第70番禅定院(ぜんじょういん)

      山号 照光山(しょうこうざん)
      住所 練馬区石神井町5-19-10
      参詣 2012年9月21日
          
 

本堂の前にあるキリシタン燈籠
 
 
 山門は閉じられていた。手を掛けて引いてみたが開かない。あぁあ、またしても門前払いなのか。困惑したものの、生垣に沿って少し歩いたら、車が出入りできる参道門が開いていた。
 縁起について、「新編武蔵風土記稿」には、「新義真言宗上石神井村三寶寺の末、照光山と号す、願行上人の開きし寺にて本寺よりは古跡なりと云う・・・以下略・・・」と記されている。願行上人(1215〜95)は鎌倉時代を生きた高僧であり、先に訪れた本寺、三寶寺より百年以上も前に創建されたことになる。
 本堂の前に、ねりまの名木に指定されている、「ヒヨクヒバ」の大樹があり、その下に寛文13年(1673)と刻まれたキリシタン燈籠があった。別名、織部型燈籠とも呼ぶそうだが、珍しい石造物である。
 この燈籠は、キリシタン信仰の石造物で、禁教の下で密かに祈りを捧げた仮託礼拝物である。柱状の土台部分(「竿」と呼ぶそうだが・・・)の上部が膨らんだ形で十字架の様に見える。下部には聖母マリアを思わせる立像が刻まれていて、明かりを燈す部分(火袋)を欠いている。隠れキリシタンには、火袋部分の必要性はなかったのだろう。また、火袋部分を載せたとしても、それは監視の目から逃れる手段に過ぎなかったのだと思う。
 一方、織部燈籠だが、千利休の弟子に戦国大名であった古田織部がいた。この人物がキリシタン燈籠を模して茶室燈籠として考案したと伝えられている。古田織部がキリシタンであったのかどうか定かではないが、茶人達にはキリシタンも多く居たことだろうから、密かな礼拝物として、庭園の隅に置いたということは十分考えられる。しかし、今ではキリシタンの仮託礼拝物であったことなど知る由もなく、庭園の観賞物として欠かせない石造物になっている。
 天保7年(1836)に建立されたという茅葺屋根の鐘楼があった。茅葺を保護するためか、太い針金で囲われていて興冷するが、珍しい佇まいなので、しばらく眺めていた。
 本堂前で般若心経を唱え始めたら、突然に犬が吠え始めた。本堂に続く庫裡、と云っても普通の邸宅だが、前庭に囲いがあって、大柄な番犬が飼われていた。般若心経を唱え終えて、本堂を後にするまで吠え続けていた。「不審者ではありません、これでも真面目に般若心経を唱えているのだよ。」と、呟きながら愛想笑いを返したけれど、訓練された番犬には通じない。侵入者に間違われるほどに、みすぼらしい恰好をしていたのか。  (2012年9月29日 記)
                
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