具 足 山 妙 覚 寺

具足山妙覚寺・京都妙覚寺華芳塔・妙覚寺多宝塔

2007/12/06追加:
華芳塔(石造宝塔)・華芳宝塔(木造宝塔)・華芳塔堂(覆屋)
 

華芳塔堂(3間2間の覆屋)に華芳宝塔(木造宝塔)を安置し、華芳宝塔中に華芳塔(石造宝塔)を奉安する。

妙覚寺華芳塔・華芳宝塔:左図拡大図

華芳塔(石造宝塔):
石製宝塔、日蓮上人が比叡山で法華経一巻を写経し、その写経を納めるという。
 ※これが事実とすると、この石塔は鎌倉期の古石塔となる。
華芳宝塔(木造宝塔):
華芳塔を安置する。寺伝では室町前期、墨書から推定すると室町後期、様式的にも室町期とされる。
華芳塔堂:
華芳宝塔(木造宝塔)の覆堂。近世初頭(天明8年)の類焼は免れる。

「当山諸堂」(「北龍華由来及沿革」所収)
22世日充上人(元禄5年1692寂)代、華芳塔堂、刹堂北の三光堂跡に建立
29世日空上人(元禄6年1693寂)代、刹堂北から楼門東、成就院・大通院間に移す。
51世日運上人(天保4年1833寂)代、華芳塔・墓所・石塔堂修復、華芳塔堂はこの時現在地に引き移される。

華芳塔(石造宝塔):

笠と胴の間に一穴を穿ち、日蓮上人自筆の経を納めると伝える。(叡山に修行中の上人が法華経を写経、宝塔に納める。)
元亀2年(1571)信長の叡山焼き討ちで、他所に移され、その後、当寺に移されたと伝える。
 ※山本修理亮なるものが叡山で見つけ、妙覚寺に納めるとも云う。(寺伝)
なお、この宝塔は焼損を残し、形はかなり崩れていると云う。
「洛中法華宗本山妙覚寺の伽藍と遺構」桜井,敏雄(近畿大学理工学部研究報告 12、1977 所収) より
  ○妙覚寺華芳塔
     → 参考:山城東福寺塔中勝林院石造芳塔

華芳宝塔(木造宝塔):

妙覚寺華芳宝塔1
  同       2
  同       3
  同       4
     ;左図拡大図
  同       5
  同       6
  同       7
  同       8
  同       9
  同      10
  同      11
  同      12
  同      13
  同      14
※塔身径は83cm(「京都の文化財 第14集」)
 以上から推測して、高さは2.5m内外か?

叡山にある頃の石製宝塔には木造多宝塔のことには触れられていない、そのため木造多宝塔が他所から移入したものでなければ、覆堂としての木造多宝塔は元亀2年以降の製作と推定される。

多宝塔内部背後の墨書:
慈父浄音 亡婦法三 慈母妙法 逆修妙三 法界
  とある。
これは妙三が逆修のために造立したと解され、妙三は過去帳では天正元年(1573)に入滅しているので、この墨書が確かであるならば、室町後期の造立とも考えられる。
(寺伝では室町初期の建立と云う。)
  ○妙覚寺華芳宝塔墨書

様式上からの比較は中世の木造宝塔の作例が数例しかなく、比較は困難とされる。
 ※中世の宝塔遺構は下に掲載。

正面側面の三扉及び正面扉内側には狩野元信作と伝える六神将と四仙が描かれる。
但し狩野元信は永禄2年(1559)寂で、元亀2年以降の造立とすれば、元信は描き得なかったことになる。
 ※元信は妙覚寺の檀越で、妙覚寺に墓所もあり、方丈・番神堂には元信の手になる絵画があったとも云う。
「京都坊目誌」:
「平安通誌 境内に花芳塔あり 内檀は聚楽城の遺物なりと云う。」

2009/01/17追加:「京都の文化財 第14集」京都府教育委員会、 1997 より
塔身の径は83cm、この径から判断すると、高さは2.5m内外か。
 妙覚寺華芳宝塔・華芳塔2

中世の宝塔遺構:
※尾張性海寺宝塔:弘安4年(1281) →尾張性海寺中、
山城三聖寺(現東福寺 )愛染堂内宝塔:室町期 →三聖寺・三聖寺愛染堂小宝塔・万寿寺・東福寺
武蔵慈光寺宝塔:天文25年(1556) →武蔵慈光寺宝塔 がある。
※美濃長蔵寺舎利塔(宝塔):天文16年(1547)建立も知られる。 →屋内小塔

