第59番無量寺(むりょうじ)

      山号 仏法山(ぶっぽうざん)
      住所 北区西ヶ原1-34-8
      参詣 2012年4月9日
 
手入れの行き届いた境内と本堂

 
 旧古河庭園の西側の小路を下っていくと、無量寺の脇に出る。右に折れると山門がある。鬱蒼とした樹木に囲まれているので、旧古河庭園の一角にあるようだ。
 山門は石柱である。無量寺の表札がはめ込まれていて、小さな文字で「六阿彌陀第三番」と添え書きがされていた。参道に続いて、田舎の旧家を偲ばせる瓦葺の二の門がある。この山門は潜れない。脇門から入るように、案内書きがしてあった。さらに、その先に参道が続き、本堂に突き当たる。
 境内は手入れが行き届いて、この日も園丁が作業をしていた。仄聞だが、一年中、花が絶えないように配慮され、四季折々の花が植えられているそうだ。
 縁起について、『新編武蔵風土記稿』には、次のように記されている。
 「新義真言宗佛寶山西光院と號す、慶安元年寺領八石五斗餘の御朱印を附らる、古くは田端村與楽寺の末なりしか、・・・略・・・、また昔は長福寺と稱せしを、惇信院殿の御幼名を避けて今の寺號に改むと云、・・・略・・・、阿彌陀堂行基の作坐像長三尺許六阿彌陀の第三番なり、・・・以下、略・・・」
 創建については触れていないので不明だが、奈良時代の行基の作という阿弥陀如来坐像が祀られているのだから、堂宇は古くからあったのだろうと思う。「惇信院殿の御幼名を避けて・・・」とあるが、惇信院殿とは、九代将軍家重のことで、幼名が長福丸だった。
 本尊の不動明王は、江戸時代の作で、「足止め不動」として信仰を集めていたとのこと。なんでも、ある夜盗人が無量寺に忍び込んだが、不動明王の霊験により、金縛りにあい動けなくなって翌朝捕まったのだ。
 無量寺には、こんな伝承もある。大師堂には、恵心僧都の作と伝えられている聖観音菩薩像が安置されていて、「雷除けの本尊」として、知られているそうだ。なぜ雷除けの本尊なのか、その訳を調べてみたけど分らない。北区教育委員会が平成15年7月に建てた説明板の最後にも、「また、大師堂の中には恵心作の聖観音像が安置されており、「雷除けの本尊」としても知られています。」と書かれているのだが、その訳には触れていない。
 無量寺は、もう一度訪ねてみたい寺院の一つだ。四季折々の佇まいに浸るのが良い。こんど、季節を変えて来てみようと思う。 (2012年4月27日 記)

 


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