9/山 城 教 王 護 国 寺 五 重 塔 ・ 五 重 小 塔

山城教王護国寺五重塔・宣陽門院施入五重小塔・江戸期五重小塔・青銅製宝塔

教王護国寺五重塔(国宝)

塔は寛永18年(1641)〜正保元年(1644)の再建塔。
初重全間31尺2寸8分、総高181尺。和様を基本とする。
現存の古塔では最も高い(55m)塔で、街中のこともあり、ほぼどこからでも遠望することができる。

2000/12/16撮影
教王護国寺五重塔1
 同         2
 同         3
 同         4
 同         5
2001/09/21撮影:
教王護国寺五重塔6
 同         7
2001/12/16撮影:
教王護国寺五重塔1:左図拡大図
 同         
 同         
 同         4
 同         5
 同         6
 同         7
 同         8
 同         9
2003/02/01撮影:
山城教王護国寺五重塔1
   同           2
   同           3
   同           4
   同           5
   同           6
2003/02/21撮影:
山城教王護国寺五重塔1
   同           2
   同           3
2009/04/02撮影:
山城教王護国寺五重塔21
  同           22
  同           23
  同           24
  同           25
  同           26
2009/06/23撮影:
山城教王護国寺五重塔27

◇2009/07/25追加:「O」氏ご提供画像:2007/08/01撮影
 教王護国寺五重塔28     教王護国寺五重塔29:何れも近鉄京都線車窓から撮影と云う。

◇2014/04/05撮影:

山城教王護国寺五重塔31:左図拡大図
山城教王護国寺五重塔32
山城教王護国寺五重塔33
山城教王護国寺五重塔34
山城教王護国寺五重塔35
山城教王護国寺五重塔36
山城教王護国寺五重塔37
山城教王護国寺五重塔38
山城教王護国寺五重塔39
山城教王護国寺五重塔40
山城教王護国寺五重塔41
山城教王護国寺五重塔42
山城教王護国寺五重塔43
山城教王護国寺五重塔44
山城教王護国寺五重塔45
山城教王護国寺五重塔46
山城教王護国寺五重塔47
山城教王護国寺五重塔48
教王護国寺五重塔相輪
教王護国寺五重塔水煙

2014/05/28撮影:
山城教王護国寺五重塔49:京都駅ビル屋上から撮影

◇2015/01/02撮影;雪景色

教王護国寺五重塔51
教王護国寺五重塔52
教王護国寺五重塔53
教王護国寺五重塔54:左図拡大図
教王護国寺五重塔55
教王護国寺五重塔56

教王護国寺五重塔57
教王護国寺五重塔58
教王護国寺五重塔59
教王護国寺五重塔60
教王護国寺五重塔61
教王護国寺五重塔62
教王護国寺五重塔63
教王護国寺五重塔64
教王護国寺五重塔65
教王護国寺五重塔66
教王護国寺五重塔67
教王護国寺五重塔68
教王護国寺五重塔69
教王護国寺五重塔70
教王護国寺五重塔71
教王護国寺五重塔72
教王護国寺五重塔73
教王護国寺五重塔74
教王護国寺五重塔75
教王護国寺五重塔76
教王護国寺五重塔77
教王護国寺五重塔78
教王護国寺五重塔79
教王護国寺五重塔80
教王護国寺五重塔81
教王護国寺五重塔82
教王護国寺五重塔83

教王護国寺五重塔相輪1
教王護国寺五重塔相輪2
教王護国寺五重塔相輪3

東寺ルーフレットより
 教王護国寺五重塔

◇2015/06/28撮影;

教王護国寺五重塔91:左図拡大図
教王護国寺五重塔92
教王護国寺五重塔93
教王護国寺五重塔94
教王護国寺五重塔95
教王護国寺五重塔96
教王護国寺五重塔97

◇2016/03/18撮影:

