神谷大明神社殿
  :神谷大明神本殿は国宝
讃岐鴨廃寺
付録:馬の神宝塔
鴨廃寺再訪 →讃岐鴨廃寺・馬の神宝塔:馬の神宝塔は石造宝塔
讃岐国分寺 再訪 →讃岐国分寺跡
讃岐開法寺跡 再訪 →讃岐開法寺跡
讃岐三谷寺多宝塔 讃岐三谷寺多宝塔
讃岐宇多津南隆寺
 焼物製五重小塔
→讃岐宇多津南隆寺焼物製五重小塔<塔婆参考中>
讃岐宇多津法華宗(本門流)本妙寺 →いずれも讃岐の日蓮宗諸寺
讃岐宇多津題目碑(不詳)
讃岐丸亀宗泉寺
讃岐丸亀法華宗(本門流)本照寺
2016/09/15 大和興福寺 大和興福寺
三重塔/五重塔内部公開、寺中菩提院大御堂(十三鐘)、寺中興善院跡、寺中の残存土塀/残存土塀基台など
大和頭塔/頭塔寺跡 大和頭塔、→大和頭塔寺跡
大和高畑感徳寺 大和の日蓮宗諸寺
2016/07/30 広島二葉山平和塔

遠望 →広島二葉山平和塔(塔婆参考中)・・・(ストゥーパ)

2016/07/16 山城北山大塔宝輪破片 山城鹿苑寺北山七重塔跡
山城村雲瑞竜寺跡 山城の日蓮宗諸寺
真門流総本山本隆寺 再訪 →真門流総本山本隆寺
2016/06/26 備中岡田廃寺 再訪 →備中岡田廃寺
備中箭田廃寺 再訪 →備中箭田廃寺
備中八高廃寺 再訪 →備中八高廃寺
備中福山寺/法積坊跡 備中福山寺/法積坊跡
備中三因法華寺 →備中三因法華寺
備中三因妙蓮寺 →備中三因妙蓮寺
備中軽部大覚寺 再訪 →備中軽部大覚寺
備中箭田法華寺 →備中箭田法華寺
備中箭田妙傳寺 →備中箭田妙傳寺
備中箭田慈源寺 →備中箭田慈源寺
備中服部本住寺 →備中服部本住寺
2016/06/02 播磨御着徳證寺六角二重塔 六角二重塔。初重に唐破風の裳階を付設。建築年代は不明、現在の堂宇は享保年中(1716-)の改築というも、この六角二重塔はそんなに古いものではなく、おそらく近代のものであろうと思われる。軸部はRC造のようにも見えるが、木造であろう。木造建築で軸部にはモルタルを吹付したような仕様と思われる。塔の機能は納骨堂とも思われるも、不明。
「播磨御着」御着史跡保存会、平成25年改訂2版(ルーフレット) より
当初は播磨国分尼寺(真言宗)であったが、明応5年(1496)春住尼妙法が高野山の参詣を女人禁制の故に果たせず、帰途蓮如上人の法輪により、真宗に帰依する。
その後、御着城主小寺氏が帰依し、寺を御着城内に移し、徳證寺と名付けられる。
現在は浄土真宗本願寺派。
 徳證寺全景    徳證寺六角二重塔1    徳證寺六角二重塔2
 徳證寺六角二重塔3    徳證寺六角二重塔4    六角二重塔相輪
播磨国分寺跡 再訪 →播磨国分寺跡
播磨見野廃寺 → 播磨見野廃寺
播磨中西廃寺 再訪 →播磨中西廃寺
攝津須磨寺 再訪 →摂津須磨寺
攝津綱敷天満宮三重小塔 再訪 →攝津綱敷天満宮三重小塔
神戸霊法会多宝塔 遠望 →神戸霊法会多宝塔:如来山仏舎利塔と称する。
播磨御着法華寺 播磨の日蓮宗諸寺
2016/05/26 山城鹿苑寺七重塔跡 山城鹿苑寺北山七重塔跡
山城鷹峯瑞芳寺 山城の日蓮宗諸寺
山城衣笠常修寺 山城の日蓮宗諸寺
山城紫竹常徳寺 再訪 →山城紫竹常徳寺
2016/05/19 山城宇治直行寺 山城の日蓮宗諸寺
2016/05/17 山城大住御霊社/両讃寺 再訪 →大住御霊社
山城大住法華寺 大住法華寺
2016/03/31 山城善峯寺 再訪 →山城善峯寺
山城樫原廃寺 再訪 →山城樫原廃寺
山城西山日正寺 山城の日蓮宗諸寺中。但し大正期の創建と推測される。
山城大原野日啓寺  同上、但し、寺院として公認されているのかどうかは不明、いわば「私称」である可能性あり。
山城大妙寺 弘経寺 宝国寺 学養寺 本覚寺 大妙寺中。中世京洛21ヶ本山の流れを汲む。
2016/04/09 播磨太山寺 再訪 →播磨太山寺
播磨如意寺 再訪 →播磨如意寺
明石壺中庵三重小塔 → 明石壺中庵三重小塔
播磨善楽寺 再訪 →播磨善楽寺
播磨太寺廃寺 再訪 →播磨太寺廃寺
山城教王護国寺夜景 再訪 →山城教王護国寺夜景
播磨明石本松寺 播磨の日蓮宗諸寺
播磨明石大聖寺  同上
播磨明石本立寺  同上
2016/03/21 山城下醍醐寺 再訪 →山城醍醐寺
2016/03/20 山城清水寺 再訪 →山城清水寺
山城子安塔 再訪 →山城子安塔
山城法観寺五重塔、五重塔心礎 再訪 →山城法観寺
京都東福寺 東福寺遠望 →三聖寺・三聖寺愛染堂小宝塔・万寿寺・東福寺
京都教王護国寺 教王護国寺遠望 →京都教王護国寺
東山清水前大漸寺 再訪 →山城の日蓮宗諸寺
2016/03/18 山城教王護国寺 再訪 →山城教王護国寺
2016/03/07 山城桃山真福寺、山城伏見本教寺<再訪>、伏見妙福寺 <再訪>、伏見常照寺、伏見泉経寺 →山城の日蓮宗諸寺
2016/03/14 河内神感寺跡 再訪 →河内神感寺跡
2016/03/01 山城西京妙堯寺 再訪 →山城の日蓮宗諸寺
