第81番光蔵院(こうぞういん)

      山号 医王山(いおうざん)
      住所 港区赤坂7-6-68
      参詣 2011年6月15日
 
光蔵院の山門、ん?
 
 

 一ツ木通りから円通寺坂を上ると、閑静な赤坂の高台に出る。坂上の丁字路を右に折れて直ぐに左に入ると、突き当りが光蔵院になる。なれど、地図ではその筈なのに、見当たらない。何度も住居表示を確認するが、そこは豪邸のお勝手口になっていた。そんな筈は無い。ガイドブックの住居表示が誤りだと思い、周辺を歩いてみたが、それらしきお寺は見当たらない。
 付近を暫らく歩いて、先ほどの場所に戻ってきた。塀伝いに進み、左に折れたら豪邸の立派な門前に出た。光蔵院の表札が小さく出ている。品のある高級住宅という印象だから、寺院だなんて思わない。表札を何度も確認した。
 うん、間違いはない、ここだ。だから、ここでも般若心経は唱えないことにした。高級住宅街の道端にたって、ぶつぶつ言っていると、変人扱いにされてしまう。それで無くとも、うろうろしている私を、怪訝な表情で見つめながら、擦れ違って行く人達がいる。
 縁起によれば、光蔵院は、寛永年間(1624年〜)に、今の東京タワーに程近い飯倉の地に創建されたとある。享保年間(171636)には、川崎大師の御旅所となり弘法大師を祀るようになった。御旅所とは、江戸で出開帳をする場所のことである。それ以来、「厄除け飯倉大師」として信仰を集めたという。創建時は、午前中に歩いて来た愛宕にある真福寺の末寺であったとのこと。
 1945年の空襲で灰燼に帰し、赤坂の現在地に移転してきたそうだ。現在の本堂が落成したのは1988年とある。バブル景気の最盛期で、円高によって輸出産業が打撃を受け、町工場の倒産が続出した頃である。本堂の佇まいは、このバブル景気の世相と、どこかで繋がっているのかも知れない。
 閑静な赤坂の高台を歩き、緑に囲まれた高級住宅や洒落たマンションを眺めながら、歩いている。どんな人達が住んでいるんだろう。我が身とは別世界の暮らしが広がっているんだろうと思う。都心から遠く離れた郊外の団地に住む我が身には想像もつかない。
 洒落た佇まいのマンションから若い母親と小学生の男の子が出てきた。男の子は学習塾の鞄をさげている。タクシーを止めて、急いで乗り込んだ。あぁ、タクシーで塾通いなのか。  
 (2011年8月26日 記)

 
 


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