○「洛中法華宗本山妙覚寺の伽藍と遺構」桜井,敏雄(近畿大学理工学部研究報告 12、1977 所収) より
 妙覚寺華芳宝塔全図
   同      斗栱1     同      斗栱2     同    斗栱見上
下重塔身部は4本の円柱を建て、地覆・内法・台和の長押を廻し、正面及び両側面は板扉、背面は板壁とする。
下重上部は板亀腹上に台輪を廻し、平三枓で支える縁勾欄を設ける。
上重は12本の柱を建て、地覆・内法・台和の長押を打ち、柱間は全て板壁とする。斗栱は4手先を用いる。尾垂木は禅宗様の凌ぎを入れる。垂木はニ軒の扇垂木ろする。屋根は瓦板葺。九輪は木製で、伏鉢・受花を省略する。

華芳塔堂(覆屋):

妙覚寺華芳塔堂1:左は客殿(本堂)
  同       2:同上
  同       3
  同       4:左図拡大図
  同       5
  同       6
  同       7
  同       8
  同       9
  同      10

記録では「充師御代三光堂之跡エ建立」「空師御代刹堂之北エ引移云々」とあり、江戸初頭の建立であると考えられる。

客殿(現本堂)北にあり南面し、基壇上に建つ。
正面3間、側面2間、1間向拝付設。屋根入母屋造、現在は桟瓦葺。内部は土間。
基本的に禅宗様仏殿の形式を用いる。


具足山妙覚寺伽藍変遷(妙覚寺多宝塔)

天明8年までは多宝塔が存在した。
  ※妙覚寺多宝塔については以下の絵図・情報がある。
    平面図・立面図の概要:妙覚寺惣境内分限絵図妙覚寺立体見取絵図1妙覚寺境内図
    多宝塔の絵:妙覚寺伽藍絵図妙覚寺立体見取絵図2、都名所圖會(具足山妙覚寺多宝塔部分図
    建立・喪失:創建時期不詳、現在地(寺之内)に移転直後には多宝塔は存在したと推定される。
       別途東山雲居寺からの移建とも伝える。
       天明8年(1788)類焼、以降再興されず。
        ※天明の大火
現在、妙覚寺伽藍は荒廃する。
祖師堂・客殿(本堂)・庫裏などを除き、主要堂宇は退転したままで、仮本堂跡が辛うじて残存する。
寺中も大部が廃絶し、その上寺中跡・境内中軸線東も大部が民家と化し、かっての広大な境内も半減する。
境内は駐車場と化す。

1)天正11年(1583)【秀吉の命で現在地(寺 ノ内)に移転】以前

永和4年(1376)の創建時の伽藍、
文明15年(1483)室町西二条南押小路衣棚に移転から天文5年(1536)天文法華の法難までの伽藍、
天文11年(1542)の帰洛から天正10年(1582)明智光秀の乱(本能寺の変)での炎上までの伽藍の詳細は詳らかでない。

2)天正11年(1583) から天明8年(1788)類焼まで

2007/10/11追加:
「近世京都日蓮宗妙顕寺,妙覚寺,要法寺の伽藍配置」丹羽,博亨(日本建築学会計画系論文報告集 第402号 所収)
「妙覚寺伽藍絵図」:「新編法華霊場記」享保3年(1686)刊:寺ノ内に移転後の伽藍

妙覚寺伽藍絵図:左図拡大図
・・・当時の伽藍は次の「山州名跡志」の記事とほぼ同一と思われる。

 ◇「山州名跡志」元禄15年(1702)では
門は東面、堂は南面、楼門は南面、祖師堂は仏殿の東にあり南面、
十羅刹堂は仏殿の西にあり南面、番神社は刹堂の南にあり東面、拝殿も同じ、
二重塔は右社の南にあり東向  とする。

元禄年中(1688-1703)の堂宇の移転
 (元禄年中に堂宇の一部移転があり、境内の整備が行われる。)

2007/12/06追加:
「洛中法華宗本山妙覚寺の伽藍と遺構」桜井,敏雄(近畿大学理工学部研究報告 12、1977 所収) より
「妙覚寺惣境内分限絵図」:寺中の旧号検議があり、元禄4年(1691)に提出した控とされる。
 ※「北龍華由来及沿革」(伝来する古文書を製本したもの、昭和36年)に所収と云う。
・・・この絵図には堂宇の移動(計画)についての書き込みがあり、移動後(計画実施)の伽藍は次の「妙覚寺立体見取絵図」の伽藍となる。
  ○妙覚寺惣境内分限絵図:本図は上が南のため、この図の掲載は天地を逆にして掲載
・・・堂宇の移動の書き込みは以下のとおり:
 南の寶泉院の位置に楼門を建立、宝塔は南門の正面から祖師堂の前附近に移建、宝塔跡に鐘楼(大通院・圓頓院の間にある)を移転、刹堂背後の華芳塔を成就院・大通院間に移す。
 ※但し、楼門は元禄16年(1703)建立(元禄16年「仁王門再興帳序」が存在する。)