教王護国寺五重塔101:左図拡大図
教王護国寺五重塔102
教王護国寺五重塔103
教王護国寺五重塔104
教王護国寺五重塔105
教王護国寺五重塔106
教王護国寺五重塔107
教王護国寺五重塔108
教王護国寺五重塔109
教王護国寺五重塔110
教王護国寺五重塔111
教王護国寺五重塔112
教王護国寺五重塔113
教王護国寺五重塔114
教王護国寺五重塔115
教王護国寺五重塔116
教王護国寺五重塔117
教王護国寺五重塔118
教王護国寺五重塔119
教王護国寺五重塔120
教王護国寺五重塔121
教王護国寺五重塔122
教王護国寺五重塔123
教王護国寺五重塔124
教王護国寺五重塔125
教王護国寺五重塔126

 教王護国寺五重塔127     教王護国寺五重塔128     教王護国寺五重塔129     教王護国寺五重塔130
 教王護国寺五重塔131     教王護国寺五重塔132     教王護国寺五重塔133     教王護国寺五重塔134
 教王護国寺五重塔135     教王護国寺五重塔136     教王護国寺五重塔137

◇2016/03/20撮影:
教王護国寺遠望:京都第一日赤病院から撮影:
 教王護国寺五重塔遠望1     教王護国寺五重塔遠望2

◇2016/04/09撮影:教頭護国寺夜間照明

教王護国寺五重塔141
教王護国寺五重塔142:左図拡大図
教王護国寺五重塔143
教王護国寺五重塔144
教王護国寺五重塔145
教王護国寺五重塔146
教王護国寺五重塔147
教王護国寺五重塔148
教王護国寺五重塔149
教王護国寺五重塔150
教王護国寺五重塔151
教王護国寺五重塔152
教王護国寺五重塔153
教王護国寺五重塔154
教王護国寺五重塔155
教王護国寺五重塔156
教王護国寺五重塔157
教王護国寺五重塔158
教王護国寺五重塔159
教王護国寺五重塔160
教王護国寺五重塔161
教王護国寺五重塔162
教王護国寺五重塔163
教王護国寺五重塔164
教王護国寺五重塔165
教王護国寺五重塔166
教王護国寺五重塔167
教王護国寺五重塔168
教王護国寺五重塔169
教王護国寺五重塔170
教王護国寺五重塔171
教王護国寺金堂夜景1
教王護国寺金堂夜景2
教王護国寺講堂夜景
教王護国寺東大門夜景

◇20016/10/26撮影:教王護国寺遠望・京都タワー展望台より
 教王護国寺遠望      教王護国寺五重塔遠望3

◇2016/12/22撮影:東山今熊野観音寺から撮影:
 教王護国寺五重塔遠望4     教王護国寺五重塔遠望5

教王護国寺五重塔略歴
・天長3年(828)建立、仁和4年(888・もしくは仁和2年)雷火で焼損。
・長和3年(1014)修理、天喜3年(1055)雷火で焼失。
・応徳3年(1086)再興・塔供養、文永7年(1270)焼失。
・永仁元年(1293)再興・建武元年(1334)後醍醐天皇塔供養、永禄6年(1563)雷火で焼失。
  2009/04/09追加:「東寺五重塔の歴史と美術」(ルーフレット)より
   ※建武元年後醍醐天皇石清水八幡宮護国寺落慶供養、その翌日に東寺五重塔供養を行う。
    後醍醐天皇塔供養願文(重文)
   ※応永17年(1394)塔修理勧進御教書
    足利義持自筆袖判御教書(重文)
・文禄3年(1594)復興・塔供養、寛永12年(1635)焼失。
・正保元年(寛永21年・1644)現塔婆が再興。