山城西陣妙徳寺 山城の日蓮宗諸寺
山城西陣愛染寺   同上
山城中千本慧光寺   同上
山城上京燈明寺   同上
山城上京三會寺   同上
山城上京玉渕寺   同上
山城上京本久寺 再訪 →山城の日蓮宗諸寺
山城上京本瑞寺 再訪 →山城の日蓮宗諸寺
京都寺町本禅寺 再訪 →寺町本禪寺
京都寺町妙満寺跡 再訪 →京都妙満寺
京都頂妙寺 再訪 →京都頂妙寺
山城神泉苑 再訪 →山城神泉苑
2016/02/18 土佐五台山法華経塔 土佐の日蓮宗諸寺中にあり
土佐高知要法寺
土佐高知妙國寺
土佐潮江寶蔵寺
土佐五台山竹林寺 再訪 →土佐五台山竹林寺三重塔跡 ・五重塔
高知平和パゴダ 塔婆参考中にあり
高知高野寺本堂(八角塔堂) 塔婆参考中にあり
土佐安楽寺 再訪 →土佐安楽寺多宝塔
2016/02/06 山城国久世郡南部の遺跡、山城正道廃寺、山城平川廃寺<以上山城国久世郡南部の遺跡中>、山城久世廃寺
山城久世若王社
2016/01/28 山城東漸寺跡 → 山城東漸寺
山城法観寺五重塔遠望 再訪 → 山城法観寺
2016/01/23 鶏冠井檀林(北真経寺):再訪、
鶏冠井興隆寺(廃寺)、鶏冠井南真経寺:再訪、日像上人説法石・向日明神、鶏冠井石塔寺、植野法華寺<以上はいずれも鶏冠井中にあり>
摂津上牧本澄寺、上牧山手菩提寺、摂津梶原一乗寺、摂津梶原田中寺、摂津萩之庄成就寺、摂津山手法照寺、
摂津古曽部乾性寺、摂津高槻大手町本行寺、摂津幸松寺<以上はいずれも摂津の日蓮宗寺院中にあり>
摂津高槻大手町本行寺は二重塔中にもあり。
山城宝積寺三重塔 再訪 →山崎宝積寺
山城離宮八幡宮多宝塔跡 再訪 →大山崎 の遺構・遺物・塔婆
山城推定相応寺心礎 再訪 →大山崎 の遺構・遺物・塔婆
摂津永福寺多宝塔跡 再訪 →攝津梶原永福寺(畑山神社)多宝塔
2016/01/02 備中玉島片山妙見祠 片山(貴山)妙見神社(祠) → 備中玉島玉谷宣妙院の次の項にあり。
2016/01/01 備後福山実相寺、備後福山妙政寺、備後福山長正寺、備後福山本行寺、備後福山光政寺 、備後福山妙法寺、
備後最上稲荷山福山支院、備後福山最上教会、備後福山通安寺、備後草戸中ノ丁四ツ堂、備後草戸下ノ丁題目碑、
備後草戸半坂三十番神ノ社、備後水呑法界題目碑、備後水呑洗谷松尾大明神(前夜祭)、備後小水呑荒神社境内題目碑、
備後水呑妙顕寺、備後水呑玉泉寺、備後水呑寿泉寺、備後水呑玄祥寺、備後水呑善住寺、備後水呑重顕寺、
備後水呑中村題目碑、備後田尻顯應寺
 <以上日蓮宗備後の諸寺中>
備後草戸半坂妙見社、備後水呑宝山妙見山、備後水呑小水呑妙見、備後水呑妙見大菩薩、備後水呑妙見川
 <以上備後の妙見社中>
備後福山光善寺本堂屋上相輪、備後福山洞林寺本堂屋上相輪、備後福山賢忠寺かなりや幼稚園屋上塔堂、
備後福山一心寺本堂屋上相輪
 <以上塔婆参考中>
備後明王院 再訪 →備後明王院
2015/12/20 備中玉島玉谷宣妙院 → 備中玉島玉谷宣妙院
2015/12/13 紀伊本恵寺、妙瑞寺 → 紀伊の日蓮宗諸寺中(直川本恵寺、北島妙瑞寺)
2015/12/05
2015/12/28
山城安楽寿院 再訪 → 山城安楽寿院
2015/11/21 大和興福寺 → 大和興福寺四恩院十三重塔跡
再訪 → 大和興福寺五重塔興福寺三重塔興福寺伽藍興福寺春日西塔跡・東塔跡
大和東大寺 → 大和東大寺東塔発掘調査
再訪 → 大和東大寺東塔心礎、東大寺西塔跡、東大寺伽藍 <東大寺中にあり>
→ 東大寺ミュージアム展示>旧眉間寺阿弥陀・釈迦・薬師三尊像<大和眉間寺中にあり>
大和奈良常徳寺 → 大和の日蓮宗諸寺
大和奈良啓運寺
大和奈良蓮長寺 再訪 → 大和の日蓮宗諸寺
2015/11/08 伊予河内寺塔礎石 → 伊予河内寺塔礎石
伊予興願寺三重塔 再訪 → 阿波太竜寺/伊予興願寺三重塔
伊予宝蔵寺塔心礎 → 伊予宝蔵寺塔心礎
讃岐宗林寺多宝塔 平成25年(2013)3月落慶、平成24年 (2012)頃の竣工と思われる。
建立の経緯などの情報は殆ど皆無である。
推測するに軸部はRC造で外装は木造であると思われる。
観音寺市豊浜町和田浜
無量壽山と号する。本尊阿弥陀如来。真言宗大覚寺派。 和銅年中(708)行基の開山と云う。(「豊浜町史」)また、鎌倉期の文永・弘安の役の時、北条時宗は諸国に敵国降伏の祈願を命ずるが、その時宗林寺法覚が書写した大般若経が宗林寺に残存する。
○2013/03/19「Hayami」氏撮影画像
 讃岐宗林寺多宝塔:「Hayami」氏撮影、平成24年 (2012)頃の竣工と云う。
写真はオリジナルではなく、周囲をトリムして掲載。
○2015/11/08撮影:
釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を祀る。
 讃岐宗林寺多宝塔11   讃岐宗林寺多宝塔12   讃岐宗林寺多宝塔13
