江戸御府内八十八箇所霊場、てくてく廻る小さな旅

東京お遍路




 嘉藤洋至


                             烏森同人のtop頁へ 

 はじめiに

 東京には御府内八十八箇所霊場がある。
 江戸市民に四国遍路の関心が深まってきたことが背景にあって、宝暦の初め(1750年頃)、四国八十八箇所霊場の「うつし」が開創された。明治維新に至るまでの110年間は江戸庶民の信仰の道として定着していたようだ。江戸の戯作者十返舎一九が、道中記「金草鞋」シリーズ第21巻目で「東都大師巡八十八箇所」を刊行している。 
 明治維新の新政府による神仏分離令、関東大震災、東京大空襲、戦後の大規模開発やその後の都心再開発など幾多の受難を経て、その多くの寺院は場所を替え佇まいを変えながら今日まで霊場の歴史を伝えている。

 坂東三十三観音霊場を廻り、西国三十三観音霊場、秩父三十四観音霊場の百観音巡礼の旅を終え、四国お遍路の旅をして、ついには仏陀の足跡を辿って、インドにまで行ってしまった。これだけ修行の旅を続けたのに、いまだ邪心も、妬みも、物欲も、愚痴も、煩悩も捨て去ることが出来ない。私が歩いてきた祈りの道は一体何だったのだ。それでも懲りずに、またぞろ歩きたい虫がうごめき始めて、小さな旅、東京お遍路の計画を立て、御府内八十八箇所霊場の道を辿ることになってしまったのだ。
 私のお遍路は、子供の頃に亡くした両親、早くに逝ってしまった妻、若くして逝った弟、ほかにも先に旅立った人達への追善供養であり、これまで我が身の生活のためだとは言え、多くの人達に苦しみを与えてきたことへの詫びの旅である。そして、これから老いていく日々が平穏無事な余生であることを願う旅でもある。
 その一方で、次に辿り付く場所に目標を定めて、根気よく地図の隙間をつぶして歩いていくことの執念にも似た心理が働いている。これはジグソーパズルを組み立てるときに動く思考回路のようにも思えるし、何もないところから一本の毛糸を根気よく紡いで編物の作品を仕上げていく快感にも共通しているように思える。
 御府内八十八箇所霊場は、四国八十八箇所霊場のように順序よく並んでいない。第1番霊場の高野山東京別院の近くに第84番霊場の明王院がある。88番霊場文殊院は杉並区和泉にあって、直ぐ近くに12番霊場宝仙寺があるといった按配だ。これでは、とても順序よく歩くことは無理だ。順番に歩くことが信心の心得だろうとは思うが、ここは弘法大師様に大目に見ていただくことにして、地域をエリアごとに分けて歩くことにした。とは言いながら、その時の体力と、その日に残された時間を案じながら、先に進むこともあるだろう、途中で止めることもあるだろう。決めたエリアには拘らず、乱れ打ちをすることにしよう。
 霊場のことを、願い札を納めて歩くから札所「ふだしょ」と言う。なかには重箱読みになるので、「さっしょ」と言う人もいる。四国八十八か所の霊場には、本堂と大師堂に納札箱が置かれていて、納め札を入れていくお遍路さんを時々見かけることがある。裏側に願い事を書いて、納札箱におさめるのだが、要は「お参りに来ましたよ」ということを伝えるわけだから、私製の短冊でよいのだ。
 街道沿いの古びたお堂などに、自分の名前と住所を記した紙製の札が貼られているのを見かけることがある。これを「千社札」と言うのだが、古くは木製の札であって、釘で本堂の柱や、軒下に釘で打ちつけたのが、納札の始まりである。だから、四国八十八か所でも、霊場にお参りする事を「打つ」と言っている。
 お札は、後に木製の札から紙製の札に変化したが、文化財に釘を打ちつけたり、糊でベタベタ貼られては困る。それで納札箱を置いて、その中に入れて下さいということになったのが今日のスタイルである。
 霊場、つまり札所を、仕事や体調に合わせながら何回かに分けて歩くことを「区切り打ち」と言い、一度で八十八箇所全てを回る事を「通し打ち」と言う。また、順番どおりに回る事を「順打ち」、逆に回る事を「逆打ち」と呼んでいる。
 今回、御府内八十八箇所霊場は順序を無視して歩くのだから、「乱れ打ち」であり「区切り打ち」である。
 まっ、そんな前置きはどうでもよろしい。十返舎一九の辿った道筋に思いを馳せながら、東京お遍路の小さな旅に出ることにする。
 