2007/12/06追加:
「妙覚寺伽藍諸堂立体見取絵図」(「妙覚寺立体見取絵図」):6.36尺×5.9尺:
 作成時期は不詳であるが、天明8年(1788)焼失前を描く、寛永6年現地での祖師堂竣工以降であることは勿論、元禄の宝塔などの移転以降、天明8年以前の図であろう。

多宝塔部分図(中央上:多宝塔、中央下:華芳塔堂、左上:本堂、右上:祖師堂、左下:仁王門)・・・部分

この全体図は下記の「立体見取図1及び2」を参照

(注)何れも画像容量は大
妙覚寺立体見取絵図1:全図:立面状態:
 ※当図の主要堂宇(本堂・祖師堂・刹堂・多宝塔・華芳塔堂・番神・仁王門・客殿・浴室・鐘楼など)は「起し絵」の形式である。
 「絵」を起せば「立面」を表し、「絵」を畳めば「平面」を表す仕掛けの絵図である。
妙覚寺立体見取絵図2:主要伽藍部分図:この図も立面状態
妙覚寺立体見取絵図3:境内東部分図:この図は平面状態
妙覚寺立体見取絵図4:境内西部分図:この図も平面状態

華芳塔堂・浴室・四塔頭(了縁院・見樹院・智善院・慈雲院)には「焼残」と附箋に標す。(附箋は新しいと云う。)

「洛中法華宗本山妙覚寺の伽藍と遺構」桜井,敏雄(近畿大学理工学部研究報告 12、1977 所収) より
「当山諸堂」では
本堂(釈迦堂):外14間半四方、内11間半四方、建立年代不詳、嵯峨天竜寺法堂を移建とも云う。これは日典上人代、天文の法難の後、現地に寺地を移した後とする。 ( 「妙覚寺諸堂立体見取図」では本堂(釈迦堂):14間四方、鏡天井、三手先組物)
祖師堂:外15間四方、内12間半×12間、寛永6年(1629)完工。
刹堂:外8間3尺×7間4尺、内6間4尺5寸×6間5尺、垂木は扇垂木を用いる。
 ※刹堂は東山雲居寺から移築され、瓦には「雲居寺」とあったと伝える。(典拠は不明)
宝塔(二重多宝塔):雲居寺から移築と伝える。(典拠は不明)
 「此塔無住之間ニ上一重崩落者東師御代再興也」とあると云う。(典拠は不明)
番神社の彩色は狩野永徳と伝える。拝殿は日従上人(宝永5年1708寂)代に建立する。
鐘楼は日亮上人(正保3寂)代に発願、日桂上人(正保4年1647寂)代に成就。
皷楼は不詳、浴室は日充上人(元禄5年1692寂)代建立と伝える。
 ※雲居寺:旧址は今東山高台寺のある場所と伝える。弘仁年中参議菅野真道が桓武天皇の菩提のため建立する。
   天治2年(1125)叡山の瞻西(センセイ)上人が8丈の阿弥陀像を安置する。
   永享8年(1436)火災に罹るも、同12年周文により再興、再興の阿弥陀像は坐高4丈の大仏と伝える。
   その後応仁の乱じ焼失し衰微する。慶長11年(1606)北政所、秀吉菩提のため、康徳寺をこの地に移し
   高台寺を創建した時、雲居寺は廃され寺町頭十念寺に合併する。
   思うに、高台寺建立・雲居寺廃寺に際し、衰微した若干の雲居寺堂塔が妙覚寺に移されたことは有り得ることと思われる。

2007/12/06追加:
「洛中法華宗本山妙覚寺の伽藍と遺構」桜井,敏雄(近畿大学理工学部研究報告 12、1977 所収) より
「妙覚寺寺伽藍配置関係図」:(「妙覚寺立体見取絵図」より作成)
   ○妙覚寺伽藍配置関係図
西から東に刹堂、本堂(釈迦堂)、祖師堂と並び、祖師堂規模が本堂規模を上回る。
宝塔は本堂・祖師堂の中間線上にある。

天明年間刊「都名所圖會」巻1の「妙覚寺」
 「都名所圖會」初版は安永9年(1780)、天明8年(1788)焼失前を描く

具足山妙覚寺:下図拡大図

多宝塔部分図:下図拡大図

伽藍配置は刹堂(鬼子母神)、本堂、祖師堂及び番神堂・拝殿、楼門、宝塔、華芳塔などの位置は「妙覚寺立体見取絵図」とほぼ一致する。(但し客殿前の唐門のある築地が北に移動せず、一直線になっているのは相違する。)
また、本堂規模が祖師堂規模を上回るように描かれているのは正確性に疑問がある。

