日住門流本山寂光寺

日什門流本山寂光寺概要

かっては空中山と号するも、近年「妙泉山」と改号すると思われる。(山門 ・表札)。
 ※この改号は「妙泉寺」の報恩:顕彰の為もしくは「妙泉寺」寺籍を継いだ為の処置と推定される。
 ※旧妙泉寺の本山格継承、妙泉山を称す とも云う。
  ※本山妙泉寺は天文法華の法難で帰洛の後、寺勢振るわず、天正19年頃寂光寺寺中の移転する。
  その後、宝永5年(1708)の大火で寂光寺とともに類焼、現在地に再度移転する。
   →日什門流本山妙泉寺 を参照
本尊:十界大曼荼羅。顕本法華宗。
妙満寺26世日淵が天正6年(1578)に創建。境内地は南北38間、東西48間。
 (寺地:出水通室町・近衛町、壇越:祇園御旅所神主の隆谷裕恵。当初は久遠院と号する。)
  ※久遠院日淵:享禄年(1529)〜慶長14年(1609)
日淵は天正7年の安土宗論に京洛法華宗の代表の一人として臨み、敗者との判定を受ける。
天正18年秀吉の寺町建設により、寺町竹屋町東に移転。
天正19年頃衰微した法華宗16本山の妙泉寺(顕本法華宗本山)を寺内に移建。
慶長期には寂光寺と号し、京洛法華宗16本山に列する。
2世算砂日海上人は囲碁の名人(織田信長)と呼ばれた。(塔頭本因坊の開山)
以降昭和14年に世襲制を廃止するまで、豊臣・徳川期を通じて庇護を受け、本因坊院主は囲碁名人を世襲した。
 (本因坊算砂の供養墓)2001/06/10
寺町通りにあった頃の伽藍は「新編法華霊場記・ 寂光寺」:貞享2年(1685)で知ることが出来る。
 寺町通りに表門があり、本堂、番神、鐘楼からなり妙泉寺・本堂が隣接する。
宝永5年(1708)の大火(宝永の大火)で類焼し、現在地に移転再興。
  ※以上2011/04/29部分的に追加:
  「洛中法華宗本山寺院の伽藍建築」丹羽博亨(「広島工業大学研究紀要 17 (21)」1983 所収) より記事追加。

2003/8/18追加
○「雍州府志」黒川道祐撰、天和2年(1682)草稿、貞享3年(1686)刊 より
京極大炊御門に在り、空中山と号す、日淵開基、日蓮宗21箇寺の一、寺産少しばかり在り。云々

2003/8/3追加
寂光寺古絵図写(天明8年<1788>):現在地の絵図である。

寂光寺古絵図写(左図拡大)

本堂はおおむね 中央に位置し、西面する。
本堂東に客殿、南に玄関・書院・庫裏があり、南一郭が墓地となる。
三間社(三光堂)は客殿北にあり、鐘楼・行者部屋が散在する。
北の薬医門(表門)の西に妙泉寺が配置される。

本堂は11間×8間、宝永年願い出、客殿は9間半×7間、安永5年願い出。

寺中は西側に北から妙泉寺、久成坊(先年類焼・空き地)、実教院、実成院(空き地?)、詮量院、玄立院、本成院(空き地)があり、東北に北から本行坊、本因坊(空き地)を配する。

 

2010/12/19追加:
○「花洛羽津根」清水換書堂、文久3年(1863) より
 空中山寂光寺塔中:
実教院、玄立院、詮量院、本成院、久成院、実成院、本行院 7ヶ院、本因坊(在江戸御碁所)

2022/10/25追加:
○明治3年京都府寺社掛「日蓮宗本末一覧」
詮量院、實教院は現存、玄立員、本成坊、實成坊、久成坊、本行坊、本因坊は今はなし。

○大正5年「京都坊目誌」碓井小三郎編記事より(上京第ニ十八學區之部)
 旧境内1,922坪、今1,572坪
塔中元6坊今2坊となる。末寺2ヶ寺あり。
 詮量院 慶長4年2月僧日隆之を創立す。
 實教院 元和2年4月僧日栄之を創立す。

2011/08/21追加:
○京都市明細図:昭和2年頃、「大日本聯合火災保険協会」が作成、昭和26年頃まで加筆・修正がなされる。
 京都市明細図寂光寺:北西に妙泉寺があり、西側には宝鏡院、詮量院の寺中がある。

寂光寺現況
無印は2001/05/25撮影、○印は2007/03/10、□印は2009/11/05、△印は2014/05/01、◇印は2022/05/17撮影:

現在は本堂、方丈(庫裡)、客殿、山門、鐘楼などを残すのみで、寺中は全て退転し、古の面影はほとんどない。
境内の大部(寺中跡)は駐車場に化すも、無秩序ではなく、境内は良く手入れはされている印象である。

 ※現伽藍(概要図):概要図は目測をメモしたもので必ずしも正確ではない。
 
寂光寺伽藍俯瞰

寂光寺伽藍
 □寂光寺伽藍:本堂・鐘楼・方丈     △寂光寺伽藍2
山門:享保6年(1721)建立
 △寂光寺山門     ◇寂光寺山門2
本堂:安永5年(1776)建立
 本     堂       □寂光寺本堂      △寂光寺本堂2      △寂光寺本堂3
 ◇寂光寺本堂4     ◇寂光寺本堂5
方丈(庫裡):享保元年(1716)建立
 方    丈(写真右側)     □寂光寺方丈     △寂光寺方丈2
客殿:享保元年(1716)建立
 △寂光寺方丈/客殿(客殿は写真中央か)     ◇寂光寺方丈/庫裡2
鐘楼:安永元年(1772)建立
 △寂光寺鐘楼     ◇寂光寺鐘楼2
◎寺中
妙泉寺跡:
  ○妙泉寺跡区画:近世の絵図や下記の報恩塔の存在により、ここが僅かに妙泉寺跡と知れる。
  ○妙泉寺報恩塔:近年建立と思われる。山門を入りすぐ右手にある。
   なお妙泉寺の項を参照
 △寂光寺久成坊跡:現在ある建物は民家か
 △寂光寺詮量院跡
 △寂光寺本因坊跡:中央やや左が本因坊跡か 、但し本因坊は早くから坊舎は失っていたと思われる。
 △寂光寺歴代墓碑
 △寂光寺本因坊墓碑:中央は2世日海上人碑

末寺
法華寺・・・國および所の名称が判読できず。
加賀金澤小立野本行寺 →金沢城下2の諸寺


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