妙傳寺(2001/06/10撮影:本堂扁額)  ---付:學養寺旧跡石碑

妙傳寺概要

法鏡山と号する。現在は日蓮宗一致派本山。本尊:勧請様式曼荼羅。
開山は日意上人。日意上人は元天台僧で、身延山11世日朝上人に帰依し、日蓮宗に改宗、身延山12世の法統を継ぐ。
文明9年(1477)日意上人は関西の法華宗徒の便の為、日蓮上人の骨舎利を分祀し、薬屋妙善の帰依を得て、
一条尻切屋町に一宇を建立する。(西身延と称する)
  →圓教院日意:尾張安住山圓乗寺の圓教院日意の項を参照
後、四条西洞院に移り、21ヶ本山に列する。
天文法華の乱(天文5年<1536>)で棄却され、乱の起因となる紛争の当事者であったため帰洛は遅く、
永禄元年(1558)に旧地に再建が免許される。
 妙傳寺サイトでは「天文10年(1541)新たに西洞院に再興」という。
天正19年(1591)秀吉の命で寺町夷川に移転。
第8世は心性院日遠、14世は法性院日勇である。
 日勇上人は寛永20年(1643)山科護国寺を開創する。
宝永5年(1708)の大火(宝永の大火)で類焼。現在地に移転・再興。

2007/8/3追加
妙傳寺絵図
 ◎妙傳寺絵図(天明8年<1788>)
南側寺中西から恵林院、龍嶽院、正○(?)院、覚(?)樹院
北側寺中西から遠照坊、宝林院、教蔵坊 が見える。

2014/05/11追加:
京都本山西身延妙傳寺略圖

○「御宝物で知る 身延山の歴史」平成18年 より
 京都本山西身延妙傳寺略圖;左図拡大図
妙傳寺蔵、作成時期は不明であるも、上に掲載の天明8年絵図に比べて、本堂・客殿・庫裡や寺中の配置が酷似するので、天明8年以降の幕末期か明治あるいは大正のものと思われる。
本堂・客殿・庫裡や寺中の配置が酷似する、御真骨堂の位置も現在と同一であるが、堂形式は現在と異なる。
表門は本堂南西にあり、現在の表門(本堂北西)付近には七面社があるが今はなし。表門には門守が付設し、表門南に鐘撞堂があるがいずれも今は退転する。また裏門があるがこれも今はない。
以上のような状況であるが、図版が小さく明確には分からない。

2010/12/19追加:
「花洛羽津根」清水換書堂、文久3年(1863) より
法鏡山妙伝寺塔中:
宝林院、覚樹院、恵性院、正林院、本光院、妙釈院、玄祥院、了岳院、教竜院、遠照院、円立院、寛明院 12ヶ院
花洛の末寺として、山科了光山護国寺(山科壇林・日蓮宗檀林中)、鳥部山通妙寺(妙見菩薩・妙見信仰中)などあり。

大正5年「京都坊目誌」碓井小三郎編記事より(上京第ニ十八學區之部)
旧境内2,271坪、今1,840余坪。
塔中6院諸国末寺37ヶ寺あり。
廟堂 妙傳寺にあり西面す。正法華院と号す。宗祖日蓮の遺骨を蔵すと云ふ。
妙釈院 応永24年の創立なり。
円立院 恵林院の地也。同院は明治26年3月、丹後に転じ更に円立院を此に移す。
龍嶽院 慶長17年の創立とす。
本立院 元和元年の創立とす。
王樹院 天文16年の創立とす。
外に玄祥院、遠照院あり。玄祥院は明治22年7月に、遠照院は同28年4月に共に長崎に移す。
2012/10/24追加:
○寺中の消息(移転):K.G氏調査作成「日蓮宗移転寺院一覧(Excel)」2012/10/20版 より
遠照院、玄祥院:
 明治29年、遠照院移転、佛性山遠照院として長崎県西海市西海町面高郷2750に現存。
 明治32年、玄祥院移転、龍王山玄祥院として長崎県平戸市生月町里免3101に現存。
   明治29年設立の龍王結社が、明治32年玄祥院の寺号を移転。
2013/11/08追加:
○寺中の消息(移転):K.G氏調査作成「日蓮宗移転寺院一覧(Excel)」2013/11版 より
恵林院:慶長2年(1997)乗圓院日将が京都妙傳寺山内に建立という。
 明治26年に恵林院が京都府与謝郡岩滝村弓ノ木に移転
 明治39年に開創した日宗堂教会が、大正5年に恵林院を移転し日宗寺と改称。
  →日宗寺<丹後の諸寺中>

