第17番長命寺(ちょうめいじ)

      山号 東高野山(ひがしこうやさん)
      住所 練馬区高野台2-10-3
      参詣 2012年9月2日
          
 

青命寺の南大門
 

 東京都と埼玉県の境界に沿って歩いている。道路の右側は埼玉県の和光市で白子と云う町名になっていた。随分と遠くまで歩いてきたようだ。間違った方角に歩いているのではないかと、不安になる。笹目通りに出て交番を見つけ、歩いている道順に間違いないことを確認して、ほっとする。
 笹目通りに面して長命寺の東門が開いていた。本堂の脇に練馬区教育委員会が記した説明板がある。そこには、「慶長18年(1613)、後北条氏の一族である増島重明(慶算)が一院を開き、その志を継いで弟の子、重俊が諸堂を建立、寛永17年(1640)に大和長谷寺の秀算により「長命密寺」と号しました」と、ある。増島重明、つまり慶算阿闍梨は北条早雲の子で、重胤の孫と伝えられている。また、大和長谷寺の秀算は、第54番新長谷寺の中興の僧としても、その名がみえる。そこでは元和4年(1618)と記録されていた。
 境内は紀州高野山の聖域を倣って造られたことから、江戸の人々からは東高野と呼ばれるようになり、後に、それが山号になったと云う。境内は木立に囲まれ、三代将軍家光の供養塔など、沢山の石造物が並んでいた。さらに奥まったところに、豊かな緑に覆われて奥之院があり、「東高野山奥之院・霊場域」として、東京都指定文化財になっている。
 長命寺には、江戸庶民の信仰の霊場として親しまれてきたという歴史が見える。途中、貫井5丁目の目白通り沿いには、寛政11年(1799)に再建されたという、「左 東高野山道」と刻まれた道標があった。境内には、「東山講」「地蔵講」「佐賀講」「一二日講」「日曜講」「新栄講」などの文字が、石灯籠や仏像の台座、仏像を囲んで並ぶ石柱に刻まれている。
 南大門の手前、左側に鐘楼があり、囲むようにして比較的新しい造りの十三仏が並んでいた。死後の忌日を司る仏様で、あの世で生前の審判を受ける死者の救済を願って祀られていると云う。
 東門から入って、南大門に抜けた。大門の表と裏側に二体ずつ、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が祀られている。南大門とは別に、右手に寛文年間(1661〜73)に建立されたという仁王門があり、慶安3年(1650)に鋳造されたという梵鐘とともに、練馬区指定の文化財になっている。
 道路の反対側に立って、暫し南大門の威容を眺める。暑い最中に歩き続け、かなり疲れている。次に予定した第16番三寶寺は近いのだが、今日の行程はここで止めにする。 (2012年9月19日 記)
                  
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