★千日前竹林寺二重塔
千日前竹林寺二重塔は取壊されたことを、昨日(2010/10/25)Webページの情報で知る。
大阪難波千日前に二重塔があることは以前から認識をし、何度かは前を通り過ぎてはいた。
しかし、遂に二重塔として取上げることも無く、従って自前の写真撮影をすることもなく、漫然と忘れていたため、永久に本塔を実見する機会を逸したこととなる。
この二重塔は大師堂(弘法大師)であり、この寺院は竹林寺であることを今般初めて認識をする。
◆サイト:十三のいま昔を歩>さようなら千日前・竹林寺:2009/02/09記事
には竹林寺が掲示した「竹林寺移転の公告」の写真がある。
当サイトおよびこの「公告」とその他のサイトの情報を総合すると以下の経緯で取壊しとなった模様である。
竹林寺本堂・大師堂・事務所などを諸般の事情にて移転する。
閉山日は平成20年(2008)12月8日、平成21年2月1日より工事開始、移転先は天王寺区勝山1-11-19(摂津四天王寺東門前すぐ)、
天王寺区勝山の地においては本堂・大師堂などを新築する。新本堂などの落慶予定は平成22年6月を予定。
※諸般の事情:良く分からないが、元の境内地でもあった「南OSビル」が老朽化で取壊になり、それにあわせて竹林寺も移転する
ことに決したものと思われる。
「南OSビル」の1階の一部は竹林寺事務所とも云う。跡地は「ラウンドワン」(アミューズメント施設)になるとも云う。
◆千日前竹林寺二重塔写真
※自前の写真が無いので、Webページの写真を拝借する。
8)サイト:ラ・フランスずぼら日記>松園山・竹林寺の移転、2009/07/18記事 より
千日前竹林寺二重塔21:大師堂(二重塔)は解体工事中
9)サイト:ワタシャジ 〜ワタクシの社寺めぐり(とか)〜>社寺巡り 大阪・「竹林寺」、2010/02/15記事
千日前竹林寺二重塔22:大師堂(二重塔)は依然として解体工事中
★摂津千日前竹林寺概要
大阪夏の陣の後、松平忠明(大阪城主)、大坂市街地の復興を目的として、市内の墓地を整理、道頓堀の南側に移させる。
寛永14年(1637)松平忠明、上本町八丁目筋より法善寺を当地に移転し、千日回向を実施させる。
慶安2年(1649)松平忠明、法善寺南隣に浄業院を建立、これが竹林寺の前身と云う。
寛文6年(1666)竹林寺、千日(念仏)回向を開始する。
その為、法善寺・竹林寺は千日寺と通称され、南の墓所に通じる通りは「千日前」といわれるようになる。
戦前は境内も広く、観音堂と大師堂があった。
◇大正7年地図:法善寺、竹林寺、楽天地がある:サイト:ROSSさんの大阪ハクナマタタ>千日前にあった歌舞伎座、2007/07/13記事
◇竹林寺絵葉書:戦前<年代不詳>、観音堂と大師堂であろうか。なお、このサイトでは写真などは転載禁止とある。
竹林寺は松園山と号する。浄土宗。
※浄土宗でありながら、大師(弘法)堂があるのは攝津国八十八ヶ所霊場第三十番札所であるからであろうが、その由来は不明。
昭和20年の空襲で焼失する。閉山まであった大師堂(二重塔)などの堂宇は戦後の再建になる。
平成20年千日前の寺地では閉山、天王寺区勝山の地に移転、本堂・大師堂を建立する予定とのこと。
※2010/10/23現在:本堂などは建立されたが、大師堂は建立予定地があるだけで、未だ建立されずと云う。
※建立される大師堂は新築であろうと思われる。新築であるならばどのような堂宇に成るのかは不明。
但し、もし二重塔が木造であれば、解体し搬入、二重塔として再建される可能性も若干あるが、この可能性はかなり低いであろう。
●勝山竹林寺 残念ながら、二重塔の移建・再興などはなかったようである。 2020/01/03撮影:
勝山竹林寺1 勝山竹林寺2
2010/10/27作成:2020/02/09更新:ホームページ、日本の塔婆
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