2007/10/11追加:
「近世京都日蓮宗妙顕寺,妙覚寺,要法寺の伽藍配置」丹羽,博亨(日本建築学会計画系論文報告集 第402号 所収)
妙覚寺境内図
記載文面から寛政7年(1795)の作図の「大客殿再興願」であるが、7年前の天明8年火災前の建物配置図であることが知れる。東から(東が上)祖師堂、本堂、刹堂が南面して並び刹堂の南に番神社・拝殿があり、その南に「塔」を置く伽藍であった。

3)天明8年(1788)類焼後

・天明8年(1788)類焼。
  (華芳塔堂・浴室と表門及び寺中の了縁院・見樹院・智善院・慈雲院は焼失を免れる。)
・49世日遂上人(享和元年1801寂)は類焼後、2月に入山、入山式は焼失を免れた浴室で行う。
以下の建物が再興される。
 庫裏:天明8年、小客殿:寛政元年(1789)、対面所、鐘楼堂:寛政3年(1791)、玄関:寛政4年、使者間并廊下:寛政4年、
 番神社(仮社)、土蔵:寛政5年、生御影厨子、鬼子母神厨子、築地など、祖師度は材木を集める。
・50世日j上人(享和3年1803寂)、小客殿を祖師堂跡に移築して、仮本堂とする。大客殿を建立。
・51世日運上人(天保4年1833寂)、居間・客殿廊下、広間廊下、内玄関、内庭井、大蔵、同所土塀、客殿北土塀など建立、
 唐門など造営、華芳塔・墓所・石塔堂修復、華芳塔はこの時現在地に引き移される。
・52世日監上人(文政2年1819寂)、裏門再建、番神堂再建、諸堂宇の屋根葺替などを実施。
・55世日暢(車偏に易の文字)上人(文政12年1829入山・天保8年1837寂)、祖師堂が上棟される。

2007/10/11追加:
「近世京都日蓮宗妙顕寺,妙覚寺,要法寺の伽藍配置」丹羽,博亨(日本建築学会計画系論文報告集 第402号 所収)
妙覚寺「寺地画図」:明治4年
 図が不鮮明ではっきりしないが、本堂位置に祖師堂があり、祖師堂西に客殿・方丈・庫裏などが再建され、祖師堂東に仮本堂がある。塔頭7ヶ院が復興される 。
 ※主要伽藍配置は概ね現状と一致する。

2009/01/17追加:「京都の文化財 第14集」京都府教育委員会、 1997 より
天明の大火後、火災以前の本堂の位置に祖師堂が建てられ、その東に仮本堂、西の一画に客殿や方丈が整備せられた。
その後本格的な本堂は再建されず、明治に入って仮本堂は破却され、本尊は客殿に移安され、客殿が本堂と称される。

2013/01/15追加:
「不受不施派殉教の歴史」相葉伸、昭和41年 より
 昭和20年終戦頃の大門:何れも相葉伸氏撮影
 昭和20年終戦頃の妙覚寺:左から客殿(本堂)、祖師堂、今な無き堂宇か。築地は破れ、本堂の天井は焼夷弾による火災を惧れ剥ぎ取ると云う。

妙覚寺略暦

具足山と号する。現在は日蓮宗一致派本山。本尊:十界曼荼羅。
永和4年(1376)妙顕寺日実上人、弟日成上人とともに妙顕寺を出、小野妙覚の外護を得て、四条大宮に堂宇を構える。
 ※妙覚寺は妙顕寺から分立、日像上人を開山、2世は大覚大僧正、3世は朗源上人、4世を日実上人とする。
応永20年(1413)日成上人、「法華宗異体同心法度」を定め、不受不施を推し進め、洛中の不受不施の中心となる。
寛正7年(1466)の「寛正の盟約」では当寺日住上人が中心となる。
文正元年(1466)隣接の本覚寺を合併、境内地は拡大、寺中は100余と伝える。
 ※本覚寺とは21ヶ寺本山と思われるも不詳。
文明15年(1483)足利義尚の命で、室町西二条南押小路衣棚に移転。
天文5年(1536)天文法華の法難で比叡山衆徒に敗れ、京を追われる。
 ※17世日兆上人は堺への避難の途中、鳥羽街道にて流れ矢に当たり遷化。
天文11年(1542)帰洛が直許され、二条衣棚に再興された。
 ※中世には後藤氏(祐乗、光乗・徳乗父子、元乗など)一族の外護を受ける。
天正10年(1582)信長上洛時、長男信忠の宿舎に充てられ、明智光秀の乱(本能寺の変)で信忠は自刃。
天正11年(1583)秀吉の命で現在地(寺内)に移転。(20世日典上人代)
文禄元年(1592)日典上人の事蹟を引継ぎ、日奥上人が19世住持と なる。
 文禄4年日奥上人、方広寺「大仏千僧供養会」の不出仕を貫き、そのため日奥上人は寺を退去し、丹波小泉に隠棲する。
 慶長4年(1599)受不施派の上訴により、徳川家康により大阪城対論が仕組まれ、対馬に流罪となる。
 慶長17年、放免、妙覚寺円蔵院に住し、元和2年(1616)本坊に移り、寛永7年(1630)当寺で没する。
 その生涯は身延を始めとする受不施との戦いであった。
  →仏性院日奥上人:2013/01/17追加
日奥上人後、当山は身延に接取され、徳川幕府の宗教政策に組み込まれる。
天明8年(1788)の大火で焼亡。 ※天明の大火
現伽藍はその後の再建。

