★摂津中山寺大塔
大塔は2007年完工、2007/05月落慶。
一辺は不明、高さ22m、古図面などはなく、紀伊根来寺大塔を参考として建立と云う。
(株)能勢建築構造研究所の構造設計、多宝塔再建、構造:SRC+RC+S、組物などは木造であろう。
屋根銅板葺。基壇下は地下式空間で、本尊?安置、ガラスモザイクの仏画がある。
大塔は大願塔と称し、永代供養塔として信徒の位牌を安置すると云う。阿弥陀堂(桃山期?)の北すぐに基壇下地下式空間があり、その上に塔基壇がある。大塔は阿弥陀堂と運営が一体とも思われる構造とも思われる。
2007/07/19撮影:
2017/01/28撮影:
摂津中山寺大塔31 摂津中山寺大塔32 摂津中山寺大塔33 摂津中山寺大塔34 摂津中山寺大塔35
摂津中山寺大塔36 摂津中山寺大塔37 摂津中山寺大塔38 摂津中山寺大塔39 摂津中山寺大塔40
摂津中山寺大塔41
摂津中山寺大塔42 摂津中山寺大塔43 摂津中山寺大塔44 摂津中山寺大塔45 摂津中山寺大塔46
摂津中山寺大塔47 摂津中山寺大塔48 摂津中山寺大塔49 摂津中山寺大塔50 摂津中山寺大塔51
★摂津中山寺五重塔
○2014/02/17追加:「X」氏情報
中山寺にて「五重塔再建工事」情報があるとの連絡を受ける。
平成26年(2016)末に竣工予定、工事公示看板には山城海住山寺五重塔を模したと思われる立面図・断面図と「中山寺古伽藍図」と思われるような本堂・五重塔部分図も示される。
法量は総高:28.20m(相輪部;7.54m、身舎:20.70m)であるので、海住山寺塔婆(総高17.70m・相輪部4.97m・身舎12.90m)より一回りは大き
く設計されているようである。また、心柱は海住山寺が初重梁から建つのに対して、基壇から建つような断面図となる。
○2016/12/28撮影:
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戦国末期(四百数十年前)に焼失した五重塔の再建という。
高さは28.3m
(あるいは27.2mともいう)。
設計ではプロポーションは山城海住山寺五重塔を参考にし、
組物の細部や枝割は備後明王院五重塔を参考にするという。
従って、初重には、裳階を取り付ける。
(設計:MIKI建築設計事務所、構造設計:能勢建築構造研究所、施工:大成建設、木工事:團上工務店)
心柱は3段継とし、初重からの礎石立ちとする。
(「X」氏情報)
眼を奪われるのは軒下及び斗栱の彩色が青であることであろう。
寺僧の説明では、この色は「仏の智慧を象徴する色とのことで管長が決定した」という。また舎利を安置奉安する予定という。
2016年末現在五重塔はほぼ竣工、落慶は2017/5月の予定。
(以上「X」氏情報)
2016/12/28「X」氏撮影画像:
摂津中山寺五重塔1:左図拡大図
摂津中山寺五重塔2 |
○2017/01/28撮影:
2019/06/03撮影: ○三村威左男個展「京都国宝建造物・近畿新築五重塔」2019/5/20〜6/21、NTT西日本・三条コラボレーションプラザ より
攝津中山寺五重塔ペン画1 攝津中山寺五重塔ペン画2 攝津中山寺山容ペン画
なお、三村氏には「日本の五重塔総覧」文芸社、2005 の著作がある。
★摂津中山寺ストゥーパ(中山寺万霊塔)
現地の説明板では次のように説く。
紀元前4世紀頃、釈迦入滅、仏舎利(遺骨)は荼毘にふされ、婆羅門のドローナの調停によって、葬儀に参列した8つの国の人々に分けられる。彼らはそれぞれの国に仏舎利を持ち帰り、ストゥーパ(仏塔)を建立する。葬儀に遅参したモーリヤ族は遺灰を持ち帰り、またドローナ自身も分舎利に用いた容器を安置するストゥーパを造り、いわゆる釈迦の十塔が出現する。
