第57番明王院(みょうおういん)

      山号 天瑞山(てんずいざん)
      住所 台東区谷中5-4-2
      参詣 2012年2月27日
 
明王院の本堂物

 
 明王院は、観智院の並びにある。石柱が二本並んだだけの山門だが、一歩中に入ると、掃き清められた境内、それに静かな佇まいである。騒々しかった観智院から一変して、落ち着きを取り戻す。正面に大師堂があって、左奥に本堂がある。石畳の参道右側には、宝篋印塔(ほうきよういんとう)があった。一般的には、五輪塔と同じように、墓地などに建てられた供養塔である。しかし、歴史を辿っていくと、いろいろな想いや祈願成就のための祈りの石塔ということが分る。
 縁起によると、慶長16年(1611)後水尾天皇の勅願により、辨円上人が神田北寺町、今の千代田区錦町に創建したと伝えられ、慶安元年(1648)谷中清水坂に移転し、さらに万治3年(1660)に現在地に移ってきたという。明治17年(1884)に火災で伽藍が焼失し、本堂は昭和46年、大師堂は平成7年(1995)に再建されたそうだ。
 先ほどの観智院を出て、すぐの歩道脇に、手入れの行き届いた六地蔵がある。御影石で作られた花筒が対で置いてあり、左の花筒に「三崎坂上」、右の花筒には「初音六地蔵」、と彫られていた。この六地蔵のある辺りから、不忍通りに向って緩やかに下っている坂道が、三崎坂(さんさきざか)である。その先は本郷台地に向って上り坂になり、団子坂と呼ばれている。
 三崎という地名の起こりだが、北から駒込、田端、谷中の高台が張り出し、谷戸を作って続いていた地形から、こう呼ばれるようになったようだ。「さんさき坂」と書かれた標柱に、「安永2年(1773)の『江戸志』によると、30年ほど以前、この坂の近所に首を振る僧侶がいたことから、別名を首ふり坂という」、と説明されていた。坊主が首を振りふり、坂を上っていく姿を想像すると滑稽だ。
 池波正太郎(1923〜1990)の作品に、「谷中・首ふり坂」という短編集がある。この三崎坂が舞台である。主人公の源太郎は、五百五十石の旗本三浦家に養子入りしたが、新妻は薙刀の名手で高慢、それに夜の激しさに辟易してしまう。そんな時、初めて連れて行かれた谷中の茶屋で、怪力女に魅せられ、武士を捨て失踪する。薙刀を振るって亭主を取り返しに来た妻に、怪力で、しおらしい女が、源太郎をかばって妻を川に投げ入れてしまう。そんな筋書きだったように思うが、池波作品の中でも、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』と違って、可笑しさのある作品だ。
 谷中を歩いていると、文人達の作品の故郷に出会うことが出来る。 (2012年3月31日 記)

 


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