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その1端書き

歩いた日は、2011年6月15日。高輪から三田、愛宕、新橋、赤坂を経て六本木まで。
お参りした寺院は、第1番高野山東京別院第84番明王院第65番大聖院第69番宝生院第80番長延寺第13番龍生院第67番真福寺第20番鏡照院第75番威徳寺第81番光蔵院第6番不動院の11寺院。

ちょっと寄り道 愛宕山料亭「菜根」の悪夢
ちょっと寄り道 坂道と自転車

その2端書き
歩いた日は、2011年9月20日。麻布から青山、信濃町、四谷まで。
お参りした寺院は、第5番延命院第27番正光院第44番顕性院第39番真成院第21番東福院第18番愛染院第83番蓮乗院の7寺院。

ちょっと寄り道 於岩稲荷田宮神社と四谷怪談

その3端書き

歩いた日は、2011年10月20日。千駄ヶ谷、恵比寿、大崎、大井、南馬込まで。
お参りした寺院は、第10番聖輪寺第9番龍厳寺第7番室泉寺第4番高福院第26番来福寺第8番長遠寺の6寺院。

ちょっと寄り道 馬込文士村の住人達

その4端書き

歩いた日は、2011年11月21日。深川、亀戸、両国、東日本橋まで。
お参りした寺院は、第37番満徳院第74番法乗院第68番永代寺第73番東覚寺第40番普門院第46番弥勒寺第50番大徳院第23番薬研堀不動院の8寺院。

ちょっと寄り道 江戸期における江東地方の新田開発

その5端書き

その6端書き 
歩いた日は、2012年2月27日。谷中寺町界隈。
お参りした寺院は、第53番自性院第49番多宝院第55番長久院第63番観知院第57番明王院第42番観音寺第64番加納院の7寺院。

ちょっと寄り道 仏様の位(くらい)

その7端書き

歩いた日は、2012年4月9日。田端界隈から、駒込、巣鴨、春日、本郷、湯島まで。
お参りした寺院は、第56番与楽寺第66番東覚寺第47番城官寺第59番無量寺第33番真性寺第86番常泉院第34番三念寺第28番霊雲寺、第32番圓満寺の9寺院。

ちょっと寄り道 江戸六阿弥陀詣り

その8端書き

歩いた日は、2012年5月5日。小日向から、音羽、牛込、早稲田、高田界隈まで。
お参りした寺院は、第79番専教院第87番護国寺第22番南蔵院第31番多聞院第30番放生寺第52番観音寺第29番南蔵院、第35番根生院第38番金乗院第54番新長谷寺の10寺院。

ちょっと寄り道 夏目坂と喜久井町、彷徨の時代 

その9端書き

歩いた日は、2012年7月2日。城西界隈。
お参りした寺院は、第76番金剛院第36番薬王院第85番観音寺第24番最勝寺第12番宝仙寺第11番荘厳寺、第58番光徳院第71番梅照院第48番禅定院第41番蜜蔵院第2番東福寺第15番南蔵院、第14番福蔵院の13寺院。

ちょっと寄り道 百観音巡礼と明治寺

その10端書き
城北界隈から郊外へ、そして結願。

城北界隈。歩いた日は2012年9月2日。 お参りした寺院は、第19番青蓮寺第17番長命寺
城北界隈から烏山。歩いた日は2012年9月21日。 お参りした寺院は、第16番三寶寺第70番禅定院第3番多聞院
郊外@日野市。歩いた日は2012年9月27日。お参りした寺院は、第25番長楽寺
郊外A秦野市。歩いた日は2012年10月2日。お参りした寺院は、第77番仏乗院
結願。歩いた日は202年10月15日。お参りした寺院は、第88番文殊院

