旧藤田男爵邸・藤田美術館・太閤園/高野山光台寺多宝塔・大和東大寺塔礎石

旧藤田男爵邸・藤田美術館・太閤園/高野山光台寺多宝塔・大和東大寺塔礎石

旧高野山光台院多宝塔

旧藤田男爵邸・藤田美術館に所在

桃山時代建立(あるいは鎌倉期の建立とする説もある)。
 ※唐様がかなり取り入れられ、鎌倉期とするのは無理のように思われる。
藤田男爵が高野山光台院の塔を買入れ、大正5年当地に移建。
昭和20年の空襲にも多宝塔は焼け残る。
一辺2.48m。新材が多い。屋根は銅葺で緑青の緑が印象的である。

2000/10/09撮影画像
 旧光台寺多宝塔
2003/9/21撮影
 旧光台院多宝塔1     旧光台院多宝塔2     旧光台院多宝塔3
 旧光台院多宝塔4     旧光台院多宝塔5     旧光台院多宝塔6
  (:左図拡大図)
2006/09/30撮影:
 旧光台院多宝塔11     旧光台院多宝塔12     旧光台院多宝塔13
 旧光台院多宝塔14     旧光台院多宝塔15     旧光台院多宝塔16
 旧光台院多宝塔17     旧光台院多宝塔18
2012/02/01撮影:
 旧光台院多宝塔21     旧光台院多宝塔22     旧光台院多宝塔23
 旧光台院多宝塔24     旧光台院多宝塔25     旧光台院多宝塔26

 旧光台院多宝塔27     旧光台院多宝塔28     旧光台院多宝塔29
 旧光台院多宝塔30     旧光台院多宝塔31     旧光台院多宝塔32
 旧光台院多宝塔33     旧光台院多宝塔34     旧光台院多宝塔35

上述のように、旧光台院多宝塔は藤田男爵が購入し、大正5年に大阪藤田邸に移建する。
現地高野山光台院には、塔の移建に際し、藤田男爵が大正5年頃同型に再建・寄進した塔が残る。
  高野山光台院多宝塔

2015/02/20追加:
「日本歴史地名大系 和歌山県の地名」平凡社 より
高野山光台院:
多宝塔は道助親王(後鳥羽天皇皇子)の供養塔として元禄年中(1688-1704)に建立されたと伝える。


大和東大寺推定東塔もしくは西塔心礎あるいは推定東大寺塔礎石

2012/02/02記述修正:
1)大阪旧藤田男爵邸(現太閤園)東大寺伽藍石
 ※この伽藍石は依水園の2/5残欠に見合う3/5残欠との見解もあるが、3/5残欠には該当しないと思われる。
  形状および大きさから判断して、東大寺東西塔いずれかの側柱礎石の可能性が高いと思われる。
2)大阪旧藤田男爵邸(現藤田美術館)伝東大寺東塔あるいは西塔心礎あるいは東大寺塔礎石
 ※大きさから判断して、東大寺塔の心礎ではなく、東大寺側柱礎の可能性が高いと思われる。

  大和東大寺西塔心礎


藤田男爵概要

藤田伝三郎は長州(奇兵隊)出身、後に藤田財閥をなし、関西経済界の重鎮となる。
明治42年伝三郎は網島町大長寺を買収して網島御殿(あかがね御殿)と呼ばれる大邸宅を営む。その邸宅跡は現在の大阪市長公館、藤田邸跡公園(大阪市長公邸と藤田美術館の間とその北部大川までの広大な敷地がある)、藤田美術館、太閤園に相当する。
一方では、伝三郎は膨大な資財を投入し美術品の蒐集(これは日本美術の海外流出防止目的とも云われる)にも力を注ぎ、後に「藤田コレクション」といわれるコレクションを蒐集する。
昭和20年藤田邸は空襲により焼失するも、美術品を収めた蔵は罹災を免れる。
昭和28年蔵は改装され、藤田美術館が設立される。ここには国宝9点、重要文化財45点を含む約5000点が収納されると云われる。
なお現在、大阪本邸以外の東京別邸は椿山荘、箱根別邸は箱根小涌園、京都別邸はホテルフジタ京都とし、太閤園を含め藤田観光が経営する。
 ※椿山荘には安芸竹林寺三重塔が移建され現存する。また大和唐招提寺東塔心礎も存在したが、近年破砕され消滅する。
 ※大長寺:享保5年(1720)に浄瑠璃「心中天の網島」のモデルとなった天満紙屋治兵衛と曾根崎遊女小春の心中事件の現場となる。
  買収後、大長寺は藤田邸北側に移転し、現存する。


2006年以前作成:2015/02/20更新:ホームページ日本の塔婆