2009/04/09追加:「東寺五重塔の歴史と美術」より
 教王護国寺五重塔初重内部
 東宝記 第ニ 塔婆:東宝記は国宝、室町初頭に成立と云う。(下にも掲載)
2012/12/03追加:2012/11/06撮影:写真は某氏ご提供/掲載はs_minaga判断
 東寺五重塔初重内部2
2015/01/07追加;東寺ルーフレット より
 東寺五重塔初重内部3     東寺五重塔初重内部4
2015/02/24追加:
○「朝日百科・国宝と歴史の旅 8 塔」朝日新聞社、2000 より
 密教を特徴づけ、その教学の根本となるのが、胎蔵界・金剛界からなる両界曼荼羅である。
これを平面の画像として現したのが「両界曼荼羅図」である。
胎蔵界・金剛界いずれも中心は大日如来で、その四方の四体の如来からなる五仏が中核をなす。
 空海はこの両界曼荼羅を建築空間として表現することを構想する。山城教王護国寺(東寺)の伽藍では講堂で立体的に表現した。
一方高野山では2基の「毘盧遮那法界体性塔」の建立を構想し、これは空海入定後に胎蔵界五仏を安置する東塔(根本大塔)と
金剛界五仏を安置する西塔として実現する。これらの塔は今までの伝統的な五重塔・三重塔とは違った全く新しい形式であったのである。
 一方空海は東寺で五重塔の建立も企図し、この五重塔も空海入定後完成する。
「東宝記」には永仁年中(1293-99)の再建五重塔の指図が載っている。
これによれば、東は阿閦、南は宝生、西に阿弥陀、北に不空成就の金剛界四仏を配していたことが分かる。
中心の大日如来は安置せず、心柱もしくは塔そのものを大日如来に見立てているのである。
 東寺五重塔初重内部0     東宝記 第2 塔婆2(上にも掲載)
空海が五重塔(層塔)を建立したという意味は、奈良期からの伝統的な層塔が密教と結びついたということである。
その結果、四方浄土変を安置する顕教の層塔と両界曼荼羅諸尊を安置すつ密教の層塔が併存することとなる。

◆五重塔絵図類

2003/5/17:
 洛中洛外屏風図(神戸市立博物館):推定元和年中
 洛中洛中図(紙本金地着色)無名・・元和初頭の景観とされる。
 洛外洛中図(上杉本)
 東 寺 模 型(「よみがえる平安京」)

◆五重塔など古写真

2006/10/7:
○壬申検査ステレオ写真:国立国会図書館蔵、明治5年
 山城東寺五重塔: 四つ切写真:東寺の南は畑であり、現在の景観からは想像ができない風景であった。
 2014/08/27追加:
  山城東寺五重塔部分図:上記四つ切写真の部分図
  山城東寺五重塔2;壬申検査ステレオ写真
2008/12/31追加:
原題「Tea-Yard at Uzi, Yamashiro (189-?)」、「Album of photographs of Japan.」(189-?) より
 教王護国寺伽藍・茶畑
2014/08/15追加;
「撮影鑑 二」明治14年調製 より
 明治初頭教王護国寺五重塔:明治14年もしくはその直前の撮影であろう。
  2007/05/23追加:
   明治初頭東寺五重塔:上記と同一のネガであろう。
2007/08/08追加:
「京名所写真帖」笹田駒治、京都:村上勘兵衛、明36年 より
 教王護国寺五重塔明治2
  2014/07/25追加;
   「近畿名勝写真帖」明治34年
    明治34年頃教王護国寺五重塔:南西方向から撮影と思われる。向かって左の寄棟造の堂は灌頂堂。
                      本写真は上に掲載の「教王護国寺五重塔明治2」と同一ネガか。
「都名所写真帖」西村七兵衛編、京都:法蔵館、明36年 より
 教王護国寺五重塔明治3
「京都名所帖」京都市参事会、明40年 より
 教王護国寺五重塔明治1
「特別保護建造物及国宝帖」内務省宗教局編、東京:審美書院、明43年 より
 教王護国寺五重塔明治4
2006/11/23:
「京都の古建築」、京都市観光局、昭和13年 より
 教王護国寺伽藍(北側より撮影)  教王護国寺五重塔   教王護国寺五重塔心柱心礎

2006/01/01:「Y」氏ご提供
 香嶋?「とうじ」:「きやうと(名所と美術の案内)」明治28年、和装本挿絵、木版

2013/07/13追加:
 京都東寺五重塔:絵葉書、作成時期不明

◆五重塔資料

2007/03/03「日本建築史基礎資料集成・塔婆T」:
 教王護国寺五重塔立面図
2009/06/06追加:「五重塔はなぜ倒れないか」上田篤、新潮選書、1996 より
 教王護国寺五重塔断面図