妙覚寺現伽藍:
画像無印は2001年5月25日撮影、※印は2001年6月10日撮影、◇印は2007/11/29撮影
、△印は2012/11/15撮影、
▽印は2013/11/07撮影、◆印は2014/12/18撮影:降雪
現伽藍(概   要  図(大門に懸かる寺号
 今なお広大な境内を有するが、近年全くの駐車場と化し、境内は20年前と比べても一層荒廃が進むと思われる。
 妙覚寺遠望△:妙顕寺境内より撮影
大門:
 大門から境内を望む
 大  門※
 妙覚寺大門1◇      妙覚寺大門2
  ※天明8年の類焼を免れると思われる、聚楽第裏門と伝承される、寛文3年(1663)に寺内での移建の記録が残る。
  様式上も桃山期の特徴を残す。
 妙覚寺大門3△:祖師堂前・大門間の駐車は今は行っていない様子で、随分と環境は改善される。
 妙覚寺大門4
 妙覚寺大門5▽     妙覚寺大門6▽     妙覚寺大門7
 妙覚寺大門8
祖師堂:
 祖 師 堂(桁行7間梁間5間の大堂で ある。祖師堂側面※):中央日蓮大上人、左日朗上人、右日像上人を祀る。
 妙覚寺祖師堂1◇     妙覚寺祖師堂2◇      妙覚寺祖師堂3◇      妙覚寺祖師堂4
 妙覚寺祖師堂5◇     妙覚寺祖師堂6
 妙覚寺祖師堂7△     妙覚寺祖師堂8
 妙覚寺祖師堂9▽:現在屋根修復中と思われる。
客殿(現本堂):
 客殿 (現本堂)※
 客殿(本堂)1◇    客殿(本堂)2
 妙覚寺客殿(本堂)3
 妙覚寺客殿(本堂)4
 妙覚寺客殿(本堂)5
 妙覚寺客殿庭園1◇:客殿(本堂)から祖師堂方向を撮影
 妙覚寺客殿庭園2◇:祖師堂・客殿の渡廊下から客殿方向を撮影
 妙覚寺客殿庭園3◇:客殿北西の紅葉、右端は華芳塔堂
 妙覚寺客殿唐門
宝蔵
  京都妙覚寺宝蔵◇(推定)
庫裏・玄関
 庫  裏※・ ・書院
 京都妙覚寺庫裏◇:改造があるものの江戸初期の建立と される。
 京都妙覚寺玄関
 妙覚寺庫裏2△     妙覚寺庫裏3
 妙覚寺玄関2
 妙覚寺庫裡/玄関
仮本堂跡
 仮本堂は堂の基檀(仮本堂跡・元祖師堂位置)を残すのみで、駐車場と化し、いまだ再建には至らず。
 2010/12/02撮影:妙覚寺仮本堂跡
天文法華の法難供養塔
 供  養 碑※
三菩薩題目笠塔婆
 三菩薩題目笠塔婆
  ※中央日蓮、左日像、右日朗各上人の報恩供養塔、何れも応永年中の創建の地で建立され、寺地の移転と共にすると云う。
墓碑
実成院日典上人、安国院日奧上人(日奧上人は安国院・佛性院と号する)、狩野法眼元信、永徳、孝信ほか狩野家累代の墓碑がある。
 妙覚寺歴代墓所◆     狩野家累代墓碑◆     狩野法眼元信墓碑

