開基 |
日蓮大聖人蓮長 |
弘安2年(1282)入寂 |
2世 |
大国阿闍梨日朗 |
池上2世、元応2年(1320)年76。 |
3世 |
肥後阿闍梨日像 |
四条妙顕寺開基、京都妙覚寺開山、康応元年(1342)年74。 → 日像菩薩略伝 |
4世 |
大覚大僧正妙実 |
京都妙覚寺2世、備前津島妙善寺開基、貞治3年(1364)年68。
→ M大覚大僧正と妙善寺あれこれ
→ 大覚大僧正略伝 |
5世 |
朗源 |
四条妙顕寺3世、京都妙覚寺3世、永和4年(1378) 年53。 |
6世 |
亀華院日実 |
永和4年四条妙顯寺より分立、京都妙覚寺4世(実質の開山) |
7世 |
明珠院日成 |
応永22年(1415)、亀華院日実の弟。 |
8世 |
妙華院日遵 |
嘉吉2年(1441) |
9世 |
大聖院日延 |
文安元年(1444) |
10世 |
本性院日善 |
宝徳3年(1452) |
11世 |
法心院日意 |
文明12年(1480) |
12世 |
三光院日寮 |
文明17年(1485) |
13世 |
真如院日住 |
文明18年(1486) 年81。 |
14世 |
寿量院日亨 |
明応7年(1498) 年75。 |
15世 |
本是院日護 |
天文元年(1532) 年97。 |
16世 |
一陽院日実 |
天文4年(1536) |
17世 |
円頓院日兆 |
天文5年(1537) |
18世 |
法蔵院日顒 |
天文11年(1542) |
19世 |
観照院日饒 |
永禄4年(1561) |
20世 |
実成院日典 |
教典 藻原妙光寺13世、塚原根本寺6世、天正20年(1592) 年55。野々口実成庵のある供養塔では文禄元年(1592)9月1日と刻む。(但し、9月1日は文禄元年というより天正20年とすべきであろう)
→ 實成院日典 |
21世 |
仏性院日奥 |
寛永7年(1630) 年66。 → 日奥上人略伝
→ M日蓮宗不受不施派
→ M不受不施派『大阪城対論』
→ M佛性院日奥聖人の隠れ墓を訪ねて |
22世 |
長遠院日樹 |
池上本門寺16世、寛永8年(1632)年58。
→ M不受不施派『身池対論』
→ 日樹上人供養塔・略伝・開基寺院 |
23世 |
長遠院日遵 |
了遠 小湊誕生寺19世頂妙寺除歴、自証寺(自證寺)2世、承応3年(1654) 年66。 |
24世 |
生知院日述 |
存琢 平賀本土寺17世、延宝9年(1681) 年70。 |
25世 |
長遠院日起 |
志賢 宝永5年(1708) 年61。 |
26世 |
善行院日清 |
友善 享保14年(1729) 年71。 |
27世 |
経行院日要 |
玄友 寛延3年(1750) 年69。 |
28世 |
立円院日信 |
楚全 享保16年(ママ) 年48。 |
29世 |
慈恩院日憶 |
覚教 明和2年(1765) 年74。 |
30世 |
慈念院日助 |
可真 明和7年(1770) |
31世 |
久遠院日然 |
源清(玄清) 宝暦4年(1754)
→ M我が家のご本尊についてより転載。
行法院日観師の弟子。
宝暦3年(1753)8月18日「天下諫暁」のため備中出立、江戸下向。
同年11月23日、江戸寺社奉行所に出訴、揚屋入牢。宝暦4年2月26日揚屋牢で遷化。39歳。
「拙僧源清(日然)このたび言上いたし候意趣は、享保三年戊戌の年、友善日清(善行院日清)と申す僧、不受不施持法の者につき三宅へ流罪仰せつけられ候。その節、源清父清休 備前岡山に罷りあり、右友善に帰依し出家つかまつり候。享保十年乙巳年、父清休儀、江戸表にて入牢仰せつけられ、同年七月二十六日牢死仕り候。当年先師友善二十五回忌に罷りなり候間、師父の志を相継ぎ候いて別紙の趣、言上仕り候」 |
32世 |
応智院日縁 |
冠硯 寛政8年(1796) 年71。
→ M我が家のご本尊についてより転載。
享保11年(1726)備前宇甘東村下田に出生。
顕性院日幽に師事。のち久遠院日然に従う。大教庵先師。
宝暦3年(1753)8月18日「天下諫暁」のため備中出立、江戸下向。
同年11月23日、江戸寺社奉行所に出訴、揚屋入牢。御蔵島流罪。時に30歳。
「日縁聖人は流罪僧でありながら、幾度もの『(備前からの)内緒便』での物資を島の倉庫に保管し、各島の不受不施流罪僧の生活の援助をしたと云われ」
「日縁聖人の生地の岡山市御津下田には、内信時代の『真善庵』の建物が再建され、毎年2月29日(新暦)には、日縁聖人の命日の法要が行われ」る。
両聖人(日然、日縁)墓所は御蔵島山上にあり、墓石が並んであるという。 |
33世 |
本妙院日珠 |
弓本 文化14年(1817) 年56。
→ M我が家のご本尊についてより転載。