2007/12/14追加:「奈良朝以前寺院址の研究」たなかしげひさ、白川書院, 1978.8 より
 教王護国寺五重塔心礎

 →山城教王護国寺五重塔模型:近江大工棟梁高木師成作:1/30模型

◆教王護国寺伽藍

2009/07/18追加:
「京都府四百年前社寺建物取調書」明治15年内務卿調査命令
 教王護国寺境内図:図の左上が南の方位

2015/01/02撮影;雪景色
 教王護国寺南大門9     教王護国寺南大門10     教王護国寺南大門11     教王護国寺南大門12
 南大門・金堂俯瞰
 教王護国寺金堂41     教王護国寺金堂42     教王護国寺金堂43     教王護国寺金堂44     教王護国寺金堂45
 教王護国寺金堂46     教王護国寺金堂47     教王護国寺金堂48     教王護国寺金堂49     教王護国寺金堂50
 教王護国寺金堂51     教王護国寺金堂52     教王護国寺金堂53     教王護国寺金堂54     教王護国寺金堂55
 教王護国寺金堂56
 教王護国寺講堂6
 教王護国寺灌頂院5    教王護国寺灌頂院6    教王護国寺灌頂院7    教王護国寺灌頂院8    教王護国寺灌頂院東門7
 教王護国寺本坊1     教王護国寺本坊2
 教王護国寺礎石3:瓢箪池飛石     教王護国寺礎石4:瓢箪池飛石     教王護国寺礎石5:金堂南東、五重塔北北西にあり