 讃岐宗林寺多宝塔14   讃岐宗林寺多宝塔15   讃岐宗林寺多宝塔16
 讃岐宗林寺多宝塔17   讃岐宗林寺多宝塔18   讃岐宗林寺多宝塔19
 讃岐宗林寺多宝塔20   讃岐宗林寺多宝塔21   讃岐宗林寺多宝塔22
 讃岐宗林寺多宝塔23   讃岐宗林寺多宝塔24   讃岐宗林寺多宝塔25
 讃岐宗林寺山門    讃岐宗林寺本堂    讃岐宗林寺地蔵堂    讃岐宗林寺えびす堂
 讃岐宗林寺庫裡    讃岐宗林寺鐘楼    薬師堂(境外仏堂)
宗林寺は隣接する豊浜八幡社の別当であったという。
 豊浜八幡社境内    豊浜八幡社社殿    豊浜八幡社春日社
2015/11/07 伊予茶臼権現推定塔礎石 再訪 → 伊予茶臼権現推定塔礎石
伊予三島大明神  → 伊予三島大明神
伊予国分寺塔跡 再訪 → 伊予国分寺塔跡
伊予国分尼寺塔跡

再訪 → 伊予国分尼寺塔跡(他中廃寺)・伊予法華寺

伊予本堂寺礎石 → 伊予本堂寺礎石
伊予西山興隆寺 再訪 → 伊予西山興隆寺
伊予久妙寺二層塔 ○「日本塔総鑑」:江戸期の建立の二重塔がある。西山興隆寺東約1.5kmにあり。
○「佛教考古学論攷」石田茂作:久妙寺多宝塔、愛媛周桑郡丹原町、真言御室、現存。
○「日本社寺大観 寺院篇」:行基開基と伝え、梵音山と号す。弘法大師の再興と云う。
往時12坊あり。二重塔の本尊大日如来坐像は運慶の作なりと伝ふ。
○2015/11/07撮影:
二層塔の前に石碑が建ち、そこには「大日堂再建 昭和47年」とあるので、昭和47年の再興である。江戸期建立の二重塔があったのであろうが、何らかの理由で退転し、昭和47年 に再興されたものと思われる。
建物は正規の塔建築ではなく、粗末な仮堂的な建築である、相輪は瓦製のものを用いる。正面に向拝が付設するが、初重の屋根を延長するのではなく、初重屋根の上に1間の屋根を重ねるものであり、類例を見ない。
久妙寺は梵音山弘法院東光坊久妙寺号する。真言宗御室派。
 伊予久妙寺大日堂1   伊予久妙寺大日堂2   伊予久妙寺大日堂3
 伊予久妙寺大日堂4   伊予久妙寺大日堂相輪
 伊予久妙寺仁王門    伊予久妙寺本堂1    伊予久妙寺本堂2
 伊予久妙寺鐘楼1   伊予久妙寺鐘楼2   大師堂・閻魔堂1   大師堂・閻魔堂2
 伊予久妙寺客殿    伊予久妙寺庫裡    伊予久妙寺鎮守
2015/10/24 京都府立山城資料館 再訪 →石清水八幡宮山城宇治平等院の彩色紋様
山城高麗寺跡 再訪 →山城高麗寺跡
2015/10/08 紀紀三井寺 再訪 →紀三井寺
紀伊和歌ノ浦養珠寺 再訪 →紀伊和歌の浦養珠寺
紀伊和歌ノ浦海禪院 再訪 →紀伊妹背山海禪院
紀伊和歌ノ浦東照宮 再訪 →紀州東照宮
紀伊和歌ノ浦天満宮 紀州東照宮中にあり
紀伊和歌山新町宣経寺 → 紀伊の日蓮宗諸寺中
同 新町本覚寺
同 新町久成寺
同 中之島安楽寺
同 吹上正住寺
同 廣瀬遍照寺
同 吹上報恩寺
同 吹上本光寺
同 吹上妙法寺
同 吹上蓮心寺
同 吹上感應寺
 寺中一乗院
 寺中本行院
同 須本妙宣寺
紀伊萬精院 再訪:多宝塔情報の進展はなし → 紀伊萬精院多宝塔跡
紀伊七曜山圓福院 → 紀伊七曜山圓福院
紀伊高野寺三重塔 → 紀伊高野寺三重塔
2015/09/15 備中遍照院 再訪 → 備中遍照院
備中片島妙任寺 備中片島妙任寺
2015/09/14 備中西岡山西安寺 備中西岡山西安寺
備中朝原山安養寺 再訪 → 備中朝原山朝原寺・安養寺
備中羽島妙忍寺 備中妹尾近辺諸寺中にあり
2015/09/03 備中倉敷本榮寺 再訪 → 備中倉敷本栄寺
備中北斗山宝積院妙見宮 再訪 → 妙見菩薩・妙見宮
2015/08/23 備前日応寺 → 備前日應寺
2015/08/22 安芸国前寺 → 安芸国前寺
広島二葉山平和塔 (ストゥーパ) → 塔婆参考の項
2015/07/19 近江花摘寺趾 再訪 → 近江花摘寺趾/近江花摘寺趾石製露盤
2015/06/28 山城教王護国寺 再訪 → 山城教王護国寺
越前気比神宮寺心礎 再訪 → 越前気比神宮寺心礎(心礎は初見)
近江朽木大宮大権現 再訪 → 近江朽木大宮大権現多宝塔
八瀬公園相輪橖/平安遷都千百年記念相輪橖  → 相輪橖
日蓮宗本山本満寺 再訪 → 日蓮宗本山本満寺
日蓮宗本山妙覚寺末寺法性寺 伏見法性寺は既に廃寺である。 → 日蓮宗本山妙覚寺中の諸末寺の項にあり。
2015/06/21 讃岐法然寺 讃岐法然寺
讃岐高松妙泉寺塔堂 その他の塔婆>塔婆参考中にあり。
備前新熊野十二所権現 再訪 → 備前新熊野十二所権現
2015/05/10 山科本圀寺 再訪 → 山科本圀寺
2015/05/09 近江石山寺 再訪 → 近江石山寺
近江第3次国分寺関連 近江国分のへそ石、西方寺所在伝保良宮礎石、北大路墓地所在蓮台の台石 → 近江国昌寺跡