マウリア王朝のアショカ王は八万四千の仏塔を建立したと伝える。
中部インドのサンチーの伽藍は釈迦の遺業を顕彰するため、紀元前3世紀から2世紀の間にアショカ王によって建立された寺院で、伽藍中のサンチー大塔は半円球の廟所であり、仏塔の原型となる。
特にサンチー大塔の頂上に建てられた傘の形の傘蓋は木造の塔婆にも取り込まれ、今日の日本の仏塔(三重塔、五重塔、その他の多層塔、多宝塔、宝篋印塔、五輪塔など)の起源と考えられる。
中山寺万霊塔(ストゥーパ)はサンチー大塔を約6分1に縮尺し、原塔の約3分1の大きさで復原したものである。
※次のサイト(ページ)が参考になる。 → 塔婆 > インドの塔婆
なお、万霊塔は納骨堂であり、大願塔(大塔)は位牌堂である。
2017/01/28撮影:
摂津中山寺万霊塔1 摂津中山寺万霊塔2 摂津中山寺万霊塔3 摂津中山寺万霊塔4
★摂津中山寺概要
○中山寺は聖徳太子建立と云いい、中世には多田源氏の庇護を受ける。
文治元年(1185)の兵火で焼失、源頼朝が復興する。伽藍は当初は山上にあった。
戦国期の兵火で荒廃、豊臣秀頼により現伽藍が建立される。山下の現在地に移る。
本堂(慶長8年)、護摩堂(慶長8年)、阿弥陀堂(桃山期?)、山門(正保3年1646)、閻魔堂(江戸中期)、大師堂(江戸中期)などと、近年の建立になる紫雲閣、五百羅漢堂、開山堂、信徒会館、絵馬堂などの堂宇、華蔵院、成就院、総持院、宝蔵院、観音院の5院を有する。
西国33所観音霊場24番札所、但し「宗教」もしくは「信仰」をビジネス化した典型とも思われる浅薄な「寺院」「法人」の雰囲気がある。
○2006/12/10追加:「Y」氏ご提供
本中山寺之境内図:絵葉書、「源頼朝公御建立」とある。
本堂右前に三重塔と思われる塔婆が描かれる。
本図は参詣曼荼羅図を巻物に仕立てたものなのであろうか。
なお本中山寺とは不明であるが、当初は山上に伽藍があったというので、中山寺山上伽藍を描くのであろうか。
◇「社寺参詣曼荼羅」(目録)大阪市立博物館、1987 より:2010/10/06追加
摂津中山寺参詣曼荼羅:上掲の「本中山寺之境内図と同一のもの、桃山期。紙本着色、154×140cm。
○「中山寺の栞」大本山中山寺 より
中山寺古伽藍図:伝来・製作年代など不明、参詣曼荼羅の類とも思われる。
この図によれば、金堂右手に五重塔、山門を入ってすぐに多宝塔が配置され、五重塔・多宝塔の並存した時期があるのであろう。
●中山寺現況
2017/01/28撮影:
現本堂は慶長10年(1605)豊臣秀頼(奉行片桐且元)によって再建される。
摂津中山寺山門1 摂津中山寺山門2
摂津中山寺本堂1 摂津中山寺本堂2 摂津中山寺本堂3 摂津中山寺本堂4 摂津中山寺本堂5
摂津中山寺護摩堂 摂津中山寺開山堂 摂津中山寺大師堂
摂津中山寺阿弥陀堂 摂津中山寺鎮守
摂津中山寺鐘楼 摂津中山寺閻魔堂1 摂津中山寺閻魔堂2 摂津中山寺大黒天 摂津中山寺壽老神
中山寺塔頭
寺中總持院山門 寺中總持院
寺中華蔵院山門 寺中華蔵院 寺中華蔵院講堂
寺中寶藏院山門 寺中寶藏院
寺中成就院山門 寺中成就院虚空蔵菩薩 寺中成就院大聖歓喜天
寺中観音院山門 寺中観音院1 寺中観音院2
2016/12/30作成:2019/07/18更新:ホームページ、日本の塔婆
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