重 須 ( 北 山 ) 本 門 寺

重須(北山)本門寺

重須(北山)本門寺概要

富士山と号する。日興上人の創建になる。
日蓮宗の諸歴史書によると、日蓮聖人の没後、身延山はしばらくの間、六老僧の輪番制であったが、諸師のよって立つ基盤(地域)などの事情から、次第に身延山は日興上人の常住となる。
しかしながら日興上人が身延の外護者であった波木井実長を諌めたことにより軋轢を生じ、ついに日興上人は身延を下山し、大石ヶ原に草庵を結ぶ。(後の大石寺)
永仁6年(1298)日興上人は重須石川能忠・上野南條時光との協力のもと、御影堂、本化垂迹天照大神宮、法華本門根源の三堂を造営したと云う。ついで門下育成のため「重須談所」を設立し富士門流の礎を築く。
日興上人の没後、室町・戦国期には法系の継承などをめぐり、争いが西山本門寺との間でしばしば発生すると云う。
江戸期には寺領50余石を有し、寺域6万坪、寺坊25坊を具備すると伝える。
文化年中には本堂、祖師堂、五重塔などと坊舎16があったとされる。
明治42年、五重塔修理中の失火により、諸堂の大半を焼失する。
重須本門寺ホームページの「境内略図」によれば 、現在
仁王門、御影堂(本堂・昭和8年落慶、10間×10間の大堂)、垂迹堂、重須大神、開山堂(大正3年上野妙蓮寺本堂を移築、6間×7間)、鐘楼、宝蔵、大庫裏玄関(弘化3年再建)、客殿、奥書院などの堂宇 を有する。
加えて廟所には日蓮大聖人遥拝廟所、日興上人御正廟、本門寺御歴代御廟が、また日興上人御荼毘所、日尊上人(京洛上行寺<後の要法寺>開山)御腰掛石などが護持される 。

五重塔跡概要

2003/6/1追加。(「X]氏ご提供画像及び情報)

 重須本門寺五重塔:左図拡大図:現地説明板写真を転載。

現地の説明板では
泉光院の寄進によって、元文5年(1740)<重須17世日堅の代>に落慶とある。
 ※泉光院は徳川家とゆかりがあったとされる。

2013/06/28追加:
○「禁制不受不施派の研究」より
宝樹院は重須本門寺五重塔を寄進。
宝樹院:将軍徳川家光側室、家綱生母。娘時代の名前は蘭、後にはお楽の方と呼ばれる。別名、高島御前。
実父は下野国都賀郡高島村の農民(後に死罪人)であり、父の死後、実母(増山氏)は江戸に出、元永井家家臣で古着商の七沢作左衛門清宗と再婚する。
実母とともに江戸に出た蘭は春日局の目にとまり、大奥に上がる。やがて家光の側室となり家綱を生む。
承応元年(1653)32歳で没。養父作左衛門、実母ともに冨士門流の信徒であったと云う。養父は天和2年(1682)に没し、実母は泉光院殿と号し貞享4年(1687)に没す。ともに小日向関口泉光山蓮華寺(重須本門寺末寺)に葬られる。
宝樹院の冨士門流への信仰は強固ではなかったのであろうか、自身は蓮華寺ではなく、徳川家菩提寺寛永寺勧善院に葬られる。
 ※泉光院とは家綱生母宝樹院の実母であり、冨士門流信徒であった。蓮華寺を介して、泉光院及び宝樹院は重須本門寺と関係があったものと思われる。
しかし、五重塔の落慶は元文5年(1740)と云い、寄進者と思われる泉光院及び宝樹院の没年が貞享4年(1687)や承応元年(1653)であるのは、 寄進から落慶まで、半世紀〜1世紀近くの期間があり、不可思議なことである。