再見 → 西方寺所在石製露盤
再見 国昌寺礎石 → 近江国昌寺跡
近江国分聖徳太子堂 再訪 → 山城石清水八幡宮太子坂太子堂
近江三井寺 再訪 → 近江園城寺
大津真常寺
大津長等本要寺
大津札の辻本長寺
大津逢坂妙光寺
→ 近江の日蓮宗諸寺
2015/04/19 美作大庭廃寺 → 美作大庭廃寺(五反廃寺)
美作勇山寺二重塔 → 勇山寺庚申堂(二重塔)
備中英賀廃寺 → 備中英賀廃寺(赤茂廃寺)
美作長法寺多宝塔 多宝塔遠望 → 美作長法寺
美作津山西寺町妙法寺 → 美作の日蓮宗諸寺
上同所本行寺
上同所妙勝寺
美作久世興善寺
美作落合垂水本覚寺
2015/04/18 美作大聖寺二重塔 → 美作大聖寺二重塔
美作大海廃寺 → 美作大海廃寺
美作江見廃寺 → 美作江見廃寺
美作楢原廃寺 → 美作楢原廃寺
美作国分寺 → 美作国分寺
美作鯰随縁寺 → 美作の日蓮宗諸寺
津山林田妙津寺
津山林田蓮光寺
津山林田本蓮寺
2015/03/21 備後尾道浄土寺 再訪 → 備後尾道浄土寺/多宝塔模型
備後三原妙正寺 → 西国諸国の日蓮宗寺院
2015/03/15 山城清水寺 再訪 → 山城清水寺・子安塔
京都鳥辺山妙見/通妙寺
京都鳥辺野本寿寺
京都鳥辺野實報寺
再訪 → 京都鳥辺山妙見/通妙寺
再訪 → 京都鳥辺野本寿寺<→本法寺菩提所> → 本法寺にあり
再訪 → 京都鳥辺野實報寺<→要法寺菩提所> → 要法寺にあり
2015/03/17 和泉海会寺跡 再訪 → 和泉海会寺跡和泉海会寺石製露盤
和泉長慶寺三重塔・多宝塔・唐様裳階付三重塔 再訪 → 和泉長慶寺
紀伊根来寺 再訪 → 紀伊根来寺
紀伊佐野廃寺 → 紀伊佐野廃寺
根来観経寺
根来誠證寺
根来観経寺<紀伊養珠寺末寺> → 海禅院多宝塔の養珠寺の項にあり
根来誠證寺<大野本遠寺末寺> → 大野本遠寺にあり
2015/02/28 大和薬師寺
 ;「X」氏訪問
→ 大和薬師寺
2015/03/07 大和西安寺跡 再訪 → 大和西安寺跡
阪口邸信貴山多宝塔模型 → 大和信貴山
大和長弓寺 再訪 → 大和長弓寺
2015/01/18 和泉長慶寺:「X」氏訪問 → 和泉長慶寺
2015/01/15 大和西大寺 再訪 → 大和西大寺
2015/01/03 深草寶塔寺 再訪:雪景色 → 深草宝塔寺(孫末寺琳聖寺<蓮光寺末寺>は2015/01/09撮影)
2015/01/02 山城安楽壽院 再訪:雪景色 → 山城安楽壽院(近衛天皇陵)
山城教王護国寺 再訪:雪景色 → 山城教王護国寺
2014/12/21 備中高松妙教寺(最上稲荷) → 備中高松妙教寺
2014/12/18 山城下醍醐寺 再訪 → 山城醍醐寺
山科檀林(竹ヶ鼻護国寺) → 近世法華宗檀林中にあり
洛中妙覚寺 再訪 → 洛中妙覚寺
四条妙顕寺 再訪 → 四条妙顕寺
洛中本法寺 再訪 → 洛中本法寺
2014/12/13 田辺廃寺西塔跡1
田辺廃寺西塔跡2
田辺廃寺西塔跡3
田辺廃寺西塔跡4
田辺廃寺西塔跡5
田辺廃寺西塔跡6
田辺廃寺西塔跡7
田辺廃寺西塔跡8
田辺廃寺西塔跡9
田辺廃寺西塔心礎1
田辺廃寺西塔心礎2
田辺廃寺西塔心礎3
田辺廃寺西塔心礎4
田辺廃寺西塔心礎5
田辺廃寺西塔心礎6

田辺廃寺東塔跡1
田辺廃寺東塔跡2
田辺廃寺東塔跡3
田辺廃寺東塔跡4
田辺廃寺東塔跡5
田辺廃寺東塔跡6
田辺廃寺東塔跡7
田辺廃寺東塔跡8

田辺廃寺金堂跡
田辺廃寺礎石1
田辺廃寺礎石2
田辺廃寺礎石3
礎石が境内に散在する。中門の礎石は枘孔を有するというから、枘孔のある礎石は中門の礎石であろうか。
春日明神弁財天社

田辺廃寺軒丸瓦
 ;柏原市立歴史資料館
春日明神(西面する)境内に寺跡(南面する)がある。
訪問時(2001年)、寺跡は鉄条網で囲われ、立ち入り禁止の措置が採られていた。従って、基壇・礎石等を確認することは不可であった。
秦氏一族田辺史氏の氏寺として白鳳時代に建立。東西両塔を持つ薬師寺式伽藍と確認されている。
東塔は塼積み基壇で美しく残り、西塔は瓦積み基壇である。
西塔跡の写真によると、心礎および礎石13個が残存していると思われる。心礎は自然石上部を削平し、出枘を造り出した構造と思われる。
2001/06/24撮影:
 河内田辺廃寺西塔跡?     河内田辺廃寺東塔跡
○「日本の木造塔跡」:東塔跡の心礎は抜き取られて残存しない。
東塔脇柱礎は6個残存。基壇規模は一辺10.27〜10.19cm、高さ76cm、塔の一辺は4.56mを測る。
西塔の心礎の大きさは1.1×1.0mで、径23×3cmの出枘を持つ。四天柱全部・脇柱礎9個が残り、いずれも自然石である。
西塔基壇の一辺は10.3〜10.0m、塔の一辺は4.56mを測る。
○「佛教考古學論攷 四 佛塔編」:
 田辺廃寺西塔心礎
○「大阪府の歴史散歩(下)」大阪府の歴史散歩編集委員会、昭和50年
 田辺廃寺西塔跡
