第5番延命院(えんめいいん)

     山号 金剛山(こんごうざん)
     住所 港区南麻布3-10-15
     参詣 2011年9月20日
 
延命院の標石
 
 明治通りを反れて絶江坂を上ると、途中左側に延命院がある。標石には弘法大師霊場第5番と書かれ、並んで不動尊霊場第28番とある。江戸庶民の不動尊巡拝講の霊場でもあったのだろう。でも、ご本尊様は大日如来である。
 絶江坂、このユニーク名前なのだが、今でも坂の東側にある曹溪寺の初代和尚の名が絶江であったそうで名僧だったために、この周辺一帯の地名となって、後に坂の名として残っているということだ。南麻布の閑静な住宅街にある静かな坂である。
 落語で、立川談志の十八番に「黄金餅」というのがある。この落語の中に、「麻布絶口釜無村の木蓮寺」というフレーズがある。この木蓮寺のモデルが、先の曹溪寺である。
 落語の「黄金餅」は、自分の死後、財産が他人に渡るのを嫌い、あんころ餅に黄金を包み、飲み込んで息絶えた僧侶と、腹に収まった黄金を奪おうと企み、そして手に入れた黄金を元手にして餅店を開き、大成功したという男の物語である。人間の深い欲望をリアルに表現し、滑稽さと哀れさが同居する落語であるが、残酷なネタでもある。そういえば、落語とは「人間の業の肯定である」と、立川談志は言っていた。知性でも理性でも、どうにもならない業を表現したのが落語の世界だ、と言っているのだと思う。
 話は前に戻る。この息絶えた僧侶を下谷の山崎町から、絶口釜無村の木蓮寺に運ぶまでの道筋が、落語の中に出てくる。町名をポンポンとまくしたてるところが、この落語の聞かせどころにもなっているのだ。長くなるが、江戸の地誌を書きとめるつもりで、手元にある「立川談志独り会、第3巻、(三一書房)」、から抜書きする。なお、いまの地名は絶江坂だが、原本には絶口坂と書かれている。
 ・・・下谷の山崎町を出た。上野の山下を通って三枚橋ィ渡って上野の広小路、新黒門町から御成街道を真っ直ぐに五軒町に出る。仲町、花房町、筋違御門から大通りへ出る。神田へ出てまいりまして新石町、須田町、鍋町、鍛冶町、乗物町、今川橋を渡って本白金町へ出る。石町から本町、室町から日本橋を渡って通り三丁目、中橋から南伝馬町へ出る。京橋を渡ってまっ直ぐに銀座四丁目を突き抜ける。尾張町、竹川町、出雲町、新橋の手前を右に切れまして、土橋渡って、兼方町へ来る。久保町へ出る。新し橋の通りを真っ直ぐに、愛宕下から天徳寺へ抜ける。西の久保から神谷町、飯倉坂ぁ上がって、六丁目から飯倉町へかかって、狸穴の通りへやってくる。右に上杉様のお屋敷を見ながら、左に、当時流行ったおかめ団子”という評判の団子屋。左に麻布の永坂下って十番に出た。坂下町から大黒坂登って、一本松から麻布絶口釜無村についたときには連中くたびれた”・・・。そりゃあ疲びれろう、これだけあるきゃあ・・・。
 というのである。江戸の古地図を眺めながら、いつか歩いて見る。

 


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