寺中:
近世に於いても、多くの塔頭が周囲を囲むも、現在は善明院・玉泉院・實成院の3院が辛うじて残る。

2010/12/19追加:
◇「花洛羽津根」清水換書堂、文久3年(1863)
具足山妙覚寺塔中:
大通院、慈雲院、啓雲院、見樹院、玉泉院、寿泉院、成就院、実成院、金蔵院、恵林院、本立院、大乗院、円隆院、知善院、観乗院、宝珠院、禅明院、了縁院、観行院、善照院 20ヶ院
 (この塔中は天明の大火以前の寺中であろう。)
花洛の末寺として、下鳥羽村実相寺(大覚大僧正開基寺院中)などがある。
2012/11/29追加:
◇「寺院本末一覧」:
明治3年、太政官達により京都府が調査作成した洛中及び山城地方の寺院の一覧表である。
妙覚寺について寺中は以下の記載がある。
 龍泉院、善明院、玉泉院、見樹院、寳泉院、實成院、成就院の7ヶ院である。
2012/11/29追加:
妙覚寺「寺地画図」:明治4年  では以下の7ヶ院が描かれる。
 西側に見寿(樹)院、龍泉院、北側に善明院、成就院、東側に寳泉院、玉泉院、實成院
  現在の實成院の位置には成就院が描かれ、實成院は玉泉院南に位置する。
◇大正5年「京都坊目誌」碓井小三郎編記事より(上京第二學區之部)
旧地13、031坪・今9,716坪
旧塔頭31院・今5院
善明院・玉泉院・實成院・成就院・實泉院
2012/11/29追加:
◇「京都市明細図」:昭和初期(1927年頃)、大日本聯合火災保険協会が作成したものに戦後(1951年頃まで)訂正・加筆等を行っていった京都市街明細図である。
北側には善明院、成就院(寺)、西側には玉泉院、了縁院(と判読できる)の4ヶ院が表される。
上の「寺地画図」では實成院のある位置には了縁院(天明8年の焼失を免れるという)とあり、この事情は不明。
また、現在の實成院の位置には成就寺/成就院とあり、この事情も不明。

善妙院
 妙覚寺寺中善明院
 寺中善明院2△     寺中善明院3△     寺中善明院4
 寺中善妙院5
實成院
 實成院※
 妙覚寺寺中實成院
 寺中實成院2
 寺中實成院3
玉泉院
 妙覚寺寺中玉泉院
 寺中玉泉院2△     寺中玉泉院3△     寺中玉泉院4
廃寳泉院
 2012/10/24追加:
 ○寺中の消息(移転):K.G氏調査作成「日蓮宗移転寺院一覧(Excel)」2012/10/20版 より
  明治28年、寶泉坊移転、坂井山寶泉寺として新潟県新潟市北区松浜本町3−7−3に現存、
    明治15年創立の妙法堂が、明治28年寶泉坊の寺号を移転し坂井山寶泉寺と改称。
   2012/11/29追加:
    上掲:妙覚寺「寺地画図」では宝泉院は玉泉院の北に接してある。現在この地は公園のような更地である。
    あるいは、写真で見られるように玉泉院は寺門を2個備え、間口も広いようである。現在の玉泉院の北側の寺門と堂舎は
    宝泉院の堂宇であった可能性が高いと思われる。
2013/11/30追加:
 妙覚寺GoogleWap: 東端に、北から推定旧寳泉院の山門(寺門)、玉泉院山門(寺門)・坊舎、その南に推定了縁院跡地に建つと思われるマンション2棟が写る。
 寺中玉泉院5▽:明治4年の妙覚寺「寺地画図」及昭和初期の京都市明細図から推定すれば、 この写真に写るのは、上に記載のように、明治28年越後に移転したと云う寳泉院の山門・坊舎であった建物と思われる。
 寺中玉泉院6▽:玉泉院山門・坊舎
 寺中玉泉院7▽:手前は玉泉院坊舎で、中央に写るのは玉泉院と寳泉院との間の築地と推定される。 奥には推定旧寳泉院坊舎である。
 寺中玉泉院8▽:明治4年の妙覚寺「寺地画図」京都市明細図から推定すれば、明治維新の頃は實成院であり、實成院はいつしか成就院跡に移転し、昭和初期頃はその跡に了縁院があったものと思われる。現在はマンションが建つ。左の寺門は玉泉院の寺門である。
 寺中玉泉院9▽:上記のマンションの南にも別のマンションが建つが、この地も昭和初期には了縁院があった地と推定される。

末寺:
盛林山大正寺(台東区池之端)
寺泊山法福寺(長岡市寺泊二ノ関)
 法福寺末:善行山明聖寺(長岡市寺泊上田町)
自開山常國寺(上越市寺町)
常在山福泉寺(柏崎市新橋)
坂井山宝泉寺(新潟市北区松浜本町)/旧寺中寶泉院
法光山長照寺(新潟市中央区西堀通五番町)
 長照寺末:三献山題目寺(新潟市中央区学校町通二番町)
妙法山蓮長寺(佐渡市相川下寺町)
木越山常照寺(五泉市木越荒屋甲)
日向山妙國寺(富山市梅沢町)
日向山妙國寺(高岡市片原町)
玉蓮山真成寺(魚津市真成寺町)
 ○卯辰・日向山妙國寺(金沢市東山) →卯辰山麓の諸寺
常寿山本住寺(珠洲市正院町正院)
○経王山栄久寺(越前市京町) →越前武生の諸寺
福聚山教徳寺(福井市つくも)
長寿山妙永寺(福井市足羽)
幽玄山妙文寺(福井県南条郡南越前町広野) →南越前の諸寺