○2008/11/12追加:「柏原の古代寺院址」柏原市歴史資料館、1985
 河内田辺廃寺東塔基壇    河内田辺廃寺西塔基壇
昭和46年の発掘調査で、金堂・東西塔2基・南大門の基壇規模が明らかにされた。金堂基壇は瓦積基壇で、西塔及び金堂は出土瓦から白鳳期であり、東塔はそれより遅れて建立されたものと推定される。
○2009/08/18追加:「河内古代寺院巡礼」近つ飛鳥博物館、2007 より
 河内田辺廃寺西塔跡11:瓦積基壇     河内田辺廃寺東塔跡11:塼積基壇
○2011/10/15追加:「柏原市史 第4巻 史料編(T)」柏原市役所、1975 より
 春日神社境内寺跡実測図      東塔跡塼積基壇1     東塔跡塼積基壇2
○2014/12/23追加:
「田邊廃寺跡発掘調査」昭和48年(1973)より
 西塔跡:一辺4.56m(初重柱間:1.48+1.60+1.48m)
塔心礎の大きさは1.15×1.10m、径23cm高さ3cmの出枘を造り出す。花崗岩製
基壇は盛土、外装は瓦積であり、大きさは10.32×10.08m高さは0.64mを測る。
 東塔跡:一辺4.56m(初重柱間:1.48+1.60+1.48m)
礎石には径21cmの出枘を造り出すものがある。
基壇は盛土、外装は塼積であり、大きさは10.22×10.27m高さ0.76mを測る。
基壇長は、西面10.22、東面10.26、北面10.19、南面10.27m。地山を少し掘り下げ、20cm前後の自然石を延石とし、上部に塼を積む。
平安の修理の際に北縁雨落付加。その際北面中央に幅2.8m踏面0.50mの階段を設ける。
 中門跡:花崗岩製の礎石には径18cm深さ9cmの枘孔を穿つ。中門遺構の詳細は不明。
 田辺廃寺西塔跡実測図:心礎及び13個の礎石を残す。
 田辺廃寺東塔跡実測図;側柱礎6個を残す。
○2014/12/23追加:「柏原市文化財ガイドシリーズ6 田辺廃寺」柏原市教委、1998 より
 西塔跡発掘写真     東塔跡発掘写真1     東塔跡発掘写真2
河内国分寺塔跡 再訪 → 国分寺塔跡中にあり
河内大里寺跡 → 河内六寺中にあり(大縣廃寺)
河内推定山下寺跡 → 河内六寺中にあり(大縣南廃寺)
河内推定知識寺跡 → 河内六寺中にあり(大平寺廃寺) 、知識寺心礎は再訪
河内推定家原寺跡 → 河内六寺中にあり(安堂廃寺)
河内鳥坂寺跡 → 河内六寺中にあり(高井田廃寺、普光寺跡) 、今回現地は未訪門
河内片山廃寺 再訪 → 河内片山廃寺
河内衣縫廃寺 再訪 → 河内衣縫廃寺
河内拝志廃寺 再訪 → 河内拝志廃寺
河内土師寺跡 再訪 → 河内土師寺跡 (土師寺心礎/河内道明寺/道明寺天満宮)
普門山妙法寺仏舎利塔
太平寺仏舎利塔1
太平寺仏舎利塔2
太平寺仏舎利塔3
普門山妙法寺仏舎利塔(太平寺仏舎利塔)、仏舎利塔の形式の納骨堂と思われる。
地名太平寺にある故に大平寺仏舎利塔と称する。普門山妙法寺とは情報がなく不詳。
2014/11/23 備中佛乗寺ほか  → 備中佛乗寺
備中日蓮宗諸寺 備中板倉真城寺(退転)、備中庭瀬不変院塔頭中正院、庭瀬信城寺、備中津寺宗蓮寺など、
備中加茂蓮休寺、備中惣爪正八幡宮/備中惣爪信教庵、備中日畑浄安寺、備中山地受法寺
備中惣爪廃寺塔心礎 再訪 → 備中惣爪廃寺塔心礎
備中吉備津宮遠望 再訪 → 備中吉備津宮
2014/11/22 備前津倉妙林寺  → 備前津倉妙林寺
備前津倉稲荷  → 西国諸国の日蓮宗寺院中にあり
2014/11/16 宇和島講堂仏舎利塔11
宇和島講堂仏舎利塔12
宇和島講堂仏舎利塔13
宇和島講堂仏舎利塔14
宇和島講堂仏舎利塔15
宇和島講堂仏舎利塔16
宇和島講堂仏舎利塔17
宇和島講堂仏舎利塔18
宇和島講堂仏舎利塔19
宇和島講堂仏舎利塔20
宇和島講堂仏舎利塔21
宇和島講堂仏舎利塔22
宇和島講堂仏舎利塔23
宇和島講堂仏舎利塔相輪
霊宝会宇和島講堂二重塔
霊法会宇和島講堂仏舎利塔と称し、平成16年の建立と思われる。
 ※建立年代の傍証の一つとして、Webサイトに瓦納入実績として瓦納入実績として「平成16年/ 霊法会宇和島講堂/仏殿・仏舎利塔」という記事がある。
一重二重とも平面方3間の二重塔と推測され、一重には裳階を付設する。
おそらく木造正規の塔建築であろう。
宇和島市三間町是能(旧三間町)、霊法会関係者以外は敷地内立入禁止と推定される。
2011/09/25「X」氏撮影画像。
 霊法会宇和島講堂二重塔1     霊法会宇和島講堂二重塔2
2014/11/16撮影:
撮影当日道路を隔てた霊法会駐車場には多くの人の出入りがあり、若干写真が撮り難い状況があった。
 宇和島講堂全貌:前面に8棟ほどの建物が並ぶが、おそらく霊法会の宿舎などの建物と思われる。
 宇和島講堂山門?     宇和島講堂本堂?     宇和島講堂本堂?後堂?
