第9番龍巌寺(りゅうがんじ)

      山号 古碧山(こへきさん)
      住所 渋谷区神宮前2-3-8
      参詣 2011年10月20日
 
龍巌禅寺の石柱がある

 聖輪寺から10分ほどのところに、都営霞ヶ丘アパートがある。歳月を経た古い団地だが、神宮外苑に立地するというだけで、なんだかレトロな雰囲気を感じる。単なる懐古趣味かもしれぬ。自転車を重そうに抱え石段を降りてくる主婦に出会った。ここで暮らしている人達にとっては不便なこともあるだろう。団地の先を左に曲がり、最初の丁字路を右折し坂を上ると龍巌寺の門前に着く。
 山門の左側に「龍巌禅寺」と彫られた標石があった。一瞬、間違えたのかと思ったが、標石の上部に細かい文字で、御府内第九番と書かれていた。龍巌寺は臨済宗南禅寺派の寺院であり、禅寺と書かれていても別段かまわないのだが、四国八十八箇所の「うつし」である以上は、空海の修行の足跡を辿るのであり、真言宗の寺院でなければ合点がいかない。なんでも、弘法大師が関東巡業でこの地に立ち寄ったときに、堂宇を創建したという由来が残っているそうで、かつては真言宗の寺院であったという。
 なぜ禅寺になったのか、そこんところがよく分らない。御府内札所の開創期には、近くにある熊野神社の別当寺であった浄性寺が第九番札所だったようで、明治の神仏分離の際に廃寺になったために、札所は龍巌寺に移ったとのこと。禅寺になったのは、そんなことも関係しているのかも知れない。
 山門は木の柵で遮られていて、入ることは出来ない。脇門の木戸には「檀信徒以外の出入りをお断り申す。合掌」と書かれた札が下がっていた。私は檀家ではないし、禅宗の信徒でもない。百観音を巡礼して四国八十八箇所も歩き終えたのだが、仏教徒と言うほどの自覚も無い。木戸を開けるべきか、諦めるべきか・・・。暫らく躊躇っていたが、「・・・お断り申す。」という告示に従って、ここは引き下がることにした。
 門前の坂道を「勢揃坂(せいぞろいざか)」という。この道は鎌倉街道であり、平安時代後期の武将で、八幡太郎の通称で知られる源義家が、奥州征伐(後三年の役、永保3年・1083)に向うときに、ここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残っている。龍巌寺の境内には「義家腰掛の石」があるそうだ。
(2011年11月7日 記)
 


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