超立山浄蓮寺(名古屋市東区東桜)
了栄山等澍寺(稲沢市下津光明寺町)
鷲林山常在寺(岐阜市梶川町)
法光山長照寺(岐阜市矢島町)
寿延山願成寺(本巣市政田)
清水山大乗寺(岐阜県郡上市八幡町向山)
長秋山蓮國寺(岐阜県羽島郡笠松町八幡町)
妙立山蓮成寺(彦根市栄町)

一乗山正法寺(京都市右京区五本松町垣内)
法華山道入寺(京都市左京区修学院茶屋ノ前町)
○祥光山本妙寺(京都市左京区北門前町):愛宕郡二条本妙寺:東山仁王門本妙寺 →山城の日蓮宗諸寺
○長寿山本昌寺(京都市上京区七番町) →山城の日蓮宗諸寺
○実相山本光寺(京都市下京区油小路町) →山城の日蓮宗諸寺
○光照山蓮久寺(京都市下京区藪之内町) →山城の日蓮宗諸寺
○正覚山實相寺(京都市南区上鳥羽鍋ケ淵町) →山城の日蓮宗諸寺中上鳥羽・下鳥羽の項
○法光山妙蓮寺(京都市南区上鳥羽南島田町) →山城の日蓮宗諸寺中上鳥羽・下鳥羽の項
  ※但し明治3年の「日蓮宗本末一覧」では無本寺とある。
○円珠山法性寺(京都市伏見区東大手町)   →廃寺となる。 →山城の日蓮宗諸寺
○本覚山妙昌寺(京都市伏見区久我本町) →山城の日蓮宗諸寺中乙訓郡久我村の項
○成就山満願寺(京都市伏見区久我本町) →山城の日蓮宗諸寺中乙訓郡久我村の項

○法唱山啓運寺(奈良市小川町) →大和の日蓮宗諸寺
大和奈良奥子守町妙栄寺      →同  上
  明治六年中「大和国各郡寺院調表」では京都妙覚寺末寺、無住とする。奥子守町には現存せず。廃寺か。
真浄山大法寺(大和郡山市小泉町)
慧生山蓮妙寺(橿原市今井町)
真如山妙行寺(大和高田市北片塩町)
○冨松山法照寺(高槻市山手町) →摂津の日蓮宗諸寺
真如山法性寺(大阪市中央区中寺)
昌蓮山宝泉寺(大阪市中央区中寺)
玉作山薬王寺(大阪市中央区中寺)
本覚山法妙寺(大東市寺川)
本覚山経王寺(堺市堺区九間町東)
円光山興覚寺(堺市堺区櫛屋町東)
毛須山法華寺(堺市北区百舌鳥梅町)
○大覚山妙泉寺(和泉市和気町)   →大覚大僧正開基寺院中、和泉の日蓮宗諸寺
○本覚山妙光寺(泉佐野市市場西)  →大覚大僧正開基寺院中、和泉の日蓮宗諸寺
 妙光寺末:広栄山長安寺(泉南市岡田)
栄福山妙浄寺(泉佐野市大宮町)
○法性山本光寺(和歌山市吹上)  →紀伊の日蓮宗諸寺
○詔賢山正住寺(和歌山市東長町) →紀伊の日蓮宗諸寺
 正住寺末:一乗山本如院(愛媛県西予市宇和町卯之町)
 正住寺末:林山延寿院(熊本県球磨郡多良木町多良木)
南照山妙台寺(海南市多田) →紀伊の日蓮宗諸寺
長流山養源寺(和歌山県有田郡広川町広)
安立山本正寺(田辺市南新町)