  参考:神戸霊法会
伊予西江寺二重塔11
伊予西江寺二重塔12
伊予西江寺二重塔13
伊予西江寺二重塔14
伊予西江寺二重塔15
伊予西江寺二重塔16
伊予西江寺二重塔17
伊予西江寺二重塔18
伊予西江寺二重塔19
伊予西江寺二重塔20
伊予西江寺二重塔21
伊予西江寺二重塔22
伊予西江寺二重塔23
伊予西江寺二重塔内部
建築年代不詳、おそらく昭和戦後の建築であろう。
「塔をゆく 第3巻 多宝塔」では総高約15mという。
木造塔であるが、おそらく下重の軸部はモルタル仕上で褐色の吹付を施したものであろう。
構造は下重平面は2間、上重平面は1間と思われる。しかし見掛け上、下重正面は3間に造り中央間は桟唐戸、両脇間は壁とする。下重の両側面は柱間の通り2間 であるが、そのうち1間は花頭窓とし残り1間は壁とする。
上重の柱間は1間であるが、見掛け上、正面及び両側面とも3間に造り、中央間は桟唐戸、両脇間は連子窓とする。
背面については、柱間の通り(下重2間・上重1間)であり、全て壁である。
また初重には擬宝珠勾欄付きの椽を廻らすが、これは鉄骨モルタル造である。
屋根銅板葺き。
下重内部には柱はなく、仏像(尊名は不明)3躯を祀る。
高い基壇はおそらくRC造で扉があり、納骨堂の機能を持つのであろう。
山号:佛日山。臨済宗。
「塔をゆく 第3巻 多宝塔」では、「開山は悟庵和尚、寛永3年(1626)現在地に移り、的堂和尚が中興する。二重塔は海會堂と称する納骨堂、扁額は愚渓の揮毫」とある。
伊予龍光院位牌堂1
伊予龍光院位牌堂2
伊予龍光院位牌堂3
伊予龍光院位牌堂4
伊予龍光院本堂
本堂背後に位牌堂龍照殿が建ち、屋根上に白壁宝形堂を載せ、さらに宝形堂に相輪を載せる。
建築年代を始め一切が不明。
 龍光院案内板:未見      龍光院案内板部分
龍光院は高野山真言宗、臨海山と号する。
元和元年(1615)伊達秀宗が宇和島に入部、宇和島城の鬼門であるこの地に寺院が建立される。以降宇和島藩伊達家の祈願所となり、100石の寄進がある。現在は四国88所40番札所(伊予観自在寺)奥之院という。
 宇和島城天守遠望
伊予松前城発掘塔礎石  → 伊予松前城発掘塔礎石
伊予朝生廃寺心礎  → 伊予朝生廃寺心礎
伊予來住廃寺 再訪 → 伊予來住廃寺
伊予中ノ子廃寺  → 伊予中ノ子廃寺
伊予石手寺 再訪 → 伊予石手寺/三重塔、地蔵院二層堂、石手寺パゴダ、裏山三重小塔?
伊予法雲寺多宝塔11
伊予法雲寺多宝塔12
伊予法雲寺多宝塔13
伊予法雲寺多宝塔14
伊予法雲寺多宝塔15
伊予法雲寺多宝塔16
伊予法雲寺多宝塔17
伊予法雲寺多宝塔18
伊予法雲寺多宝塔19
伊予法雲寺多宝塔20
伊予法雲寺多宝塔21
伊予法雲寺多宝塔22
伊予法雲寺多宝塔23
伊予法雲寺多宝塔24
伊予法雲寺多宝塔相輪
昭和55年建立(「X」氏情報)、一辺約2.9mの小型塔である。
中央間3尺6寸(109cm)、両脇間3尺1寸(94cm)であり、従って初層一辺は9尺8寸(297cm)を測る。(芯-芯間)
小型塔ではあるが、木造(檜)正規の多宝塔建築である。無礙光殿の扁額を掲げる。屋根銅板葺。
初重には椽を廻らす。但し本塔には次のような多少異質な構造及び装置がある。つまり内部では四天柱は省略する。阿弥陀如来?、羅漢像などの多くの石仏を安置 する。初重中央間は扉などの装置はなく、吹き放ちである。相輪は層塔風のものを用いる。
法雲寺は真言宗豊山派、金亀山と号する、本尊は阿弥陀如来とあり、これが多宝塔を無礙光殿と称することに関係するのであろうか。
松山市古三津1-26-48
2011/09/24「X」氏撮影:伊予法雲寺多宝塔1     伊予法雲寺多宝塔2
 
伊予太山寺塔礎石1
伊予太山寺塔礎石2
伊予太山寺塔礎石3
伊予太山寺塔礎石4
伊予太山寺塔礎石5
伊予太山寺塔礎石6
龍雲山護持院太山寺と号する。大師堂そばに三重塔の礎石と称する石造物がある。
大きさは径約90cm、穴の径は約74cm(「X」氏による)。この石の現在の用途は不明。
なお「X」氏の判断では塔礎石とするには無理があるという。蓋し、その通りであろう。
寺伝では、創建は用明2年(586)豊後の真野長者といい、天平11年(739)には聖武天皇の勅願で行基が十一面観音を刻んで本尊としたという。 平安初頭弘法大師の巡錫があったといい、66坊を構えるという。その後漸次頽廃するも、嘉元3年(1305)河野氏により再興される。
四国52番札所。
本堂:国宝、嘉元3年(1305)建立、桁行7間梁間9間の大建築である。
仁王門;重文、嘉元3年、三間一戸八脚門。
本尊は十一面観音立像7躯(重文・平安後期)。
なお、その他に一の門、四天王門:楼門/入母屋造/天和3年(1683)再建、大師堂:明治17年再建、護摩堂、稲荷堂、聖徳太子堂:1971年再建、鐘楼堂;明暦元年(1655)再建、厄除大師堂、長者堂などを具備する。
 伊予太山寺塔礎石:2002/3月「X」氏撮影画像
2014/10/03追加;
(三重塔礎石は)大師堂の傍にあり、新しい”たわし”でこすれば痔が治るといわれているようである。(多くのWebページで同文の紹介がある)
2014/11/16撮影:
○「えひめの記憶」> [『ふるさと愛媛学』調査報告書]>「(1)太山寺から円明寺へ」のページ より転載
 ○太山寺圖:江戸中期とある
伊予太山寺塔礎石については、この石がどのような「伝承」に基づき「塔礎石」とされるのかの情報がなく、また形状からも見ても礎石とする根拠は見いだせない。
そもそも、太山寺に塔婆が建立されていたという情報も寡聞にして接することができない。
 伊予太山寺主要伽藍1     伊予太山寺主要伽藍2     伊予太山寺主要伽藍3
 伊予太山寺仁王門1     伊予太山寺仁王門2     伊予太山寺仁王門3
 伊予太山寺仁王門4     伊予太山寺仁王門5
 伊予太山寺本堂11      伊予太山寺本堂12      伊予太山寺本堂13
