第21番東福院(とうふくいん)

      山号 宝珠山(ほうじゅざん)
      住所 新宿区若葉2-2
      参詣 2011年9月20日
 
豆腐地蔵のある東福院
 
 所番地から読むと、お参りする順序は蓮乗院なのだが、所在が分らない。真成院の坂を下って、若二商店街を少し先に進むと右に上る坂がある。蓮乗院を探してうろうろしていたら、東福院坂と書かれた標識が眼にとまった。この辺りにはお寺が集中している。幕府が江戸城外堀工事のため半蔵門や、麹町にあった多くの寺院を四谷の高台に移し、寺町が形成されたのだ。 
 東福院には、「豆腐地蔵」の伝承が残っている。1976年に一声社から出版された中村博偏「東京の民話」の中に、次のような物語が収録されていた。以下は、その要約である。
 四谷天王横丁に高利貸の傍ら、あこぎな商売をする豆腐屋があった。ある日の暮れのこと、一人の僧侶が豆腐を買いに来た。ところが、あくる日も、あくる日も、そのあくる日も豆腐を買いにくるようになった。おかしなことに、僧侶が豆腐を買いにくるようになってから、売上銭の中に一枚、きまって、シキミの葉が混じっているようになった。
 「うん、あの坊主のしわざにちげえねえ、今度買いにきたら、こらしめてやるぞ」、豆腐屋は手ぐすねを引いて待ちかまえていた。その頃の店は、日が暮れると戸を閉めて戸に取り付けられた小さな窓のところから代金と品物を出し入れする商いがならわしだった。
 やがて、日が暮れると、いつもの僧侶がやってきて、「豆腐を一丁ください」と、小窓から、銭を握った手が出た。豆腐屋はこの時とばかり、手にしていた出刃包丁で力いっぱい切りつけた。真っ赤な血が、あたりに飛び散って、僧侶の手首が転げ落ちてきた。さすがの豆腐屋も恐ろしくなって、まんじりともしないで夜を明かすと、転々と落ちた血の跡をたどって行った。
 血痕は東福院の地蔵堂の前で消えていた。豆腐屋は、おそるおそる地蔵堂の中を覗いて、たまげた。お堂の中には、右の手首のない地蔵様が立っていたからだ。「ああ、あのお坊様は、お地蔵様だったのか」
 それからというもの、豆腐屋は生まれ変わったように心を入れかえ、おいしい大きな豆腐を作るようになり身銭を切って地蔵祭りをして地蔵様に感謝した。いつの頃からか、この地蔵さまのことを豆腐地蔵というようになった。
 と、言うのだが、なぜシキミの葉が入っていたのか、そこんところが表現されていない。理屈屋の私にとっては腑に落ちない。豆腐屋は、狐か狸が僧侶に化けて、悪戯をしたのだろうと考えたのか・・・。
 ガイドブックには、境内に高さ1メートル余りで、左手が欠落している豆腐地蔵が祀られていると書かれているのだが、寺院の入口から見た限りでは分らない。奥まったところに、煌々と明かりが灯り、垢抜けしたオフィスのような寺務所があるのだが、足を運ぶのが憚れる雰囲気だ。たぶん、豆腐地蔵は境内の奥の方に祀られているのだろう。  (2011年10月13日 記)
 


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