○三國山大聖寺(明石市上ノ丸) →播磨の日蓮宗諸寺
妙法山龍光寺(たつの市龍野町北龍野)
○大禅山大聖寺(たつの市御津町室津) →播磨の日蓮宗諸寺
光照山学成寺(鳥取市新品治町)
久遠山長栄寺(鳥取市新品治町)
妙光山法恩寺(出雲市平田町)   →西国諸国の諸寺>出雲平田の諸寺
妙法山連紹寺(出雲市今市町)
 連紹寺末:清林山涼池院(出雲市大津町)
本身山妙正寺(大田市大森町)
鷲峯山禅真寺(岡山県勝田郡奈義町関本)
○不変山随縁寺(美作市鯰)   →西国諸国の諸寺>美作の諸寺
福栄山寿林寺(美作市林野)
寿永山本妙寺(美作市海田)
○明星山蓮光寺(津山市林田)   →西国諸国の諸寺>美作の諸寺
○長昌山妙法寺(津山市西寺町)   →西国諸国の諸寺>美作の諸寺
  妙法寺末:福聚山無量寺(岡山県苫田郡鏡野町入)
  妙法寺末:妙法山経王寺(津山市下野田)
○延寿山本行寺(津山市西寺町)   →西国諸国の諸寺>美作の諸寺
  本行寺末:玄好山万福寺(津山市高野本郷)
  本行寺末:秀養山法光寺(津山市西中)
  本行寺末:岩谷山妙福寺(津山市中北上)
○法光山妙勝寺(津山市西寺町)   →西国諸国の諸寺>美作の諸寺
福祐山法光寺(真庭市大庭)
○随縁山本覚寺(真庭市落合垂水)   →西国諸国の諸寺>美作の諸寺
○正法山興善寺(真庭市久世)   →西国諸国の諸寺>美作の諸寺
覚晴山蓮祐寺(真庭市草加部)
金原山妙圓寺(真庭市勝山)
常照山法鏡寺(備前市東片上)
本住山実教寺(岡山市東区瀬戸町鍛冶屋)
法昌山大林寺(岡山市中区西川原)
平井山妙広寺(岡山市中区平井)
 妙広寺末:沖邑山妙楽寺(岡山市中区平井)
瑞輪山香雲寺(岡山市北区御津国ケ原)
臥龍山道林寺(岡山市北区御津中山)
鶴田山定林寺(岡山市北区建部町鶴田)
柏尾山真浄寺(岡山市北区建部町角石畝)
 真浄寺末:平尾山東光寺(岡山県久米郡美咲町和田北)
金福山妙福寺(岡山市北区建部町福渡)
 妙福寺末:泉福山妙泉寺(岡山市北区建部町川口)
 妙福寺末:○千間山蓮久寺(岡山県久米郡久米南町下弓削)   →美作弓削廃寺
 妙福寺末:法意山龍泉寺(岡山県久米郡久米南町上神目)
正順山妙圓寺(岡山市北区建部町大田)
江久山蓮光寺(岡山市北区建部町吉田)
○白玉山龍淵寺(岡山市北区建部町中田)   →西国諸国の諸寺>備前の諸寺
○藤田山成就寺(岡山市北区建部町富沢)   →報恩大師開基備前48寺>藤田山成就j寺
  成就寺末:池本山孝徳寺(岡山市北区建部町品田)
  成就寺末:法住山妙浄寺(岡山市北区建部町建部上)
岩根山太然寺(岡山市北区大安寺西町)<巌根山>
○佛住山蓮昌寺(岡山市北区田町)   → 備前蓮昌寺
  蓮昌寺末:○仏住山覚善院(岡山市北区田町)塔頭  → 備前蓮昌寺
  蓮昌寺末:日栄山蓮現寺(赤磐市周匝)
  蓮昌寺末:仁王山慶立寺(赤磐市滝山)
  蓮昌寺末:佛住山本成寺(岡山市南区立川町)
  蓮昌寺末:華用山妙龍寺(岡山市中区竹田)
  蓮昌寺末:○佛住山大光院(岡山市中区円山)    →備前曹源寺大光院
  蓮昌寺末:福昌山実成寺(岡山県和気郡和気町藤野)
  蓮昌寺末:妙見山円立寺(岡山市北区御津芳谷)
○明光山妙勝寺(岡山市北区船頭町) →備前旧岡山市内の諸寺
  妙勝寺末:廃・青林山円光寺(岡山七日市/近世初頭に廃寺) → 同上
妙法山泉福寺(新見市新見)
○大覚山妙蓮寺(総社市清音三因) →備中三因妙蓮寺
○樹栄山光政寺(福山市寺町)  →備後の諸寺
福昌山圓隆寺(広島市中区三川町)
感応山妙法寺(広島市中区千田町)

○高雲山本行寺(徳島市寺町)   →西国諸国の諸寺>阿波徳島寺町の諸寺
○光輝山本覚寺(徳島市寺町)   →西国諸国の諸寺>阿波徳島寺町の諸寺
○理運山善昌寺(高松市番町:高松寺町)  →讃岐の日蓮宗諸寺
○寿徳山妙朝寺(高松市築地町:高松寺町) →同 上
○広栄山日妙寺(高松市錦町)         →同 上
○妙雲山妙徳寺(香川県木田郡三木町平木) →同 上

正興山勝立寺(福岡市中央区天神)
 勝立寺末:正乗山妙運寺(北九州市八幡西区木屋瀬)
 勝立寺末:青松山蓮正寺(糸島市志摩芥屋)
 勝立寺末:如意輪山妙立寺(糸島市高祖)
 勝立寺末:法輪山円満寺(飯塚市天道)
興政山國昌寺(対馬市厳原町大手橋)
浄秀山本興寺(佐世保市田原町)


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