●金堂(桃山)、大師堂(南北朝)、蓮華門(鎌倉)が国宝。その他真言密教の多数の什宝を有す。
無印は2001/12/16撮影、◇は2009/04/02撮影、△は2009/06/23撮影、□は2014/04/05撮影 、▽は2015/06/28撮影、○は2016/03/18撮影:
◎教王護国寺伽藍
 教王護国寺伽藍
 ◇山城教王護国寺伽藍1:南大門・金堂 ◇山城教王護国寺伽藍2:南大門・金堂・五重塔
 □教王護国寺伽藍3             ○山城教王護国寺伽藍4
◎南大門:(重文・八脚門・桃山・切妻・本瓦葺)慶長6年(1601)再興、明治28年(1895)三十三間堂西門を移築する。
三十三間堂の西門(九頭竜門・崩門)が荒廃し、明治28年教王護国寺が買取(800円と云う)、移建する。創建時は重層楼門であったが、鎌倉期文覚上人によって再建される。この門も文明18年(1486)土一揆で焼失した。  (京都妙法院大佛崩レ門ト云ウ 現今東寺南大門ニ有ル 明治三拾二年二月調・・・・「木子文庫」)
 ◇教王護国寺南大門      △教王護国寺南大門側面
  ※上掲の「京都府四百年前社寺建物取調書」明治15年内務卿調査命令 教王護国寺境内図 では南大門は門柱のみの状態であった。
 □教王護国寺南大門3     □教王護国寺南大門4     □教王護国寺南大門5     □教王護国寺南大門6
 □教王護国寺南大門7     □教王護国寺南大門8
 ▽教王護国寺南大門9
 ○教王護国寺南大門10    ○教王護国寺南大門12    ○教王護国寺南大門13    ○教王護国寺南大門14
◎金堂:国宝、慶長8年(1603)、豊臣秀頼再興
 教王護国寺金堂
 ◇教王護国寺金堂21
 ◇教王護国寺金堂22     ◇教王護国寺金堂23     ◇教王護国寺金堂24     ◇教王護国寺金堂25
 □教王護国寺金堂31     □教王護国寺金堂32     □教王護国寺金堂33     □教王護国寺金堂34
 □教王護国寺金堂35     □教王護国寺金堂36     □教王護国寺金堂37
 ▽教王護国寺金堂38     ▽教王護国寺金堂39     ▽教王護国寺金堂40
 ○教王護国寺金堂41     ○教王護国寺金堂42     ○教王護国寺金堂43     ○教王護国寺金堂44
 ○教王護国寺金堂45
◎講堂:重文、延徳3年(1491)再興
 ◇山城教王護国寺講堂
 △山城教王護国寺講堂2
 □教王護国寺講堂3     □教王護国寺講堂4     □教王護国寺講堂5
 ▽教王護国寺講堂6     ▽教王護国寺講堂7     ▽教王護国寺講堂8     ▽教王護国寺講堂9
◎夜叉神堂:桃山期に建築という。当初は南大門の左右にあったが、神威が強すぎて後に金堂前の中門の左右に遷される。
慶長元年(1596)中門が倒壊の後、現在の場所んび遷される。東(左)は雄夜叉で本地は文殊菩薩、西(右)は雌夜叉で本地は虚空蔵菩薩という。
 ▽教王護国寺夜叉神堂1     ▽教王護国寺雌夜叉神     ▽教王護国寺雄夜叉神
◎宝蔵:重文、平安初期の建物と評価される。当初は南北に2棟あり。長保2年(1000)と大治元年(1126)焼失し、建久9年(1198)文覚上人によって再建されると伝えるも、解体修理の結果、東寺創建時期に近い頃の建立であろうと評価される。
 ▽教王護国寺宝蔵1     ▽教王護国寺宝蔵2     ▽教王護国寺宝蔵3
◎食堂
 □教王護国寺食堂1     □教王護国寺食堂2
◎大師堂:国宝、御影堂、康暦2年(1380)後堂再建、明徳元年(1390)北側前堂増築
 ◇教王護国寺大師堂1       ◇教王護国寺大師堂2
 □教王護国寺大師堂11     □教王護国寺大師堂12     □教王護国寺大師堂13     □教王護国寺大師堂14
 □教王護国寺大師堂15     □教王護国寺大師堂16     □教王護国寺大師堂17     □教王護国寺大師堂18
 □教王護国寺大師堂19
 ○教王護国寺大師堂20     ○教王護国寺大師堂21     ○教王護国寺大師堂22
◎教王護国寺本坊
 ▽教王護国寺本坊
◎灌頂院:重文、寛永11年(1634)再興
 ◇教王護国寺灌頂院
 □教王護国寺灌頂院2     □教王護国寺灌頂院3     □教王護国寺灌頂院4
 ○教王護国寺灌頂院5
◎鎮守八幡;延暦15年(796)創建、明治元年焼失、平成3年再建される。
 □教王護国寺鎮守八幡社
  ※2014/05/21追加:
   2014/03/15石清水八幡宮と合同の法要が鎮守八幡で執行される。明治維新で分断された神仏の融合を目指す動きの一歩であろう。
    →「石清水八幡宮再興放生大会」のページに朝日新聞夕刊記事(大意)を掲載。
◎境内礎石
 ◇教王護国寺礎石1: 金堂東側にあり      ◇教王護国寺礎石2:金堂向かって左前方にあり