2013/06/28追加:
○泉光山蓮華寺:
萬治元年(1658)重須本門寺14世日優上人により小石川関口台に開基される。
泉光院増山氏は、お楽の方の出産に際し、日優上人に祈願を願い、それによりお楽の方は無事お子(後の家綱)を得る。以来、お楽の方や泉光院増山氏は日優上人に帰依し、本寺を建立すると云う。
宝樹院の実弟は従五位下増山弾正少弼正利となり、万治2年(1659)には三河西尾二万石に移封され、明治維新まで大名として存続する。
正利の子孫の墓も基本的に蓮華寺に設けられる。なお、明治41年蓮華寺は小石川関口の地より現在地に移転する。
○寛永寺勧善院:
宝樹院の霊廟所として創建される。昭和初期に廃寺となる。
○宝樹院・泉光院の重須本門寺の崇敬:
寛永18年(1641)8月、14世日優上人は宝樹院の安産を祈願。宝樹院は緋紋白の五条袈裟、金入七条袈裟を寄進する。
泉光院増山氏は上述のように万治元年(1658)日優を開山に仰ぎ、小石川に泉光山蓮華寺を建立して重須本門寺末とする。
貞享元年(1648)12月2日には、本門寺五重塔の建立資金として金300両を寄進、その他山門や黒門などの造営を行う。
 ※以上から、現段階では重須本門寺五重塔はいわば宝樹院と云う玉を担ぐ実母泉光院増山氏の寄進によるものなのであろう。
 但し、寄進から1世紀近くの落慶とは少々不可思議ではあるが、何か事情があったのかあるいは真相は別にあるのであろうか。
○異説:
泉光院とは徳川将軍家に係る増山氏ではなく尾張徳川家に係る林氏(俗名を和泉と云う)と云うWebサイトもある。
泉光院林氏(林金左衛門の娘、俗名和泉)とは尾張3代徳川綱誠の側室で、同じく尾張6代藩主の徳川継友の生母である。
墓所は尾張徳川家菩提寺建中寺であるが、現存するかどうかは不明。
泉光院林氏の生年、没年は不明であるが、
 元禄5年(1692)継友を生む。 正徳3年(1713)継友、6代藩主となる。 享保15年(1731)継友逝去。
などから推測して、泉光院林氏の生存した時代は、やはり五重塔の落慶と云う元文5年(1740)とは少々かけ離れるようである。
現段階で得られた情報から判断すれば、重須本門寺との接点があり、また財力の観点からも泉光院増山氏の寄進とするのが妥当であろう。
とは云うものの、泉光院林氏の情報は殆どなく、五重塔の寄進は泉光院林氏ではないと否定する根拠を持ち合わせないのも事実である。

重須本門寺五重塔跡

重須本門寺サイト;「境内略図」では
表参道中に土手門跡、冠木門跡、総門跡、三門跡が続き、その右手奥に五重塔跡がある。
さらに参道を行くと東陽坊、西之坊、養運坊、行泉坊、蓮行坊、養仙坊の坊舎が左右に続き仁王門に至るという位置関係が示される。
塔跡は東陽坊東、小川を渡り、さらに東方山林内にある。
 重須本門寺五重塔跡土壇(左図拡大図)

礎石は縁の束石も含めて良好に残存する。
中心礎石はおそらく無かったと推測される。

重須本門寺塔礎石01:下図拡大図

重須本門寺塔礎石02:下図拡大図

2004/08/01撮影:
 重須本門寺五重塔石階1:塔に至る石段はほぼ半壊するも、残存する。
 重須本門寺五重塔石階2:石段の最上部を撮影。
 重須本門寺五重塔土壇:良好に残存する。定期的に草刈が行われていると思われる。
 重須本門寺五重塔礎石1:礎石(心礎は元来ないと思われる)はほぼ完存在すると思われる。
 重須本門寺塔礎石2:この礎石の大きさは採寸するも紛失。(記憶では径1m数十cmの大きさで、径13(14)cm×8.5cmの枘孔を穿つ)
 重須本門寺塔礎石3     重須本門寺塔礎石4:いずれも枘孔を穿つと思われる。
 重須本門寺五重塔前石灯篭:五重塔前に石灯篭が2基あったと思われる。2基とも倒壊し一部は破断する。宝暦9年の年紀を刻む。