 伊予太山寺本堂14      伊予太山寺本堂15      伊予太山寺本堂16
 伊予太山寺本堂17      伊予太山寺本堂18      伊予太山寺本堂19
 伊予太山寺本堂20      伊予太山寺本堂21      伊予太山寺本堂22
 伊予太山寺本堂23      伊予太山寺本堂24      伊予太山寺本堂25
 伊予太山寺本堂26      伊予太山寺本堂27      伊予太山寺本堂28
 伊予太山寺本堂29
 伊予太山寺楼門1     伊予太山寺楼門2     伊予太山寺鐘楼
 伊予太山寺大師堂1     伊予太山寺大師堂2     伊予太山寺長者堂
 太山寺聖徳太子堂     伊予太山寺護摩堂     伊予太山寺稲荷堂
 伊予太山寺本坊     伊予太山寺玄関     伊予太山寺客殿
伊予茶臼権現推定塔礎石  → 伊予茶臼権現推定塔礎石
2014/11/15 旧中村市香山寺公園
三重塔形展望台11
三重塔形展望台12
三重塔形展望台13
三重塔形展望台14
三重塔形展望台15
三重塔形展望台16
三重塔形展望台17
○三重塔を擬した展望台がある。
建築年代は不明、しかしそんなに古くはなく平成に入ってからの建立か。
なぜ展望台を三重塔に擬したかという理由は、思うに、ここは香山寺と称する古寺があった所であり、この古寺に塔婆があったかどうかは不詳なれど、この香山寺に因んだ展望台という趣旨で三重塔を擬したものであろう。勿論仏塔ではなく三重塔を擬した展望台である。
○香山寺:
弘法大師の開山と伝え、七堂伽藍を具備したとも伝える。
鎌倉後期足摺山金剛福寺別當南仏上人 (金剛福寺を中興)が住する。
近世初頭山内忠義・忠豊によって再興されるも、天和年中(1681〜1684)に退転、中村大円寺の兼帯となる。その後寺勢は振るわず明治4年廃寺となるという。現在は小宇1宇のみがあるが、これは昭和30年台に地区民によって建立かあるいは中興開山妙覺の建立されたものであろう。
麓からの参道左右には推定堂舎跡、石階、石仏、丁石などを残す。
 香山寺推定堂舎跡1
 香山寺推定堂舎跡2:民家の営まれるような環境ではないから、確信はないが、堂坊の跡であろうと推定される。
 坂中大権現祠横の丁石・石仏     香山寺参道石階     石仏・石塔残欠
 参道石仏      丁石(1町)     香山寺本堂     香山寺本堂俯瞰
○三重塔形展望台からの眺望;中村の町・四万十川などを俯瞰できる。
 中村の眺望1    中村の眺望2    中村の眺望3    中村の眺望4    中村の眺望5
○土佐中村・不破八幡宮:
鎌倉期、土佐幡多郡は九条家領荘園として立荘される。建長2年(1250)幡多荘は九条道家より四男の一条実経に伝領され、以後一条家領幡多荘として存続する。
中央では応仁の乱(1467-)が勃発し、京都は荒廃、一乗邸も焼失、年貢も途絶し、一乗家当主教房は弟である大和興福寺大乗院院主尋尊(→大和興福寺)を頼り疎開する。しかし荘園からの当知行(年貢収納)を維持するため、応仁2年(1468)一乗教房は自ら土佐幡多荘へ下向する。
教房の没後、その子房家は中村に城を構え土佐一乗家として土着する。
土佐一条家は中村において、房家―房冬―房基―兼定と4代にわたり存続し、所領の支配を行うも、遂に天正2年(1574)長宗我部元親の策略によって事実上滅亡する。
中村の町は領主一条家によって京都に倣った町作りが行われると伝える。その中の一つの遺物として不破八幡宮本殿が残る。
●不破八幡宮:
本八幡宮は文明年中(1469-1487)一乗教房、幡多郡総鎮守として山城石清水八幡宮を勧請 し、創建されるという。
本殿(棟札9枚と共に重文、三間社流造)は永禄2年(1559)の建立という。
 不破八幡宮本殿11   不破八幡宮本殿12   不破八幡宮本殿13   不破八幡宮本殿14
 不破八幡宮本殿15   不破八幡宮本殿16   不破八幡宮本殿17   不破八幡宮本殿18
 不破八幡宮本殿19   不破八幡宮本殿20   不破八幡宮本殿21
土佐足摺山金剛福寺  → 土佐金剛福寺
観自在寺石造多宝塔1
観自在寺石造多宝塔2
観自在寺石造多宝塔3
観自在寺石造多宝塔4
観自在寺石造多宝塔5
観自在寺石造多宝塔6
昭和53年建立、高さ約4m。心経宝塔と称する。内部には般若菩薩を奉安し、地下室には順拝者の写経が奉納される。
「塔をゆく 第3巻 多宝塔」では高さは凡そ4mほどという。
平城山と号する。四国40番札所。南宇和郡愛南町御荘平城2253−1
 観自在寺仁王門     観自在寺本堂     観自在寺大師堂
2014/11/07 六条本圀寺寺中信正本栖院  → 六条本圀寺塔頭信正山本栖寺
2014/10/30 山城相国寺三重塔跡 再訪 → 山城相国寺
2014/10/15 東山檀林善正寺 再訪 → 東山檀林善正寺
山城真如堂三重塔 再訪 → 山城真正極楽寺
山城黒谷三重塔 再訪 → 山城金戒光明寺
2014/10/21 近江笠寺廃寺心礎  → 近江笠寺廃寺心礎
2014/10/05 土佐青龍寺三重塔/多宝塔  → 土佐青龍寺三重塔
 → 土佐青龍寺多宝塔
高知角茂谷吉永家五重塔 1993年建立、総高17m、GRC(ガラス繊維強化セメント)造・外装木造。
「吉永家累代之霊域」(「大豊堂ヶ峯園」と云うようである)にあり、吉永家(と云うより吉永氏個人)の造立になる。吉永浩三氏母堂の菩提のためとも云うので、仏教の考えに基ずく塔婆なのであろう。
GRCとは旭化成と三菱商事との共同開発で作られたセメント製品と云い、横須賀聖徳寺・平賀本土寺・陸奥観音寺・肥前本福寺と同工法と云う。
なお本塔は、細部は良く分からないが、山城海住山寺五重塔に相似し、この塔をモデルにしたのであろう。
○2013/06/29「某氏」撮影・ご提供画像:
 各茂谷吉永家五重塔
2014/10/05撮影:11〜相輪