◎築地塀
 ○教王護国寺築地塀
◎蓮花門(国宝・八脚門・鎌倉・切妻・本瓦葺)建久2年(1191)文覚上人の再建と伝える。
 ○教王護国寺蓮花門11    ○教王護国寺蓮花門12    ○教王護国寺蓮花門13    ○教王護国寺蓮花門14
 ○教王護国寺蓮花門15
◎東大門(重文・八脚門・鎌倉・切妻・本瓦葺)不開門。
延元元年(1336)足利尊氏と新田義貞が交戦した所と伝え、以来門は閉ざしたままと云う。
 △教王護国寺東大門1     △教王護国寺東大門2
◎慶賀門(重文・八脚門・鎌倉・切妻・本瓦葺)
 △教王護国寺慶賀門1     △教王護国寺慶賀門2
 ▽教王護国寺慶賀門3     ▽教王護国寺慶賀門4      ▽教王護国寺慶賀門5
 ▽教王護国寺慶賀門6     ▽教王護国寺慶賀門7
◎北大門(重文・八脚門・鎌倉・切妻・本瓦葺)
 △教王護国寺北大門1     △教王護国寺北大門2
 □教王護国寺北大門3     □教王護国寺北大門4
◎北総門(重文・四脚門・鎌倉・切妻・本瓦葺)屋根瓦には東寺創建当時の瓦が散見されると云う。
 △教王護国寺北総門1     △教王護国寺北総門2
 □教王護国寺北総門3     □教王護国寺北総門4     □教王護国寺北総門5     □教王護国寺北総門6
◎灌頂院北門(重文・四脚門・鎌倉前期・切妻・本瓦葺)
 △教王護国寺灌頂院北門
 □教王護国寺灌頂院北門2     □教王護国寺灌頂院北門3
◎灌頂院東門(重文・四脚門・鎌倉前期・切妻・本瓦葺)
 △教王護国寺灌頂院東門1     △教王護国寺灌頂院東門2
 □教王護国寺灌頂院東門3     □教王護国寺灌頂院東門4     □教王護国寺灌頂院東門5     □教王護国寺灌頂院東門6
◎寺中観智院
 □教王護国寺観智院1     □教王護国寺観智院2
◎寺中宝菩提院
弘安2年(1279)創建という。もとは観智院と櫛笥小路をはさんで東西対称に建てられていた。つまり今の洛南高校の地にあった。
明治14年「総黌」(そうこう)が開学し、現在地に移転する。総黌は今、洛南高等学校となる。
なお、旧宝菩提院の正門は洛南高校に残る。つまり、観智院の対面に残る門である。

教王護国寺青銅製宝塔:塔婆参考
 文久元年(1861)造立、東寺御影堂(大師堂)宝前に造立、光明真言二百十六萬遍読誦供養塔・・とある。
  教王護国寺青銅製宝塔1      教王護国寺青銅製宝塔2


2012/11/29追加:
東寺五重塔図

○東寺五重塔図:京都府立総合資料館蔵。
同館の解説では以下のように述べる。(http://www.pref.kyoto.jp/kaidai/kaidai-to.html
 現在の東寺五重塔は寛永21年(1644)に竣工された塔であるが、この図は、その作事に当った江州 高木作右衛門が作成した1点。
「東寺五重塔五拾分一地割」である。
料紙(縦142.4cm、横42.7cm)の中央に塔身全体の木組の墨引差図を描き、その上部に、塔の規模ならびに造営に関する記録がある。
それらは、まず「高サ三拾壱間三尺三寸三分 此丈 弐拾丈四尺八寸三分」とあり土台について「土居 五間壱尺五寸 此丈 三丈四尺」とある。造営の記録は、「釿始寛永十八年霜月廿一日 作事始寛永十九年正月廿一日 柱立同年九月廿一日 せんたん斗寛永弐拾年卯月廿一日」と記され、造営の過程がわかる。そして高木作右衛門が、「右ハ後代為證拠験置者也」と記しているので、寛永21年三代将軍徳川家光による造塔竣工後、この図が作成されたのである。関連資料が当館所蔵の中井家文書にある。
◆高木作右衛門光喜作成東寺五重塔図
 東寺五重塔図1     東寺五重塔図2     東寺五重塔図3     東寺五重塔図4
2013/06/17追加:
「京の匠展 伝統建築の技と歴史」京都文化博物館学芸第二課 、京都文化博物館、2000 より
 東寺五重塔指図5

