小田急線秦野駅から歩いた。この道は、主に江戸時代、小田原方面から大山阿夫利神社への参拝者が歩いた「蓑毛通り大山道」である。大山道と大山詣でについては、項を改めてメモしておく。
蓑毛行きバスの終点から、金目川に沿って登って行く。仏乗院の入り口を示す標識は何処にも無いから、ガイドブックを参考にして、その地図を頭脳にインプットしておく必要がある。ここから先は、丹沢大山国定公園である。
坂道を300mも上ると道が二股に分かれていて、分岐点に常夜灯が建っていた。左の道がヤビツ峠に向かう登山道で、右の道は阿夫利神社がある大山に向かう道である。標識があって、「関東ふれあいの道」と書いてあった。正式な名称は「首都圏自然歩道」と云うそうだ。
左の道を取っていくと、すぐに「割烹蓑庵」の看板が見える。第77番仏乗院は、この「蓑庵」の隣にある。蓑庵はすぐに分るが、仏乗院は右奥に隠れているので、分かり難い。蓑庵の右側にある小さな山門を潜り、段差が不揃いの石段を上った所が境内で、正面の高手に本堂があり、右側にお稲荷様が祀られている。まさに神仏調和だ。
御府内八十八ヶ所の霊場は、その名の通り、将軍のお膝元である江戸の内に在った筈だが、幾つかの寺院は、御府内から離れた場所に移っている。家康、秀忠、家光の三代にわたって進められてきた江戸の居住区拡張工事や、明治元年(1868)の神仏分離令、大正の大震災(大正12年・1923)、東京大空襲(昭和20年・1945)で堂宇を焼失し、その後の復興など、幾つかの契機があって、本来あった場所から移転している。その中でも、最も遠い場所に移ってきたのが仏乗院である。開創年代はよく分からないが、江戸の初めに八丁堀から三田の寺町に移り昭和62年(1987)に丹沢山塊の、この場所に移転して来たとのことだ。
誰も登ってこない。静寂の中で声高に般若心経を唱えた。庫裡や納経所は無い。納経帳への御朱印は蓑庵で頂けるというのだが、私は納経帳を持たないでお遍路をしている。境内に続く割烹蓑庵にも人影は無い。まるで廃屋の様だ。商売をしているんだろうか。境内から直接蓑庵に入る扉があり、無人の店に侵入してトイレを借りた。店の中は綺麗に片づけられていたから、商いはしているんだろう。商売のシーズンと時間が、私が訪れた時間と合っていなかったのかもしれない。 (2012年10月17日 記)
|