「本妙院日珠聖人は、三宅島在島中数々の教えを島から備前に送り、この教団統一を指向する考えは、のち宣妙院日正聖人に引き継がれ、のちの不受不施公許につながっていったのですが、この日珠聖人が寛政五(1793)年九月三宅島へ流されることを知った日縁聖人は、親しい御蔵島の船頭や船主などを三宅島へ派遣し、日珠聖人の島での暮らしについて周到な配慮をさせたのであります。」 |
34世 |
照光院日恵 |
智諦 文久4年(1864) 年74。
天保9年(1838)の天保法難で、強固に作られていた内信組織は壊滅する。
僧侶は導師派(堯了派・日指派)の日恵だた一人を残し全て捕らえられ、不導師派(講門派・津寺派)には一人も僧侶のいない状態となる。
日恵は天保法難のとき、内信組織から外れて他寺院へ遊学中(※修行のため比叡山に遊学)であったので難を逃れるという。
後に備前に帰った日恵は宣妙院日正と邂逅し、日正を弟子とし、日正を育成する。 |
35世 |
宣妙院日正 |
楽山 明治41年 年80。
2018/11/15追加:
○「岡山市史 宗教教育編」岡山市史編集委員会、昭和43年 より
釈日正。津高郡九谷村赤木梅次郎の次男、天保7年8歳で津寺派臺山院日照の弟子となり、摂津衆妙院へ行く。天保9年備前に帰り、知己・親戚の間を転々とする。
安政3年大樹庵主となり、同5年大樹庵を和気郡益原村弥七宅の裏に建てる。 文久2年大覚大僧正500遠忌を執行。
同年から同3年、元治元年にかけて、不受不施派では数十回に及ぶ出訴を京、江戸、備前にて敢行する。日正は自ら訴願に打って出ようとするも、周囲から止められる。
明治元年上洛して新政府に不受不施の解禁を出訴、これが日正の陣頭に立っての行動の初めである。同年下総立正寺村妙昌庵に滞錫。
爾後、備前と東京の間を数度往復する。明治8年益原をたち、麻布の自証庵に入り、教部省に再興願書を提出する。しかし、政府要路が理解しなかったばかりでなく、再興が実現すると不都合な事情がある受派からの反対運動も活発化し、再興願書は却下される。
岡山県では権令石部誠中が明治8年不受不施派を厳しく弾圧する。
同年石部権令は解任、鬼県令と云われた高崎五六が着任、鬼県令も宗教については理解を示し、不受不施再興に対しては同情的取扱いをするという。
明治9年、日生と数度の教部省とのやり取りがあり、遂に不受不施派公許の布告を得ることとなる。
日正は益原に帰り、金川教院に入る。教院は龍華教院と公称、金川の地を祖山の地と定め、明治15年龍華教院を妙覚寺と改める。
平井村に接する妙覚寺墓地:不受不施派先師墓所(備前上道郡網浜村・湊村・平井村中)に墓碑あり。
2023/04/20追加: 明治6年日正は麻布本村町に自證庵(現若松寺)を再興する。若松寺に日正聖人石塔がある。<麻布自證寺中> |
36世 |
遠成院日解 |
寛孝 大正13年 年73。 平井村に接する妙覚寺墓地:不受不施派先師墓所(備前上道郡網浜村・湊村・平井村中)に墓碑あり。 |
37世 |
詮量院日壽 |
了哲 昭和12年 年81。 津島妙善寺24世。
明治36年備前妙善寺住職日寿は不受不施派祖山妙覚寺代理として伊那飯田の日樹上人墓に参拝、昭和5年5月飯田の日樹上人墓所に「日樹聖人之碑」を建立。
→日樹聖人墓碑
2023/08/02追加; ○「伊那郷土文化10 日樹上人の研究」山田居麓、山村書院版、昭和16年 より
俗姓金光氏、安政4年備前和気に生まれる。文久3年7歳で釋日生に師事、明治5年得度、詮量院と号す。本山再興に参し、投獄の厄に遭う。明治35年妙善寺に住す。
大正13年本山法主・管長となり、対馬に日奥の遺蹟を展く。 |
38世 |
宣正院日学 |
春山 2019/09/19追加:
○「不受不施派殉教の歴史」相葉伸、大藏出版、昭和51年(1976) より
明治9年備前和気郡矢田部の岡崎家二男として生まれる。この岡崎家は寛文8年(1668)の矢田部六人衆殉教の時に追放にあった28人衆の一人岡崎善衛門の後裔である。
嬰児の時、祖山妙覚寺に参詣、36世日解より胖(ゆたか)と命名される。
13歳の時出家をし、益原法泉寺に入る。18歳の時日解により得度、春山日學となる。
なお、昭和16年3月軍部の干渉で不受不施派と講門派が合併、本化正宗(本山津島妙善寺)が発足、本化正宗初代管長となる。但し、この軍部の圧迫による合併の時期が一番苦しい時代であったと日學は述懐している。
生涯東奔西走し、殉教先師の顕彰や遺跡調査や古文献の蒐集による不受不施上の研究に打ち込む。 昭和51年正月寂。 |
39世 |
真正院日高 |
玄陽、 井村に接する妙覚寺墓地:不受不施派先師墓所(備前上道郡網浜村・湊村・平井村中)に墓碑あり。 |
40世 |
宣正院日学 |
再任 |
41世 |
日成 |
|
42世 |
一樹院日行 |
2023/04/20追加:
明治6年日正に依って麻布本村町に自證庵(現若松寺)が再興されるが、若松寺に日行聖人石塔がある。<牛込市谷自證寺中> 一樹院日行聖人五輪塔には「祖山四十二世:一樹院日行聖人/平成二十年五月十三日遷化」と刻する。 |