妙傳寺現況
無印は2001/05/25撮影、※印は2001/06/10撮影、○印は2014/05/01撮影、◇印は2022/05/17撮影

現伽藍(概要図) :概要図は目測をメモしたもので必ずしも正確ではない。

妙蓮寺伽藍
本堂、御真骨堂(廟堂)、山門、客殿、庫裡、鐘楼などを備える。残念ながら境内は駐車場化する。
 ※妙傳寺伽藍     ○妙傳寺伽藍2     ○妙傳寺伽藍3     ○妙傳寺伽藍4    ○妙傳寺伽藍5
 ○妙傳寺山門     ◇妙傳寺山門2     ◇妙傳寺山門3
 ◇妙傳寺題目石     ◇妙傳寺石塔類
 本堂:宝暦14年(1764)建立、桁行5間梁間5間、入母屋造り、本瓦葺
 妙傳寺本堂1     妙傳寺本堂2     ○妙傳寺本堂3     ○妙傳寺本堂4     ○妙傳寺本堂5
 ◇妙傳寺本堂6    ◇妙傳寺本堂7    ◇妙傳寺本堂8    ◇妙傳寺本堂9     ◇妙傳寺本堂10
 ※妙傳寺廟堂     ○妙傳寺御真骨堂2     ○妙傳寺御真骨堂3
 ◇妙傳寺御真骨堂4     ◇妙傳寺御真骨堂5     ◇妙傳寺御真骨堂6
 ○妙傳寺鐘楼     ◇妙傳寺鐘楼2
 ○妙傳寺客殿     ◇妙傳寺客殿2
 ○妙傳寺寺務所    ◇妙傳寺寺務所2
寺中
現在は妙釈院・円立院・龍嶽院・本光院・玉樹院の5院がある。
 ※妙傳寺塔頭     ○妙傳寺寺中2
 ○妙傳寺妙釈院     ◇寺中妙釈院2     ◇妙釈院妙功大善神     ◇妙釈院高祖650遠忌碑
  ※妙釈院には「學養寺旧跡碑」(下に掲載)がある。
 ○妙傳寺円立院     ◇寺中円立院2
 ○妙傳寺龍嶽院     ◇寺中龍嶽院2
 ○妙傳寺本光院     ◇寺中本光院2
 ○妙傳寺玉樹院     ◇寺中玉樹院2


◆寺中妙釈院
2014/05/01撮影:
學養寺旧跡碑
 寺中妙釈院に學養寺旧跡碑(石碑)が建つ。
學養寺については、史料が乏しく、その事績を明らかにすることはできない。
 わずかに、応永34年(1427)日讃上人(身延門流)開基あるいは宝徳年中(1450頃)身延9世日学の建立ともいうことが知れるだけである。
 あるいは、身延17世慈雲院日新によって妙慶寺として創建され、現在の勝光寺がその後身ということも伝わるが、これが學養寺なのかどうかは良く分からない。
 何れにせよ、學養寺は京都の身延山の拠点として身延門流によって創建されたことは確実のようで、この意味から、身延山の京都の拠点である妙傳寺に學養寺の寺籍が引き継がれた可能性は高いと思われる。
 學養寺は幾多の変遷の中でいつしか衰微し、妙傳寺にその寺籍を遷す、あるいは寺中妙釈院がその後継となるといったことは十分に有り得ることと思われる。以上 のような意味で妙傳寺寺中妙釈院に「學養寺旧跡石碑」が建てられたのであろうと推測はされる。
 ○學養寺旧跡碑1     ○學養寺旧跡碑2
 ◇學養寺旧跡碑3:側面には開山日養聖人などとあり、學養寺の由来が記されるも、ほぼ判読不能
2017/10/03追加:
○「日蓮宗寺院大鑑」池上、昭和56年 より
応永24年(1417)學要寺日養が創立、本山妙傳寺開山圓教院日意を開基に迎える。元學要寺と名乗る。
2017/10/31追加:
○「日蓮宗大図鑑」日蓮宗大図鑑刊行会編、昭和62年 より
法鏡山妙釈院:
応永24年(1417)に創建と伝える。開山は妙傳寺開山である円教院日意とする。開基は日養である。
もとは學養坊と称する。応永24年開創とするのはその前身を學養寺とするからであろう。
學養寺は身延9世日學の門人大乗坊日讃が創立し、師日學を開山しし日讃は2世となる。その後、関西身延門流の諸寺は悉く學養寺の末寺と云われたというが、天文法華の法難(1536)で焼失する。再興はままならなかったが、後立本寺10世日経が一寺を建立したが、新寺建立禁止であったため、學養寺を称するという。しかしこの學養寺は勅命により燈明寺と改号する。この間(年代不明)日養が塔頭支院としてなら建立できたので、妙傳寺内に學養坊を建立する。
現在妙釈院と称しているのは、學養坊が改称したのか、妙釈院に接収されたのかは不明である。