ちょっと寄り道 将軍の鷹狩と休憩所
ちょっ寄り道 大山道と大山詣り
 


 おわりに

 一年と四か月をかけて、江戸御府内八十八箇所霊場を廻り、「東京お遍路」の小さな旅を終えた。ただ歩き続けるのだったら、一か月もあれば十分だが、詣でた寺院の縁起を調べたり、好奇心の赴くまま、思いつくままに文章にまとめていたら、こんなにも長い日時が掛かってしまった。四国を歩いたときは一年と8か月を要したが、この時は一応会社顧問と云う仕事を持っていて、休日を利用しながら四国へ通ったので止むを得なかったと思う。今は違う。毎日が「日々之退屈」の連続なのだ。なれど、暇つぶしのお遍路は出来る限り先送りにして、長続きさせた方が良い。その方が、心身の健康を持続させることが出来ると云うものだ。
 百観音の御本尊様は、当たり前のことだが観世音菩薩様だ。八十八箇所霊場の御本尊様には如来、観世音菩薩、それに明王、天に至るまで、様々な仏様がいらっしゃる。百観音を廻り、四国霊場を廻り、江戸御府内八十八箇所霊場を廻って多様な御本尊様にお参りしてきた。日本には七万数千の寺院があるそうだから、私が歩いてきたのは、その内のごく僅かな寺院にしか過ぎない。
 仏教とは、お釈迦様を開祖とする宗教であると思っていたのに、釈迦如来を御本尊様にした寺院は殆んど無い。調べてみたら、四国八十八箇所霊場の第1番霊山寺、第3番金泉寺、第49番浄土寺、第73番出釈迦寺、第74番甲山寺。江戸御府内八十八カ所霊場では、第9番龍巌寺の1寺院しかない。大日如来や阿弥陀如来の方がずっと多い。
 御本尊様を前にして、義務のように唱え続けた般若心経だが、冒頭は「観自在菩薩、行深般若波羅密多時、・・・」で始まる。観世音菩薩、つまり観音様が、「波羅密多という有難い行を深く修行しました・・・」という文言である。お釈迦様ではない。般若心経とは観音様が修行して得た悟りが書き残されて、お経になったらしいのだ。
 仏教の開祖、即ちお釈迦様、それに如来様、観音様、それぞれの違いと、仏教の道理を考えていたら、何だか混乱して、よく分からなくなった。確かなことは、釈迦如来は実在した人物だが、それ以外の仏様は、想像された仏法世界にある象徴だと云うことなのだ。
 どこかのページにも書いたが、それぞれの如来様を仏教会社の取締役に準えれば(・・・このことは、誠に不謹慎だと思うが・・・)、釈迦如来は代表取締役で社長だと単純な思考で整理していた。どうも、そんな単純な図式になっていないようだ。キリスト教やイスラム教は、唯一絶対の神を信じる一神教だから単純だ。仏教の世界は多くの神が役割を分担している多神教なのだと考えると、何となく整理する糸口が見つかったような気がする。
 四国の札所を廻ると、必ず団体お遍路に出会う。ツアーに同行する導師の指導によって、南無大師遍照金剛と唱え、般若心経の合唱が始まる。弘法大師が修行した足跡を辿るわけだから、すべての寺院は真言宗である。このことから、般若心経は真言宗にとって重要なお経なのだと云うことが分る。他に、法相宗、天台宗、禅宗では般若心経を唱えるが、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、法華宗では唱えない。この区別も、なぜだか分らない。
 仏教は宗派によって様々な違いがある。分派も多くて、多種多様な教義が展開され複雑である。宗派によって祀りや勤めの作法が違うのだから、ややこしいこと、この上もない。葬儀に参加して、「南無阿弥陀仏」と、「南無妙法蓮華経」のお題目を違和感なく唱えているが、よく考えたら、これもややこしい。
 「南無阿弥陀仏」を唱えるのは、浄土宗(開祖・法然)、浄土真宗(開祖・親鸞)、天台宗(高祖・天台大師)、念仏宗(宗祖・良忍)、時宗(宗祖・一遍上人)。「南無妙法蓮華経」を唱えるのが日蓮宗(宗祖・日蓮)。それに、「南無釈迦牟尼仏」と唱えるのが曹洞宗(高祖・道元)、黄檗宗(宗祖・隠元)、臨済宗(開祖・栄西)で、先にも書いたが真言宗は「南無大師遍照金剛」である。宗派としては、ここに上げた以外にも「華厳宗」や、「律宗」、「法相宗」などがあるが、唱える文言はよく分からない。
 日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代で、宣化天皇3年(538)であるとするのが一般的になっている。インドで成立した仏教が、中国大陸を経て、長い年月をかけて日本に伝わってきたのだから、その間に教義は分化し、体系は複雑化してしまった。
 さらに、日本は自然崇拝の神様の国である。仏教も日本固有の神と区別しながらも、同列に扱って受け入れてきた。そして、多くの開祖たちは、時の権力を利用したり、されたりしながら、一大教団を作り上げてきた。一方で、庶民の士族的な風習とも結びつき、日本独特の風土の中で、今の時代に馴染んだ、実に日本的な仏教が育ち、この複雑怪奇な仏教図式を作り上げてしまった。そりゃぁ、凡人には理解できないのが当たり前だろう。
 歩くことは苦行である。けれども、これだけお遍路、巡礼を続けてきたのに、未だに煩悩から抜け出せぬ。これじぁ、何のために歩いているのかよく分からないではないか。歩き疲れた足を労わりながら、我が家に辿り着き、お湯に浸かって足を揉み解す。湯上りのビールを飲む。この時ほど、穏やかな気分になることはない。一瞬だが、迷いが解けた様な錯覚に陥る。これが、やっと辿り着いた我が悟りの境地だ。情けない話だが、凡庸な精神では、このレベルなのだ。  


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