その他
 重須本門寺日興上人正廟     重須本門寺御影堂     重須本門寺山門跡     重須本門寺山門跡礎石

2013/06/28追加:
◎重須本門寺寺中
現存寺中:
 養運坊・西之坊・養仙坊・蓮行坊・東陽坊・行泉坊の6ヶ坊が残る。
 2016/12/12追加:
  KG氏ご提供情報:近年寺中に大乗坊が加わる。おそらくはかっての大乗坊が復興したようである。(現在は7ヶ坊となる。)
  静岡県宗教法人名簿(web版)に「大乗坊 富士宮市北山4958番地5」とある。
  Google等で確認すると、西之坊の南、東陽坊の西に占地する。
天明6年(1786)「重須本門寺本末帳」では寺中28ヶ坊と云う。
安政3年(1856)「諸末寺書上扣」では以下の25ヶ坊の書上があると云う。
 大学頭寮、行泉坊、西之坊、養運坊、東陽坊、養仙坊、蓮行坊
 寛政8年(1796)焼失後、畳置の坊は以下の通り。
  慈雲坊、元成坊、本行坊、證明坊、開善坊、円覚坊
 文化5年(1808)退転の坊は以下の通り。
  法善坊、本因坊、正雲坊、玄立坊、実相坊、大乗坊
 文化10年(1813)退転の坊は以下の通り。
  大泉坊、清水坊、法蔵坊、円行坊、倫雄坊、林正坊

2016/12/12追加:
◎重須本門寺直末寺院
須加山本法寺(行田市)
泉光山蓮華寺(中野区) →上述「五重塔跡の概要」の項にあり。
萬年山法輪寺(新宿区)
白東山宗川寺(横浜市)
弁財山蓮妙寺(茅ヶ崎市)
本興山常在寺(海老名市)
宝松山本禅寺(厚木市)
実成山久成寺(御殿場市)
光照山妙典寺(御殿場市)
○伊東山蓮正寺(伊東市) →伊東佛現寺/佛現寺輪番八ヶ寺中:佛現寺輪番八ヶ寺中
○妙法華山伊豆国分寺(三島市) →伊豆国分寺跡
富蔵山本能寺(沼津市)
 富士山養運坊(富士宮市):重須本門寺寺中
 富士山西之坊(富士宮市):同上
 富士山養仙坊(富士宮市):同上
 富士山蓮行坊(富士宮市):同上
 富士山東陽坊(富士宮市):同上
 富士山行泉坊(富士宮市):同上
 富士山大乗坊(富士宮市):同上
大久山本妙寺(富士宮市)
玉樹山正林寺(富士宮市)
富士山東光寺(富士宮市)
妙見山宗円寺(富士宮市)
蓮華山本源寺(富士宮市)
富士山法華寺(富士宮市)
大鏡山本光寺(富士宮市)
立正教会(富士宮市)
成就山本国寺(富士市)
八王子山妙善寺(富士市)
久日山福泉寺(富士市)
道場山妙隆寺(静岡市)
法永山本照寺(韮崎市)
蓮華山正法寺(山梨県昭和町)
中央山本妙寺(山梨県昭和町)
興栄山本源寺(北杜市)
○令法久住山世尊寺(佐渡市) →佐渡法華宗諸山中、竹田世尊寺
法教山本光寺(佐渡市)    →佐渡法華宗諸山中、和泉村本光寺
多寶山本興寺(佐渡市)    →佐渡法華宗諸山中、下相川本興寺
○法輪山本覚寺(和歌山市) →紀伊の日蓮宗諸寺中(新町本覚寺)
大導山顕本寺(岡山市) →御流儀/芳賀顕本寺


2013/06/28追加:
重須本門寺五重塔復原模型
 重須本門寺五重小塔:重須本門寺五重塔復原模型が境内に設置されているようである。
  →屋外小塔の該当項目を参照


2006年以前作成:2016/12/12更新:ホームページ日本の塔婆