○近州高木作右衛門
高木作右衛門に関しては、高木家14代当主自らが述べたページ(東寺五重塔三十分の一小塔の製作にあたって)に解説がある。
 「五重塔造営技術機構」
 関ヶ原戦(1600)で勝利を得た家康は、慶長八年(1603)将軍宣下を得て江戸幕府を開くが、その根拠たる江戸では家康三河在住時代の三州六人衆を中核とした建築技術集団を江戸に移住させ、これら組織の中からのち江戸大工頭として木原、鈴木方が台頭してくる。
 これに対して上方では工匠技術の高度であった五畿内、近江六ヶ国の大工以下諸職人を、家康に最も信任厚かった法隆寺西里村出身の中井藤右衛門(のち大和守正清)が京都大工頭として六ヶ国諸職人の頂点に君臨した。
 以来、豊臣氏滅亡以前の各地の築城他の建築ブーム、大坂(阪)両度の陣による軍役としての活躍、次いで元和二年(1616)家康薨去に伴い雨後の筍の如く造営された各地霊廟の建築で沸き返ったが、東寺五重塔の再興が決定した寛永十六年(1639)ともなると、京都御所の造営を除いては、これらの天下普請も落着し、幕府の体制下に行なわれた建設工事も極端に減少して既存建物の保存修理に重点が移ると寛永九年(1632)従来の「作事方」に代って修理専門担当の「小普請方」が登場する。この組織は小回りが利くこともあって作事方を圧倒するに至り、次第に建築の合理性を求める時代ともなっていった。
 一方、当時は積算技術も発達し、当然本塔の再興にも入札(当時はいれふだ)が採用され、世間入札と称する一般よりの参加も許されたが、結局は入札諸資料を作成した中井家直属棟梁今奥和泉が手間請けし、増援として中井家や京都の大工、寺院専属と考えられる東寺大工に加へ、江州大工組として私の祖高木作右衛門光喜、同高島郡在住の伊右衛門両名が組の配下を連れて参加した。この事実は今奥棟梁以下他の大工が個人で賃金を受領しているのに対し、作右衛門は同じ就労期間なのに十五倍近い賃金を支給されているので多人数で参加したことが判明する。
  「東寺塔御造営大工作料渡判帳」京都総合資料館蔵による


教王護国寺五重小塔

1)宣陽門院施入五重小塔(重文):宣陽院は後白河天皇の第六皇女、鎌倉中期の東寺再興の立役者である。

2009/07/25追加:
宣陽門院施入五重小塔4:左図拡大図
  「塔をゆく 第1巻 五重塔」國見辰雄、平成12年 から転載
教王護国寺五重小塔
「小塔巡拝の記(六)」吉田実〔「史迹と美術」60(6) 所収〕より:
延応2年(1240)宣陽門院(後白河天皇皇女)、御影堂を整備、五重小塔を施入。(「東宝記」に記載と云う)
以前は大師堂(御影堂)に安置してあった(現在は宝物館に安置)、初重は内部も造る。
総高5尺3寸4分(161cm)、初重1辺1尺9寸6分(59cm)。
2009/04/09追加:
宣陽門院施入五重小塔1     宣陽門院施入五重小塔2
宣陽門院施入五重小塔3:東寺宝物館展示
2012/08//20追加:
「日本仏塔の研究 図版篇.」石田茂作、講談社、昭和45年 より
東寺五重小塔
2015/02/16追加:
「朝日百科・国宝と歴史の旅 8 塔」朝日新聞社、2000 より
西院御影堂に安置、延應2年(1240)鎌倉中期東寺再興の立役者となった宣陽門院が施入、初重に舎利を安置し、舎利講の本尊として使われる。

2009/04/09追加:
2)江戸期五重小塔:(由緒不明)<未見>

「小塔巡拝の記(八)」吉田実〔「史迹と美術」610 所収〕より:
江戸期造立と伝える。どの堂塔に安置かは全く不明。施入時期・由緒なども不明。どこにも墨書銘はない。
各重丸桁の上で積み重ねる構造をとる。軸部は枠組に造り、中心に丸太棒を立て、積み重ねる構造である。
初重1辺23cm、高さ148cm、組物初重は3手先、それ以外は出組を用いる。組物垂木は朱塗、壁は白塗。
 江戸期五重小塔
 江戸期五重小塔分解:初重・二重・五重・五重屋根部分の分解図

2012/11/29追加・修正:
3)近江大工棟梁高木師成作:1/30模型

教王護国寺模型塔1:左図拡大図

近江大工棟梁高木師とは、寛永造営の「五重塔図」を残こし、実際の五重塔造営に関わった高木作右衛門充義の後裔である。
 →山城教護国寺五重塔模型:近江大工棟梁高木師成作:1/30模型

○近江大工棟梁高木師直接の解説
 →サイト:近江大工棟梁高木師{高木敏雄HomePage}>東寺五重塔三十分の一小塔の製作にあたって


2006年以前作成:2017/01/05更新:ホームページ日本の塔婆