 →妙釈院は洛中法華宗21ヶ本山學養寺のいわば僅かな痕跡と思われ、それ故、學養寺の項に上記「寺中妙釈院」の記事を転載する。

2017/10/03追加:
◆寺中竜嶽院
○「日蓮宗寺院大鑑」池上本門寺、昭和56年 より
天文5年(1536)の創立、開山竜嶽院日長、開基は身延17世慈雲院日新の資である。
日新が身延山に晋山、日新の創立した妙華(ママ)寺(旧21ヶ本山の一つ)の2世となる。
しかし、天文5年天文の法難により妙華寺は焼失、一時難を避けるも、後妙傳寺に接し居を構える。これが今の当院である。
2017/10/31追加:
○「日蓮宗大図鑑」日蓮宗大図鑑刊行会編、昭和62年 より
法鏡山竜嶽院:
慶長17年(1612)の創建、開基は竜嶽院日長である。日長は身延17世慈雲院日新の弟子であり、日新が身延へ晋山したため、日新の建立した妙慶寺(旧21ヶ本山の一)の2世となる。しかし天文の法難(1536)にて妙慶寺は焼失し、一時堺に退避する。その後日長は妙傳寺に接して居を構え妙慶寺の復興を図る。是が現在の当院である。

 →竜獄院は天文の法難の後、再興を図るため、妙慶寺が居を構えたといい、それ故、妙慶寺の後身という勝光寺の項に上記「寺中竜嶽院」の記事を転載する。

●妙傳寺末寺
照瑞山本覚寺(名古屋市東区徳川)
翠光山常栄寺(海津市平田町今尾)
妙法山蓮経寺(近江八幡市孫平治町)
○普耀山通妙寺(京都市東山区五条橋東) →山城通妙寺別所鳥辺山妙見大菩薩(鳥辺山妙見堂の西に通妙寺がある)
○智積院(京都市東山区五条橋東) →山城通妙寺別所鳥辺山妙見大菩薩(鳥辺山妙見堂の院号を智積院という)
○了光山護国寺(京都市山科区竹鼻竹ノ街道町) →山科檀林(竹ヶ鼻護国寺)
護法山妙見寺(京都市山科区大塚南溝町) →山城大塚妙見寺
○妙音山大妙寺(京都市西京区樫原秤谷町) →大妙寺(京都21本山の内)
○法鏡山日宗寺(舞鶴市字浜) →丹後の諸寺
八木山実行寺(養父市八鹿町八木)
宝聚山実相寺(養父市十二所)
加保山法華寺(養父市大屋町加保)
長久山宝泉寺(養父市中瀬)
長照山大運寺(兵庫県美方郡香美町村岡区村岡)
法天山深高寺(朝来市佐嚢)
○長久山妙政寺(福山市北吉津町) →備後の諸寺
 妙政寺末:広本山法華寺(呉市寺本町)
観音山瑞応寺(松山市針田町)
仏性山遠照院(西海市西海町面高郷)
龍王山玄祥院(平戸市生月町里免)


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