吉永氏尊父は神道、母堂は真言宗という。写真には神殿と仏殿が写るが、それは左の理由であるという。
 角茂谷吉永家五重塔11    角茂谷吉永家五重塔12    角茂谷吉永家五重塔13
 角茂谷吉永家五重塔14    角茂谷吉永家五重塔15    角茂谷吉永家五重塔16
 角茂谷吉永家五重塔17    角茂谷吉永家五重塔18    角茂谷吉永家五重塔19
 角茂谷吉永家五重塔20    角茂谷吉永家五重塔21    角茂谷吉永家五重塔22
 角茂谷吉永家五重塔23    角茂谷吉永家五重塔24    角茂谷吉永家五重塔相輪
 角茂谷吉永家円堂
2014/10/04 土佐最御崎寺多宝塔  → 土佐最御崎寺
土佐国分寺心礎 再訪 → 土佐国分寺
土佐比江廃寺心礎 再訪 → 土佐比江廃寺
2014/09/13 大和額安寺  → 大和額安寺
内山永久寺手水鉢遺物 下永教願寺手水鉢 → 内山永久寺
内山永久寺寺門遺構 大和社神護寺山門 → 内山永久寺
杣之内峯堂共同墓地 内山永久寺歴代住職墓碑(無縫塔)があるというも不詳 → 内山永久寺
2014/08/28 八坂法観寺遠望  → 八坂法観寺遠望
真葛ヶ原大雲院  → 北野天神鐘楼・真葛ヶ原大雲院
祇園感神院遠望  → 祇園感神院遠望
山城知恩院遠望  → 山城知恩院遠望
2014/08/14 陣門流本山本禅寺 再訪 → 陣門流本山本禅寺
京都市歴史資料館 蛤御門の変とどんどん焼け」テーマ展
2014/07/26 安芸仏通寺多宝塔11
安芸仏通寺多宝塔12
安芸仏通寺多宝塔13
安芸仏通寺多宝塔14
安芸仏通寺多宝塔15
安芸仏通寺多宝塔16
安芸仏通寺多宝塔17
安芸仏通寺多宝塔18
安芸仏通寺多宝塔19
安芸仏通寺多宝塔20
安芸仏通寺多宝塔21
安芸仏通寺多宝塔22
安芸仏通寺多宝塔23
仏通寺多宝塔平面図
昭和4年建立(現地の説明板は昭和2年建立)。山口玄洞氏寄進。 安井楢次郎(京都府古社寺修理技手)の設計・監修。一辺4.26m。総高13m。妙な木鼻を除けば、基本的に和様である。屋根銅板葺。 内部は四天柱を設け千手観音を祀るという。また昭和戦後の写真では納骨堂の札を懸けるが今は納骨堂の機能は無いと思われる。また同じ写真では壁が落ち荒れていた様子であったが、現在は丹塗りも映え手入れも行き届いているようである。 なお、本尊十一面観世音菩薩立像は現在大方丈に遷座という。
佛通寺略歴:
應永4年(1397)小早川春平公が 愚中周及(佛徳大通禅師)を迎え創建する。 佛通寺の寺称は、愚中周及の師・即休契了を勧請開山とし、開山禅師の諡号(佛通禅師)に由来する。 その後、小早川氏を壇越として、寺勢は隆昌,最盛期には塔中88寺、西日本に末寺約3000ヵ寺を数えるという。明治38年臨済宗仏通寺派大本山 として天竜寺から独立。
2010/10/29追加:
 安芸仏通寺多宝塔:昭和9年撮影:新聞写真
2012/05/01追加:絵葉書
 安芸仏通寺多宝塔2
2014/07/26撮影:参考文献「大本山佛通寺誌」井上和夫、昭和24年
 昭和24年佛通寺見取図:「大本山佛通寺誌」より転載。
以下仏通寺現況
 仏通寺伽藍俯瞰     仏通寺中心伽藍
 仏通寺巨蟒橋1    仏通寺巨蟒橋2:きょもうばし      仏通寺山門:文化年間に再興
 仏殿、方丈、庫裡は文化5年(1808)再建。
 仏通寺仏殿1     仏通寺仏殿2     仏通寺仏殿3     仏通寺仏殿内部
 仏通寺大方丈     仏通寺大玄関・庫裡     仏通寺庫裡      仏通寺小方丈
 仏通寺禅堂1     仏通寺禅堂2;昭和6年山口玄洞氏の寄進     仏通寺第2禅堂
 仏通寺鐘楼:明治22年再建
 仏通寺宝蔵;文化7年再建、現在は薬師堂(観音堂?)     仏通寺宝蔵薬師如来
 仏通寺経蔵:文化13年再建か
 含暉院開山堂:元は含暉院仏殿の背後にあったが、退転。
 現在は含暉院書院であった現在の建物に遷され、書院が開山堂と改称される。
 含暉院開山堂1     含暉院開山堂2
 含暉院地蔵堂:重文、応永18年(1411)建立、元来は含暉院仏殿で今は地蔵堂と称する。
 含暉院地蔵堂1     含暉院地蔵堂2     含暉院地蔵堂3     含暉院地蔵堂4
 含暉院侍真寮跡
その他山内に入る手前に不動堂(写真なし)、鎮守御許権現社などがある。
明治維新後、末寺は40ヶ寺程度となる
◇仏通寺寺中:明治維新後寺中は5院程度となり、殆ど無住となる。現在 は僅かに永徳院(写真なし)、是心院、正法院、長松院、両足院(写真なし)が存在するようである。なお、現在現存する5院は近世には5派小本寺と称された寺院であり、それゆえ存続が図られたように思われる。因みに、慶応3年には5派小本寺の他に14ヶ庵が存在し、名跡の寺中69ヶ寺の名称が伝わる。
是心院は仏通寺見取図では一華院とあり、一華院に是心院が再興されたのであろうか。
長松院は仏通寺見取図では巨蟒橋の南東に描かれるが、現在は仏殿の西側に再興されているようである。
両足院は仏通寺見取図では永徳院東側(現在はバス亭及び駐車場)に描かれるが、現在は庫裡の東側に再興されているようである。
仏通寺見取図では長松院東南付近に浄心庵跡が描かれる。浄心庵は、見取図の描かれた後に、両足院の東側部分付近に再興されたのであろうか、現在もこの付近には浄心院の扁額を掲げた寺門と石垣と土塀(この塀自体は近年のものであろう)が残る。なお明治26年浄心庵は是心院を合併という。
 仏通寺是心院     仏通寺飛猿橋     仏通寺正法院
 仏通寺禅堂跡:現在は墓所となる。
 仏通寺浄心院跡:一時浄心庵があったと推定される。写真の門には浄心院の扁額がある。塀の中は駐車場となり、何も残らない。
広島二葉山平和塔2
広島二葉山平和塔3
再撮影(遠望):広島二葉山平和塔(ストゥーパ)
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