東京お遍路 その4 深川、亀戸、両国、東日本橋まで。
歩いた日は、2011年11月21日。 私には、地図に記した東京お遍路の道筋を、途切れさせてはならぬ、という拘りがある。前回歩き終えたのは南馬込の長遠寺なのだが、連続して歩こうとすれば、南馬込から同じ道を帰ってくることになる。歩く順序を工夫しながら、一筆書きに歩くことが出来ないものかと、地図を眺めながら考えたが、第1番の高野山東京別院から歩き始めると、一筆書きでは歩けないことが分った。どんな方法を取ってみても、結局は、南馬込の長遠寺がどん詰まりになって仕舞い、来た道を引き返す羽目になるのだ。 東京お遍路の出発点に選んだのは、第1番の高野山東京別院である。愛宕薬師を経て新橋にある鏡照院、そこから西へ、赤坂の威徳寺に向う道筋をとった。今回は新橋から東へ、深川に向うことにした。これだと地図上に記した不連続区間がなくなるだろうと考えたからだ。可笑しな拘りである。 前にも書いたが、八十八の霊場を何回かに分けて歩くことを「区切り打ち」と言い、一度で八十八箇所全てを回る事を「通し打ち」と言う。また、順番どおりに回る事を「順打ち」、逆に回る事を「逆打ち」と呼んでいる。順番を無視して、その時そのときの都合で回る事を「乱れ打ち」と言うこともある。 私の東京お遍路は区切り打ちであり、乱れ打ちである。それに「キセル打ち」でもある。お遍路さんの用語には、キセル打ちという使い方、言い方は無いけれども、それ以前に巡拝を終えた札所から、今度出発する札所までの区間を歩かないで飛ばしてしまうことを、私が勝手にこう呼んでいる。 「キセル」とは、今時なじみの無い言葉だが、煙草を吸う道具で、吸い口と煙草を乗せる雁首には金属が使われているが、中間は竹管が使われていることがほとんどである。かつては、交通機関を利用する際にキセル乗車という不正な行為が話題に上ったことがある。これは改札の入り口と出口では切符を買うが、中間は運賃を払わない。即ちお金を使わないので、これがキセル乗車の語源となっている。 私の四国お遍路は仕事の都合もあって、何回かに分けて東京から出かけて行ったので、有効区間が連続せず所々途切れている。だから私の四国お遍路は、「キセル打ち」である。 ゆっくりとした時間でJR新橋駅を11時半に出発したのだが、これは失敗だった。この季節、日没は早い。終わりに近付いた3カ寺は、見通しの効かない夕闇の中で、寺院の輪郭が掴めないままのお参りとなってしまった。深川の富岡八幡宮で、のんびりと時を過ごしたのも間違いだった。最初の予定では亀戸天神にも寄りたいと考えていたのだが、何とか明るいうちに次に続けたいという焦りもあって、これも果たさず仕舞いだった。 第50番大徳院を探し当てたときには、とっぷりと日が暮れていた。その後、東日本橋にある薬研堀不動院に参拝して、今日の行程は終了。馴染みの小料理屋がある新橋に向った。 新橋烏森の一隅に、「これぞ酒場だ!」と、懐かしさに涙が出そうな雰囲気の小料理屋がある。私が通い始めて久しい。常連さんというか馴染みの客は気のおけない友達か家族同士みたいな雰囲気で、飲み食い喋っている。でも、昨今は厳しい世相を反映してか、あるいは世代交代による価値観の違いからか、こんな雰囲気のお店が好まれなくなり、「懐かしい酒場」は新橋界隈からも年々減少しているようだ |
その4の目次 第37番満徳院 第74番法乗院 第68番永代寺 第73番東覚寺 第40番普門院 第46番弥勒寺 第50番大徳院 第23番薬研堀不動院 ちょっと寄り道。 江戸期における江東地方の新田開発 東京お遍路のtop頁へ その3端書きへ その5端書きへ 烏森同人のtop頁へ |